子供を売り払って利権を守る。それが帝政日本。
より
上記文抜粋
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『映画秘宝』2009年6月町山智浩による『グラン・トリノ』ポイント解説!
公開前に必読! 『グラン・トリノ』を完全に理解するための5つのポイント
『グラン・トリノ』はアメリカについて何も知らないで観ても感動する映画だけど、知っているともっと深く観ることができる。
ここではパンフレットにも載っていないポイントを話そう。
1. グラン・トリノってどんな車?
グラン・トリノという車は1972~76年にフォードが生産していた巨大なアメ車。当時のデカくて強いアメリカを象徴するように、デカいくせにツードアでろくに荷物が入らないような車でも、大きければ大きいほど売れた時代だった。イーストウッド演じるコワルスキーは、72年にフォードの組立工としてグラン・トリノのハンドルを作っていて、それをいまでもピカピカに磨いて大切にしている。
なぜ72年型なのか?といえば、翌年に起こった石油ショックで石油価格が世界的に高騰したので、燃費がよくて故障しにくい日本車か売れ始め、燃費の悪いアメ車の売れ行きが落ち始めたからだ。それからアメリカの自動車産業が崩壊し続け、ついに2008年には破綻してしまった。だから72年型グラン・トリノは、アメリカの自動車産業の最後の輝き、古き良きアメリカの象徴なんだ。
2. 主人公がポーランド系の理由
また、イーストウッドが演じるコワルスキーはポーランド系なんだけど、これも重要だ。アメリカの自動車産業が始まった頃、工場で働いたのは、南部から流れてきた元黒人奴隷たちと、ヨーロッパから移民してきたばかりのポーランド系、チェコ系、ロシア系、ギリシヤ系、アイルランド系、イタリア系といった非WASP、つまリカソリックや東方正教の人々だった。彼らはとても貧しくて、自分たちの国の字も読めなかった。でも、彼らの子供たちはフォードが開校した職業学校に通って、昼は勉強、夕方以降は工場で働いた。た'からコワルスキーは14歳頃から定年まで50年近くフォードで働いてきたんだ。
彼らのおかげて、自動車はアメリカで最大の産業になった。GMが1番、フォードが2番で、最盛期にはアメリカ人の6人にひとりが自動車産業に従事していた、まさに移民のハードワーカーたちかアメリカを作つたんだ。貧しい移民の子たったコワルスキーたちも自分の家を持ち、息子を大学に入れてアメリカン・ドリームをかなえた。でも、そこまでだった。自動車産業は落ちぶれて、息子はトヨタのセールスマンなんかをやっている。
コワルスキーはデトロイトの湖畔のグロス・ポイントという地域に住んでいる。ここは自動車産業で金持ちになった人々のあこがれの高級住宅地だった。
ところが自動車産業がダメになるとみんな職を求めて違う州に引っ越して、代わりに白人以外が住みついて、仕事かIないから犯罪が増えて、荒れ果てたギャング地帯になってしまった。
コワルスキーはそれでも引っ越そうとしない、新しいアメリカから古き良きアメリカを最後まで死守するのは、オレしかいないと信じているから、朝鮮戦争で陣地を守り通した時のように、彼の家は砦なんだ。
コワルスキーは「何の仕事をやってるの?」つて訊かれて、「機械を直すことだ」と答える、洗濯機がガタついてるのが気になって直したり、壊れた冷蔵庫を自分で直すからといってもらってくる。
庭の手入れ、車の手入れ、機械でもなんでも片っ端から直す。つまり、彼がやっていることはメンテナンス。「古いものを維持し続けること」ということ。 ここにも、失われていくアメリカを守ろうとするコワルスキーの想いが表現されている。
3. アメリカの男の仕事とは?
ところがそんな彼の砦の隣に、モン族の一家が引っ越してくる。そして、いじめられっ子のモン族の少年を男らしくするよう頼まれる、彼が少年にやらせたのは庭仕事や掃除ばかりだ。少年が「こんなのは女の仕事じゃん」って言うとコワルスキーは「これがアメリカの男の仕事だ!」って怒る。
それはアメリカ人独特の考え方なんだよね。彼ら貧しい移民たちはアメリカに来てはじめて悲願の土地や家をマイホームを持つことができた。だから、もう本当に大事にする。
特に男にとっては芝生や家をどれだけ綺麗にするかが男の価値になる。「チンコが小さくても芝生はきれいにしろ」と言われてるくらいだ。だから、週末になるとアメリカの男は自宅の庭でバーベキューをやる。「オレはこんなに芝生や庭をきれいにしてるんだ!」つて、アメリカの男であることをアピールをするためにね。
オレもアメリカに家を持って芝生を刈ってると隣近所の旦那たちがひっきりなしに「そうじゃないよ!」とうるさく口を出してくる。男たちはいつも家の話をしてるよ。屋根は雨漏りしないか、ポーチはちゃんと修理したかとか。で、男の日曜日の楽しみは庭仕事を終えて、ポーチでビールを飲みながら「俺も一国一城の主だなあ」と満足すること。まさにコワルスキーも同じことをやっているんだ。
4. モン族つてどこの人たち?
