「天皇」という宗教に気が付きだしたかな・・・
より
上記文抜粋
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国葬の現場で思う、神と仏が覇権争いしてきた「この国のかたち」 あなたを駆動する「物語」について22
あの日の靖国通り
靖国通り。九段下交差点から「坂の上」は封鎖されている。日本武道館や靖国神社がある、坂の上だ。九段下の交差点から上を封鎖する白い可動式シャッターは、福島の帰宅困難区域(放射線量が高いため帰れない地域)を思わせもする。絶対侵入禁止ライン。実際、そこを超えて前進し続けたなら、わたしは命さえ危険に晒すのだろう。
2022年9月27日。国葬の日。
「誰の」国葬と言われなくなって、ただ「国葬」と言われる国葬の日。誰の国葬か。安倍晋三元首相の国葬の日だ。これが国葬か。天皇陛下の列席はない。故人としては、最も悼んでほしかった人に悼まれなかったのではないか。また、政治外交レベルでは、G7(主要7ヵ国)首脳は誰一人やってこない。
坂の下では、人々が声を張り上げている。
国葬反対デモ、演説、シュプレヒコール「こくそう、ハンターーイ!」、北方領土は日本の固有の領土ですというのぼり、拉致問題解決を説く人、「非正規雇用がふえ、物価はじょうしょうし、アベノミクスの悪政」……。
みな同じように拡声器やハンドマイクを使って声を張り上げるので最初はわからないのだが、主張は取り取りである。「人が死んだんですよ、悼みましょうよ、人間なら」と切々と訴える者も少なからずいる。
主張はどこまでも噛み合わない。それぞれに小さな人だかりができている。たまに警察官と揉み合いになる者がいる。通行人と観客も巻き込まれる。
それよりわたしは、誰も気に留めない坂の上を見てしまう。どこか、夢のようだ。こんな広い道路ががらんと空いている様を見ることはない。坂の下の喧騒など何の関係もない。のどかと言えるほどに、整然としている。
路面が照り返しで光っている様を、この規模の道路で初めて見る。その光った道が、我々に全貌を見せている。坂の頂点までを。そう、これは上り坂になっているからこその、威容だ。
これだけ太い幹線道路が封鎖された風景には、どこか美しいものがある。あまりに整然としたものに魅せられる心がある。これが権力というものか。そう思う。その魅力。「坂の上の雲」という本のタイトルを思い出す。司馬遼太郎が、明治という時代に関して書いた本だ。明治とは、坂の上の雲に憧れて坂を登っていくような時代だったと。
横断する途中、照り輝く上り坂に見入ってしまい。止まらないでくださいと警官に注意される。
これだけ太い真っ直ぐな道路は、日本にそもそも少ない。それが封鎖される図は、もっと少ない。知る限りでは、今上天皇の即位パレードの青山通りだ。人出はその時よりも少ない。後で聞いたところによると、国会議事堂前に国葬反対で集まった人の方が多かったとのことだ。
安倍政権の肝は何だったか
交差点を武道館側に渡ると、配られる新聞をふと手にした。
見出しが目に入る。
“安倍政権の最悪政は「神国日本」の画策”
そう! これ! 思わず声をあげそうになった。
安倍晋三にはさまざまな疑惑があり、多くは金銭と公文書に関するもの、それで疑惑の自殺者まで出ているのだが、わたしが彼をいちばん罪深いと感じるのは、法には触れないだろうが、これだった。
特定の価値観を押し付け、それ以外を排除し、巧妙に弾圧し、あまつさえ幼児に「教育勅語」を吹き込んだりすること。
彼のした罪に問われる可能性が高いことーーたとえば国有地を特定の価値観の人間に優先的に安く払い下げて学校を作ろうとすることなどーーは、その特定の価値観を初等教育に入れ込み、そういう価値観の子供を育てることにあった。「そのため」の学校をつくるために特定の人に安く払い下げたのが、森友・加計学園問題なのだとわたしは理解している。
それは、安倍晋三の価値観に照らすなら「よいこと」だったはずだ。そして不正するとしてもそのためであり、いわば正義のための手段で、目的ではなかったのだろう。そして彼の思うよいことの価値観を、一言で言うなら、「神国日本」だった。
その実現のために、彼は手段を選ばなかったし、いささか度を超えて強権を発動した。その核の価値観を罪に問うのは難しいが、この新聞の言う通り、安倍政権の肝は「『神国日本』の画策」なのだった。
日本会議もそのためにあり、学術会議の任命拒否(実行は菅内閣)もそのためにあった。また、そのための学校を作るべく、特定の人間に便宜をはかったのだった。要するに自分の真善美に合致する価値観を擁護し、その他は排除しようとした。それは言論統制だった。
