つぎは、日本人が米英のために死ぬ番です。by天皇家

 より

上記文抜粋
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No. 1784 衝撃文書:9.11のハイジャック犯はCIAに雇われていた
投稿日時: 2023年5月9日
Bombshell filing: 9/11 hijackers were CIA recruits

by Kit Klarenberg

少なくとも2人の9.11ハイジャック犯は、最高レベルで隠蔽されていたCIAとサウジアラビアの合同諜報活動のために採用されていたことが新たに提出された衝撃的な法廷資料によって明らかになった。

新たに公開された裁判所提出書類から、アルカイダのオサマ・ビンラディンとその仲間を追跡するために設立されたCIA部隊である「アレック・ステーション」と、テロ攻撃を行った9.11のハイジャック犯との関係に重大な疑問があり、それがFBIの最高レベルの隠蔽対象となっていた。

スパイトーク(ベテランの国家安全保障記者ジェフ・スタインが設立したWebサイトとニュースレターで、米国および世界の諜報活動、スパイ活動、国家安全保障の問題を取り上げている)が入手したこの書類は、9.11の被告人の事件を監督する法的機関である軍事委員会事務局の主任調査官、ドン・カネストラロによる21ページの申告書である。政府の機密情報開示と、カネストラが匿名のCIAとFBIのエージェントと行った個人的なインタビューを要約したものだ。カネストラが話を聞いた多くのエージェントは、9.11テロとサウジアラビア政府とのつながりに関する、FBIの長期にわたる頓挫した調査「Operation Encore(アンコール作戦)」の責任者であった。

様々な目撃者に何度も長時間のインタビューを行い何百ページもの証拠を作成し、数人のサウジアラビア政府高官を正式に調査し、リヤドが行う米国内のハイジャック犯支援ネットワークを調査するための大陪審を立ち上げた「アンコール作戦」は2016年、突然打ち切られた。これは捜査方法をめぐるFBI内部のいざこざが原因だったと言われている。

2021年に公開裁判資料として公開された当初、この文書は「非機密」の表示の部分を除き、あらゆるところが塗りつぶされていた。理由を理解するのは、その衝撃的な内容から難しいことではない。カネストラロの調査は、少なくとも2人のハイジャック犯は、失敗した可能性のあるCIAとサウジアラビアの共同諜報活動に、故意または知らずに参加していた、と結論づけていたからだ。

サウジの関与は「50/50の可能性」

1996年、CIAの監視のもとアレック・ステーションが作られた。当初はFBIとの共同捜査を目的としていた。しかしこの部隊に配属されたFBI捜査官は、CIAの許可なくFBI本部に情報を流すことを禁じられ、もし行えば厳しい罰則を受けることになった。またFBIの同等の部隊であるニューヨークのI-49部隊と情報交換をしようとすると、何度も妨害された。

1999年末、米国内でアルカイダによる大規模なテロ攻撃が差し迫っているとして「システムが赤く点滅」していた頃、CIAとNSAはアルカイダの「作戦幹部」を注意深く監視していた。その中には、サウジ人のナワフ・アル・ハズミとカリド・アル・ミハダルが含まれていた。この2人は、9/11にペンタゴンに墜落したアメリカン航空77便をハイジャックしたとされている。

アル・ハズミとアル・ミハダルは、2000年1月5日から8日にかけてマレーシアのクアラルンプールで開催されたアル・カイダ・サミットに参加していた。この会議は、アレック・ステーションの要請で地元当局が秘密裏に写真とビデオ撮影を行ったが、音声は記録されていなかったようだ。ミハダルが途中ドバイを経由した際に、CIAの工作員が彼のホテルの部屋に侵入してパスポートをコピーした。その結果、ミハダルは米国への複数入国ビザを所持していることが判明した。

同時期のCIAの内部公電によると、この情報は「さらなる調査のため」直ちにFBIに渡された。実際には、アレック・ステーションはミハダルの米国ビザについてFBIに知らせなかっただけでなく、部隊に配属された2人のFBI捜査官にそうすることを明確に禁じた。

