怖い話・・・ナチの内紛と、民族粛清と・・

上記文抜粋
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「1949」 『ヒトラーは英国スパイだった!』を評論する(第2回・全2回) 2021年7月28日

ヒトラーは英国スパイだった! 下巻 巨大ビジネス"第2次世界大戦"を策謀する闇の国際権力

 『ヒトラーは英国スパイだった!』の評論の続きです。今回はヒトラーの暗殺計画から話を始めます。

 クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus von Stauffenberg、1907-1944年、36歳で死)というグラーフ(伯爵、Graf)なんだけどドイツ陸軍大佐だった男は、北アフリカ戦線で右手首から上を吹っ飛ばし、左指も2本なかった。そういう伯爵の大佐が中心になって怒り狂って、ヒトラーをどうしても殺さなければいけない、そしてさっさとイギリス・アメリカ軍と停戦して、ロシアからの攻撃を防いで、ドイツ国家が滅ぶのを阻止しなければ、という動きに出た。ドイツ陸軍内にこの動きは前からあった。

シュタウフェンベルク
 空軍というのはまだない。ドイツも日本もアメリカも戦後できた。海軍航空隊と陸軍航空隊だった。ドイツ海軍のほうにも優秀な立派な将軍がいた。Uボートという潜水艦部隊をずっと指令していたカール・デーニッツ提督(Karl Dönitz、1891-1980年、89歳で死)という人は立派な軍人だった。この人が、ヒトラーが死んだ後、連合軍側と停戦交渉しようと思ったら、このデーニッツも逮捕されちゃったんだけど、彼はヒトラーにずっと忠実だった。立派な軍人だった。

カール・デーニッツ
 それに対して陸軍のほうは、ものすごく反ヒトラーの動きがずっとあった。元帥というのは上級大将と訳してもいいけど、元帥たち20人ぐらいと、将軍たちも100人以上、それと大佐クラスが何百人じゃ済まない。一言で言うとドイツ国防軍の幹部の9割が、このヒトラー暗殺計画の後の報復、仕返しで処刑されている。恐ろしいことなんです。その数は4980人でした。そのうちの1、2割ぐらいの最高幹部たちは、ピアノワイヤーで時間をかけてゆっくりと首をつられて絞首刑になった。その話もしますが、恐ろしい話なんです。

 暗殺計画が1944年7月20日に失敗して、その次の日には実行犯であったフォン・シュタウヘンベルク大佐たちは、フリードリヒ・フロム(Friedrich Fromm、1888-1945年、56歳で死)陸軍上級大将という首都防衛の司令官が上官だったんだけど、シュタウヘンベルクたちを、計画が失敗した段階で捕まえて、ドイツ国防省の中庭で銃殺刑にした。フロム自身は実行を嫌がっていたんだけど計画は全部知っていた。この中庭で7人かな処刑された(この中庭は、いまもベルリンで戦争記念として残ってる。写真をあとで載せる)

ベンドラーブロックの中庭

 これで証拠隠滅した、自分たちは大丈夫だと思ったんだけど、そうはいかない。フロムも後に処刑された。

フリードリヒ・フロム
 その後ずっと裁判が続いて、8月8日にエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン(Erwin von Witzleben、1881-1944年、62歳で死)陸軍元帥以下8人が、一番残虐な殺され方をした。それは当時のカメラ、フィルムで撮られていた。ベルリンのプレッツエンゼー刑務所というところの奥の処刑室で。それは今も記念館になって残っている(あとで写真を貼る)。

プレッツェンゼー刑務所


プレッツェンゼー処刑室

 彼らは真っ裸にされて、ピアノワイヤーで首を絞めてじわじわと殺す。喉に食い込むわけですから、血だらけで、もがき苦しみながら死んでいく様子をテープに撮っていたらしい。残忍なヒトラーはそれを見た。映像はもう残っていないということになっているけど、案外米軍は確保していると私は思う。

