見捨てているのは、天皇リベラルと外資・・。


より

上記文抜粋
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兵庫県知事選挙で斎藤元彦元知事が再選を果たした裏で、立花孝志の「陰謀論」に人々が巧妙に絡めとられていった経緯とその違法性 / パソナに代表される新自由主義陣営による「新しい既得権益」と従来の「既得権益」の戦いであった兵庫県知事選


竹下雅敏氏からの情報です。

 2024年11月17日の兵庫県知事選挙は斎藤元彦元知事が再選されましたが、異様な選挙でした。
 NHKから国民を守る党の党首、カピバラ孝志の「陰謀論」に多くの人が惑わされ、斎藤元彦元知事に票を入れてしまいました。 
 この陰謀論がどのようなものかは、冒頭の動画の解説が良くまとまっています。そして、『兵庫県知事選でおきたこと』という記事には、この陰謀論に人々が巧妙に絡めとられていった経緯が見事に記されています。
 現実問題として、斎藤元彦氏の知事選挙を請け負った「株式会社merchu」の代表取締役、折田楓氏の記事の魚拓が取られており、“金銭が動いていれば、買収や事前運動など多くの公選法違反に該当してくる”と考えられています。
 この件について郷原信郎氏は、“折田氏が、軽率にも、SNSを活用したネット選挙運動での活躍を自慢するブログを書いてしまったことが、せっかく大逆転勝利を収めた斎藤氏を再び奈落の底に落とすことになっている。…斎藤知事が公選法違反で処罰され公民権停止となって失職する可能性は相当程度高いと言わざるを得ない。”としています。
 また、カピバラ孝志候補者は「斉藤元彦候補者の選挙スタッフと話をし、状況を確認しながら選挙運動を行っていたと公言」しているのですが、立憲民主党の小西洋之参議院議員によれば、“一般論として候補者Bが候補者Aの当選のために街宣車、拡声器、選挙ビラ、政見放送などを使用することは数量制限等に違反し公選法の犯罪となる。当選者AがBと共犯関係にあればAは失職し公民権停止となる。”ことを総務省に確認したとのこと。要は、不正な方法を駆使して選挙に勝利した可能性が極めて高いわけです。
 “続きはこちらから”の動画は、全体像を理解する上で必須のものです。今回の選挙は、パソナに代表される新自由主義陣営による「新しい既得権益」と従来の「既得権益」の戦いであったわけで、古い体質の大手メディア側は敗北し、パソナ側が勝利したというだけのことです。
 動画の5分30秒のところで、「兵庫県知事選挙において斎藤くん陣営には西村康稔と明石倫理法人会会長・朝比奈秀典がバックにガッツリ付いています。」というコメントを紹介しています。このコメントの内容は正しいと思います。
 16分16秒のところで、2021年7月18日の兵庫県知事選挙について書かれた『「維新流」「パソナ流」が侵食する関西と厚労行政』を紹介しています。
 記事の要点を記すと、“パソナグループが本社機能を移転する候補地として白羽の矢が立ったのが、西村康稔氏の選挙区でもある淡路島だ。昨年秋、コロナ禍の深刻化のなかで、20年もの長期に渡り兵庫県知事として君臨してきた井戸敏三氏の評判は地に落ちていた。2020年10月には、2000万円以上するトヨタの高級車「センチュリー」に切り替えたことが発覚。切り替えたのは1年以上も前のことであったが、ある日突然、一部のマスコミが火をつけ、瞬く間に、近年類を見ないほどの大バッシングを招いた。井戸知事は、この大炎上を受けて今季限りの引退を表明。2020年11月、自民党の二階俊博幹事長、西村氏、南部靖之・パソナグループ社長が永田町の一室に集い、カジノを含む統合型リゾート(IR)に猛反対していた井戸知事の後継を排除し、知事候補として、総務省事務次官の黒田武一郎を内定。一方で総務省から大阪府に出向し、財政課長を務めていた斎藤元彦氏が、県知事選に出馬意向で松井一郎維新新代表や吉村洋文・大阪府知事に相談していたことが明らかになり、保守分裂を危惧した黒田氏が立候補を辞退した。”とあります。
 カジノを含む統合型リゾート(IR)に猛反対していた井戸知事の「既得権益」側がパソナグループに代表される「新しい既得権益」側に、2021年の兵庫県知事選挙に続いて、またも敗れたということなのです。

(竹下雅敏)

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抜粋終わり

やはり「悪党同士のつぶしあい」だったのが、兵庫県知事選挙の一面だった。

あと

上記文抜粋
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東京都知事選から今回の兵庫県知事選挙までの一連の選挙結果は、私は現実と向き合わないリベラルの敗北と総括すべきかなと思っています。

結果が出るたびに、憂いては見せるものの、現実を見ようとしない彼らの言動は、若い世代を中心に全く共感を得ていないということかなと理解しています。

それは、50歳代をボトムラインとするそれよりも上の世代のリベラル、とりわけエリート・リベラルということになりそうです。

↑で書いた、いまや50歳代近辺に上がった境界線の下の世代にリベラルの言説は影響を持てていない。

なぜ50歳代より上のエリート・リベラルの言説はその下の世代に響かないのか。

それは、下の世代が感じている厭世観を理解していないからではと思っています。

その下の世代の先頭に立つのは、「就職氷河期世代」です。
ここから下の世代は、マスの観点では経済の面で「何らいいことがなかった世代」。

上の世代が生きた時代では、生まれた年代によってあてはまる、あてはまらない、はあるものの、

普通に就職でき、給料も順調に上がり、終身雇用が守られ、非正規雇用もなく、消費税もなく、重い社会保障負担もなく、高金利で貯金も増えた。
世代によっては、バブル経済の恩恵も受けた。
24時間働けますか?という価値観で馬車馬のようにこき使われる経験もした世代ですが、それのリターンもちゃんとあった。