で、モン族だけど、彼らはラオスの山岳民族なのになぜ、アメリカにいるのか? その理由が複雑だ、60年代、ベトナム戦争の頃、ラオス王国のベトナムとの国境地帯は共産軍に支配されていて、そこが北ベトナムから南ベトナムのゲリラに武器を送るルートになっていた。アメリカはそのルートを断ちたいけど、ラオス国内に軍は送れない、そこでモン族を軍事支援して、共産軍と戦わせた。モン族はもともと戦闘的な民族なので勇敢に戦った。『地獄の黙示録』はその事実をモデルにしたらしい。ところがアメリカがベトナム戦争に負けてインドシナから撤退して、モン族を置いてけぼりにしてしまった。ラオスは共産軍に支配され、モン族(バンパオ将軍の苗族特殊部隊)は反体制分子として弾圧され、命からがらアメリカに逃げてきたんだ。
つまりモン族はアメリカ(CIA)に利用された被害者で、コワルスキーの罪の意識を掘り起こす存在だ。
はっきり言わないけど、彼は朝鮮戦争でアジア人を大量に殺した罪の意識があって、それで偏屈になってしまった。死んだ奥さんが「あの人には懺悔したいことがある」と言っていたのはそのことだ。でも神父に懺悔するとき「息子に心が開けなかった」としか言わない。なぜかといえば人殺しの罪は、懺悔しただけで贖えるものじゃないからだ。
5. コワルスキー=ハリー!?
そして彼は贖罪をするんだけと、明らかに、ショルダー・ホルスターに入れた拳銃をゆっくりと抜くというダーティ・ハリーのパロディをしてみせる。『グラン・トリノ』は『ダーティハリー』をものすごく意識した映画だよ。コワルスキーの妻の葬式から始まるんだけど、最初のセリフが「ジーザス・クライスト(なんてこった)」。『ダーティハリー』でも最初のセリフは同じだった。スコルピオが犯行現場に残した銃を見て、ハリーがそうつぶやく、イーストウッドはハリーや西部のガンマンとして、さんざん悪者を自分の法律で裁きまくってきたけど、それを朝鮮戦争でアジア人をたくさん殺してきたコワルスキーにダブらせている。
『許されざる者』以降のイーストウッドは、ずっと自分の贖罪の物語ばかり作ってるね。
コワルスキーはグラン・トリノをモン族の少年に遺す。あんなにアジア人が嫌いだった男が。エンド・クレジットで流れる主題歌にもあるとおり、グラン・トリノとはコワルスキー自身のことだし、それを他人に授けるということは、アメリカン・スピリットの継承を意味している。
アメリカの魂を継ぐのは白人とは限らないということだ。思い返せばイーストウッドはこういう話ばっかり作っている。『ハートブレイク・リッジ』なんかも、黒人やメキシコ人にアメリカ兵の魂を叩き込む軍曹の話だったし。
こんな感じで『グラン・トリノ』はものすごく深い話なんだけど、オスカーにはノミネートされなかった。全米では大ヒットしたし、レビュ一も絶賛の嵐だったのに。その理由は、配給元のワーナーが会社としては超大作の『ベンジャミン・バトン』をオスカーに推したから。ノミネートは映画会社が決めることだから、ひとつの映画会社が2本以上の映画を推すことはない。イーストウッドは俳優はこれが打ち止めと言ってるけど、今回のワーナーの仕打ちに怒ってまた映画に出るかもね。
★注、
日本の特攻(カミカゼ)は既得権益を守る老人たちが同族の少年兵を死に追いやった酷い話を『靖国神話』を使って美談にすり替えた腹立たしい悪質な詐欺か手品である。
クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」の方は老い先短い偏屈な老人が、異民族の少年の将来を守るために自分からギャング団の悪の巣窟に乗り込む幡随院 長兵衛のような筋書き。
両者は似ているようで意味する中身が正反対だった。2018年11月11日 | 政治 トランプ vs リベラルメディア (CNN記者)の最終バトル
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抜粋終わり
心底「天皇」とその信者が卑しいのが、判る。
さらに抜粋
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8年前の「逝きし世の面影」ブログでは「反知性主義」ポピュリズムの第45代アメリカ大統領ドナルド・トランプ対「知的エリート」エスタブリッシュメント米民主党リベラルメディアの仁義なき戦いが、最終的にトランプ側勝利で決着すると書いた。
ところが、それを阻んだのが100年ぶりの胡乱な新コロ(SARS-CoV-2)騒動と、もっと胡散臭い危険な遺伝子操作mRNAワクチン接種強制と「強制隔離」や資本主義経済の根本を破壊する無理筋の都市封鎖や国境封鎖の乱暴狼藉に乗じた、インチキ「郵便投票」だった。それなら、もしトラ(トランプが暗殺を掻い潜って再選されると)なら報復は避けられないのである。
・・・・・・・・中略・・・・・
本書は、ラストベルトの労働者階級の白人たちがドナルド・トランプに大統領職を譲る前に書かれたものだが、ナンシー・アイゼンバーグの『White Trash』とともに、本書が広く関心を集めているのは、長い間軽蔑されたこのアメリカ人階級の重要性を思い起こさせたことが一因だ。