ヴィッツレーベン
 8人がひどい残虐な殺され方をした。なぜなら、ヴィッツレーベンと、テオドール・ベック(Theodor Beck、1880-1944年、64歳で死)、この人も陸軍上級大将ですけど、彼らがヒトラーを殺した後は、自分たちが国家元首になって、ドイツ国を代表して英米側、連合国側と停戦交渉をする予定だった。国防長官には実行犯であるシュタウヘンベルク大佐がなる予定だったと一覧表ができ上がっていた。その人たちは全部殺されたわけですが、逮捕者7000人、殺されたのは5000人なんだけど、下級の兵隊たちももっとたくさんいたと思う。

テオドール・ベック

 ということは何が起きたかというと、ドイツのプロイセンの誇り高いプロイセン貴族たちのほとんどが、このとき殺された。それを実行したのは、” 豚(スワイン)のサクソン族”
と蔑(さげす)まれていた、ザクセン人(サクソン人。イギリスにもいる)という下層民扱いされる、ヒトラーのようなならず者出身の者たちによって、同じドイツ民族なのだが、惨殺されて消滅させられた。 

 ドイツの、プロイセン貴族たちは、このとき全滅したのだ、言ってもいい。それを、周到にイギリス帝国が実行した。チャーチルたちの計画通りだ。「ドイツ人どもを互いに殺し合いをさせろ。そうすれば、戦後、私たちが、あいつらを処刑する手間が省ける」ということである。

 ヒトラー暗殺計画は、2キロぐらいのプラスチック爆弾を爆発させたんだけど、ヒトラーの隣にいた従者の者とか、20人同じ部屋にいたうち4人が死んでいます。ところがヒトラーは死んでいない。トム・クルーズ主演の「ワルキューレ」(2008年)という映画があって私は見ている。その中でも、ヒトラーは軽いけがをしたといって、手をつって、顔にあざができた感じで映画に出てきた。おかしな描き方だ。ヒトラーは、怒り狂っている。自分が殺されかけたわけだから。狼の巣から、全員逮捕してやる、全部捕まえろという指示を出している。

 ” HITLER WAS A BRITISH AGENT "の著者は、グレッグ・ハレット(Greg Hallett、1961年-、現在59歳)で、この人は写真も出ている。この人はイギリス情報部、MI6にいた人だ。主にソビエトで工作活動をしていたようだ。

グレッグ・ハレット

ケンブリッジ・ファイブ
 この本の著者は、「グレッグ・ハレット&スパイマスター(Greg Hallett and Spy Master)」となっている。この共著者の、「スパイマスター」という言葉は冗談みたいですけど、全ての国家スパイを、上から操って指令する人という意味です。これが実はイギリス王室美術顧問だったアンソニー・ブラント(Anthony Blunt、1907-1983年、75歳で死)だと言われている。「 ケンブリッジ・ファイブ」” Cambridge Five ” と呼ばれていた、秘密で裏で共産主義者だった者たちだ。その1人が、私が、重要視して、戦後世界の最大の二重スパイだった、キム・フィルビーです。このことを私は徹底的に調べた。このスパイマスターというのは、アンソニー・ブラントですね。

アンソニー・ブラント

エリザベス女王とブラント
 恐ろしい話で、だからこれは大きな真実の本なんですよ。戦後78年になってやっとこんな本がぽろっと出て人類史の巨大な真実が明らかになるけれども、普通の人は、歴史学者や政治学者を含めて、避けて見向きしない。これを受け入れると、自分の脳が壊れるから。大きな真実だから恐ろしい話なんです。

 トム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」を見るべきだ。描かれ方に、ちょっと不満な点があるけれども。 (ここに、この映画の宣伝用の表紙を載せる。貼ること)
ワルキューレ
映画「ワルキューレ」

 ドイツでも、1955年ぐらいから、このヒトラー暗殺を扱った、西ドイツ製の映画が何本かある。そのリメイクだからウソは書けない。ドイツ側も参加しているから、ここに出てくる将軍や軍人たちの名前は全部事実だ。だけど、爆破したときに、実はヒトラーは替え玉だった。影武者だった。このことを、この映画は描いていない。それは失点だ。偽物のヒトラーは重症を負っている。横の4人は死んでいる。

