「虚構」の神話が、壊れていく。吉祥吉祥。


より

上記文抜粋
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イスラエル人歴史研究者シュロモ―・サンドの「ユダヤ人の起源」要約的インタビュー (必読です)

川上泰徳 /中東ジャーナリスト 

 以前Xで紹介したことがあるイスラエル人歴史研究者で「ユダヤ人の起源」 (ちくま学芸文庫)の著者シュロモ―・サンド・テルアビブ大学教授に2010年6月にインタビューした内容を共有します。
 日本語で読んでも難解な歴史書ですから、最初から「インタビューに2時間ください」と時間をとってもらいました。そのためかなり詳しいインタビューになっています。インタビューの詳細は、当時、私が朝日新聞社のデジタルサイトで主宰していた「中東マガジン」に掲載されました。

 教授は歴史資料をいくら探しても、2000年前の「ユダヤ人の離散」を裏付けるものはないということから、ではシオニズムを掲げてパレスチナに帰還してきたユダヤ人は何者なのか、離散しなかったユダヤ人は、その後、どうなったのか、などの疑問を解きあかしていきます。

 「ユダヤ人の離散」がなければ、古代のユダヤ人はパレスチナに残り、ユダヤ教を維持した者たちもいれば、ローマ帝国の下でキリスト教徒になったり、さらにイスラム帝国の下でイスラム教徒になった者たちもいるということになります。イスラエルのガザ攻撃のさなかで、その時、サンド教授が言った「ハマスの活動家が古代のユダヤの民の子孫である確率は、私よりも大きいでしょう」という言葉を読むと、改めて軽い衝撃を受けます。

 サンド教授の研究は、ユダヤ人は2000年前にパレスチナを追われたユダヤ人の祖先で、アラブ人は後からきた征服者の末裔という二項対立を突き崩します。パレスチナ問題は「2000年前にさかのぼる宗教紛争」などという「神話」が日本でもまかり通り、紛争は解決不可能であるかのような印象を与えていますが、そのような神話の呪縛を解くことで、より現実的な解決に向けた理解が可能になるでしょう。
現在のようなガザ攻撃の中だからこそ、サンド教授の最後の言葉「(私たちは)誤ったアイデンティティーから脱却して、イスラエル国民として、アラブ人とともに国づくりをするような未来をつくらねばならない」という言葉に一抹の希望を感じます。
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 ――ユダヤ人の追放や離散については、誰もが事実として信じています。
 シュロモ―・サンド教授 しかし、ユダヤ人がパレスチナの地から追放されたことを伝えるユダヤの歴史書は一冊もないのです。これは奇妙なことです。英国人がユダヤ人の追放について書いた本が一冊ありました。それはローマでユダヤ教への改宗者が増えたために、ユダヤの地に追放されたことを書いた本でした。私はユダヤの古代史を専攻している研究者のところに行き、「これはどうしたことか。ユダヤ人の追放がなかったと知らないのは私だけなのか」と聞いたのです。すると、彼は「我々は追放があったとは書いていない。破壊に伴う移民や災難のことだ」というのです。じゃあ、ユダヤの地に難民キャンプがあったのか、大量の移民がどこに行ったかは分かっているのか、と私は聞いたのです。大量の移民があったという証拠もないのです。

 ――ユダヤ人の追放がなかったと知ったのはいつごろですか。
 サンド教授 12年前に、そのようことを初めて聞きました。しかし、7年前でも、私はユダヤ人の追放を信じていました。私は若いころ、マツペンという左派グループに属していましたが、聖書の歴史的な記述に疑問を抱いたことはありませんでした。私はユダヤ人が2000年前にパレスチナの地を追われ、ずっといなかった人々が、いきなり戻ってきて、ここに1300年以上住んでいる人々よりも多くの権利があると主張するのは、愚かなことだと思っていたのです。私が左派で反シオニズムであったときにも、私はユダヤ人が2000年前にこの地を追放されたと信じていたのです。私がこの本を書いたのは、追放そのものがなかったということを知って、衝撃を受けたからです。