J.D.ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』は、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストで1位を獲得した。人気の源泉は、現代のホレイショ・アルジャーの物語として読めるような、個人的な回想録という形式による。ケンタッキー州の丘陵地帯に住む少年が、混沌とした家庭生活を乗り越え、イェール大学のロースクールに入学し、アメリカン・ドリームを実現する。リベラルな読者は、この本でアパラチア山脈におけるマーシャル・プランの必要性を確信するかもしれない。著者は、彼自身の成功が、政府の政策によって機械的に他者に再現されるものではないことを理解している。
アパラチアでの生活は暴力的である。著者の一家が生まれた郡は「ブラッディ・ブレスィット」というあだ名があり、抗争は珍しくなかった。著者の祖母は12歳のとき、家の牛を盗んだ者を捕まえ、ライフル銃でその足を撃った。一族の言い伝えによれば、祖母がその男を仕留めきれなかったのは、彼女の父親がタイミングよくやって来たからだ。
中流階級の白人は子供たちに喧嘩をしないように教えるが、山の人々は子供たちに喧嘩の仕方を教える。誰かを殴るとき、拳が重要でないと思う人はほとんどいない。アパラチアには原始的な名誉文化があり、侮辱されたときに仕返しをしないのは弱さの証拠とみなされる。
暴力は家庭生活にも持ち込まれる。
言葉を間違えれば、静かな夕食が喧嘩に発展したり、子供の頃の些細な過ちで皿や本が部屋中で飛んだりする。地雷の中で暮らしているようだった。一歩間違えれば、どかん。
著者は民俗を調査するうちに、ACE(逆行性小児期体験)に関する大規模な心理学文献を発見した。
両親から悪態をつかれたり、侮辱されたり、屈辱を受けたりしたこと、突き飛ばされたり、つかまれたり、何かを投げつけられたりしたこと。家族が互いに支え合っていないと感じたこと。両親が別居または離婚したこと。アルコール依存症や薬物使用者と同居していたこと。うつ病や自殺未遂者と同居していたこと。愛する人が身体的虐待を受けるのを見たこと。
このようなストレスは、アドレナリンやその他のホルモンを体内にあふれさせる。これが古典的な闘争・逃走反応を引き起こす。この反応によって、普通の人が、例えば母親が閉じ込められた子どもから重いものを持ち上げるような、並外れた偉業を成し遂げることができる。
残念なことに、闘争・逃走反応は破壊的だ。ある心理学者が指摘するように、森にいるときに熊がいたら、この反応は素晴らしい。問題は、そのクマが毎晩バーから帰ってくるときだ。
このような絶え間ないストレスは、子どもの脳で化学反応を起こし、争いが去った後でも争いを引き起こすように配線する。そして、不安、うつ、心臓病、肥満、ある種のガン、さらには大人になってからも同じ有害な行動が繰り返されることが予測される。「カオスがカオスを生む。」これら問題はすべて、アメリカ人全体よりもスコットランド系アイルランド人の山岳民族にはるかに多く見られる。
ヒルビリーは自分たちを勤勉な人間だと思いたがるが、多くはそうではない。著者は、早起きが嫌で仕事を辞めた隣人について書いている。彼は後に、自分の悩みをオバマ経済のせいにした。黒人によく見られるように、貧しい山間部の人々の多くは、自分たちの境遇と自分たちの行動との関連性を理解できない。
2009年、ABCニュースは「Mountain Dew mouth(マウンテン・デュー・マウス)」と題した番組を放映した。この報道に対するアパラチア地方の圧倒的な反応は、自分たちの子供たちの歯の問題など、ジャーナリストには関係ないという。ネットワークには怒りの苦情が殺到したが、そのほとんどはネットワークが説明した現実を無視していた。社会学者が報告しているように、アパラチアの人々は幼い頃から、不快な真実を避けるか、より良い真実が存在するふりをすることで対処する。
貧困にあえぎ、自分たちの問題を否定している。それでも山岳民族は伝統的な独立心、自立心、そして家族への強い忠誠心を保っている。隣人たちは互いを知り尽くし、一定の基準を強制する。
家族、友人、近所の人たちが、何の前触れもなく家に押しかけてくる。母親は娘に子育ての仕方を指図する。父親は息子に仕事のやり方を教える。兄弟は義理の兄弟に妻の扱い方を教える。家庭生活とは、近所の人々の助けを借りながら、その場その場で学んでいく。
誰にでも挨拶し、見知らぬ人の車を雪から掘り出すために自分の好きな娯楽をあきらめ、葬儀の車列が通り過ぎるたびに例外なく車を止め、降りて整列する。おばあちゃんに尋ねる。「なぜみんな霊柩車が通ると立ち止まるの?」「私たちは丘の民だからよ。私たちは死者を敬うの。」
ヒルビリーはまた、最も愛国心の強いアメリカ人であり、軍隊に多く所属している。政治的には、労働者党である民主党を支持する伝統がある。