 私がこの本を読んだ後に、ウィキペディアで「ヒトラー暗殺」を調べて、いろいろと分かって、びっくりしたのは、重要なナチスの将軍はそこに誰もいない。ヒトラー自身も難を逃れている。事前に連絡があったのだ。ウィキペディアでは、どれどれ、という感じで爆破のすぐ後に、現場を見に調べに来た男2人が、ナチス政権で一番重要なマルティン・ボルマン(Martin Bormann、1900-1945年、44歳で死)と、でぶの副総統のヘルマン・ゲーリング(Hermann Göring、1893-1946年、53歳で死)なんです。

 彼らがヒトラーの次とその次です。国防長官と副総統だ。彼らがどれどれと見に来た。(この写真を後で貼ること)


損傷した会議室を調査するマーティン・ボーマン、ヘルマン・ゲーリング、ブルーノ・ローツァー

 彼らはそこにいなかったんですよ。おかしいでしょう。つまり、ばれていた。直前に、爆破計画があるから行くなと言われているんです。問題はどこから情報があったかなんです。それは恐ろしい話だ。だから、英米が仕組んだのだ。そして、ヒトラー自身が、英国のスパイである。

(左から)ゲーリング、ヒトラー、ボルマン
 爆破現場に重要な将軍たちもいない。ところが、このあと、ヒトラーが着ていて、血だらけになったズボンというのが、公開されてる。この写真もあとで貼ります。

 そして、プロイセン人のドイツ貴族の立派な人たちが全員、殺されている。5千人が、皆殺しに遭っている。これが世界史の歴史の真実だ。この事実に気づいて、副島隆彦はびっくりした。
 イギリスとアメリカがドイツを戦争で打ち負かすというのはもう見えていた。ノルマンディー上陸作戦が、1944年6月1日、パリが解放されたのは7月ですね。このあと暗殺計画は7月20日に実行だ。ドイツはソビエトからも攻め込まれていて、もうぼろぼろになっていく途中なんだけど。それでも、次の年の1945年5月8日が無条件降伏ですから、そこまで9カ月もあった。この間の、ドイツの国家の内部からの崩れ方がヒドい。

 この9か月の間に、ドイツ軍人の立派な人たち、外交官とか社会民主党の指導者たちを含めてどんどん殺されている。ドイツのすべての指導者の立派な人間たちが皆殺しだ。この皆殺しは仕組まれたものだ。
 しかも、ドイツ人同士で殺し合いをやらせる。これは残虐極まりないことなんですよ。SS(エスエス。ナチス親衛隊)とか、ゲシュタポ(秘密警察。ゲマイン・シュターツ・ポリツァイ)が、フランスのレジスタンス運動をやっていた人たちとかをいっぱい捕まえて拷問にかけて殺した。このヒトラーに忠実な、狂気のゲシュタポとSSが、ドイツ軍の最高軍人たちを捕まえて拷問にかけて殺した。これが20世紀の人類の歴史なんです。

この時、大きな計略に合って、ドイツ民族が遭った、この悲惨な運命を思うと、私は涙が流れる。日本人には、このドイツ人の真実の苦難を何も教えないことになっている。

 これがどれぐらい恐ろしいことか政治学や歴史学を勉強する人は本気で考えなきゃいけないんだけど、あまりにもゾッとする話で、この真実を知ってしまうと、自分たちが戦後つくってきた歴史観や政治学が壊れてしまう話だから、信じられないという形で、拒否するんですね。でも事実の証拠が全部出てきつつある。

 ウィキペディアは、CIAが管理しているわけだけど、先の大戦からもう80年近くもたったので、どんどん事実を出して公開してくるんです。大きな真実は自分たち(アメリカとイギリス)が全て仕組んだのだ。最初から戦争そのものを仕組んだんだ、戦争心理研究でヒトラーみたいなのを育てて、ドイツ人全体をおかしくする計画通りだ、と。
 