 ――ユダヤ人が追放されなかったということは、彼らは土地に残ったということですね。
 サンド教授 追放がなかったということから、2つの問いが生まれます。1つは、パレスチナにいる人々は何者かという問題と、世界中に存在するユダヤ人は何者かという問題です。追放については、シオニズム系の歴史家から、1世紀のローマ帝国による追放はなかったが、追放が起こったのは7世紀のイスラムの征服のときだという理論が出てきました。しかし、それはより愚かな理論です。アラブ人が現地にいた人々を追い出したというのです。しかし、しかし、アラブ人がユダヤ人を追放したことを示す記録も証拠も全くありません。
 7世紀にアラブ人がこの地にやってきたとき、彼らは小規模の軍隊でした。現地の人々はキリスト教徒かユダヤ教徒です。アラブ人はここにやってきて砂漠から新たな預言者が現れたといいました。ムハンマドはそれまで現れたモーゼのように預言者です。彼らは聖書を受け入れていました。ユダヤ教徒にとって、イエスを神の子とするキリスト教徒を受け入れるよりも、ムスリムになることのほうが宗教的には抵抗は少なかったはずです。ユダヤ教の農民たちはイスラム教徒になるという改宗の自覚もなく、アラブ人の宗教を受け入れることで、自分たちの宗教の継続性を得たのです。
 さらにもう1つ重要なのは、アラブ人の宗教を受け入れれば、人頭税を払わなくてもすんだことです。多くのユダヤ教の農民がイスラム教徒になったことでしょう。ユダヤの地にいた人々の多くは農民でした。農民は簡単には土地から離れません。

 ――パレスチナ人は古代のユダヤ人の子孫だということですか。
 サンド教授 アラブ人も様々に混血していますから、ここにいるアラブ人がそのまま古代のユダヤの民の子孫だとは言えません。しかし、ヨルダン川西岸にいるハマスの活動家が古代のユダヤの民の子孫である確率は、私よりも大きいでしょう。誰も、アラブ人と古代のユダヤ人の関係について研究していません。そして、私は、パレスチナ人が本当のユダヤ人だと言ってとして非難されています。しかし、最初にそういったのは私ではありません。ベングリオンなのです。

 ――ベングリオンは1948年にイスラエルが独立したときの初代首相ですね。
 サンド ベングリオンは初期の入植者としてパレスチナに来たシオニストの指導者ですが、彼が若いころに書いた文章を見つけました。彼はパレスチナにいるほとんどのアラブ人は古代のユダヤの民の子孫だと信じていたのです。ベングリオンが友人のイツハク・ベンツビとともに執筆した本の中で、「彼ら『農民』の起源は、紀元7世紀にエレツ・イスラエルとシリアを従えたアラブ人にあるのではない。征服者は、そこで出会った農耕者である住民を排除しなかった」と書いているのです。

 ――ベングリオンがそのように書いていたことはイスラエルでは知られていたことではなかったのですか。
 サンド教授 ベングリオンがそのように書いたのは1918年ごろで、イスラエルをユダヤ人の国と規定した建国宣言から30年も前に書かれたものです。私は20年以上も前に、初期のシオニズムの思想家が昔、同じようなことを書いていたことを読んでいます。その時は深く考えなかったのです。しかし、今回、ユダヤ人の追放・離散がなかった、ということに衝撃を受けて、調べていくうちに、いろいろなことが分かってきて、つじつまがあってきたのです。そして、ベングリオンが若いころに書いた本を図書館で見つけて、思わず「私は正しかった」と言いました。そのころは、出てくる材料が同じ方向に向かっているのを感じて興奮していました。最初、確信はありませんでしたが、だんだんつじつまがあってきたのです。そして、「私が書いているのは、陰謀論などではない」と確信できたのです。
 ベングリオンや初期のシオニズムの指導者たちは、ユダヤ人の離散が起こらなかったことを知っていたのです。パレスチナにいるアラブ人は血を同じくするものたちだから一緒になって国をつくることができると考えていたのです。しかし、29年にヘブロンでアラブ人の暴動があり、ユダヤ教徒が虐殺されました。そして、36年にアラブ人の大反乱を経て、ベングリオンは47年に建国宣言の起草に参加した時、ユダヤ人はこの地から追放されたと書くのです。ユダヤ人の追放と離散が、ユダヤ人が国をつくる理由を説明し、正当性を与えたからです。アラブ人とともに国をつくるという考え方は放棄されたのです。