神か仏か
その新聞の、もう一つの見出しはこうだ。
「日本は御本仏日蓮大聖人御出現の本国『仏は主君、神は所従』取り違えば国亡ぶ」
あれ? 論調おかしくなってきてる? とわたしは思う。
この新聞は、安倍政権が神国となるため言論統制をしたから悪いというよりは、「日本は神国ではなく仏国なので、それを取り違えると国が亡ぶ」と言っている。
引用を続けてみよう。
「異次元金融緩和、森友学園疑惑、加計学園疑惑、『桜を見る会』疑惑、北方領土問題、『神国日本』を作らんとしたこと」 「前の5つはいずれも世法レベルの悪政であったが、この『神国日本』の画策はまさしく仏法上の失(とが)であるから、最大の悪政である」 「安倍晋三は、日本最大の極右団体『日本会議』及び『神社本庁』と結託して、日本を『神の国』にしようとしていた。すなわち明治憲法の如く天皇を絶対化し、『国家神道』を復活させ、戦前の日本を復活させようとしていた」
世法レベルの悪政と、国家の物語や神学に関わる問題を分けているのは、妥当なことだと思う。むしろこの考え方を社会レベルでは取りにくいことで、問題の本質を捉えられないのではないかと思う。
国のかたち、いわば「国体」に関わることで、国体を書き換えようと画策する自体は、現行の法には触れない。そのための手段をしか、現行法(世俗法)では問えないのかもしれないが、国家にしたら、国のかたちは一番の肝だと言える。それが、どのような国をつくるかの基礎なのだから。
「その価値観」の独裁、それは一言で言うなら明治国家だった。その認識には賛同する。
しかしこの新聞が、安倍元首相の神国日本の画策を批判に依拠するそもそもの世界観もまた、独特なのである。世俗の価値観ではない。
いわく、
日本は神国ではなく、仏国であるから。
仏は主君、神は所従であるから。
なんだ、これもまた宗教か。
統一教会に関する報道にいささかへきえきしているわたしはつぶやいた。
たしかにそれは、ある。新宗教団体の機関紙だった。
神と仏が覇権争いしてきた国
しかしそのとき、わたしは電光のような認識にうたれる。
それは、日本史が全部つながって見えるような衝撃だった。かつて教科書に1行くらいずつ書かれていたキーワードたちが初めて実体を持ってつながった瞬間だった。
そう、日本はこういう国だった!
神と仏が、常に覇権を奪い合ってきた国だ。
神道と仏教、どちらが国家の宗教であるかの立場を争い合い、時の権力者にどちらかがより庇護され、またその庇護を求めて両者がしのぎを削ってきた。また、政治とまつりごとは常に不可分であり、権力は宗教と、宗教は権力と、結びついてきた。
「仏は主君、神は所従。」
これは「本地垂迹説」だ。特定の新宗教団体が言い出した突拍子もない世界観ではない。これは国家的議論だった。
仏が主で、神はその仮の顕れであるという、神仏習合の説。仏教伝播の時、各地で土着の信仰や習俗を仏教の枠組みで捉え直すことが行われたが、これはその日本的な表れであり、国家的な議論だった。
始まりは奈良時代だったか、とわたしは考える。国が治まり(とされ)、律令制度がなった頃、為政者は鎮魂と平安を求めて各地に仏を作り国分寺を作り始める……。
この説は平安時代に盛んとなり、武士の世の中となる鎌倉時代には、仏教内部でも分裂が起き、仏教内部からも「反本地垂迹説」派が現れる。が、仏教上の宗教改革とも言える鎌倉新仏教は本地垂迹説を採り続ける。
武士の時代の最後である江戸末期に、武士階級の中で反本地垂迹説は再発見され、クーデターの理論が用意される。幕府を倒すのに、幕府を超える権威が求められ、天皇がそれに当てられ、反本地垂迹説に則って天皇が神道の最高神と結びつけられ、にわかに万世一系の系図が、神の世から「作成」され始める。誰を入れるか、誰を除外するか、南北朝をどうするか、功績のあった皇后をどうとらえるか、などの議論が、神学としてまた国家論として、なされる。
大日本帝国の「無理」
日本というのは、宗教論争の絶えない国だった。
そしてそれは、教義そのものの議論や衝突というよりは、どちらがより権力と結びつくかの問題だった。どちらがより権力と結びつくために、どういう理論を用意するかだった。
どちらかといえば民衆よりは国家のものだった。それは信仰よりは権力の問題であり、民衆よりは権力者の問題だった。
鎌倉仏教などわずかな例外を除いて、宗教が民衆の心の救いにリアルになり得たことが(土着の習俗や祀りごとを除いて)、ある国なのだろうか? もっといえば、これだけ支配の道具に使っておきながら、支配者もその宗教への信仰を持っていたのだろうか? あるいは、必要としていたのだろうか?