 ドイツ人がヒトラーの演説を聞いて熱狂的に戦争に嵌(はま)っていった。世界一優秀なドイツ民族が滅びるわけがない、負けるわけがないと皆で信じ込んだんです。
 ” Deutschland über alles "  「ドイチュランド、ドイチュランド、ユーバー・アレス」というんだけど、「世界に冠たるドイツ民族」という歌でドイツの国家だ。国歌の後ろのほうは今は歌わないことになっている。ドイツ語では über alles 、英語で書けば、 over the others 「オウヴァー・ジ・アザーズ」、ドイツは、ほかの民族全てを乗り越えて君臨する、という歌なんです。

 今でも、馬鹿なことをやってしまったドイツ国民とドイツの指導者たちということになっていて、選挙でヒトラーを選んでいったのも、おまえたち自身じゃないか、ユダヤ人を殺したり世界中で残虐なことをしたりした。だから処罰されるべきだという理屈になっている。日本は、そのドイツと同盟を組んだ犯罪国家の片割れだ、と。
 
 これらすべてが、実は計画的に実に綿密にイギリスによって仕組まれていた。ロンドンの北に今もある、タヴィストックの戦争心理研究所で一から全部研究されて実行されている。驚くべきことだ。

 もっともっといろんな細かい話がたくさんあって、私はとても話し切れないんだけど、例えばヒトラーの同志でナチスの副総統だった男。1923年のミュンヘン・プッチ(ミュンヘン一揆)のときから、わーっとナチス党の人気が出て、ヒトラーがこのあと政治指導者になっていくときに、横にいた、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess、1894-1987年、93歳で死)が、1941年5月に飛行機でスコットランドまで飛んで、イギリス軍に捕まっている。

 1941年6月22日にドイツはソ連に侵攻します。ドイツの一方的な電撃作戦(ブリッツ・クリーク)の独ソ戦(バルバロッサ作戦)だ。 ヘスは、敗戦後のニュールンベルグ裁判にかけられたけれども、終身刑になって、処刑されないで40年間ぐらいも生きていた。イギリス政府は、絶対にヘスを表に出さなかった。証言もさせないし、釈放もしなかった。1987年に刑務所で死なせた。
 
 このヘスが何を言ったのかがわからない。だけど、ヘスもヒトラー同様に、イギリスのスパイだったのだ。このことを、この本が詳しく書いている。読んでください。

ヒトラーとルドルフ・ヘス
 「ソビエトと戦争するから、ドイツとしてはイギリス、アメリカと一緒に組んでやりたい」とヘスは言ったに決まっている。これはどこにも証拠がないというけれども、ヘスやヒトラーとしては、イギリス、アメリカと一緒に組みたいと思っていた。でも、ドイツに、フランスはくれ、ヨーロッパ大陸はドイツのものだ、イタリアのムッソリーニと分け合うということになった。

 そのとき既にスペインのフランコ独裁政権は、ドイツが軍を送って介入して、取っている(後述する)。ルドルフ・ヘスが、「ソ連とだけ戦いたい。そういう作戦にしよう」としたんです。でも、ヘスは、捕まったまんま死ぬまで出されなかった。だからドイツは、全部引きずり込まれていって、両側から攻撃されて、無残なものなんです。残虐きわまりない。
日本もドイツと同じように、両側から、挟み撃ちに合って、それで敗戦した。

 ヒトラーの演説に、あのころ8000万ぐらいいたドイツ民族が、女たちまでがきゃー、とヒトラーの演説に狂ってオーガズムを感じた。女というのは大衆、民衆ですから、普通はあんまり発狂状態にならない。共同幻想で狂うことはないんだけど、この時は、狂ってしまった。熱狂と興奮状態に襲われた。

 この研究をタヴィストック・インスティチュートでやって、ヒトラーに教え込んだ。サイコロジカル・ウォーフェア(戦争心理)研究、調査が行われて実行されたんです。恐ろしいことだ。