 ――ベングリオンは考えを変えたのですか?
 サンド教授 ベングリオンはパレスチナ人との抗争の結果、同じ血を受け継いでいるものだからアイデンティティを共有できるという考え方は放棄しました。彼が考えを変えたのは30年代だろ思います。彼にとって、西側のキリスト教世界がユダヤ人の追放と離散があったと信じていることは重要だったでしょうし、彼自身もそのように信じるようになったのではないか、と思います。その後、誰もがユダヤ人の追放と離散を事実として語り、若い左派の人間だった私でさえも、そのことを何も疑わなかったのです。

 ――東欧にユダヤ人が数多くいる理由として、ハザール王国の末裔だと書いていますね。
 サンド教授 ユダヤ人の追放と離散がなかったとすれば、世界にいるユダヤ人はどこからきたのかという問題がでてきます。その理由を調べるうちに、かつてユダヤ教は積極的に布教する宗教だということを知ったのです。そうなると、追放ではなく、改宗によって世界にユダヤ教徒が増えたことになります。その例が黒海とカスピ海の間にあったハザール王国です。この国は8世紀から9世紀にかけてユダヤ教の布教を受けて、ユダヤ教を国の宗教としました。13世紀にモンゴルによって滅ぼされますが、ロシアや東欧に大勢のユダヤ人がいることは、改宗ユダヤ教徒ハザールの子孫と考えることが自然です。
 ハザールは王国で、その下には多くの部族がいました。トルコ系もいましたし、スラブ系もいました。東欧から来た私は、トルコ系かもしれないのです。
 私は20年ほど前に、アーサー・ケストラーが書いたハザール王国についての本を読みましたが、その時は大して関心を持ちませんでした。それが本当だとは信じられなかったからです。しかし、この本を書くうちに、ハザールだけがユダヤ教を採用した王国ではないことが分かったのです。南アラビアのヒムルヤ王国など、いくつものユダヤ教王国がありました。

 ――ユダヤ教が積極的に布教したことはほとんど知られていませんね。
 サンド教授 私もユダヤ教は布教しない閉鎖的な宗教だと思っていました。しかし、キリスト教が広がる前に、ユダヤ教は盛んに布教していたのです。ユダヤ教が布教をやめたのは、ローマ帝国がキリスト教を採用した後、キリスト教の支配の下で強いられたことでした。イスラムも同じでした。キリスト教もイスラムも、ユダヤ教が生き延びるために1つの条件をつけました。それは小さな宗派として存続し、決して異教徒の改宗を求めないという条件です。ユダヤ教は生き延びるための布教をやめ、閉鎖的になったのです。
 ユダヤ教が盛んに布教していたころ、それを担ったのは、兵士であったり、戦争捕虜であったり、移民であったりします。ローマ人がユダヤ教徒を奴隷にすると、連れていかれた先で、奴隷が宣教師となって、現地の人々をユダヤ教に改宗させたのです。私は本の中で、地中海周辺で多くの改宗があったことを書きました。私が証拠を見つけることができなかったものも多く、実際にはもっと多かったでしょう。この問題では、私を誰も助けてくれる人間を大学でも見つけることができませんでした。だから、一人で事例を探したのです。キリスト教やイスラムに布教しないことを強いられた後も、一神教ではない異教の世界では、ユダヤ教は布教を続けました。その最後の例が、ハザール王国ということになります。

 ――この本では、歴史学だけでなく、聖書学、考古学まで幅広い領域を含んでいますね。執筆には、どれほど時間がかかりましたか。
 サンド教授 1年半ほどです。毎日大学で教えて、毎日、図書館から30冊ほどの本を抱えて帰って、書き続けたのです。私は夜も昼もこもって、とれも速やかに仕事は進みました。私の考えは広がっていき、次に書くことはどのような展開になるのかさえ想像できないほどでした。最初は聖書は歴史ではない、ということを書いて、一冊の本をつくろうと思ったのです。しかし、調べるほどに背中を押されるようにテーマは広がり、深まって行きました。