20世紀には、アパラチアから中西部の工業都市への2つの大きな移民の波があった。ひとつは第1次世界大戦後、恐慌とともに起こった。もうひとつは第2次世界大戦後。出稼ぎに参加した人々は、学校で習った3つの言葉は「Reading, Riting」と「Route 23」、つまりオハイオ州やそれ以外の地域でより高収入の仕事につながる「ギルビリー・ハイウェイ」だった。
著者の祖父母であるジムとボニー・バンスは、最初の子供を妊娠したとき、それぞれ16歳と13歳だった。夫婦はすぐに結婚し、第2次世界大戦後の国外脱出に加わった。ジムが刑務所から逃れ、ボニーが両親のもとに送り返されるのを防ぐため、出生証明書に嘘を書いた。社会生物学の専門用語で言えば、スコットランド系アイルランド人の山岳民族は、例外的に選別された白人だ。
やがて彼らはオハイオ州ミドルタウンという何の変哲もない町に降り立ち、ジムは地元の鉄鋼会社に就職した。ケンタッキー州南東部まで車で20時間かかるが、彼らは年に数回この旅をした。2世代経った今、著者は、幼少期にはミドルタウンに住所があったが、自分の家はケンタッキーの丘陵地帯にあるとしっかりと理解していたと断言する。
戦後の移住に参加した人々は、たいていの場合、自分の境遇を改善したが、多くの場合、そこに溶け込むのは難しいと感じた。ある歴史家は、アパラチアからの移民はデトロイトに到着した南部の黒人と多くの地域的特徴を共有し、白人の外見、話し方、振る舞いについて北部の白人が抱いていた広範な思い込みを破壊したと書いているh。
バンス氏のヒルビリー仲間の一人がミドルタウンで郵便配達の仕事に就いた。ケンタッキーの丘陵地帯で学んだように、彼はこう言った。
彼は裏庭で鶏を飼っていた。毎朝卵を集め、ニワトリの数が増えすぎると、老いたニワトリの首を絞めて、裏庭で食肉用に切り分けた。ケンタッキー生まれの隣人が数メートル先で鶏の鳴き声を聞きながら屠殺するのを、育ちのいい主婦が窓の外から恐る恐る見ていたのを想像してほしい。
著者の祖母は、彼女の母国であるケンタッキー州民に同情した:ゾーニング法なんてクソ食らえ。
ケンタッキーからオハイオへの移行は、著者の祖父母にとって容易ではなかった。ヒルビリーは叔父、叔母、祖父母、いとこといった大家族で暮らすが、オハイオでは核家族で暮らす。バンス家の新しい隣人たちは、彼らにとっては見知らぬ人たちであり、たいていはそのままであった。
何度かの流産と乳児の死亡を経て、夫妻は3人の子供をもうけた。
ザ・ヴァンス
子供たちの将来について、常に楽観的な見方を保っていた。ケンタッキーに残った家族よりも、彼らは間違いなく裕福だった。自分たちがジャクソンの1部屋しかない校舎から、郊外の2階建ての家に住み、中流階級の快適さを手に入れることができたのなら、子供たちや孫たちも大学に通い、アメリカン・ドリームの分け前を手に入れることに何の問題もないはずだと考えた。彼らのような人々にとっては、人生は苦難の連続であり、確率は少し高いが、だからといって失敗の言い訳にはならない。デッキが自分に不利だと考えるクソ負け組のようには決してなるなと、祖母はよく私に言った。「あなたは何でもできるのよ。」
自分たちにとって十分であったことが、子供たちにとっても十分であってはならないと思い込んでいた。著者の母親が、故郷の人々にあまりにも似ているボーイフレンドと付き合ったとき、ボニー・ヴァンスは激しく非難した。「あいつは歯抜けのろくでもない知恵遅れよ!」
同じ原則が仕事にも適用された。次の世代は、手ではなく頭を使って働くのだ。ジム・バンスは、彼自身が働いていた鉄鋼会社で長男の雇用を斡旋することを拒否した。次の世代に受け入れられる唯一の雇用は、溶接工ではなくエンジニアだった。私の祖父母にとって、ケンタッキー州を出て、子供たちがスタートラインに立つことが目標だった。
アパラチアの外で生まれた最初の世代にも問題はあった。ケンタッキー州の丘陵地帯に家族で頻繁に帰省する以外、彼らは両親が当たり前だと思っていた社会的支援を受けずに育った。彼らは何千人もの生徒がいる近代的な学校に通い、孤立を感じた。
両親のささやかな繁栄の基盤であった工業企業が、金貸しや給料日貸しに取って代わられ、撤退や廃業を始めた。地元の鉄鋼会社での雇用は、すぐに十分ではなくなり、手が届かなくなった。裕福な家庭は町を去り、貧しい家庭は資産価値の下落に追い詰められ、家を売ることができなくなった。
私は子供の頃から、風俗や社会的圧力には2つのタイプがあることを知っていた。私の祖父母は、古風で、静かに誠実で、自立心が強く、勤勉である。一方、私の母、ひいては近所全体が、消費主義、孤立、怒りっぽい、不信感といった、もうひとつのタイプを体現していた。
著者の母親が19歳のときには、すでに離婚しており、女児を養うために仕事も資格も大学の単位もとっていなかった。著者は二度目の結婚の産物であったが、一度目の結婚より長くは続かなかった。その後、3度目の結婚をした。一家は、現在ではパパとママとして著者に知られている長男ヴァンスのすぐ近くに住んでいた。しばらくの間、それをかろうじて我慢する。