 チャーチルが、どこまで悪い男だったか、の話は今日はできないけど、どうしても、ここでしておかなきゃいけないのは、ジョージ・オーウェル(George Orwell、1903-1950年、46歳で死)についてです。『動物農場』” Animal Farm ”「アニマル・ファーム」(1945年刊)と、『1984年』” Nineteen Eighty-Four "(1949年刊)という、全体主義(トータリタリアニズム)や、ソビエトを批判する最初のすばらしい小説を書いた、ずば抜けてすぐれた人の話は重要だ。

 彼も実はMI6だ。イートン校で、イギリス情報部員としての訓練を受けた。彼はそのことは白状しなかったけども、世界がおかしな方向になっていくということをジョージ・オーウェルは知っていた。チャーチルとも当然、国家スパイ同士として、知り合っている。

・・・・・・中略・・・・・・・

 ニーチェが31歳で最初に書いた『悲劇の誕生』" Die Geburt der Tragödie " という本の中で、ディオニソス王という人間がいて、それが快楽を追求して地上の幸せを追求する、人間は喜んで楽しんでみんなで大騒ぎすればいいんだ、ローマ教会のようなしみったれた人間を奴隷にする思想じゃない、というのを書いた。このときに、アリアドーネという女神とディオニソスが愛し合った。しかし、やがてディオニソスは、アリアドーネを、ナクソス島に捨てるんだけど。ニーチェが気が狂う寸前(1890年〇月)に、「アリアドーネであるコジマへ、ディオニソスであるニーチェから」という手紙を書いた。コジマは、ニーチェからの手紙は、すべて焼き捨てた。

 ニーチェとしては、ワーグナーとコジマに対して、「ドイツ民族が世界に君臨するみたいな馬鹿なことを言うな。そんな劇を作っていたら、ドイツ民族は滅ぶぞ」と、ワーグナーを徹底的に批判した本を書いた。2冊も書いた。このときが、ヨーロッパ最大の知識人の分裂線だった。 事実、第1次、第2次世界大戦でドイツは、英米に、大きく嵌(はめ)られて、騙(だま)されて、本当に滅んだ。このことを前述した。
 ドイツ民族の優秀な指導者階級が全部殺されて、しかも、さっき言ったように、ドイツ陸軍のプロイセン貴族たちが、スワイン(豚)のザクセン人(サクソン族)である下層民のヒトラーたちに全滅させられた。まさしく「ワルキューレ」の話になっちゃった。

 ワルキューレというのは、ドイツの民族神話の「ニーベルンゲンの歌」からワーグナーが作った「ニーベルングの指輪」の第2日目(第一部)で出てくる、goddess warriors 「ゴッデス・ウオリアーズ」といって、下級女神の戦士たちなんです。古代ローマ兵のような兜(かぶと)をかぶって槍(やり)を持っている。ちょっとはち切れそうな、おっぱいが見えそうな感じで、短いパンツみたいなのをはいて、女軍団なんです。戦場で戦って死んだ民族の英雄たちの骨を拾って回るというのがお仕事です。

 北欧神話のオーデンという大王がいて、オーディンの娘が、ブリュンヒルデなんですね。ブリュンヒルデもワルキューレの女軍人のひとりだ。このビルンヒルデが、ジークフリートのお母さんを助けて、それで3日目(第3部)で、ジークフリートが生まれるという話になる。ブリューンヒルデは、そのかわり、父親の大神のオーデンから、おまえは人間を助けた、人間を愛したとか言って、死刑なんだけど、山に放り投げられちゃう。

 ニーチェがこんなドラマをつくっていると、ドイツ民族は滅ぶぞ、と言ったとおりになった。ワーグナーは1883年に死んでいます。カール・マルクスと同じ年だ。ニーチェは脳が擦り切れて、1890年に発狂して、10年後に死んだ(1900年)。コジマはずっと長生きしていますから、1930年まで生きていたからヒトラーと会っています。


 この本で名前もわかったけど、ワーグナーの息子ジークフリート((Siegfried Richard Wagner、1869-1930年、61歳で死)のやがて妻になるウィニフレッドは、ヒトラーは結婚するかもしれなかったんだそうです。つき合っていたということです。