 ――イスラエルで19週連続でベストセラーになったそうですね。反応はどうでしたか。
 サンド教授 多くの人が私の本を読むとは予想していませんでした。私はイスラエルで本が読まれたことはうれしい。テレビやラジオに番組に次々と招かれ、新聞や雑誌でも好意的に取り上げられました。多くの手紙をもらいました。よい手紙も、悪い手紙もあります。反発も強く、死を宣告するような手紙もあります。「ナチ」とか「反ユダヤ主義者」「国の敵」など様々に攻撃する電話もかかってきます。外国で行われた講演で、講演の後、近づいてきて私に殴りかかろうとしユダヤ人の女性もいました。しかし、反応は激励の方が多いのです。
 この本はユダヤ系イスラエル人にとって、これまで教えられた多くの悪いことの反対のことを書いているのです。あるイスラエルの作家は「あなたの本を読んで、自分の両親が実の両親ではなかったかのように感じました」と率直な感想を書いてよこしました。本に対する反響は、それだけで一冊の本ができるほど興味深いものです。
 一方でシオニストの歴史家たちの反応は最悪です。私に話しかけなくなったどころか、私の目をみることすらできないような調子です。
 私が左派だったころ、何を言っても誰かを困らせることはありませんでした。私が占領反対を唱えても、パレスチナ国家の樹立を支持すると言っても、反応はありませんでした。ところが、この本を書いたとたん強い反発を受けました。この本は関わる歴史的な問題を通して、ユダヤ系イスラエル人のアイデンティティーに挑戦しているからです。

 ――イスラエルのユダヤ人にとっては衝撃的だったでしょうね。
 サンド教授 一週間ほど前のことですが、私はある夕食の会で、ある女性に私の本について話をしました。彼女は困惑した表情で、「私は古代のユダヤ人とつながりがないのですか」と聞いてきました。私は「どういう意味でのつながりですか、文化的というならありますよ。あなたはユダヤ教の伝統をもっているのですから。宗教はとても重要です。ユダヤ教は、イスラムを含めて、西洋文明の基礎になったのです」と答えました。
 彼女は「祖父は宗教的でしたが、私は宗教的ではありません。私がいうのは生物学的なつながりです。もし、それがないとすれば、どうやっと私は自分がここにいることを正当化できるのでしょうか」と聞くのです。彼女はとても正直でした。私は彼女に言いました。「シオニズムはユダヤ教徒のための近代国家をつくろうとしました。しかし、宗教というだけでは領土や国を所有する権利はありません。しかし、民族ならばあります。だから民族としてのユダヤ人をつくったのです。それがシオニズムの秘密です」と説明しました。

 ――外国での反応はどうですか。
 サンド教授 私はパリ、ロンドン、モントリオール、ベルリンなど様々な場所で講演会や会議に出席します。ユダヤ人の反応は反発と歓迎に分かれています。しかし、多くの高齢のユダヤ人は、私に感謝を示します。彼らにとっては新しいことではなく、それは長い間隠されていたのです。私が何か新しいことを発見したわけではありません。すでにある材料を集めて、秩序立てて考えたのです。
 米国のユダヤ人の精神分析医からとてもよい手紙をいただきました。「この本にとても感謝しています。私の85歳の誕生日に、この本はとてもよい贈り物でした。本当にありがとう。もし、私の患者たちがこの本を読めば、精神的な問題はずっと少なくなると思います」と書いていたのです。つまり、彼は自分はユダヤ人だが、他のみんなと同じように普通の人間なのだということをこの本を読んで感じたのです。

 ――ユダヤ人が普通の人間だというのは、どういうことですか。
 サンド教授 シオニストは自分たちは古代のユダヤの民の子孫という特殊性を持ち、だからこそ、ここにいることができると説明しているのです。私は、歴史の分析を通じて、ユダヤ人は古代のユダヤの民の子孫ではなし、ユダヤの地を終われて世界に離散した民でもないと主張しているのです。
 シオニストは私を反ユダヤ主義者だと非難します。しかし、私はユダヤ人は中東から追われてやってきたよそ者ではないということを証明しようとしているのです。
 フランスでも、ウクライナでも、ユダヤ人とよばれている人々はキリスト教が広がる前に、ユダヤ教が布教をしていたころに改宗した現地の人々であり、北アフリカではキリスト教やイスラム教が来る前に、アラブ人が来る前に、ユダヤ教の布教を受けてユダヤ教に改宗した人々なのです。ユダヤ人はロシア正教が広がる前にユダヤ教に改宗した人々ですといえば、みんなショックを受けるのです。
 私はユダヤ人は特別な民族ではないというのは、ユダヤ人と呼ばれているのは現地にもともといた人々で、ユダヤ教に改宗した人々の子孫だということです。

