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「天皇」という恥知らずを象徴にするアホの国が、日本。

より

上記文抜粋
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No. 1685 日本と中国の歴史

投稿日時: 2023年1月26日

中国人民に対する、言いようのない残虐行為

岸田外相の “恥ずべき対米従属”

by Kim Petersen

我が国が過去の一時期に行った行為は、国民に多くの犠牲をもたらしたばかりでなく、アジアの近隣諸国等の人々に、いまなお癒しがたい傷痕を残しています。私は、我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに対し、深い反省の気持ちに立って、不戦の決意の下、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくことが、これからの日本の歩むべき進路であると考えます。我が国は、アジアの近隣諸国等との関係の歴史を直視しなければなりません…

「平和友好交流計画」に関する村山内閣総理大臣の談話 (平成6年8月31日)

二つの国家間の状態を考えるとき、その関係の歴史を理解することは非常に重要である。

現在の岸田文雄首相は、村山富市の「近隣諸国との関係の歴史を直視せよ」という言葉を胸に刻むべきだろう。しかし、岸田氏の最近の中国への要求を取り上げる前に、日中関係で考えるべき適切な質問がある。

中国は日本を侵略したことがあったのだろうか?あるにはある。13世紀に、モンゴル王朝(別名元王朝)とそのモンゴル皇帝、チンギス・ハンの孫にあたるフビライ・ハンが1274年と1281年の2度にわたって日本を侵略しようとした。しかし台風という神風が吹いてモンゴル帝国の2度の侵略を阻んだ。中国は第二次世界大戦でアメリカの同盟国であったが、この事実はほとんど意味がなく、アメリカは敗戦国である日本を好んでいる。

日本は中国を侵略し、占領したことがあっただろうか?はい、日本は中国を侵略し、占領し、中国の人々に対して言いようのない残虐行為を行ったことがある。その残虐行為の中には、南京大虐殺(アイリス・チャンが『The Rape of Nanking』で解き明かしている。忘れられた第二次世界大戦のホロコースト、1997年)、そして中国のハルビンで行われた731部隊による中国人に対する残酷な生物・化学兵器実験がある。

日本は戦争犯罪について謝罪したことがあるのだろうか?村山の長々とした謝罪風の談話は、日本の政治家たちが過去の国家的犯罪に対して償いの第一歩を踏み出すことができなかったことを物語っている。個々の首相はしばしば反省、後悔、悲しみを表明してきた。つまり謝罪という言葉から逃れるためのイタチごっこであり、意味のある言葉はほとんどない。個人レベルで謝罪することが文化として深く根付いているこの国で、これは何を意味するのだろうか。日本は、ちょっとした軽率な行動に対して人々が深く謝罪する社会である。しかし、国家レベルでは話は別だ。国会が謝罪することは、国民意識を浄化するどころか、国家イメージを損なうと考えられているようだ。そのため国会は第二次世界大戦やそれ以前に被害を受けた人々や国に対して公式に謝罪したことがない。それどころか、日本政府は謝罪の義務を回避している。

実際、日本の政治家の集団の中には本気で謝罪しようという意志はない。このことは様々な面で明らかである。日本の指導者たちは日本の戦犯の神々を祀る靖国神社に今も参拝し、被害を受けた国々を困惑させている。歴史は好ましいものに書き変えられている。日本の学生たちは、日本の犯罪を消した歴史を教えられている。日本は他国政府に対して自国の管轄内に建てられた日本軍の犯罪をはっきりと思い起こさせる慰安婦像の撤去を働きかけている。

何がこのような歴史修正主義をもたらしたのか?アメリカは日本に平和主義的なアメリカが草案した憲法とは裏腹に、日本の軍備を強化し、かつての被害国である中国を攻撃するよう圧力をかけているのである。

「日本、アメリカ、ヨーロッパが各自の中国との関係を管理するために一致団結することは絶対必要だ」と岸田は言った。これは、「北京からの挑戦の高まりに直面して、東京の米国との同盟を強化する」と描かれている。これまでの経緯を考えるとなぜ中国が日本にとって「高まる挑戦」となるのかは不思議である。

