なぜかこの国を信じれなかったわけがわかった。
能動性って、この国の教育で大事されてない、、意外と・・・
「指導者に都合のいい」ことの能動性って喜ぶけど。。
スポーツの世界でも長らくそうだよね。
「絶対服従」は、半分は「指導者・為政者」の優しさの結果である。
それでなければ、効率的に「人間」を指導・指示しにくい。
でもそれが度を過ぎると、人間を「家畜」に変える。
そう、高齢者が、どんどん認知症が進むように。
まあ、その「能動的な行動を認めない」ってことから、延長線的「体罰」でも出てくるのだよね・・・
だからね。。。
まあ、これは「やさしさ」と「狡知」の複合的産物と私は想像している。
「考えないと楽だぞ」ってそうすることで「人間の能動性を奪い・家畜化する」
ちょうど、今のサラリーマンが「税金」を自分で処理しないでよい制度にすることで、「仕事に励める」けど「社会や政治への関心や能動性を奪う」ことに成功した、現在の帝政日本のありようなどその典型でね。
楽にしすぎる事で、能動性を奪うことに成功し、日本人を「肉ロボット」に改造することに成功したのが、帝政日本なのです。
能動性に期待するのは、その人への信頼・人間への信頼や愛などの資質が不可欠です。
また、それが無くても人間性の深い洞察なくして、他人の能動性をあてにすることはできません。
それが無くても、人を指導できるように「指導者が楽」するには、指導される側が「人間以下」になれば、容易にコントロールできるわけですよ。
その「日本人の家畜化」が潜在的に進行したのが、戦後日本で有り、それが本格的になったのが、戦後日本の「通俗道徳・自己責任論」で、個人の分断し、「男尊女卑思想」と「フェミニズム」で「家庭の崩壊」が始まった「バブル崩壊後」だったと私には思えます。
ちょうど年始の「機動戦士ガンダムシードフリーダム」でも、この「能動的に考えない幸福~家畜の幸福」を保証した「ディステニープラン」が一つのメインである話だった。
この動画の中にあるかどうか失念したし、原典をちゃんと見てないので、確認しきれないが、ラクスが
「自分を愛しても無い人に、自分の価値を決めさせるな」
て趣旨の発言をしている。
だが、それを「決めさせる」ことで、資本主義社会の「雇用」って成立している面もあるのだ。
もっというと作品中「ディステニープラン」が、心情的贔屓も含めて、一定度の支持がその世界であったのは「指導者側の中の支持」だけでなく「庶民の支持」もあった。
「庶民の支持」の理由は、ちょうど「小泉郵政選挙」や「マルクス主義社会主義」熱狂した歴史をみても了解されることだが、「生きるためには、自由をある程度売り渡すしかいない」って追い込まれていたら、責め切れない選択としかいえない。
「就労の自由」「職業選択の自由」を売り渡すことで、ほかの「生活の自由」を買い戻す・・・てような。
それが庶民側が、共産主義やディステニープランを支持した理由の一因とみてもいいかもしれない。
能動的に行動する・考える・・・と教育なり訓練なり生育できないと、本当の意味で「自由意志・自分の意見」など、持ちえない・・少なくともマトモ行使できないし、駆使できない。
そんな教育、まあCE世界では知らんけど、少なくとも「天皇日本」では、能動的に考えて行動する・・てほぼ受けることない。
なんせ「しつけ」ごときで、体罰を振るえる馬鹿どもがまだ跋扈しているのだから・・・能動的に考えて行動する・・などそのような馬鹿どもには高級すぎる教育内容なので、そこまでの馬鹿には不可能なのである。
ようするに「日本」では「自分の意思で考えろ」って言われても「道具」も使い方も「ノウハウ」も無い状態に近いので、極めて「厄介」であり、そもそも「自分で考えれない」って教師が想像以上に圧倒的に多いようなのだし。
で、
ましてや、多くの普通の人が「雇用や生活を保障されない」資本主義という世界で「ひたすら競争」を大前提に札束の殴り合いをするのが「正しい生活」って成っていれば、、
「ディステニープランで、遺伝子で適性を決めてそれに応じた教育・就労をさせてくれるのなら、職業選択の自由くらいは売り払っても良い」ってなっても、それは「大間違い」ではないのだ。
就職市場で、自分の価値を勝手に決められて、圧迫面接等ですさまじい侮辱と恥辱を受けても、それでも仕事に就けない・・・なんてなると、「ディステニープラン」ですら、「クモの糸」にみえる・・・
でも、それは「自分以外の自分を愛してない人に、勝手に自分を価値を決める」ことで、
それが国家制度となると
「人生の意味も命の価値も、勝手に、愛されても無い・かかわりの無い人間の都合で決められる」
って成るのだけどね…その行き付く先は
「無用な家畜~働けない人間~は屠殺」
って確定してはいる
けど、「将来の死より、今の死を免れる」ってなるのも止む得ない面もあるよね・・・
私たちの国「日本」では、「能動的に個々人が感じ・考え行動」することは、かなり低い価値だったのだ。それは言い過ぎかもしれないが、「それがまともな行動・発言」でも殺される・干されるのはテンプレートな社会だったのだ。