「私は “このことをFBIに伝えなければならない “と言った。こいつらは明らかに悪人だ・・・FBIに伝えなければならない“、と。すると(CIAは)『いや、これはFBIの事件ではないし、FBIの管轄でもない』と言った」と問題のFBI捜査官の一人マーク・ロッシーニは主張している。「もしその場でFBIに電話していたら、私は法律違反をしたとしてその日のうちにビルから追い出されていただろう。クリアランスも停止され、私はいなくなっていただろう」

ハズミとミハダルはミレニアム計画阻止からわずか数週間後の1月15日、ロサンゼルス国際空港から米国に入国した。サウジアラビア政府の「幽霊職員」であるオマール・アルバユミは、空港のレストランですぐに2人を出迎えた。短い会話の後、バユミはサンディエゴにある自分のアパートの近くでアパートを探すのを手伝い、賃貸契約の連帯保証人になり、銀行口座を作り、家賃の一部として1,500ドルを贈与した。この3人は、その後も何度も連絡を取り合うことになる。

数年後のアンコール作戦の捜査員へのインタビューで、バユミはハイジャック犯となる2人と出会ったのは単なる偶然であったと主張した。彼の並々ならぬ実務的・経済的支援は、英語がほとんど話せず、西洋文化になじみのない2人に同情しての慈善事業だったと主張した。

FBIはこれに反対し、バユミはサウジアラビアのスパイで、米国内のアルカイダ工作員を多数扱っていると結論づけた。そして、彼、ひいてはリヤドが9.11テロの詳細な事前情報を持っていた可能性は「50/50」であるとした。

その驚くべき発見が一般に公開されたのは20年後だった。バイデン政権の命令でアンコール作戦の文書の一部が非機密扱いにされたからだ。しかし主要メディアはこれを完全に無視した。ドン・カネストラロの申告は、FBIの調査官がさらに踏み込んだ評価をしていたことを明らかにしている。

この文書で「CS-3」と呼ばれるFBIの特別捜査官は、バユミがハイジャック犯と接触し、その後支援したのは「サウジ情報局を通じてCIAの命令で行われた」と述べている。アレック・ステーションの明確な目的は、リヤドの情報総局の協力を得て、「リエゾン関係を通じてアル・ハズミとアル・ミハダルをリクルートする」ことだったのだ。

最も「珍しい」CIA部隊

アレック・ステーションの正式な任務は、ビンラディンを追跡し、「彼に関する情報を収集し、彼に対抗する作戦を実行し、彼の財政を混乱させ、彼の活動や意図について政策立案者に警告する」ことである。このような活動には、当然アルカイダ内の情報提供者が必要である。

しかし、複数の高官筋がカネストラロに語ったように、このような組織が情報収集や情報提供者の募集に関わるのは極めて「異例」だった。米国にあるこの部隊はCIAのアナリストによって運営されていたが、彼らは通常、人的資産を管理することはない。法的には、その仕事は海外に拠点を置く「秘密工作の訓練を受けた」ケースオフィサーの専属とされていた。

アレック・ステーション内のCIAケースオフィサー、「CS-10」は、ハズミとミハダルがバユミを通じてCIAと関係を持っていた提案に同意し、この部隊がアルカイダへの潜入を任務としていたことに困惑していた。彼らは、「バーチャル」ステーションがラングレーの地下室にあり、「アルカイダが活動していると疑われている国から数千マイル」離れていることから、「グループ内部の情報提供者を育成することは…ほぼ不可能だ」と感じていた。

「CS-10」はさらに、アレック・ステーションで「他の異常な活動を目撃した」と証言している。同部隊のアナリストは、「現場のケースオフィサーに特定の任務を指示するケーブルを送り、作戦を指示する」のだが、これは「CIAの手続き違反」であった。アナリストは「通常、ケースオフィサーに何かを指示する権限はない」のである。