 ウィニフレッド・ワーグナー(Winifred Wagner、1897-1980年、82歳で死)というんです。ヒトラーは、総統というか首相になってからワーグナー家に出入りしていた。すごいことなんですよ。首相になる前ぐらいから何回も行っている。毎日のように、ナチスの幹部もドイツの軍人たちも政治家も、みんな狂ったようになってワーグナーの歌劇を見ているんです。

 「ニーベルングの指輪」だけじゃないけど、狂ったように見ているときに、それが原因でドイツ民族が、ヤンキーと言うんだけど、本当はユダヤ人のことなんだけど、あんなアメリカ人やイギリス人に負けるわけがない、と頭のてっぺんから信じ込んだんです。ドイツ人は、この時、冷静さを失った。それがドイツの敗北の真の原因で、だからニーチェが言ったとおりになった。それは副島隆彦だからわかるんです。大きな話として。


ヒトラー暗殺計画としてドイツ軍人たちによって実行されたワルキューレ・オペレーション(作戦)が、事前に漏れていて、失敗した。元々ばれていたというか、はめられたわけです。フォン・シュタウヘンベルク大佐も、「やめろ。まだ早い」と上から指示が出てもやめなかった。このままじゃ自分は捕まる、ゲシュタポにばれているとわかっていた。だから無謀に決行した。このあと、周りのドイツ軍の元帥たちをはじめとして、たくさんの優秀なドイツ軍人がみんな捕まって拷問に遭って死んでいった。

 これを仕組んだイギリスというのは本当に悪いやつらだ。チャーチルが首相だけど、ジョージ6世の長女だったエリザベス2世が女王になるんだけど(1956年?)、彼女を一番頭に置いて、イギリスが悪いことを全部仕組んできた。それとローマ法王、ローマ教会が、この地上の諸悪の根源だ。私、副島隆彦は、はっきりと分かった。

 この2つを、人類は何とかしなきゃいかんという段階に入った。それがドナルド・トランプたちのアメリカでの反抗、反乱だ。それが、第2次アメリカ独立戦争でもあり、ヨーロッパで500年かけてつくられた貴族制度、王様制度をずっと残したままの近代(モダーン)のうちの近代(モダーン)は残るけれども、王様制度とローマ教会は排除しなきゃいかんという問題につながった。そのように私は考えながら、『ヒトラーは英国スパイだった!』という本を、衝撃を受けながら読みました。(終わり)

副島隆彦拝

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抜粋終わり

>ニーチェとしては、ワーグナーとコジマに対して、「ドイツ民族が世界に君臨するみたいな馬鹿なことを言うな。そんな劇を作っていたら、ドイツ民族は滅ぶぞ」と、ワーグナーを徹底的に批判した本を書いた。2冊も書いた。このときが、ヨーロッパ最大の知識人の分裂線だった。 事実、第1次、第2次世界大戦でドイツは、英米に、大きく嵌(はめ)られて、騙(だま)されて、本当に滅んだ。このことを前述した。
 >「ニーベルングの指輪」だけじゃないけど、狂ったように見ているときに、それが原因でドイツ民族が、ヤンキーと言うんだけど、本当はユダヤ人のことなんだけど、あんなアメリカ人やイギリス人に負けるわけがない、と頭のてっぺんから信じ込んだんです。ドイツ人は、この時、冷静さを失った。それがドイツの敗北の真の原因で、だからニーチェが言ったとおりになった。それは副島隆彦だからわかるんです。大きな話として。


だよな。

それの日本版が・・・

万世一系の「天皇」だ。

それがまだ続いている。

今度は、天皇はじめその上層部が皆殺しになるだろ。

でも、天皇そのものが、「日本人不法占拠者」だから、天皇を切り捨てると、日本は栄光に輝く。


天皇を皆殺しで、 日本泰平。


天皇の無い 蒼い空を取り戻す


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世界の悪の根源は日本にもある。

天皇とその一党だ。





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