 ――それはユダヤ人の多くの人々には受け入れられないことでしょうね。
 サンド教授 私は、イスラエルでの多くの正当性の根拠、特に歴史的な正当性の根拠を覆したので、私は多くの友人を失いました。特に大学ではひどい状況です。人々にとっては、私が書いていることを受け入れるのは困難なのです。ある者は私に話しかけようともしなくなりました。彼らはユダヤ人であることは何か特別のことだったのです。私はそれを崩してしまったのですから。彼らは3000年前に聖書を書いた人々と生物学的につながっているということが重要で、そうではないという事実を受け入れることができないのです。
 多くのユダヤ系イスラエル人にとって、それを受け入れるのは難しいでしょう。彼らは自分たちがここにいることを過去によって正当化しているからです。イスラエルでは聖書を歴史として教えるのです。私は6歳から18歳まで学校で毎週、聖書の授業があります。宗教書としてではなく、歴史書として学びました。試験があるのです。決して宗教学校ではなく、普通の世俗的な学校での話です。私の本は、聖書を自分たちの歴史とするのは事実ではなく、あなたたちは決して古代のユダヤ人の子孫ではないと書いているのです。
 若い世代は受け入れることができます。彼らは自分たちの存在は、事実であって、歴史に正当性を求めようとはしないからです。若い世代は歴史的な正当化には関心がない世代です。彼らは言うのでは「ユダヤ人がここに来たのが間違いであっても、私たちはここにいる」というでしょう。彼らはここで生まれました。彼らの両親もここで生まれました。私がポスト・シオニズムというのも、ユダヤ人の存在が政治的な現実になっているからです。シオニストの夢想を打ち砕けば物事が済むわけではありません。すでに2世代がここにいるのです。彼らはここにいる権利があります。歴史的な事実が間違いであっても、歴史を戻ることはできません。歴史を正していくことはできます。
 ユダヤ系イスラエル人はアイデンティティーの危機に直面しているのです。私は若いころ左派でしたから、自分のアイデンティティーが否定されても、より容易に受け入れることができます。しかし、多くの人々にとっては困難ですが、それはイスラエルの未来と関わるのです。もし、ユダヤ系イスラエル人が中東で未来を望むならば、自分たちには古代のユダヤの民の子孫だという誤ったアイデンティティーから脱却して、イスラエル国民として、アラブ人とともに国づくりをするような未来をつくらねばならないのです。

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抜粋終わり

武田康弘先生は、穏健なリベラルなので、その人が「シオニズムは、法螺だった。白人系ユダヤ人とかいう、詐欺」という趣旨のことを書かれたのは、結構衝撃。

左派・リベラルのよって立つところの一つが「なんか間違っている」ってなりかねない。

これは、右翼・保守の中での「日油同祖論」も、当然「狂ったカルト」ってなり、「天皇」という虚構の威光も、陰る可能性もある。

ていうか、日本を再度植民地化して「天皇」を外国に完全に「解析・暴露」したら、別段「天皇」と「その信者」のような「改竄偽造」をしなくても、消滅するだろうね。

「ユダヤ人がここに来たのが間違いであっても、私たちはここにいる」というでしょう。彼らはここで生まれました。彼らの両親もここで生まれました。私がポスト・シオニズムというのも、ユダヤ人の存在が政治的な現実になっているからです。シオニストの夢想を打ち砕けば物事が済むわけではありません。すでに2世代がここにいるのです。彼らはここにいる権利があります。歴史的な事実が間違いであっても、歴史を戻ることはできません。歴史を正していくことはできます。

もし、ユダヤ系イスラエル人が中東で未来を望むならば、自分たちには古代のユダヤの民の子孫だという誤ったアイデンティティーから脱却して、イスラエル国民として、アラブ人とともに国づくりをするような未来をつくらねばならないのです。

「自分たちが、ユダヤ人の子孫」でなく「アラブ人と同様に、自分たちもユダヤ人の子孫」てなれば、共存は可能であろう。

でもそれをしない・できないのが「シオニズム」~裏側のカトリック・バチカン教の思想~と思う。

虚構と非道で出来た物語は壊れていく。

シオニズム~白人ユダヤ人も、天皇とその信者も・・・

まあ「リベラル」~今ではほぼ似非~も、「フェミニズム」~当初から危険性あり、今では強者女性が、弱者男性・弱者女性を搾取するための詐欺~も、早晩壊れていくでしょうね。

まあその前に「天皇」とかいう詐欺・極悪非道が、終わるでしょう。

天皇を撲滅して  日本人を守る

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みの富む社会になりますように。

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