「CS-11」は、「9/11テロの少し前」にアレック・ステーションに赴任したCIA作戦専門家で、同様に「CIAの通常の手順から外れていると思われる活動を目にした」という。同部隊のアナリストたちは、「ほとんど自分たちだけで行動し、他の人たちと頻繁に交流することはなかった」という。「CS-11」は、彼らが潜入捜査をしていたわけでもなく、「CIAでの雇用は機密情報ではなかった」ため、内部ケーブルを通じて互いに連絡を取り合う際にも、作戦用の仮名を使用していたという。

この時期のアルカイダ情報提供者に対する奇妙な判断は、この部隊の特異な活動文化が物語っているのかもしれない。1998年初頭、CIAの任務でロンドンのイスラム主義シーンに潜入していたFBIとCIAの合同情報提供者、アウカイ・コリンズは、驚くべき申し出を受けた。ビンラディン本人から、アフガニスタンに来て会ってほしいといわれたというのだ。

コリンズはこの依頼を上層部に伝えた。FBIはアルカイダの拠点に潜入することに賛成だったが、CIAの担当者は「アメリカ人工作員がビンラディンのキャンプに潜入することをアメリカが承認するわけがない」と言ってそれを否定した。

同様に2001年6月、アレック・ステーションのCIAとFBIのアナリストは自らのアルカイダ部隊の代表を含む局幹部と面会した。CIAはハズミやミハダルなど、1年半前のクアラルンプール会合に参加した人物の写真3枚を共有した。しかしFBIのテロ対策担当者(コードネーム「CS-15」)は写真の日付や写っている人物の重要な詳細は明らかにされなかったと回想する。その代わりアナリストたちは、FBIが「写真に写っている人物の身元を把握しているか」と質問しただけだった。

同席していた別のFBI職員「CS-12」はより厳しい証言をする。アレック・ステーションのアナリストは経歴情報を提供しなかっただけでなく、この人物の一人がUSSコール爆破事件の容疑者であるファハド・アルクーソかもしれないと誤解させたのである。さらに写真に関する質問には一切答えないという徹底ぶりだった。しかしながら、彼らのうちの誰かがアメリカに入国した場合には、FBIに通知するためのシステムが存在しなかったことが確認された。これはテロ容疑者に対する「標準的な捜査手法」である。

ハズミとミハダルがアレック・ステーションのために何らかの仕事をしているように見えたことから、2001年6月の会合は誘い込みだった可能性が高い。FBIが、誰が自分たちのエージェントであるかを照会することから得られる情報価値はほとんどなく、確認できるのはFBIのテロ対策チームが彼らのアイデンティティ、外見、および米国にいる存在を把握しているかどうかだけである。

かなりの隠蔽

カネストラロのもう一人の情報源である元FBI捜査官(通称「CS-23」)は、9・11後、FBI本部とサンディエゴ支局は、「バユミがサウジ情報部と提携していること、その後、ハズミとミハダルをリクルートするCIAの作戦があることをすぐに知った」と証言している。

しかし、「上級FBI幹部たちはこれらの件に関する調査を抑制した」と「CS-23」は言い、さらに9.11に関する合同調査委員会で証言するFBI捜査官が、「サウジとアルカイダの関与の全容を明らかにしないよう指示された」と主張した。

米国の情報機関は最も緊密な同盟国の一つであったリヤドを、9.11攻撃におけるその役割についての精査とその影響から守る理由は十分にあったはずだ。しかし、FBIがアレック・ステーションの隠蔽工作を熱心に行ったのは利己的な動機によるものかもしれない。なぜならFBIの一人がハズミとミハダルをリクルートし、米国での存在を関係当局に隠すという、同ユニットの努力に深く関与していたからである。

2001年6月にアレック・ステーションとの会合に出席した「CS-12」は、その夏、「写真の被写体に関するさらなる情報を求めてFBI本部に圧力をかけ続けた」とカネストラロに語っている。8月23日、彼らはFBI本部からの「電子通信」を偶然見つけ、そこにはハズミとミハダルが特定され、彼らが米国にいることが書かれていた。

