奴隷制は無くても「人身売買」は今も普通にある、後進国家日本~天皇カルト
そういえば・・
42.奴婢の解放と人権宣言
その姿は統一前から少しずつ政策に現れていた。まずは奴婢の解放令である。
建武二年五月癸未(西暦26年6月25日)。嫁に出した娘、売られた子どもで親元に帰りたい者は、すべてその願い通りとし、それを拒否する者は法律によって処罰する。
建武六年(西暦30年)十一月。王莽の時代の下級役人や民衆で罪に問われて奴婢となった者で、漢の時代の法律によるものでないものは免じて庶人とする。
建武七年五月甲寅(西暦31年6月30日)。下級役人や民衆で飢饉や戦乱に遭ったもの、青州、徐州で賊によりさらわれて奴婢や妻とされた者、去りたい者も残りたい者、自由にすべてその願い通りとし、それを拒否する者には売人法を適用する。
建武十二年三月癸酉(西暦36年4月23日)。隴や蜀でさらわれて奴婢とされた者で、自ら訴え出たもの、判決が出ていない者(及獄官未報)とすべて庶人とする。
建武十三年十二月甲寅(西暦38年1月24日)。益州で建武八年以降にさらわれて奴婢となった者は庶人とする。また身を売って他人の妻となったもので去りたいものはすべてこれを聞き入れよ。敢えて引き留める者は、青州、徐州同様に略人法を適用する。
建武十四年(西暦38年)十二月。益州、涼州で建武八年以降に申告した奴婢は、裁判なしで庶人とし、売った者は代金を返さなくてよいとした。奴婢の多くは、夫が妻子を売るケースが多いのだが、そのとき夫は代金を返さなくても妻子を取り戻せるということである。
何度も出しているのは、効果がないからではなく、新しく敵地を平定するたびに解放令を出しているためである。あくまでもそのときの解放令であるから、自国領でしか無意味だからである。
また文面に出てくる売人法と略人法は、劉秀の時代に創設された法律であるとされる。売人法は人を売ることの罪を決めた法律であり、略人法とは人をさらったときの罪を決めた法律である。
この時代の民間の奴婢の多くは、貧乏であるために妻や子を売るケースと、戦争で女や子どもを略奪してそのまま妻や奴婢にするケースである。そこで劉秀は、人身売買についての「売人法」を制定し、人さらいについての「略人法」を制定した。二つの奴婢の成立状況を狙い打ちにした法律を制定したのである。
さらに劉秀は歴史的にも驚くべき宣言を行う。
奴隷解放いっても「人身売買」が残ってりゃ、有名無実・・
それが、延々と続いているのが、「天皇カルト」
まあ、普通に滅びますは、日本は。
さらに・・
従軍慰安婦とは、天皇家と皇軍によってなされた「娘の身売り」だったのである。
それも、まだ江戸時代なら「孝行」ってことで、靖国に祀られることだっただろう。
今でもネットゲリラ氏とかが、冗談半分にそういうし、そうならば、海外の「従軍慰安婦問題」も、まだ、これほど深刻にならなかったはずである。
なんせ「不幸ながら功労者」として「軍人年金」みたいな補助もあるだろうから。
それすらない。
まあ、天皇家は、最初から「日本人を守る・養う」って無い、寄生虫・売国奴であるのは、間違いない。
天皇を殺しつくして 日本晴れ
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
追記に
明治42年、からゆきさんらから預かった寄付を元手に、大理石の釈迦如来像を安置する天如塔を創建する。総高20メートルほどの八角形の灯台風の塔であり、内部は二重らせん階段となっており、その最上部に如来像は安置された。寄付総額は4,870円、現在の貨幣価値でいえば5千万から7千万円に相当する。その天如塔を取り囲む玉垣の一本一本に寄進者の名前が刻まれており、東南アジアの地名と共にからゆきさんの名前も多く見られ、それらの金額は5円(現在の5万円から7万円)であり、身売りをされ知らぬ間に連れ出されて異国で命を削りつつ稼いだお金として、金銭価値の何倍もの意味ある金額であったであろう。その意を酌んで、言証師はこの天如塔という特異な塔に思いを捧げたのであった。
宮崎様からは、からゆきさんについて、やっと十歳になったばかりくらいの年端もいかぬ娘たちが女衒らによって炭鉱船の船底に押し込められ二週間も垂れ流しの不衛生な旅の末に異国で身売りされた。上玉中玉下玉と品定めされて、それが彼女らの借金となり、身を粉にして働かされて二十歳前後で多くのからゆきさんがボロ雑巾のごとくにうち捨てられていったというお話があった。現在天如塔はからゆきさんに関する唯一の遺跡として島原市指定の有形文化財に、また長崎県の景観資産建造物にも指定されているという。
栄光の明治維新・・偉大なる天皇
そんものは、日本の恥、人類の屈辱だ。