岸田によれば、中国は米国にとっても中心的な課題である。このことはもうひとつの適切な質問を提起する。

アメリカやヨーロッパは中国を侵略したことがあっただろうか?中国人は、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、そして日本が中国に「屈辱の世紀」をもたらしたことを覚えている。イギリスは第一次アヘン戦争後、中国に最初の不平等条約を課し、香港を支配下に置いた。中国はその他の不平等条約でも、ポルトガル、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカ、日本に譲歩することを余儀なくされた。このような歴史を踏まえてなぜ中国は被害国から脅威とされるのだろうか。西側諸国が現在行っている中国をターゲットにしたプロパガンダについて、賢明な思想家はどのように結論づけるのだろうか。

岸田は「国際社会は歴史的な転換期にある。私たちが献身的に守ってきた自由で開かれた安定した国際秩序は、今や重大な危機にさらされている」と断定した。この言葉は簡単に分析できる。アメリカとヨーロッパの統一戦線だけを求める岸田の言う「国際社会」はどういう意味なのか?アジア、アフリカ、ラテンアメリカはどうなのだろうか?彼らは国際社会の一員ではないのだろうか?また、「国際秩序」とはどのような秩序なのか?なぜ「国際秩序」が重大な危機にさらされているのか、そしてそれは誰のための危機なのか?岸田が思い描く「国際秩序」は、真に「自由で、開放的で、安定的」な世界のために捨て去るべきなのである。そのほうがいわゆる先進国と発展途上国、あるいはもっと婉曲的に言えば、西洋と南半球のが分裂する世界よりも望ましいのではないだろうか?

ジョー・バイデン米大統領は岸田の警句に同調し、最近発表された日本の「歴史的」な防衛力強化を称賛した。

国際秩序に対する中国のビジョンは日米の見解と異なる部分があり、同盟国は「決して受け入れることができない」と岸田は指摘した。中国は多極化を主張しているのにこれは不可解である。しかし日本にとっての国際秩序とは、国家間の力の非対称性を緩和することではないのである。

日本が下位の秩序に甘んじていることは、第二次世界大戦の敗戦の名残である占領を払拭できていないことからも明らかである。77年後、米軍基地はまだ日本各地、特に沖縄にあり、沖縄県民は大いに不満に思っている。

どの情報源を信用するかにもよるが、アメリカは世界中に750から900の軍事基地を有している。これが岸田の言う国際秩序であり、米国の覇権を主張する秩序である。一方、中国は覇権主義を否定している。

岸田は、中国が一極性を拒否していることに苦言を呈している。「中国は確立された国際ルールを守り、それに反する形で国際秩序を変えることはできないし、しない、という戦略的決断をする必要がある」。

岸田氏の「恥ずべき対米従属」(『ガーディアン』紙が掲載したロシアのドミトリー・メドベージェフ安保理副議長の表現)は、米国が東京を火の海にし、長崎と広島に核爆弾を落とした国であることを考えれば奇妙なことである。しかし岸田氏の言葉から推測すると、日本は覇権国の属国であることを受け入れているのであろう。

とはいうものの歴史の潮流は「国際秩序」を侵食し始めている。中国、ロシア、インド、トルコ、イランなどの国々は、もはや二流国家として存在することをよしとしてはいない。

https://www.globalresearch.ca/history-between-japan-china/5804721

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抜粋終わり

日本は、ちょっとした軽率な行動に対して人々が深く謝罪する社会である。しかし、国家レベルでは話は別だ。国会が謝罪することは、国民意識を浄化するどころか、国家イメージを損なうと考えられているようだ。そのため国会は第二次世界大戦やそれ以前に被害を受けた人々や国に対して公式に謝罪したことがない。それどころか、日本政府は謝罪の義務を回避している。

実際、日本の政治家の集団の中には本気で謝罪しようという意志はない。

なぜ、謝罪しないのか。

簡単な答え~天皇家が敗戦の責任を取らない ために。


ようするに

「恥知らず」の天皇を維持するために、日本人がみんな恥知らずになって殺される。



なんせ「日本人を守る」意思など、天皇家とその信者には無いのですからな。

より

上記文抜粋
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2月17日に「切羽詰まった米英の好戦的私的権力」というテーマで話します