著者が9歳くらいのとき、物事がうまくいかなくなり始めた。祖父母から遠く離れた別の町に引っ越した。著者は、幼いころのこの経験から得た教訓を述べている。
「ケンカが激しくなったら、平手打ちやパンチをしても構わない。」
予想通り、家庭内のトラブルが成績に影響し始めた。
何度もベッドに横たわり、激しい足踏み、怒鳴り声、時にはガラスが割れる音で眠れなかった。翌朝、疲れて憂鬱な気分で目覚め、学校での一日をぶらぶらと過ごしながら、家で待っていることを考えていた。ただ静かに座っていられる場所に引きこもりたかった。何が起きているのか誰にも話せなかった。学校は嫌いだったが、家はもっと嫌いだった。ベルが鳴るまでに机を片付ける時間があと数分しかないと先生が告げたとき、私の心は沈んだ。まるで時限爆弾のように時計を見つめた。
著者の母親は婚外恋愛に巻き込まれ、結婚生活に終止符を打ち、ミドルタウンに戻った。彼女はすぐに酒浸りになり、著者の学生時代の友人の一人が「今月のお気に入り」と呼ぶボーイフレンドを次々と作り出した。醜い事件が起こり、警察に通報された。
裁判は12歳の著者の証言にかかっていた。彼は、家庭生活が悪いと思わせ、そこから逃げ出すことを許し、しかし母親が刑務所に行くほど悪くないようにする、という難しいバランスをとる演技をしなければならなかった。
彼は成功した。マモーは、もし母さんがこの取り決めに文句があるなら、マモーの銃の銃口に向かって話せばいいと言った。
母親の生活の混乱は続いた。
「私は高校2年生で、惨めだった。引っ越しとケンカが絶えず、新しい人々と出会い、愛することを学び、そして忘れなければならない、終わりのない回転木馬のような日々......。高校1年の成績はGPA2.1で、ほとんど落第点だった。宿題もせず、勉強もせず、出席率も最悪だった。ある日は病気を装い、またある日は行くのを拒んだ。そのような悩みと同時に、ドラッグの実験も始めた。難しいものではない。手に入るアルコールと、友人と見つけたマリファナの隠し場所だ。」
母親が薬物関連の危機的状況に陥ったことで、著者は祖母のもとに永住することになった。(このとき祖父は亡くなっていた。)この新たな安定が、彼の人生における決定的な転機となった。学校の成績はほとんどすぐに向上し、薬物への関心もなくなった。「マモーと過ごした3年間が僕を救ってくれた。」
個人的に抱えていた最悪の問題から解放された著者は、近所の人々の生活に興味を持ち始めた。地元の食料品店でレジ打ちの仕事をしたことが、アマチュアの社会学に触れるきっかけとなった。例えば、衣服やフードスタンプの使用状況から判断して、貧しい客の多くが、熱狂的なストレスに動かされ、調理済みの食品や冷凍食品を買う傾向が他の客よりも強いことに気づいた。
「私は、福祉制度を悪用する人々のやり方を学んだ。フードスタンプで2ダース入りのソーダを買い、それを値引きして現金で売る。フードスタンプで食品を買い、現金でビールやワイン、タバコを買う。政府から大金をもらって生活している人たちが、私が夢見るような小物を楽しんでいる一方で、なぜ私たちの生活が苦しく感じられるのか、私には理解できなかった。」
2週間に1度、小額の給料をもらうと、給料から連邦税と州税が差し引かれていることに気づいた。少なくとも同じ頻度で、麻薬中毒の隣人がTボーンステーキを買った。
著者は、祖父母の愛する労働者党が、実は労働者の党はなかったと疑い始めた。
政治学者たちは、アパラチアと南部が1世代も経たないうちに民主党支持から共和党支持に変わった理由を説明しようと、何百万もの言葉を費やした。その説明の大部分は、白人の労働者階級の多くが、私が見たことを正確に見ていたということだ。
16歳になった著者は、自分の住む地域に影響を及ぼしている社会問題について本を読み始めた。彼が見つけた本が、ハーバード大学の社会学者ウィリアム・ジュリアス・ウィルソンの『The Truly Disadvantaged(本当に恵まれない人々)』で、その論旨を彼は次のように要約している。
「何百万人もの人々が工場での仕事を求めて北へ移住し、工場周辺に生まれたコミュニティは活気に満ちていたが、もろい。工場が閉鎖されると、取り残された人々は、もはや質の高い仕事でこれだけの人口を支えることができない町や都市に閉じ込められた。教育を受け、裕福で、人脈に恵まれた人々は、貧しい人々のコミュニティを残して去っていった。残された人々は、自力で良い仕事を見つけることができず、人脈も社会的支援もほとんどないコミュニティに囲まれている、本当に恵まれない人々だった。」
これはミドルタウンのヒルビリー移植者について完璧に描写していた。ウィルソンはインナーシティの黒人について書いていた。著者は、都市部の黒人の問題について書かれた別の本でも、同じような衝撃を受けた。チャールズ・マレー著『Losing Ground』である。
