「まずは言葉を糺す」と論語でも・・・
上記文抜粋
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すみませんを口癖にしない
すみませんを口癖にしない
『地球の最期のときにIn Deep』という情報分析サイトがある。2015年ころからサイトを立ち上げられ、科学的な新説を紹介したり、社会の変化についての秀逸な分析記事を投稿されている。昨年の夏頃から、現在も世界中に展開するコロナ騒動についての深い見解、最新の情報分析と未来予測を常々参考にさせていただいてきた。とりわけ、昨年の米国大統領選の少し前に、バチカンの大司教で、ローマ教皇フランシスコと敵対していることで知られるカルロ・マリア・ビガノ神父がトランプ大統領に公開書簡を送ったという情報とその内容は、私にとり特に貴重なものであった。
ここに紹介するのは、そのIn Deepで2016年9月26日に投稿され、2020年8月20日に更新された記事《「すみません」という日本語を口から発することをやめることについて》である。実は今日21日は毎月朝8時から大師堂にて護摩の御祈祷を行っており、1時間ほどの護摩のあと、いつも参拝された皆様に短い法話をしているのだが、今日はこの記事を参考に話をさせていただいた。
この記事では、バランス力学整体院院長の山本浩一郎さんという方の『腰痛は心の叫びである』という本を紹介されて、その中で、慢性的に体の痛みを持っている人は「すみません」という言葉を口癖にしている人が多いというのだ。そして、この「すみません」という日本語には、自己否定の意味合いがあり、こんな自分にこんなにしてもらい申し訳ないという気持ちを表しているのだと、さらには、自分が存在していること自体に謝罪している印象があるという。
私たち日本人は、なにげに、「すみません」と口にすることが多いわけであるが、そのことについて、それがどういう影響を自分に与えるかということにもまったく無頓着に使ってしまっているのではないか。「すみません、すみません」と、連呼すればその場が収まるとでもいうように、つい口に出てしまったり、何を頼むにも、「すみません」と言い、レストランで人を呼んだり、注文して料理が運ばれてきた時にも、「すみません」と言ってしまっていたりということがある。
たしかに、人に何かしてもらって感謝の気持ちを表す時にでも、つい「すみません」と言ってしまいがちであり、それは相手にお世話を掛けたという気持ちの他に申し訳ないという気持ちも含めて言っていたり。が、そこにはやはり、こんな私にという自らを卑下した気持ちも含まれているとされるように、知らず知らずのうちに私たちは自らを貶めているのかもしれない。
ところで、高野山の元管長で高野山大学学長も歴任された松長有慶先生の著作『訳注 声字実相義』を昨年読ませていただいたが、そこでは、私たちの五官にはいってくるものや心の中で思ったり考えたこと、仏教では六根(眼耳鼻舌身意)に入る六境(色声香味触法)という世俗的なものが、現実世界に存在するままで、絶対の真実なのだと教わった。そこには諸仏が充満してあると。
つまりは、すべての声(音)も言葉も法身大日如来の説法なのであるとするのであるから、私たちの耳に入る自分の声さえもが、真実のものとして仏の声として、私たちの身にも心にも反応し染み入っていくということであろうか。だとするならば、自己を否定するかの言葉を吐き続け自分の耳にも入れているということは、当然のことながら自己の身体も心も自ら痛めつけていることになるのであろう。
私たちは、言葉を発する時には何事も意識的に、プラスになることを、良いことを、自分自身も周りの人たちにも善くあるように言葉を発する必要がある。In Deepにも書かれているように、これからは「すみません」ではなく「ありがとう」、人を呼ぶ時には「お願いします」、謝る時には「ごめんなさい」と言うべきなのであろう。
これから毎日暑い日が続く。つい口から出る言葉は「暑い暑い」と、さらには不平不満の言葉が口から付いて出がちになるかもしれないが、夏なのだからあたりまえなのだと諦めて、少し風が吹いたら、いい風だと涼しさを味わい、日陰に涼を感じてすずしさを感じ、身体を休めつつ、おかしなコロナ騒ぎにも動ぜず暑い夏を乗り切りたいものだと思う。
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抜粋終わり
>すべての声(音)も言葉も法身大日如来の説法なのであるとするのであるから、私たちの耳に入る自分の声さえもが、真実のものとして仏の声として、私たちの身にも心にも反応し染み入っていくということであろうか。だとするならば、自己を否定するかの言葉を吐き続け自分の耳にも入れているということは、当然のことながら自己の身体も心も自ら痛めつけていることになるのであろう。
論語でも「まずは言葉を糺そう」て孔子が。
大事な話です。
そういう意味では、、、ヘイトを繰り返す・・差別発言を放置する国家・・・いじめを嘲弄する言説も横行。。。。
まあ、普通に、精神からぶっ壊れていっているのが、現在の日本。
追記
「すみません」て言葉は使うべきところもあるけど、口癖にするのは危ない。
自己卑下が過ぎるようになる。
でも「序列大事の弱肉強食天皇教」の日本では、意外と使いでが多い便利な言葉になってしまった・・・。
それだけ日本~天皇国が、人間を卑しむゆがんだ社会であると・・・言えるのだろう。