 2月17日午後7時から東京琉球館で「切羽詰まった米英の好戦的私的権力」というテーマで話します。予約受付は2月1日午前9時からとのことですので、興味のある方は下記まで連絡してください。

東京琉球館

住所:東京都豊島区駒込2-17-8

電話:03-5974-1333

https://dotouch.cocolog-nifty.com/

 人類は存続の危機に直面しています。彼らが作り出している危機のひとつは核戦争であり、もうひとつは遺伝子操作だと言えるでしょう。そうした危機の原因を作り出しているのが米英の好戦的な私的権力にほかなりません。2月17日までにロシア軍がウクライナで新たな軍事作戦を始める可能性がありますが、とりあえず人類が迎えた危機的な状況について考える予定です。

 ソ連消滅後、アメリカのネオコンは自分たちの世界制覇計画を明らかにし、軍事力を行使しながらNATOを東へ拡大させますが、ソ連消滅から10年ほどでロシアが曲がりなりにも主権を取り戻し、米英私的権力の計画は揺らぎ始めます。それでも米英の私的権力は計画を実行しようとします。

 そして2014年2月、私的権力に操られていたアメリカのバラク・オバマ政権はキエフでネオ・ナチを使ったクーデターを成功させます。それに対し、クーデターに反対する東部や南部の人びとは抵抗を始め、内戦になりました。その内戦でアメリカやその従属国はクーデター体制を支援、戦闘員を訓練するだけでなく兵器を供給、軍事情報なども伝えているようです。

 それがロシア軍の介入を招き、キエフ体制が劣勢になったことからアメリカ/NATOは軍事的な支援を強化しています。すでにアメリカやイギリスは特殊部隊をウクライナへ入れ、戦闘に参加させているようですが、これまでの「代理戦争」を止め、NATO軍やアメリカ軍を直接ロシア軍と戦わせようという動きもあります。そこまで追い詰められていると言えるでしょう。

 そうした軍事的な動きと並行して米英の私的権力は「パンデミック」を演出して人びとの言動を規制しようとしはじめます。監視システムを強化、世界の収容所化を進め始めたと言えるでしょう。そうした中からデジタルIDも現れ、さらに「mRNAワクチン」という形で遺伝子操作が実行に移されます。

 この「ワクチン」では神経、血管、内蔵などにダメージや免疫力の低下が問題になっていますが、第2次世界大戦後、ソ連が消滅するまで対ソ連工作を続けていたCIAの秘密工作部門を含むグループは1980年前後の時期に免疫に関する研究をしています。

 ジャーナリストのジョセフ・ダニエル・キャソラーロはこのグループを「オクトパス」と呼び、情報機関だけでなく巨大企業や犯罪組織が含まれているとしていました。

 アメリカの国防総省は1960年代から免疫を不全にする病原体、あるいは物質の研究をしていました。1969年9月にはアメリカ下院の歳出委員会で、国防総省国防研究技術局の副局長だったドナルド・マッカーサーがこの問題に触れています。伝染病からの感染を防ぐ免疫や治癒のプロセスが対応できない「エージェント」が5年から10年の間に出現する語っているのです。その予測が正しいなら、1974年から79年の間にそうした病原体、あるいは化学物質が開発されたでしょう。

 なお、キャソラーロの情報源だったNSAのアラン・スタンドフの遺体が1991年1月にワシントン空港の駐車場で発見され、その年の8月にはキャソラーロの遺体が取材先のホテルで発見されています。警察は「自殺」だとしていますが、死の4週間前から彼と連絡を取り合っていたFBI捜査官のトーマス・ゲイツによると、遺体が発見される数日前の彼は上機嫌で自殺するようには思えなかったということです。

 キャソラーロはオクトパスなるグループを想定していたが、カリフォルニア大学バークレー校のピーター・デール・スコット教授は「ディープ・ステート(深層国家)」という概念を提案している。人びとの目に見える権力システムではなく、多くの人が存在を認識できていないネットワークが存在すると考えたのです。

 フランクリン・D・ルーズベルトは大統領時代の1938年4月、「もし、私的権力が民主的国家そのものより強くなることを人びとが許すならば、民主主義の自由は危うくなる」と警鐘を鳴らしています。私的権力が政府を支配する状態を「ファシズム」だとルーズベルトは考えていたのですが、この私的権力によってオクトパスやディープ・ステートは作られていると言えるでしょう。