そんな世界は、下の世代には夢物語でしかない。

今は、働かされるだけ働かされて、それに見合う給料もなく、それどころか、収入に見合わない「税と社会保障の一体高負担」を押し付けられている。

こんな社会で、希望を見出すことができるかと言えば、そうではないという理解が当然だと思います。

本来は、リベラルの人たちがこれらを理解すべきはずですが、上の世代のエリート・リベラルはわかろうともしない。

それどころか、
・石丸に投票するなんてありえない。
・103万の壁程度の話が争点なんて、民主主義の危機を理解していない。
・面白可笑しく選挙に行く連中なんてありえない。

とか言っているわけですから、若い世代の共感など得られるはずもない。

自分たちの力のなさを棚に上げて、下の世代の選挙行動に刃を向けるのですから、彼らがエリート・リベラルに絶望するのは当然ではないかと思います。

今の若者が感じている厭世観は、結果として民主主義の破壊に何ら抵抗を感じなくなっている。

それは、若い世代は、加速主義を牽引しているとも言えるのでしょう。

それがエリート・リベラルにとって、眉をひそめる結果となれば、彼らの地団駄を踏む姿が痛快に見えてしまう。

だったら、どんどんやってやれ

という雰囲気を醸成しているのではと思っています。

今の日本のリベラルは、弱者にすら寄り添っていない。彼らが大事にしているのは、若いころに大事だとされた教養本に書いていあった「正しいとされるもの」ものではと思っています。

そのことが破壊されると自分たちの立ち位置の基盤が崩れる恐怖感あるのでしょう。

こんな程度の現実で立ち位置が揺らぐと考えているようであれば、その思考基盤はそもそも脆弱であったと気づくべきしょうが彼らはそうは考えない。

自分の思考が血と肉となっていないから、こんな現実ですらグラグラする。
自分たちの教条主義への自己批判は求められてしかるべきだと思っています。

エリート・リベラルが憂うべきは、今の現実ではなく、現実に何ら影響を持てない自身の思考であることに気づくべきではと思います。

それは、若い世代の苦悩を理解していないことを出発点にしている。

なぜ彼らは、若い世代の苦悩を理解しないのか。

それは、エリート・リベラルも通俗道徳に侵食されているからだと思っています。

それは、就職氷河期世代が、今もなお苦しんでいることへあまりに冷淡な態度をとることがそれをよく示していると思います。

さらに言語化できているかどうかは知りませんが、「若者は努力が足りない」と思っているのでしょう。教養が不足しているのは、努力が足りないと本気で思っている。

上の世代のエリート・リベラルは、麻雀三昧の片手間であっても教養と向き合う時間があった。
しかし、今の大学生は違います。奨学金という「サラ金」に拘束されている。だからアルバイトをせざるを得ないのがデフォルト。

さらに役に立つのかわからない教養に時間を割くことはできず、「現世利益」のある資格であったり、語学であったり、企業でのインターン活動に時間を取られている。それがやりたいことなのかすら考える暇もなく、そうするものという現実を生きている。

そこまで資本の力は若者の「時間という資産」を食い荒らすほど侵食しているという理解はあるのでしょうか。

その現実を見ずして、若者を責めるのであれば、話を聞いてもらえると思う方がどうかしていると思っています。

下の世代は、「どうせ、お前たちは逃げ切れるとおもってるんだろう?」という先入観でしか見られてないことをよく考えるべきしょう。

若者は、今の現実にウンザリしている。だから彼らは、異世界ものと呼ばれるジャンルのエンタメを好む。この世のどこに希望があるのか。
希望があるのは、ここじゃない、「異世界しかない」という厭世観。

こんな地獄を作ったのは、大人です。

その責任感もなく、上から目線で何を言ってるのかと自省すべきではと思います。反省する姿勢がないのであれば、この国の破壊はどんどん進むでしょう。

若者は、この国の未来に希望を持っていません。かろうじてあるのは、自分の未来への自己防衛だけ。

あの人物が選挙をセンキョという祭りに変えたという視点が正しいとするならば、この兵庫県知事選挙でおきたムーブメントは、ウンザリな日常の一服の清涼剤として、若者のせめてものカウンターだったのではと私の目には見えています。

変わるべきは若者ではなく、大人ではないでしょうか。それは、当然私も含まれます。その自覚を改めて持つべきだと思っています。

世の中がおかしくなってきているのではなく、とうの昔にすでにおかしくなっている。その環境から生じている現象が今、社会で起きていることだと思います。
兵庫県知事選挙などその氷山の一角ではと思っています。

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抜粋終わり



ようするに「リベラルエリート」が「リベラルオルガリヒ」に代わっているのだ。

ならその「オルガリヒ」に過ぎない「リベラルエリート」を粛清するのは民主主義の正義になるのである。

天皇と「無能になったエリート」を根絶するのは、日本人を守るのは、正義で道理でしょうな。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように

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