ゆえに宴席で戦争を防ぐことが偉大な事なのだ。


上記文抜粋
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韓国人がひとでなしの理由。

■左翼学者は日本がずっとキチガイの国だったと言う。戦前からずっと問題は解決されていないと言うのだ。これは完全に誤りだ。明らかに自分の研究による問題を指摘したいがために盛っている。

ネトウヨに聞けば良い。彼らは、日本は善良で平和を愛する博愛主義者だから、日本人を侮蔑するなとのたまう。

戦後日本は高度成長の陰で、「世界で最も成功した社会主義」と揶揄されるような政治を、大蔵省を中心とした中央官庁を頭脳とした官僚制の元、自由かつ平等に運営を成功させていた。

ところが2000年代に入って崩れ停滞が続き、更にこの10年アベ・ムーニー政権により、日本は戦後日本民主主義から、韓国人の親日帝の残滓達に取り戻されてしまった。

今年はすっかり加害の色が褪せた終戦記念日になってしまった。我々が被害を口にできるのは、加害者としての反省の前提に立った後のみだった筈だ。

韓国人が日本人と同じような顔形でありながら絶対的に我々と相容れないひとでなしの理由は『兵役』を経験しているから、それだけだ。ひとでなしが多い理由は人種や国籍に依拠しないし歴史にも無関係だ。単純に戦争という人を殺す死生観が頭にねじ込まれているかという、現在の人間教育の問題なのだ。敵と見做すととことん追い詰める。手段を選ばずに目的を遂行する。対照的に戦後日本人は結果よりプロセスを重視したが今やそれは失われた。

戦争が人を狂わせる。ウクライナは無罪では無い。小さな国内紛争を非武力で解決できなかった。ゼレンスキーが国民に戦えと言った時点ですでにロシアとの泥沼転落は決定したのだ。さらに言えば事前、道徳教育の中に統一教会の教義の侵入を許してしまっていた。

「守る」為に「武装」するという精神が人を堕落させる。

非武装により強い精神力を身につける。これがアジア地域古来の武人の思想に受け継がれていたはずだ。

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抜粋終わり

韓国人がひとでなしの理由。

断定はできないけど、

ひとでなしの理由は『兵役』を経験しているから、それだけだ。ひとでなしが多い理由は人種や国籍に依拠しないし歴史にも無関係だ。単純に戦争という人を殺す死生観が頭にねじ込まれているかという、現在の人間教育の問題なのだ。敵と見做すととことん追い詰める。手段を選ばずに目的を遂行する。

そりゃそうだ。

基本的には、「殺し方」を教えるのでなく、「軍隊の集団行動ができるように」するのだよね。

その兵舎の中では、まあ学校よろしく「いじめ」が多発して、人間が酷薄になりやすい。

戦前・戦中はもちろん、戦後しばらく日本が物騒だったのは、「天皇カルト」の軍隊の末期で、エゲツナイ環境で、戦後に軍隊から帰ってきた多くの人が精神をなんか病んでいた。
それを父にして育った子供が虐待を受けて精神を病んだり、犯罪者になってしまった人が多くいたのだ。


戦争は、やはり発狂の沙汰なのである。

なので、宴席で戦争を防ぐのがすごいって話になる。


晋、斉を攻めんと欲し、人をして往きて鑑しむ、晏子礼を以て侍してその謀を折く【第十六】
晋の平公は斉を討とうとして、范昭を斉に行かせて国情を探らせた。景公は彼にさかずきを与え、酒を飲むことたけなわになった。范昭は立って「君の倅罇(酒がめ)をいただきたい」と言った。公は「寡人の罇から酒をくんで、客人に進めよ」 と言い、范昭はその酒を飲んだ。晏子は「罇を撤去して更えよ」と言った。

別の罇と觶が用意された。
范昭は酔ったふりをして悦ばず、立って舞った。

太師(楽官の長)に「わたしのために成周の楽を演奏してくれ。わたしはあなたのために舞おう」と言った。しかし太師は 「わたくしめにはできません」と言った。
范昭はついに退出した。

景公は晏子に
「晋は大国である。使いの者が来てわが国情を見ようとした。いまあなたは大国の使者を怒らせた。どうしようか」
と言った。

晏子は
「范昭の人となりは実直で礼を知らないことはありません。これはわが君臣を試したのです。そのためこれと決裂したのです」
と言った。

公は太師に
「あなたはどうして客のために成周の楽を演奏しなかったのか」
と言った。太師は答えて
「成周の楽は天子の楽です。これを演奏すれば、必ず人主が舞います。いま范昭は人臣であって、 天子の楽を舞おうとしました。そのため臣は演奏しなかったのです」
と言った。

范昭は帰国し、平公に報告して
「斉はまだ討つべきではありません。臣はその君を試してみました。すると晏子がこれを正しました。臣はその楽人をだまそうとしました。 すると太師は礼を知っていました」
と言った。

そのため斉を討つくわだてをとりやめた。
孔子はこれを聞いて
「善いかな。宴席の場から出ることなくして、千里の外に敵の気勢をくじくとは、晏子のことを言っているのだ。 太師もその功にあずかっている」
と言った。


結構有名な話。

諸葛亮兵書で、


守屋洋訳 諸葛孔明の兵法 {徳間書店} より

{後応}
用兵の巧拙

一口に用兵といっても、その巧拙に応じて、次の三段階に分けることができる。
1・最善の用兵 困難を未然に防ぎ、事態を大事にいたらぬうちに解決する。先を読んで手を打ち、刑罰の規定はあっても、それを実際に適用する必要がないようにとりはこぶ。このような用兵こそ最善である。
2・中程度の用兵 敵と相対して布陣し、軍馬を走らせ、強弩を射かけ、じりじりと敵軍に肉薄する。この段階で、敵は味方の勢いに恐れをなして、にわかに浮き足立つ。これは中程度の用兵である。
3・最低の用兵 将帥がみずから陣頭にたって敵の矢をあび、目先の勝ち負けに血まなこになる。敵味方とも多数の死傷者を出しながら、勝敗の帰趨は定かでない。これは最低の用兵である。

>1・最善の用兵 困難を未然に防ぎ、事態を大事にいたらぬうちに解決する。先を読んで手を打ち、刑罰の規定はあっても、それを実際に適用する必要がないようにとりはこぶ。このような用兵こそ最善である。

これが最善なのは、戦争による国家・社会の疲弊や、戦争突入による物資・人員の損耗とを謀ると、それは巨大になる。

それを見ると、当然そうなるのだ。

結局、社会の持久力・人々の信頼と生活力がなければ、戦争などできないのだから。


本当に

非武装により強い精神力を身につける。これがアジア地域古来の武人の思想に受け継がれていたはずだ。

てのは、正しいのだよね。もっというと、武器を持つ前にその事業が肝心なのですは。。。


お読みくださりありがとうございます。

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