 こうした私的権力が支配する仕組みは現在、「新自由主義」と呼ばれています。その体制を永続化するために反対勢力を抑え込むための軍事力を増強、監視システムを強化、遺伝子に手を入れようとしているわけです。

 この目論みが行き詰まっていると言えるでしょうが、私的権力は負けることができません。勝てなければ破滅です。あらゆる手段を使い、勝とうとするでしょう。

櫻井春彦

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上記文抜粋
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日本に強い影響力を維持してきた米英支配層が日本を対中国戦争へ向かわせる

 日本がアメリカに支配されていると認識している人は少なくないだろうが、より正確に表現するならば、ウォール街、つまりアメリカの金融資本の強い影響下にある。その巨大資本が作り上げた組織のひとつがCIAだ。

 CIAの前身であるOSSは1942年6月、フランクリン・ルーズベルト大統領によって創設された。長官に指名された人物はウォール街の弁護士だったウィリアム・ドノバンだ。

 ルーズベルト大統領はウィリアム・スティーブンソンなるカナダ人のアドバイスに従ったようだが、この人物はイギリスの秘密機関BSCの幹部。BSCはイギリスの対外情報機関SIS(通称MI6)によってニューヨークで設立されている。MI6はイギリスの金融界、通称シティと関係が深い。

 シティとウォール街の関係を知るためにはロスチャイルドとモルガンの関係を理解する必要があるだろう。

 19世紀の中頃、ジュニアス・モルガンなる人物がロンドンでジョージ・ピーボディーと銀行を経営していた。その銀行の業績が1857年に悪化、倒産寸前になる。そのときにピーボディーと親しかったロスチャイルド一族が救いの手を差し伸べている。ピーボディーは1864年に引退し、ジュニアスが引き継ぐ。ロスチャイルドはジュニアスの息子であるジョン・ピアポント・モルガンに目をつけ、ロスチャイルド系金融機関のアメリカにおける代理人に据えた。このジョン・ピアポント・モルガンがモルガン財閥の祖と言われている人物だ。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 ロスチャイルド一族を含むイギリスの支配層は世界制覇を実現するため、ユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げるという戦略を立てた。この戦略を可能にしたのはスエズ運河の完成だ。

 内陸部を締め上げるタガの西端がイギリスであり、東端が日本にほかならない。日本では長州や薩摩の倒幕派が徳川体制を倒して明治体制を樹立、のちにイギリスはタガの上にサウジアラビアとイスラエルを建国させている。

 徳川体制から明治体制へ移行させた「明治維新」で暗躍したトーマス・グラバーは1859年、ジャーディン・マセソンのエージェントとしてウィリアム・ケズウィックと来日した。横浜を拠点にしたケズウィックの祖母は同社を創設したひとりであるウィリアム・ジャーディンの姉である。

 ジャーディン・マセソンは中国の茶や絹をイギリスへ運び、インドで仕入れたアヘンを中国へ持ち込むという商売を行っていたが、儲けの大半はアヘンの取り引きによるもので、事実上、麻薬業者だった。

 グラバーとケズウィックが来日した1859年にイギリスのラザフォード・オールコック駐日総領事は長州から5名の若者をイギリスへ留学させることを決める。選ばれたのは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)。5名は1863年にロンドンへ向かうが、この時に船の手配をしたのがジャーディン・マセソンにほかならない。

 明治政府に対し、イギリスのアーネスト・サトウやアメリカのチャールズ・デロングやチャールズ・ルジャンドルといった外交官はアジアを侵略するようにけしかける。

 1871年7月に新政府は廃藩置県を実施するが、その年の10月に宮古島の漁民が台湾に漂着、その一部が殺されたとして日本政府は清に抗議するのだが、この時点で琉球は独立国であり、日本が抗議するのは奇妙な話だ。

 それに気づいたのか、明治政府は1872年に琉球国を潰し、琉球国王に琉球藩王というタグをつける。もし明治政府が琉球国を日本領である、あるいは日本領にしたいと考えていたなら、琉球藩の設置、廃藩置県という順番になるはずだ。廃止したはずの藩を作り、琉球は日本領だという形にしたかったのだろう。そして1874年、明治政府は軍隊を台湾へ送り込んだ。