実父を訪ねたとき、著者は共同体の宗教生活にも何かが欠けていることに気づいた:
「父さんの教会は、人々が切実に必要としているものを提供した。アルコール依存症患者には支援のコミュニティがあり、一人で依存症と闘っているのではないという感覚を与えてくれた。妊婦にとっては、職業訓練や子育てクラスがある無料の家が提供された。誰かが仕事を必要としているとき、教会の友人が仕事を提供したり、紹介してくれた。父親が経済的な問題に直面したとき、教会が一致団結して家族のために中古車を購入した。私の周囲で見た崩壊した世界では、宗教は信仰者を軌道に乗せるために具体的な援助を提供した。」
著者の祖母は定期的に聖書を読んでいたが、教会に行ったことはなかった。故郷の人々は信心深かったが、教会コミュニティへの愛着はなかった。バイブルベルトの真ん中で、教会への出席率はかなり低い。教会は、感情的な美辞麗句に偏りがちだが、貧しい子供たちがうまくやっていくために必要な社会的支援には乏しい。
著者は長い間、自分の地域社会の問題は外部の力によるものだと、つまり産業を復活させれば病理は消えると信じたかった。しかし、著者は、現実的な課題であるにもかかわらず、人々が最悪の方法で対応している例をあまりにも多く見た。彼のコミュニティはそうだった。
「本当に不合理な行動の世界。散財して貧乏になる。巨大なテレビやiPadを買う。高金利のクレジットカードや給料日ローンで、子供たちはいい服を着る。必要のない住宅を購入し、より多くの小遣いを得るために借り換えをし、破産を宣告する。私たちの食生活や運動習慣は、私たちを早期の墓場に送るように設計されている。ケンタッキー州のある地域の平均寿命は67歳で、近隣のバージニア州より10年半も低い。」
ヒルビルが自分たちの子孫に課す高い基準に従い、著者は大学進学を期待された。学校の成績は上がったものの、自分にはまだ早いのではないかという疑念があった。従兄弟は彼に海兵隊に入ることを勧めた。いいアドバイスだった。
「海兵隊は、私が自分自身に抱いていた期待を一変させた。ブートキャンプでは、30フィートのロープを登ることを考えただけで恐怖を感じたが、1年目が終わるころには、片腕だけでロープを登れるようになった。入隊前、私は1マイルを走り続けたことがなかった。最後の体力テストでは、3マイルを19分で走った。」
軍団はまた、多くの採用者の出身コミュニティにおける社会資本の不足を補う必要性も理解している。
「海兵隊は、入隊者が最大限の無知であることを前提としている。体力、個人衛生、個人的な金銭感覚について、誰も教えてくれないことを前提にしている。私は、小切手帳のバランス、貯蓄、投資について強制的な授業を受けた。私が新兵訓練所から帰ってきて、1,500ドルの収入を平凡な地方銀行に預けたとき、先輩の海兵隊員が私をネイビー・フェデラル(評判の高い信用組合)まで車で連れて行き、口座を開設させてくれた。」
「海兵隊では、上司は私がいい仕事をしているかどうかだけでなく、部屋を清潔に保ち、髪を切り、制服にアイロンをかけているかどうかまで確認した。私が最初の車を買うとき、年上の海兵隊員を監督として送り込み、私が欲しかったBMWではなく、実用的な車を買わせた。私が21パーセントの金利で自動車ディーラーを通して直接購入することに同意しそうになったとき、私の付き添いの海兵隊員はブチ切れて、ネイビー連銀に電話して再見積もりを取るように命じた。(金利は半分以下だった。)こんなことをする人がいるなんて知らなかった。銀行を比較する?どこも同じだと思っていた。ローンを組むために買い物をする?ローンを組めただけでもラッキーだと思ったので、すぐにでも引き金を引こうと思った。海兵隊は、こうした決断について戦略的に考えることを私に要求し、その方法を教えてくれた。」
ミドルタウンのような場所が工場の再開以上に必要としているのは、海兵隊の軍曹数名なのかもしれない。
「心理学者は、若い頃の私がそうであったように、自分の選択が自分の人生の結果に何の影響も及ぼさないと信じている人を、学習性無力感と呼ぶ。ミドルタウンの小さな期待の世界は、私にはどうすることもできないと教えていた。海兵隊は、外科医が腫瘍を摘出するように、その感覚を取り除いた。」
母親から祖母の家へ引っ越した後の第2のステップが、ホレイショ・アルジャーの出世を可能にした。オハイオ州立大学は、海兵隊の退役軍人にとってほとんど困難はなかった。彼はフルスケジュールの授業に加えて学外での仕事を2つ掛け持ちしていたが、それでも2年足らずでダブルメジャーを首席で卒業した。
8月に卒業したため、ロースクールに入るには1年待たなければならなかった。ミドルタウンでの最後の1年で、彼は自分の人生に対する楽観主義と、同世代の人々の考え方とのコントラストを思い知らされた。彼の友人や家族は、オバマ大統領が3期目の任期を得るために戒厳令を敷くとか、政府がアメリカ市民にマイクロチップを埋め込む計画を立てているとか、ニュータウンで起きた大虐殺は銃没収の前段階として演出されたものだとか、そういった話をしきりに彼に送った。