そこで「CS-12」はこの通信を作成したアレック・ステーション内のFBIアナリストに連絡を取った。会話はすぐに「白熱」し、メモを見る権限がないため「直ちに」削除するようアナリストは命じたという。宣言文には名前はないが、その問題のFBIアナリストはディナ・コルシだった。

翌日、「CS-12」、コルシ、FBIのビンラディン部隊長との電話会議で、「FBI本部の関係者」は「CS-12」に対し、ミハダルについて「情報収集調査」を開始するつもりなので、「身を引き」、「捜索を中止する」よう明確に指示した。翌日、「CS-12」はコルシにメールを送り、ミハダルが刑事告発されない限り「誰かが死ぬだろう」と露骨に言った。

その2日後の8月26日、アレック・ステーションがついにハズミとミハダルが米国にいることをFBIに報告したのは偶然ではないだろう。このとき2人はテロ準備の最終段階に入っていた。もし、刑事事件として捜査が開始されていれば、2人の動きは止められたかもしれない。しかし、「CS-12」に接触していた関係者が予告していた通り、情報捜査が開始され、捜索活動は妨げられた。

9.11テロ直後の数日間、「CS-12」と他のニューヨークのFBI捜査官は、局本部との別の電話会議に参加した。その際、77便の乗客名簿にハズミとミハダルの名前があることを知った。そこで、2人の名前を「商用データベース」で検索したところ、サンディエゴの電話帳に2人の名前と自宅の住所が載っていた。2人はFBIの情報提供者と同居していたのである。

「CS-12」はすぐにコルシに「ハイジャック犯の情報に関して」連絡を取った。コルシは、2001年6月のアレック・ステーションとFBI捜査官との会合で提示された、同じ監視作戦からの3枚の写真を提供することでそれに応えた。その写真には1998年のアルカイダによる東アフリカの米国大使館爆破事件とUSSコール号攻撃の主犯格であるワリード・ビンアタッシュが映っていた。

コルシは、なぜこの写真をもっと早くFBI捜査官に見せなかったのか説明することができなかった。もし見せていれば、ハズミとミハダルをビンアッタシュと「直ちに結びつけ」、「情報に基づく捜査から犯罪捜査に移行していただろう」と「CS-12」は主張した。そしてFBIのニューヨーク支局は、2001年9月11日の運命の日の前に、ハイジャック犯を見つけるために「全力」を傾けることができたはずだった。

失敗してもアレック・ステーションの工作員は昇進

アレック・ステーションがアルカイダのエージェントを守るために行っていたことは、ハズミとミハダル、そしておそらく他のハイジャック犯が、9/11当日、事実上CIAのために働いていたのではないかという明白な問題を提起している。

CIAが妨害した背後にある本当の動機は決してわからないかもしれない。しかしアレック・ステーションが、その秘密諜報活動をFBIに知られたくない、邪魔されたくないと思っていたことは明らかである。ハズミとミハダルをリクルートしたことは作戦の指示ではなく純粋に情報収集のためだったとしても、FBIにそれを知らせず、むしろ積極的に誤った指示を出していたことは理解できない。

カネストラロが相談した複数のFBI関係者は、アルカイダに入り込むことに必死なCIAがアレック・ステーションに諜報員募集の権限を与え、圧力をかけたのではないかと推測した。しかしもし本当にそうだとしたら、なぜラングレーは、アフガニスタンのビンラディンのネットワークに潜入させるために、複数のイスラム主義ギャングに潜入した実績のあるディープカバーのエージェントであるアウカイ・コリンズを派遣する機会を拒否したのだろうか。

一つのそれに代わる説明としては、アレック・ステーションという説明責任を負わない強力なCIAの悪のチームが、そのような状況でラングレーが通常求められる承認や監視なしに自分たちの邪悪な目的のためにテログループに潜入しようとしたというものだ。コリンズはFBIとの共同エージェントであることを考えると、彼をそのようなセンシティブな闇作戦に参加させることは信用できなかった。