 琉球国が潰された1872年、フランス系アメリカ人で厦門の領事だったチャールズ・ルジャンドルが来日している。この外交官は台湾から帰国する途中に日本へ立ち寄り、そこでアメリカ公使を務めていたチャールズ・デロングと会っているが、その際、デロングはルジャンドルに対し、日本政府に対して台湾を侵略するようにけしかけていると説明している。(James Bradley, “The Imperial Cruise,” Little, Brown and Company, 2009)

 デロングは日本の外務省に対してルジャンドルを顧問として雇うように推薦、受け入れられたが、ルジャンドルは1872年12月にアメリカ領事を辞任、顧問になった彼は外務卿の副島種臣に台湾への派兵を勧めた。派兵の際、アメリカの軍事顧問が同行したという。(前掲書)

 ルジャンドルは外務省の顧問を辞めた後も日本に滞在、離日したのは1890年。その年から99年まで李氏朝鮮の王、高宗の顧問を務めたという。その当時、朝鮮では興宣大院君(高宗の父)と閔妃(みんぴ)が対立していた。

 そうした中、1894年に朝鮮半島で甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、閔氏の体制が揺らぐ。それを見た日本政府は「邦人保護」を名目にして軍隊を派遣、その一方で朝鮮政府の依頼で清も出兵して日清戦争につながった。この戦争に勝利した日本は1895年4月、「下関条約」に調印して大陸侵略の第一歩を記すことになる。

 清の敗北でロシアへ接近することが予想された閔妃をこの年、日本の三浦梧楼公使たちが暗殺している。日本の官憲と「大陸浪人」が閔妃を含む女性3名を惨殺したのだ。暗殺に加わった三浦公使たちは「証拠不十分」で無罪になっているが、この判決は暗殺に日本政府が関与している印象を世界に広めることになる。その後、三浦は枢密院顧問や宮中顧問官という要職についた。

 日本が閔妃を惨殺した4年後、中国では義和団を中心とする反帝国主義運動が広がり、この運動を口実にして帝政ロシアは1900年に中国東北部へ15万の兵を派遣する。

 ロシアの動きを見てイギリスは警戒感を強めるのだが、自らが乗り出す余力がない。そこで1902年に日本と同盟協約を締結した。手先の軍隊として日本に目をつけたわけである。イギリスが日本の「近代化」に協力したのは、自分たちの手先として朝鮮半島から中国を侵略させることにあったのだろう。

 日本は1904年2月に仁川沖と旅順港を奇襲攻撃、日露戦争が始まる。日本に戦費を用立てたのはロスチャイルド系のクーン・ローブを経営していたジェイコブ・シッフ。日本に対して約2億ドルを融資、その際に日銀副総裁だった高橋是清はシッフと親しくなっている。

 ちなみに、クーン・ローブはドイツ系移民、アブラハム・クーンとソロモン・ローブがニューヨークで設立した金融機関だが、その経営を任されたジェイコブ・シッフはロスチャイルド家に近かった。ポール・ウォーバーグとフェリックス・ウォーバーグはシッフの甥にあたる。またシッフはジョン・ロックフェラーの会社、スタンダード石油の金融戦略を担当していた。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 日露戦争では「棍棒外交」のセオドア・ルーズベルト米大統領が日本に救いの手を差し伸べている。講和勧告を出し、8月にはポーツマスで講和会議が開かれ、9月には講和条約が調印された。韓国における日本の優先的な地位を認め、旅順や大連の租借権や長南と旅順口との間の鉄道の経営権を日本に譲り、サハリンの南半分を日本に割譲し、沿海州やカムチャツカの漁業権を日本に譲渡する等々が決まった。賠償金の支払いは認められていない。

 講和条約が結ばれた2カ月後、桂太郎首相はアメリカで「鉄道王」と呼ばれていたエドワード・ハリマンと満鉄の共同経営に合意したが、ポーツマス会議で日本全権を務めた小村寿太郎はこの合意に反対し、覚書は破棄される。日露戦争で獲得した利権をアメリカに取られると主張したのだが、桂首相は利権をアメリカへ渡したかったのだろう。

