日本の衰亡するを見ていると、なんか例はあるよね。


より

上記文抜粋
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袁紹を敗北に導いたものは何か

公孫瓚を破り河北の雄となった袁紹は、官渡で曹操と雌雄を決することになったが、食糧庫への奇襲によって敗北に至った。

この戦いにおいて、袁紹を敗北へと導いたのは何だったのであろうか。

それを検討してくこととする。

目次
敗北の主たる原因

敗北の組織的要因

参考史料

敗北の直接原因

官渡の戦いにおける敗北が烏巣の陥落に起因していることは、三国志武帝紀、袁紹伝などからも分かる。

烏巣は、袁紹が北からの物資を迎えさせるため、淳于瓊ら五人の将、総勢一万の兵によって守らせた場所である。

この烏巣に物資が集積されていることを、袁紹軍から降ってきた許攸が伝え、それに基づいて曹操が奇襲し、それを成功させたのである。

では、烏巣は何故陥落したのだろうか。

いくつかの要素があるが、直接的な原因は、曹操を前にした淳于瓊の判断であろう。

武帝紀によれば、淳于瓊は迫りくる曹操の軍勢が少数であることを確認すると、自ら兵を率いて陣門の外に布陣してこれを迎え撃っている。そして、その戦いで不利となって陣内に退いたのであるが、攻撃する曹操軍も眼前にいたため、彼らを烏巣陣内に迎え入れる結果となってしまっているのである。

曹操の側近が進言したように、烏巣陣内の戦いに曹操が勝利する以前に、袁紹軍の騎兵がすぐ近くまで迫っていた。

もし淳于瓊が烏巣の陣地を固めて外に出なければ、曹操が烏巣を陥落させる前に袁紹軍の騎兵が救援に現れたのは間違いないだろう。

淳于瓊の目的は烏巣を守ることであって、曹操を破ることではない。そこを勘違いした淳于瓊の軽率な行動が、烏巣の陥落を招いたと言っても過言ではないだろう。

敗北の組織的要因

淳于瓊が烏巣の死守よりも曹操の撃破を優先したことが袁紹に敗北をもたらしたが、その背景となった組織的要因は何であろうか。

袁紹の敗北に繋がった淳于瓊の行動は、期待されている役割よりも大きな成果を得ようとして欲張ったことによって引き起こされている。

こうした判断を淳于瓊にさせたのは、個人的な功名心であろうか。恐らくそうではなく、袁紹軍という組織全体の風土がそうさせたと考えるべきであろう。

袁紹軍は、大きな功績を上げた人物であっても、袁紹に嫌われたり、失敗をしたりすれば、容易に失脚したり処刑されたりする環境であった。

その最たる例が麴義である。

彼は袁紹が冀州牧を得る際に助力し、界橋の戦い以来、対公孫瓚戦でも大きな功績を上げていた。

しかし、その功績を恃み驕り高ぶっていたため、易の包囲に失敗したことを機に袁紹に処刑されてしまった。

また、官渡の戦いの後のことであるが、同じく大きな功績のあった田豊も讒言によって処刑され、審配は蒋奇という人物に讒言され、危うく失脚するところであった。

三国志郭嘉伝注の傅子にも、「紹大臣争権、讒言惑乱」という郭嘉による袁紹軍に対する分析があり、烏巣の情報をもたらした許攸の投降も、彼が自身の立場の危うさを感じたことに起因しており、旧友や功績の多寡が勢力における立場を保証しない状態が垣間見えるのである。

こうした状態は、袁紹自身に権力が集中し、その一存によって賞罰も含めた人事が決定されるという組織の構造があったことを意味している。

君主権力が強かったと言えば聞こえは良いのであるが、その君主が公正でなければ、群臣の多くが君主の顔色を伺い、保身に努めたり、或いは他者の失敗や失言をもとにした讒言による追い落としが横行したり、勢力を不安定な状態にさせてしまうものである。

一方袁紹は、自分を諌めたというだけで盟友の張邈を殺そうとするような人物であった。

袁紹軍は、公正さを欠く君主のもとに権力が集中する状態であったと考えるべきであろう。

この、臣下にとって立場が不安定な勢力にあっては、消極的な人物は保身に汲々として大胆な策を提言・実行できないであろうし、そこで出世するような人々は、他者を追い落とすために過度に大きな功績を求めたり、他者の失敗を手ぐすねを引いて待ち構えたりするよう人物が多くなるだろう。

そして淳于瓊は、その立場から言って後者の人物と言える。

重臣が権を争う袁紹軍の風土が、淳于瓊に組織の利益より個人の利益を優先する判断をさせ、それが烏巣の陥落と、官渡での敗北を袁紹にもたらしたと言えるのである。

参考史料
陳寿 『三国志』 (武帝紀、袁紹伝、張邈伝、郭嘉伝)
范曄 『後漢書』 (袁紹伝、公孫瓚伝)

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抜粋終わり

君主権力が強かったと言えば聞こえは良いのであるが、その君主が公正でなければ、群臣の多くが君主の顔色を伺い、保身に努めたり、或いは他者の失敗や失言をもとにした讒言による追い落としが横行したり、勢力を不安定な状態にさせてしまうものである。

これって、日本でもよくあるよね・・・

この、臣下にとって立場が不安定な勢力にあっては、消極的な人物は保身に汲々として大胆な策を提言・実行できないであろうし、そこで出世するような人々は、他者を追い落とすために過度に大きな功績を求めたり、他者の失敗を手ぐすねを引いて待ち構えたりするよう人物が多くなるだろう。

日本ではこれの繰り返し・・

なんか亡国ですは。。

天皇は、まあ一切責任を取らないので、日本はご臨終デス。

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