雑感。心に留めていること。
上記文抜粋
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蘇軾と王安石
蘇軾の散文や詩は柔軟でしなやかであり、芯が強いのが特徴である。一方で、同時代に活躍し政治的にも対立をしていた王安石の散文は、明快で硬質な文体であった。人生も文体の特徴も正反対な両者は交わることのない関係に思われるが、詩文を通じた交流が有った。要職を退いた後の王安石は蘇軾に対して以下の七言絶句を送っている。
北山
原文 書き下し文 通釈
北山輸緑漲横陂 北山緑を輸横陂漲る
北山は緑豊かに田んぼには水がみなぎっている
直塹回塘艶艶時 直塹、回塘、艶艶たる時
真っ直ぐな堀、丸い池が艶やかな季節
細數落花因坐久 細かに落花を數ふるは坐すること久しきに因る
落花をひとつひとつ数えたのも君と長くいたおかげである
緩尋芳草得歸遲 緩やかに芳草を尋ねて歸ること遅きを得たり
ともに遅くまで芳草を訪ねて歩いたものだ
蘇軾はこれに対して
次荊公韻(荊公の韻に次す)
原文 書き下し文 通釈
騎驢渺渺入荒陂 驢に騎って渺渺として荒陂に入る
ロバに乗ってはるばる旅を続けてきて荒涼とした池のつつみに入った
想見先生未病時 想見す先生の未だ病まざりし時を
ふと、君の病気前の元気なお姿が目に浮かんだ
勧我試求三畝宅 我に勧めて試みに三畝の宅を求めしむ
君はわたくしにこの地に三畝ほどの宅地を探してご覧になってはと勧めるが
従公已覚十年遅 公に従うこと已に十年遅きを覚ゆ
君に従って教えを受けるのがすでに十年遅すぎたとつくづく思う
と、答えている。
※「荊公」は王安石のこと。
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抜粋終わり
三国志 法正伝
より
>諸葛亮と法正とは好尚(趣好)は同じではなかったが、公義の上で補い合い、諸葛亮は事毎に法正の智術を奇とした。
蘇東坡・王安石 や 諸葛孔明・法正 のような交わりもあると認識して、そういう風にできるように倣いたいものです。
確か、論語で「どんな人間が言ったか、ので、その言葉の正しさを捨てたらいけないよね」
それも肝に銘じておこう。
乳酸菌は、外道の731部隊関連の発見だが、乳酸菌の有効性を捨てるのはアホ。
そんなこともあるので。
てな感じ。