この新聞は、歴史認識の一瞥を見せてくれた。それとともに、長年の私の疑問にも、一つの視座をくれた。
その疑問とはこういうものだ。
大日本帝国はなぜ、王国しか統べられない原理で帝国をまとめようとしていたのか? まとめられると思ったのか?
日本でしか信仰されない太陽神を崇拝している、太陽神を先祖とする現人神。それが天皇と国家神道の関係だ。支配を受ける外国の民にとっては、いわば、知らない神様を奉じる、隣のお父さんを、受肉された神(現人神)として信じよ、というのに近い。
これは、普通に考えて、信じろというのが無理ではないだろうか? 国家神を奉じて国際的支配をしようとするのは。
もし、天皇を奉じて国際支配しようとするのなら、「本地垂迹説」をとった方が有利だった。すでに国際的な広がりを持っていた仏教の下に天皇を位置付けて、その仏国のメッセンジャーにした方が、国際的な伝播力はあるはずだった。あとは、キリスト教とイスラム教の選択肢があるだろうが、日本として採れるとしたら仏教だ。ここでキリスト教をとったのが、統一教会のとった手だとも言える。
のちに論ずるが、新宗教の中でオウム真理教が短命に終わり統一教会や創価学会が続いているのには、この点に違いがある。より大きな価値体系の中に教祖やリーダーを位置付けようとする教義体系(物語)を持つか、それとも教祖そのものに至高性を見るか。
見切り発車が招いたこと
大日本帝国とオウム真理教は、その元首の至高性を大事にする。「現人神」その人に神性がある。このやり方は、求心力はあっても、異文化への波及力は低い。
神国日本を建てた後には、もう一度仏教と統合し直した方が、国際支配には有利だった。仏教を信じる国はたくさんあり、信じる人々はたくさんいるからである。しかしそうはせず、そうできもしなかったのは、理論武装の時間がなかったか、天皇が至高のものであるという明治政府の立脚点を崩すわけにいかなかったのか。
歴史のある時点の判断ミスではなく、初めの設定として無理がありすぎる。結局、独自の国家的な新興宗教を外国にも信じることを強要することになる。それに気づかなかったのか、気づいて修正できなかったのか、あるいはそれを思考停止というのか。
明治政府に関していえば、元々、天皇の神性を本当に信じていたかが疑わしい。彼らは武士であり、いわば軍人だった。個人的に、日本神話や皇祖神や天皇を、本当に信じていたのか。
ただ、自分達の政府の正当性を保証するテキストを書いた。
「天皇は神聖にして侵すべからず」
なぜそう書いたかといえば、天皇が討たれては困るからだ。例えるなら、「人権宣言」や「権利の章典」にあたるような自分達の正当性を示して人を動員するためのテキストが、生身の天皇をどうしても必要とした。ここに明治国家の苦しさがある。その整合性を取るまでの時間もなく明治国家は発車した。
そしてテキストとは別に、生身の人間天皇は、どうにか頑張れば話をすることもできたし、頼み事をすることもできたし、交渉次第では自分の側についてもらうことさえできた。こうして天皇はどこまでも利用されていった。ここまでは、天皇は、政府にとって方便だったに違いない。
後の人は、このテキストのままに信じた。このテキストを教え込むための時間が明治だったが、テキストが教え込まれた頃には、テキストを書いた人たちはこの世にはいなかった。彼らは、そこまで信じていたわけではなかった。それを教えられた世代がそこを問い直すには、世界観はあまりに幼い頃から刷り込みのように与えられ続けたのである。
宗教を、おおむね支配のために時の都合で使ってきた権力者と、宗教という形では教えを特に必要としてこなかった民。その組み合わせの国が、テキスト至上主義で神を信じ込む。これほど危ないことがあったのか、と、私は思う。
これをどういう国かと一言で言うなら「封建国家」なのだ。
封建国家が国家総動員の戦争を行う。やはりこれほど危険なことはなく思える。しかしこれが、自分の生まれ育った国だった。
封建国家が終わってから、77年しか経っていない。それがいわゆる「戦後」という時代であり、そのうえ日本人は決して、自分たちの手で封建国家を終わらせたわけではなかった。
(つづく)
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抜粋終わり
面白くなってきましたね。
「明治から日本は「カルト宗教天皇」」だったてわけで。
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