弱者の攻撃手段・・・テロ。。。


上記文抜粋
・・・・・・・・・

イランのライシ大統領が搭乗していたヘリ


「イランのライシ大統領ら」がトレンド入りしていたので嫌な予感がした。イランのライシ大統領とアブドラヒアン外相が搭乗していたヘリが叩きつけられるように着陸したとか、不時着とか、墜落したとか、目的地に到着せずとか、色んな情報が出回っています。なのでタイトルは中途半端なものにしておきます。

イランの通信社IRNAによるとヘリコプターの乗客は以下の通り
▪️ライシ大統領 ▪️アブドラヒヤン外相
▪️タブリーズ・モスクのイマーム、アヤトッラー・アル・ハシェミ氏
▪️東アゼルバイジャン州知事

墜落したヘリコプターに同乗していたイラン当局者らです。イランの情報源からはまださらなる情報は得られていない。捜索対象地域は山岳地帯と森林地帯であるため、捜索活動は遅れている。ライシ大統領のヘリコプターの墜落現場を捜索するイラン救助隊の最初の映像。イランのメディアは、ライシ大統領のヘリコプター墜落事故を受けてイラン国民に「祈る」よう呼びかけた。ヘリコプターの正確な位置が判明したとタスニムが報じた。ヘリコプターの墜落現場はアルスバランの森にあるウジ村付近で、救助隊が事故現場に派遣された。イランのライシ大統領のヘリコプターが墜落した地域は濃霧に包まれていた。ヘリコプターが墜落した後、イマーム・レザー廟で彼らの健康を祈願する祈りが行われた。新しい映像。⑺ヘリコプターが墜落する前の最後の写真。ヘリコプターが墜落した地域の気象状況は現在さらに悪化している。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・

アシュトシュ・アチャリヤ著:20/05/2024


イランのエブラヒム・ライシ大統領と外相を乗せたヘリコプターが日曜日に墜落した。国営メディアによると、少なくとも5つの救助チームが事故現場に近づいている。


要約:

  • イランのエブラヒム・ライシ大統領、ヘリコプター墜落で「命が危険」と政府関係者

  • ライシ大統領はダムの完成式典のためアゼルバイジャンを訪れていた。

  • 少なくとも5つの救助チームが事故現場に接近中

イランのエブラヒム・ライシ大統領と他の高官を乗せたヘリコプターが日曜日にイラン北西部のジョルファで墜落した。

ロイター通信によると、ライシ大統領とホセイン・アミラブドラヒアン外相の命が「ヘリコプター墜落事故により危険にさらされている」という。

「我々はまだ希望を抱いているが、墜落現場からの情報は非常に懸念される」とロイターの報道を引用している。

事件後、少なくとも5つの救助チームが事件現場に近づいていると国営メディアが報じた。通信社IRNAは、ライシ大統領の側近の少なくとも2人が救助隊と連絡を取ったと報じた。

以前、ヘリコプターは「不時着」したと報道されたが、通信社IRNAは、ヘリコプターは「墜落に見舞われ、負傷者や損害の可能性についての情報はまだ得られていない」と報じた。

IRNAの報道によると、新たな救助隊と登山家が捜索・救助活動に加わっている。

天候が悪いため、空からの捜索やヘリコプターの飛行は不可能であり、救助は地上で行われている。

この事故は、同地域の濃霧のために発生したと伝えられている。

プレスTVによると、イランのアフマド・ヴァヒディ内相は、大統領を乗せたヘリコプターがテヘランから600キロ近く離れた東アザルバイジャン州のジョルファに不時着したことを確認した。

この護衛隊には3機のヘリコプターがあり、うち2機には閣僚や高官が乗っていたが、無事に目的地に到着した。

国営IRNA通信が報じたところによると、イランのホセイン・アミラブドラヒアン外相、イラン東アゼルバイジャン州知事、その他の高官やボディーガードは、ライシ氏とともにヘリコプターで移動していた。

当局によると、悪天候のため、イラン赤新月社の救助隊が事件現場に到着するのは困難だという。ドローン部隊も緊急活動を支援している。

ロイター通信によると、イラン陸軍参謀総長は、陸軍と精鋭部隊である革命防衛隊のすべての資源を捜索・救助活動に投入するよう命じた。

AP通信によると、ライシ大統領は5月19日未明、アゼルバイジャンのイリハム・アリエフ大統領とともにダムを完成させるためにアゼルバイジャンを訪問した。

この訪問は、2023年にテヘランアゼルバイジャン大使館が銃で襲撃された事件や、イランのシーア派神権政治がこの地域における主要な敵とみなすイスラエルアゼルバイジャンの外交関係などをめぐり、両国間の関係が冷え込んでいるにもかかわらず行われた。