彼が最も懸念したのは、理論の贅肉ではなかった。むしろ、その根底に常にあるのは、私たちは無力だというメッセージだった。権力者たちが私たちの目に映るすべてをコントロールしており、私たちが何をしても何も変わらない。
「ここに、現代の保守派(私もその一人だが)のレトリックが、最大の有権者の真の課題に応えられていない原因がある。保守派は、社会との関わりを奨励する代わりに、私の仲間たちの野心を奪うような離反をますます助長している。右派のメッセージはますます強まっている。あなたが負け犬なのはあなたのせいではない。政府のせいだ。」
著者はまた、自分の住む地域の困難な生活を助けようとする外部の人々の不器用な努力にも気づいた。オハイオ州議会は、略奪的なサメと見なした給料日前貸し業者を非合法化する法案を審議した。しかし政治家たちは、私のような人々が占めるシャドーエコノミーにおける給料日貸し業者の役割をほとんど理解していなかった。「教訓?権力者は時として、私のような人間を理解することなく、私のような人間を助けるために行動する。」
似たようなことが家族法にもあった:
「法律から見れば、祖母は里親免許を持たない、訓練を受けていない管理人だった。もし裁判で母に不利なことがあれば、私はマモーのところと同じように里親のところへ行くだろう。愛する人たちすべてから引き離されるというのは、とても恐ろしいことだった。言い換えれば、この国の社会福祉サービスは田舎者の家族のために作られたものではなく、悪い問題をさらに悪化させることが多い。」
エール大学ロースクールでの著者の体験は、カルチャーショックの研究である。トニー・ブレアが小さな学生グループで演説するためだけにキャンパスにやってくることを知り、彼は驚いた。「息子が学部生だから、父親が講演にくるんだ。」
毎年、一流法律事務所のリクルーターたちが、法曹を求めてニューヘイブンにやってくる。秋の面接プログラムと呼ばれるもので、ディナー、カクテル・アワー、ホスピタリティ・スイート訪問、そして面接というマラソン・ウィークである。著者はそれを田舎者のように体験する。
「ワインを飲むかどうか、飲むとしたら種類は何か、と聞かれたとき、私はようやく勇気を出して『はい。白にします』と答えた。ソーヴィニヨン・ブランとシャルドネ、どちらになさいますか?私は自分の推理力を駆使して、それが2種類の白ワインであることを突き止めた。シャルドネの方が発音しやすかった。」
彼のテーブルセッティングはパニックを引き起こす。とんでもない数の器具が並んでいる。道具が9つ?なぜスプーンが3本も必要だ?なぜバターナイフが何本もある? 男子トイレにダッシュし、ヒルビリーでないガールフレンドに緊急電話をかけ、彼は試練を乗り切った。
後に彼は、そのプロセス全体が次のようなものであることを知る。
「社会的なテストに合格すること、会社の役員室で自分の力を発揮すること、将来の顧客候補とコネクションを作ることのテストである。面接では、成績や履歴書はあまり重視されなかった。エール・ローの血統のおかげで、片足はすでにドアに入っていた。」
茶番的な誤解には深い教訓が隠されている。
「富裕層や権力者は単に富裕層や権力者であるだけでなく、異なる規範やモラルに従っている。私はこれまで、仕事が必要になったらネットで求人情報を探すものだと思っていた。そして何枚もの履歴書を提出する。そのようなルールに則って行動すると、事実上全員が失敗する。その1週間の面接で、成功している人たちは違うゲームをしていることがわかった。彼らは、どこかの雇用主が面接してくれることを期待して、求人市場に履歴書を溢れさせるようなことはしない。彼らはネットワークを作る。友人の友人にメールを送る。叔父に昔の大学仲間に電話させる。親に服装や話し方、口説き方を教えてもらう。
だからといって、履歴書や面接の強さは関係ない。確かにそれは重要だ。経済学者がソーシャル・キャピタルと呼ぶものには大きな価値がある。大学教授の用語だが、コンセプトはいたってシンプルだ。私たちの周りにある人々や組織のネットワークには、経済的価値がある。私たちを適切な人々と結びつけ、チャンスを確保し、貴重な情報を与えてくれる。それがなければ、私たちは一人で生きていく。」
著者は、適切な人々に適切な質問をすることを学ぶことによってのみ、高価なミスを回避し、貴重な機会を発見できることを発見した。
婚約者の家族を夕食に訪ねたとき、筆者を待っていたのは別の種類のカルチャーショックだった。
「ドラマがないことに驚いた。(婚約者の)母親は父親について陰で文句を言ったりしなかった。仲のいい家族ぐるみの友人が嘘つきだとか裏切り者だとかいう指摘もなかったし、男性の妻と妹の間で怒りに満ちたやりとりが交わされることもなかった。比較的疎遠な家族について父親に尋ねたとき、私は性格的な欠点についての暴言を聞くと思っていた。代わりに聞こえたのは、同情と少しの悲しみだった。」
