如何に主導権を持つか・・
あるいは「病気・症状に主導権を取られない」
のが、肝心。
病が厄介なのは、「その症状」の発現がわからんのことなのですよね。
それがわかると、かなり患者は病から解放されるのですよね。
まさに
故に能く敵の司命をなす。
ですよね。
病や症状がわからないと、このように攻められます。
逆に、病や症状がわかれば、このように攻略できるのです。
まして数十里、数里も部隊を分散させてしまえば、各個撃破される。
病や症状、自分の性格や身体の性質を良く知らないと、対処療法だらけで
即ち左、右を救う能わず、右、左を救う能わず、前、後を救う能わず、後、前を救う能わず。
てことで、病や症状に振り回されるだけになってしまいます。
いくら、薬や、治療法・医療関係者がいても、現状把握がなければ、役に立たないのです。
別の見方をして。
患者・治療者が、その病気・症状の現状を把握しきれれば、多種多様な症状や障害も、そもそも問題が無くなってしまうのです。
その現状把握・状況認識のために、
観察や、治療法・回復策の利害損得を検討すること。
少し挑戦したり試行することで、「症状」や「回復度や習熟度」や「自分と社会のフィッティングの度合い」とか測定してみるのです。
病状や身体の性質・自分の性格が、わからないと、逆に「病」に好き放題に遣られます。
病が、水のように動くのなら、当然治療法も水のように無限に対応したら、旨く行くのですよね。
治療法・回復策は、当然に、固定されることなく、水のように無限に変化して行えば、当然に神業のように治癒していくのです。