国営テレビは、マシュハド市のイマーム・レザ神社やコムなど全国各地で大統領の冥福を祈る人々の姿を映した映像を放映した。

イランの最終権力者である最高指導者ハメネイ師は、イラン国民を安心させるために、国政に混乱はないと述べた。

インドのナレンドラ・モディ首相はヘリコプター墜落事故後に懸念を表明し、Xへの投稿で次のように述べた。

「我々は、この苦難の時にイラン国民と連帯し、大統領と側近の安否を祈る」


・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

スロバキアのロバート・フィツォ首相は、ウクライナ紛争に対する西側の方策を批判していることで知られている

<記事原文 寺島先生推薦>
Slovak PM Robert Fico: Noted critic of Western approach to Ukraine conflict
同首相を狙った銃撃はロシアとスロバキアの関係も狙ったものだった、とロシアの国会議員は主張
出典:RT 2024年5月12日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2024年5月19日


3期目のスロバキア首相を務めているロベルト・フィツォ氏はロシアとウクライナの紛争問題に関して欧州連合やNATOの双方と真っ向から対立している。RTはこのスロバキア指導者の姿勢と、それがなぜEU当局の怒りを買ったのかを考察する。

同スロバキア首相は水曜日(5月15日)、ハンドロヴァの町を訪問中に銃撃され、重篤な状態で手術のため病院に搬送された。同首相の襲撃者は逮捕され、報道によると、野党進歩スロバキア党の支持者である、詩人のジュラジ・チントゥラ容疑者(71)である、と特定された。チントゥラ容疑者は警察に対し、フィツォ首相を撃ったのは、政府の政策に「同意できない」ためだ、と語った。

ロシアのコンスタンチン・ザトゥリン議員はこの報道に対して、「この事件は、フィツォ首相やスロバキアに対する攻撃であるだけではなく、ロシアとスロバキアの関係に対する攻撃でもあります」と述べた。

「フィツォ首相は、欧州内で展開されている偽情報拡散工作にもかかわらず、スロバキア国民の大多数、少なくとも半数がロシアに同情していることをよく承知していました」と付け加え、このスロバキア首相が「際限のない恐喝と脅迫にさらされており」、EU当局の政治的立場に対して同首相が反対の立場をとっていたことを理由にEUから非難されていた点を指摘した。

フィツォ首相はこれまで2006年から2010年と2012年から2018年の2回、スロバキア政府を率いた。同首相は昨年10月に政権に復帰し、ウクライナへの武器供与の停止を訴え、「スロバキアの人々は戦争よりも大きな問題を抱えています」と主張した。

フィツォ首相は昨年8月の選挙集会で、ウクライナ紛争は「ウクライナのナチスとファシストがドンバスのロシア人住民を殺害し始めた2014年に始まったものです」と述べた。彼はまた、ウクライナのアゾフ大隊を「明らかにファシスト連隊」である、とも述べた。


選挙に勝利したフィツォ首相は、ウクライナに対するスロバキアの軍事援助をすべて停止した。前政権はすでにウクライナに7億2800万ドル相当の武器や装備、弾薬を送っていた。また、隣国チェコが主導するウクライナへの武器購入を目的とした約20カ国の連合への参加も拒否した。

フィツォ首相は先月、スロバキア政府はウクライナのNATO加盟申請を阻止する、と述べた。なお、米国主導のこの軍事同盟の加盟には、加盟32カ国の全会一致の同意が必要となる。

フィツォ首相は「スロバキアに必要なのは、ウクライナの中立です。もしウクライナがNATO加盟国になれば、我が国の利益は脅かされることになるでしょう。なぜならウクライナのNATO加盟は、大規模な世界紛争の理由となりうるからです」と述べた。

スロバキアの新政府は、紛争は外交によって解決されるべきであり、その解決は早ければ早いほど良い、と主張している。フィツォ首相は中国やブラジル、ローマ教会が提示した和平案を賞賛したが、ウクライナはいずれも拒否した。