著者はまた、ヒルビリーの名誉文化を学ぶのに苦労した。彼が今働いている一流の法律事務所では、侮辱されたと感じたら拳で応えようとする衝動に従えば、タフガイというより精神異常者に見られてしまう。彼の丁寧な言い方によれば、ヒルビリーの男たちは、私たちの文化が植え付けた特質そのものが、変化する世界で成功することを難しくしているという、男性性の奇妙な危機に苦しんでいる。
カルチャーショックは両極端で、著者は自分が新しい知人たちの興味の対象になっていることに驚いた。
「イェール大学ロースクールには、私と同じような人はほとんどいない。見た目は私に似ているかもしれないが、アイビーリーグが多様性にこだわる割には、黒人、白人、ユダヤ人、イスラム教徒など、事実上全員がお金の心配をすることのない家庭の出身だ。教授やクラスメートは、私には退屈に思える話に心から興味を持っていた。私は平凡な公立高校に通い、両親は大学に行かなかった。イェールで退役軍人を知っている学生は誰もいなかった。」
イェール大学では誰もが社会的流動性の重要性を理論的には信じているが、実際にそれが起こり、その結果、著者のような人物に出会うと、多くの人は困惑する。教授の一人が、イェール大学法学部は名門校以外からの入学者を受け入れるべきではない、と提案しているのを耳にした。彼はこう結んでいる。「上流階級が上昇志向を促進する方法のひとつは、自分の居場所がない新参者に心を開くことである。」
『ヒルビリー・エレジー』は、比較的若くして(出版時31歳)、自らの人生のより深い社会的意義について真の洞察力を獲得した人物による並外れた本である。しかし、この本は私たちに教訓を与えてくれるのか?著者のアプローチは生物学的というより社会学的であり、むしろイェール大学に進学したことで、人種的な正統性が強まったといえる。確かに本書は、黒人の機能不全を前にして白人アメリカ人が抱くかもしれない、人種に基づく自己満足に対する戒めの物語として読むこともできる。別のところで書いたように、白人は不利な社会状況のもとで、ある種の再黒人化を免れることはできない。
サム・フランシスのファンなら、著者が語る、より貧しい白人の運命論的なメンタリティ、個人的な主体性の喪失も理解できるだろう。このような考え方は、アメリカの現体制の失敗というより、むしろ成功なのかもしれない。フランシスは1992年にこう書いている。
「政治レベルだけでなく、社会的、経済的、文化的なレベルにおいて、経営体制とそのエリートが受動性を植え付けることは、権力の本質的な基盤である。このシステムの全構造は、歴史上あらゆる人間社会が日常的に行った単純な社会的機能を、自分たちには実行する能力がない(あるいは、その前提に挑戦しない)とメンバーに信じ込ませる操作である。私たちは自分の子どもを教育する能力もなければ、残虐な扱いをすることなく子どもの面倒を見る能力もなく、自分の健康や老後の面倒を見る能力もなく、自分の法律を執行する能力もなく、自分の家や近隣を守る能力もなく、自分の生計を立てる能力もないというのが、このシステムの宣伝担当者たちの絶え間ない指示である。私たちは、どこにでもいる自称評論家に見聞きしたことを説明されることなく自分の考えを持つことも、専門家の助言なしに自分の好みや意見を形成することも、テレビを見て笑うタイミングを決めることさえできない。」
これは、海兵隊を除けば、私たちの組織が育成するよう設計されているメンタリティをよく表している。そして、ラストベルトのスコットランド系アイルランド人の経済的進歩は、このような精神的習慣が妨げる可能性のある前向きな変化だけではない。親白人右派の多くは、ミドルタウンの不満に満ちた市民と同じスタイルの陰謀論に弱い。特定の理論の真偽とはまったく別に、陰謀論はたいてい無力感のサブテキストを伝える。権力者はすべてをコントロールしている。このような絶望論を展開する人たちは、フォックス・ニュースの情報を鵜呑みにする田舎者よりは洗練されているつもりかもしれないが、実際には、受動性と無力感を教え込む管理主義の最も完璧な産物なのかもしれない。
権力者は決してすべてをコントロールできるわけではない。今日、彼らは大学のキャンパスで人種的反体制派が演説を許されることを考えるだけでパニックに陥る。壊れた家庭で育った田舎者が、自らの人生を変えるために自然な主体性を取り戻すことができれば、私たちは一糸乱れぬイデオロギーの腐敗した代表者を打ち負かすことができる。
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抜粋終わり
これ~アメリカの白人層~って、今の日本をもう少し「過激」にしたようなモノで、さらに「政治的」には、日本人はもっと「無力感」を植え付けられ、完全に奴隷になっている・・いや家畜である日本人は・・・・。
まずは、天皇とそれに纏わるモノを根絶やしにすることが、日本人の再生に不可欠なのである。
天皇を殺し尽くして 日本人国家を作る
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。