アレック・ステーションのメンバーで、9.11を起こさせた「情報の失敗」に対して何らかの処罰を受けた者はいない。実際、彼らは報われた。同時多発テロ時の部隊長リチャード・ブリーとその後任のアルフレダ・フランシス・ビコウスキーはともにCIAの作戦部に入り、いわゆるテロとの戦いで大きな影響力を持つ人物となった。 コルシはFBIで昇進し、最終的には情報部副部長まで上り詰めた。

おかしな展開として、CIAの拷問プログラムに関する上院情報委員会の報告書によると、ビコウスキーはCIAのブラックサイト工作の中心人物で、さらに主要な公式弁解者の一人であったことが判明した。拷問プログラムは、米国の対テロ戦争を正当化し拡大するために、容疑者から虚偽の証言を引き出すことに特化していたことが、ますます明らかになっている。

9.11テロに関する一般市民の理解は、CIAの拷問被害者が想像を絶する極度の緊張の中で語った証言によって大きく左右されている。そしてビコフスキーは、少なくとも2人の9.11ハイジャック犯予定者の援護を行ったアレック・ステーションのベテランで、テロの実行犯とされる人物の尋問を担当していたのである。

FBIのベテランディープカバーエージェントのアウカイ・コリンズは、ドン・カネストラロの爆弾発言によってさらに強まった冷ややかな考察で回顧録を締めくくった。

テロの文字通り数時間後にビンラディンの名前が出たことに、私はとても不信感を抱いていた。私は何が起こったのか、誰がやったのかについて、誰が何を言っても非常に懐疑的になった。まだ彼らの下で働いていた頃、ビンラディンのキャンプに入る機会があったときのことを思い出した。何かが間違っているような気がする…。今日まで、私は9月11日の背後に誰がいたのか分からないし、推測すらできない...。いつの日か真実が明らかになるだろう、そして人々はそこで聞くことを好まない気がする。

Kit Klarenberg:政治や意識の形成における情報機関の役割を探る調査報道記者。

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抜粋終わり

安倍氏謀殺と宮古島の自衛隊ヘリ撃墜は、日本人を米英のための噛ませ犬にするための、策略。


上記文抜粋
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2023年4月6日、沖縄・宮古島海域に墜落した陸自ヘリは、案の定、海底にて木っ端微塵に破壊されていた:ヘリ攻撃者勢力による証拠隠滅のためか?
新ベンチャー革命2023年5月8日 No.2999

タイトル:2023年4月6日、沖縄・宮古島海域に墜落した陸自ヘリは、案の定、海底にて木っ端微塵に破壊されていた:ヘリ攻撃者勢力による証拠隠滅のためか?

1.先日、2023年5月初旬に引き揚げられた墜落陸自ヘリの残骸は、どうやって、大型のネットに、うまく包まれた(くるまれた)のか?

 先日、沖縄・宮古島海域に墜落した陸自ヘリの機体の引き揚げ作業が行われ、マスコミはいっせいに、その様子を報じています。

テレビでその様子が報道されましたが、周知のように、専門家も驚くほど、その機体はバラバラに破壊されていました。

 そして、このバラバラ機体の残骸は、大きなネットに包まれて、クレーンにて引き揚げられていました。

 さて、筆者個人が、この様子を観て、最初に疑問を抱いたのは、これだけの大きさの残骸を、100メートル以上もの海底にて、どうやって、大型ネットに包んだのか、というものでした。

 あれから、何日か経っていますが、いまだに、この疑問は解けていません。

2.これほど大きな墜落ヘリの残骸を、海底にて大型ネットに包む方法とは?