今月初め、フィツォ首相は、ウクライナがおこなっている戦争を支援するためにNATO軍を派遣する可能性についてのエマニュエル・マクロン仏大統領の話に反論し、そんなことをすれば世界は第三次世界大戦の瀬戸際に導かれるだろう、と述べた。

「スロバキアはウクライナでの戦争とは何の関係もありません。スロバキア全土に明確な伝言を伝えさせてください。誰が尋ねようとも、スロバキア兵士はスロバキアとウクライナの国境を越えて、ウクライナに足を踏み入れることはありません、とフィツォ首相はスロバキア国会で語った。

そのわずか数日後、EUのジョセップ・ボレル外交政策責任者は、ロシアはEUにとって存続の脅威である、という同責任者の主張に対して、「全てのEU加盟国が同意しているわけではなく」、一部の加盟国はロシアを「良き友人」と考えている、という事実を嘆いた。同責任者は名指しこそしなかったが、フィツォ首相とハンガリーのヴィクトル・オルバン首相は、ウクライナ問題でEU当局に反対し、ロシアとの関係維持を目指してきた。

首相としての最初の任期中、フィツォ首相は1850年代のスロバキア国民の覚醒に対するロシアの支援を引き合いに出し、ロシアとの関係改善を目指していた。同首相は、2014年のEUの対ロシア制裁は「無意味」でスロバキア経済に有害である、と批判した。同首相は2022年2月以降に課せられた制裁拡大についても同様の立場をとっていた。


・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

追いつめられると「要人暗殺」を繰り返す。

よくある話である・・・


上記文抜粋
・・・・・・・・・

環安は恐怖し非常手段に訴える。刺客を送って来歙を刺したのである。来歙は刀を刺されたまま蓋延を呼び寄せた。蓋延はまだ刀が刺さったままの来歙を見ると、突っ伏して涙を流し仰ぎ見ることができなかった。来歙は蓋延を叱咤していった。
「虎牙(蓋延)よ。なんとしたことか。いま使者は刺客に刺され、国に報いることができなくなった。ゆえに巨卿(蓋延)を呼んだのである。軍事を任せようと思っていたのに、かえって女子供のまねをして泣き崩れるとは。刃が刺さっているとはいえ、兵を指揮できないのなら公を斬る!」
 蓋延は涙をぬぐって立ち上がり、印綬を受け取った。来歙はみずから書をしたためた。
「みなが寝静まった深夜に、何者か賊が臣に傷を負わせ、臣の急所を突き刺しました。臣は決して自らの命を惜しみませんが、職務を全うできず朝廷を辱めたことが心から無念であります。国を治めるには賢者を得ることが土台となります。太中大夫の段襄は硬骨にて信用ができますので、陛下のご判断を願います。また臣の兄弟は愚か者で、いつか罪を得るのではないかと心配です。陛下が哀れみをもって、ご指導して頂きたくお願いします」
 ここまで書くと筆を置き、体に刺さった刃を抜き絶命した。

・・・・・中略・・・・・・

公孫述は岑彭を恐れ、また以前に来歙の暗殺に成功したことから、間人(しのび)を用いて岑彭を暗殺しようとした。
 このとき岑彭は彭亡に陣営をひいていた。この名前を聞いて不吉に思い、陣を移そうとしていたという。その日の暮れに、蜀の刺客は逃亡した奴隷になりすまして入り込み、夜なって岑彭は刺し殺された。
 これは劉秀の奴婢解放政策を利用したものである。奴婢政策については42.で詳説する。劉秀は即位してから一貫して、奴婢を解放して良民に戻す方針を示しており、逃亡する奴婢を歓迎していた。そのため逃亡した奴婢も大いにもてなし、監視もしていなかったのを、公孫述が利用したのである。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

その末路は、悲惨だった。

さらに抜粋
・・・・・・・・・・

明くる朝、延岑は呉漢に降伏した。呉漢は公孫述の首を斬って洛陽に送った。辛巳(西暦36年12月27日)、さらに公孫述の妻子を殺し、公孫氏の一族を皆殺しにし、延岑とその一族も皆殺しにした。兵を放って大いに略奪し、公孫述の宮殿や成都城内を焼き払った。長期の遠征で呉漢軍は既に狂暴化が止まらなかったようだ。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり

集団的西側とその徒党の天皇家の末路が、公孫述・その一党と成都のようになるの可能性は極めて高いと言える。

まあ庶民は、そういうセレブとか尊貴から逃げるのが、一番です。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

いいなと思ったら応援しよう!