 この当時、日本とアメリカとの関係で重要な役割を果たしたのは金子堅太郎だ。セオドア・ルーズベルトと同じようにハーバード大学を卒業していることから何者かによってふたりは引き合わされ、親しくなっていた。

 セオドア・ルーズベルトは1898年のアメリカ・スペイン戦争を主導した人物で、スラブ系のロシアを敵視、日露戦争の勝者が東アジアで大きな影響力を持つと見ていた。朝鮮半島を支配させることも彼のプランには入っていたようだ。日露戦争の後、セオドアは日本が自分たちのために戦ったと書いている。また金子は日露戦争の最中、日本政府の使節としてアメリカへ渡り、1904年にはハーバード大学でアンゴロ・サクソンの価値観を支持するために日本はロシアと戦っていると演説、同じことを金子はシカゴやニューヨークでも語っていた。(James Bradley, “The China Mirage,” Little, Brown and Company, 2015)

 アジア侵略をスムーズに進めるため、明治政府は周辺国の人びとを蔑視、差別する感覚を日本人に植えつけていく。この「反東アジア洗脳」は今でも「自己増殖」を続けている。

 ロスチャイルドと緊密な関係にあったジョン・ピアポント・モルガンはJPモルガンという金融機関を設立するが、1923年9月1日に東京周辺が巨大地震に襲われた後、日本はこの金融機関の影響下に入る。地震の被害総額は55億円から100億円と言われているが、その復興資金の調達を日本政府はJPモルガンに頼ったのだ。

 このJPモルガンと最も緊密な関係にあったと言われている人物が地震直後に大蔵大臣となった井上準之助だ。浜口雄幸内閣はウォール街の意向に基づいて緊縮財政を進め、景気は悪化。日本から金が流出して不況が深刻化して失業者が急増、農村では娘が売られる事態になった。

 JPモルガンなどウォール街の大物たちはハーバート・フーバー大統領を介してアメリカを支配していたが、1932年の大統領選挙でフーバーはニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗れてしまう。

 そこでウォール街の金融資本は1933年から34年にかけてクーデターを計画する。彼らにとって都合の悪いニューディール派を排除しようとしたのだが、この計画は海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将によって阻止された。計画の詳しい内容はバトラーやジャーナリストが議会で証言している。

 フーバーは大統領最後の年、つまり1932年にモルガン一族のジョセフ・グルーを駐日大使として日本へ送り込んできた。グルーのいとこ、ジェーンはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりJPモルガンの総帥の妻だ。しかもグルーの妻であるアリスの曾祖父、オリバー・ペリーはアメリカ海軍の伝説的な軍人で、その弟は「黒船」で有名なマシュー・ペリーである。

 グルーは皇族を含む日本の支配層に強力なネットワークを持っていたが、特に親しかったとされている人物が松岡洋右。松岡の妹が結婚した佐藤松介は岸信介や佐藤栄作の叔父にあたり、岸もグルーと親しい関係にあった。秩父宮雍仁もグルーの友人として知られている。

 戦後の日本が進む方向はウォール街を後ろ盾とするジャパンロビーが決めたが、このグループの中心人物はグルーだった。戦前も戦後も日本の支配者は同じであり、「戦前レジーム」だ、「戦後レジーム」だと騒ぐのは滑稽だ。途中、支配構造が揺らいだ時期はあるものの、基本的に「近代日本」は天皇制官僚体制であり、背後に米英金融資本が存在している。この米英人脈は今でも日本を支配、中国やロシアと戦争する準備を進めているのだ。

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抜粋終わり

基本的に「近代日本」は天皇制官僚体制であり、背後に米英金融資本が存在している。この米英人脈は今でも日本を支配、中国やロシアと戦争する準備を進めているのだ。

天皇の専制支配が、明治王朝~明治帝政。

だから、「天皇は神」とする天皇とその信者は、過ちを絶対に認めない。

ので、恥知らずなのが「天皇家の国」なのです。


アホです、アホなのが「天皇」とその信者が、不法占拠して、日本人を殺し尽くすのが、「帝政日本」なのです。

天皇から日本人を解放する。

天皇家を消滅させて 日本復興

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように


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