 そこで、筆者が想像したのは以下です。

まず、このヘリの残骸が散らばっている海底にて、その残骸の近くに平らな場所を見つけて、そこに、大型ネットをまず、広げることから始まったのではないでしょうか。

 次に、散らばった残骸を、複数の潜水士が、海上のクレーン運転士と連絡を取り合いながら、個々の残骸の1個、1個にクレーンのワイヤーを掛けたりして、ちかくに広げた大型ネットまで移動させていき、ある程度、個々の残骸がまとまってから、海上の作業員と連絡を取り合って、大型ネットに包んで、引き揚げたと推測されます。

 いずれにしても、潜水士にとって、この作業は命がけであり、さぞかし、大変だったでしょう。

3.墜落ヘリの残骸は、やはり、墜落後、海底にて、木っ端微塵に破壊されていたとみられる

 さて、本ブログの当初の見方では、このヘリは、海底にて、木っ端微塵に破壊されているのではないかと、予想していました(注1)。

 その目的は、ズバリ、当該ヘリ攻撃者による証拠隠滅のためでしょう。

 筆者個人は、このヘリは、ヘリ攻撃者勢力の保有する潜水艦の魚雷などで、海底で木っ端微塵に破壊されているのではないかと予想していました(注1)。

 その通り、このヘリは、海底にて、木っ端微塵にされていたのです。

 その推測を裏付けるように、このヘリが消息を絶ってから、1時間半後に、墜落海域にて、謎の海底爆発が起きていたのです(注2)。

 この海底爆発こそ、ヘリ攻撃者勢力の保有する潜水艦による墜落ヘリへの魚雷攻撃だったのではないでしょうか。

 この謎の爆発について、その後、マスコミはまったく、報道していませんが、当局から、強い圧力が掛けられているとしか考えられません。

 いずれにしても、この自衛隊ヘリ攻撃勢力は、日本の自衛隊を、台湾侵攻を狙う中国軍との戦争に引き摺り込もうとしているのではないでしょうか。

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抜粋終わり

日本は、天皇財閥はじめ戦争したい連中が、社会・宗教の指導層や、地域の指導者だからな。

なんせ「統一教会支持者」の自民党系議員が、9割も当選。

これは「日本のセレブ~天皇と閨閥」は、日本人とは違うのだろうよね。


より

上記文抜粋
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ウクライナでロシアに敗北したアメリカ/NATOは主戦場を東アジアへ移動

 ​NATO(北大西洋条約機構)は2024年中に連絡事務所を東京に設置する​という。アメリカは2018年5月に「太平洋軍」を「インド・太平洋軍」へ編成替えしているが、この海域における協力関係を強化することが目的のようだ。仮想敵国は中国とロシア、NATOの同盟国として想定されている国はアングロ・サクソン系で米英の支配下にあるオーストラリアとニュージーランド、そして日本と韓国だ。
イギリスやアメリカは19世紀から東アジアを侵略し、略奪しようと目論んできた。当時、経済力で中国(清)に太刀打ちできないイギリスはインドで生産したアヘンを売りつけようとする。麻薬取引への批判を回避するため、イギリス王室は「民間企業」の東インド会社が中国へ売るという形式を作った。

 麻薬の流入を嫌った中国は取り締まりを強化、それに対抗してイギリスは1839年から42年にかけての「アヘン戦争」、そして1856年から60年にかけての「第2次アヘン戦争(アロー戦争)」を仕掛けた。この戦争でイギリスが手に入れた香港はその後、秘密工作や麻薬取引の拠点になる。

 イギリスがアヘンを生産させていたインドでは1857年から58年にかけてインド人傭兵(いわゆるセポイ)が反乱を起こした。「インド大反乱」と呼ばれているが、その責任を問われて東インド会社は1858年に解散した。

 2度のアヘン戦争でイギリスは勝利、同国とアメリカの貿易商は大儲けしたものの、征服はできなかった。戦力が足りなかったからだ。そこで目をつけたのが侵略拠点としての日本列島であり、傭兵としての日本人だ。イギリスは長州と薩摩を利用して徳川体制を倒す。これが明治維新であり、天皇制官僚体制の始まりだ。

 中国の茶や絹をイギリスへ運び、インドで仕入れたアヘンを中国へ持ち込んで大儲けした貿易商のひとつがジャーディン・マセソン。この会社は1859年にエージェントとしてウィリアム・ケズウィックとトーマス・グラバーを日本へ送り込む。ケズウィックは横浜、グラバーは長崎を拠点にした。