正しい事。正常な個々人の意思よりも、「集団への従順」が絶対的正義だったのだから。
それが明治以降は「戦争ができる国家」となるために加速され、どんどん日本人が家畜化された・・・て話である。
この「家畜化された社会」は、指導者・指導層が「間違いない」限りに、時代や状況が大きくない限りに、それなりに、構成員の生存と幸福を約束する。。
「家畜度」が、今ほど高くなく、社会がそこそこ安定した江戸時代は、まあなんとかうまいこと行っていた。
でも、明治以降は、「日本人の家畜化の促進」と「社会制度や社会の在り様な急激な変化」それに「指導層・指導者の無責任」で、カタルシスを必然的に短期に迎えるようになったと、私は思う。
まあディステニープランが、主人公たちに二度も叩き潰されたようにね・・・
最近荀子を読んでいるけど、「礼」てのを「社会規範」とかでなく、「他者と適切に関係する技術とノウハウ」て面もあるので、そう考えると「礼~関係性の構築」のが、如何に重要か・・・てのは、このユニマチュードってことの話からも改めて理解できる。
まあ私は荀子は「礼」による「関係性」を国家の制度・機能や社会規範まで広げ過ぎたところが「人を殺す礼楽」ってなった一因とは思うけど、
それほどに「人と人の関係」は、礼とかに言われる「関係性」が重要で、
「親しき中にも礼儀あり」てのは、当然な話で、それが「日本人」には、どこか欠けていて、想像以上にその社会や個々人の「深い傷」になっていると思う・・・
「いじり芸」ってお笑いの芸も、関係性を万全していたら、まだ笑える・・でもその「関係性」を「礼を軽視する」とか軽視していたら、それが児童生徒・子供同士では「いじめ自殺」の原因になり、大人では深刻な相互不信の原因や「日本国衰亡」の原因となっている、、と私は思うのだ。
「関係性の軽視」ってのが、実は「日本」の大きな根本問題って私は感じる。
一つは
関係性よりも、強者・集団への従順が遥かに重要だった過去。
あとは「天皇」だよね・・・
「天皇」は神聖ていうか、今も敗戦の責任を取らない・・・それを象徴とか元首とかする国家は、指導者・指導層は、部下や庶民と「関係性」をまともに構築する必要も無い。
しそれなので、関係性など普通に軽視して、それを前提にした「社会制度・法整備」をしているのだ。
「抗命罪」はあっても「抗命権」は認めてない自衛隊法や、「内部告発」を原則「裏切り」しか取り上げない「国家・経済界等の巨大組織群」
そもそも「日本人」を舐めて「関係性」など「誤魔化」して、騙すことしか考えてないのだ。
上が腐れば、下も腐る・・・脳が異常なら、身体の異常を治すのは困難である・・・なんせそれを認知することが狂っているのだから。。
結局は「関係性を大事にする」ってのは「相手を大切に扱う・尊ぶ」てことで、「唯仏与仏」ていうか、「礼は往来を貴ぶ」ってことだと思う。
尊重されたら、それに応じようとする・・・日本人でもよくいうだろう「人生意気に感じる」って。
その「立派な人間」とて扱ってもらえないのに「立派な人間」に育つわけは無いし、立派な人間として相手に応対するはずもないのですよね。。
「関係性」ってそういうものですよね・・・・
ちょうど
愛ゆえに、こどもを「家畜」か肉人形のように扱えば、、子供は「家畜」か肉ロボットになってします。
でもそれは「愛」だけでなく「支配欲」なり「自己満足」の混じったモノであったのだ・・・・・・
相手を知りそれの内情をおもんばかれば、そのようなことにはならなかったと思う。
そう言う風に「規制」して持っていくのが、荀子にいわせれば「礼」みたいですけど・・・
「自分の優しさ・都合」ばかりで、相手のことを考えなければ、それは「自己満足」の「暴力」にすぎず、それも「礼」に反するって荀子ならいうかもしれないし。
強者の弱者への命令・・はほぼ支配か飼育であり、それが「教育」だったかね・・日本は・・・
逆に言うと一介の兵士でも、忠臣のように将軍がいなくても戦えるようになるのも、「関係性の尊重」によるのだし。
なんか雑多な話になったが、締めでもない無いけど・・・蒼天航路で劉備が
「この袋{自分の気持ち}を自分でいっぱいにしてしまった。でも本当はそんなものを入れるものじゃなかったんだ」
ていう場面があるけど、、関係性・・他者とのかかわりあいってことでは、この劉備の言葉も参考になるかもしれない。
なんかまとまらんね・・・
社会・政治的なことを書くと「為政者・権威」の想いでいっぱいになった、命令や政治など、我々庶民が、もう受け付けるべく正当性など、これポッチも無いし。
今の集団的西側・天皇カルトの政治・政策は、みな「自分の想い・欲望だらけ」で、関係性も「庶民への敬意」も糞も無いのだよ・・・
まあ雑多な話で、終わりまで読んでいただけたら、大変ありがとうございます、
「天皇」の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みの富む社会になりますように。