 アメリカの業者はトルコ産のアヘンを中国へ売っていた。そのひとりがウィリアム・ハンチントン・ラッセル。1833年にエール大学の秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」を創設した人物だ。この結社はアメリカを支配する人脈へ通じている。

 ラッセル家はイギリスの東インド会社とつながり、奴隷取引でも儲けていたとも言われている。麻薬の売買を始めてからは奴隷制度反対を言い始め、嘲笑の対象になっていたともいう。(George Canning, “The bones in Bush’s closet,” EIR, January 22-28, 1980)

 イギリスは19世紀に植民地を拡大させていた。1866年にアフリカの南部地域でダイヤモンドが発見され、86年にはトランスバール(南アフリカ北東部)で大量の金が発見されると、セシル・ローズは南アフリカへ移住、ダイヤモンド取引で財をなし、デ・ビアスを創設した。ローズに融資していた金融機関はNMロスチャイルド&サンである。

 その後、トランスバールへの侵略に失敗したローズはイギリスへ戻ってナサニエル・ロスチャイルドと会う。ロスチャイルドはウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット、そしてアルフレッド・ミルナーと緊急会談を開いて対策を練った。(Gerry Docherty & Jim Macgregor, “Hidden History,” Mainstream Publishing, 2013)

 ロスチャイルドは金融界に君臨する大物であり、ステッドは多くのメディアを支配して情報操作を行っている。ブレッドは心霊主義の信者としても知られているビクトリア女王の相談相手で、後にエドワード7世やジョージ5世の顧問を務めた。(前掲書)

 1899年から1902年にかけての南アフリカ戦争でトランスバールとオレンジは併合され、イギリス領になっていたケープ植民地とナタールに新しく併合した2領地を合わせてできたのが南アフリカ連邦だ。その後オランダ系のボーア人とイギリス系の白人は手を組んでアパルトヘイト(人種隔離政策)を推進、有色人種を支配するシステムを作り上げていく。

 一連の動きで重要な役割を果たしたローズは優生学を信奉していた。彼は1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に書いた『信仰告白』の中でアングロ・サクソンは最も優秀な人種であり、その居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するとしている。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877)

 そのアングロ・サクソンはアメリカやオーストラリアで先住民を虐殺しているが、東アジアでは中国に照準を定め、最終的にはスラブ民族が支配するロシアを征服しようと計画する。ウクライナへの工作もその一環だ。

 オーストラリアは2021年9月、イギリスやアメリカとAUKUSなる軍事同盟を創設したと発表、アメリカとイギリスはオーストラリアに原子力潜水艦の艦隊を建造させるために必要な技術を提供するとも伝えられた。ジョー・バイデン米大統領はオーストラリアへ売却する3隻のバージニア級原子力潜水艦を2030年代の初めに建造すると語っている。

 その潜水艦を動かすためにはアメリカの軍人が乗り込む必要があり、事実上、アメリカ海軍の潜水艦になる。山上信吾オーストラリア駐在大使はキャンベラのナショナル・プレス・クラブで2022年11月14日、日本がオーストラリアの原子力潜水艦を受け入れる可能性があると表明した。

 アングロ・サクソン系のアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、その戦闘奴隷とみなされている日本という構図は19世紀と基本的に同じだ。当時、朝鮮は侵略の手先になることを拒否、日本に併合された。韓国の現政権は侵略の手先になる道を進もうとしているが、国内の反発は小さくないだろう。


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抜粋終わり

アングロ・サクソン系のアメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、その戦闘奴隷とみなされている日本という構図は19世紀と基本的に同じだ。

だよな。

天皇は、戦闘奴隷に日本人を改造する、米英のエージェント。

まずは、天皇を廃止して、日本人の国を作らないと、日本人は死滅する。

天皇家を殺し尽くして 日本人を守る

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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