結論・天皇は馬鹿な奴隷~近現代日本人の中でしか存在できない魔獣。
日本人国家~天皇カルト賊は、そもそも「日本人を守る義務」が無い。
でも他国は、普通にあるので、「外国人に人権侵害や資産を奪ったら国際問題に発展する」
より
上記文抜粋
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ケニア大統領、国民に米ドルの処分を呼びかけ
ケニア大統領、国民に米ドルの処分を呼びかけ:
ケニア大統領は本日、すべての国民に対して、保有している米ドルは数週間以内に価値が下がるので、米ドルを処分するよう発表しました。
President of Kenya Urges Citizens To Get Rid of U.S. Dollars - soon (Operation Sandman????)
https://halturnerradioshow.com/index.php/en/news-page/world/president-of-kenya-urges-citizens-to-get-rid-of-u-s-dollars-soon-operation-sandman
サウジアラビアとイラン。サウジアラビアとシリア。
騙されないでください。クレディ・スイスは「中立性」を破りロシアの資産を凍結してから預金の流出が始まった。中国、サウジアラビア、イランが預金者。
四半世紀の昔、東大生と北京大生がディベートした。東大生は、国内主要紙と米紙を常に読んでいるとマウントを取ろうとした。北京大生は呆れ、北京大は早朝に門が開くと世界各紙を4つ5つ読み漁る学生でいっぱいだと彼に教えた。日本は変わらない。偏狭なアメリカとその維持システムを世界だと思ってる
元国連安保理議長・シンガポール外交官の話を書き起こししました。
笑うことしかできない。
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抜粋終わり
日本の学校教育は、日本人から「人間の理性」を除去して、「家畜の精神」と「ロボットの知能」を埋め込むために行われてきたのだからな。
上記文抜粋
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BOOK REVIEW⑧: 教育は何を評価してきたのか
【生きづらい社会を変えられない原因は、「望ましい」人間像にあった!能力・態度・資質という三つの言葉から読み解く】と帯にあり、購入。
著者は東京大学大学院教育学研究科の本田由紀教授。スクールカーストについての著書もあります。
今まで日本の教育がどの様な能力を育み、これからそれがどのように変化すべきかという示唆がある本と思い読みました。
『教育は何を評価してきたのか』|感想・レビュー・試し読み - 読書メーター (bookmeter.com)
私が最も興味を持ったのは、「資質・能力」や「態度」には日本独特の性質が見出されるという点。PISAのキーコンピテンシーや21世紀スキルのような資質や能力に関する議論が世界的に注目を浴びる中で、日本のそれに関する解釈は欧米とは異なる意味があるというのです。
その大きな特色はナショナリズム。最近では道徳の教科化などもその例の一つで、水平的画一化と本書では述べられていましたが、全ての人に一定の価値観や規範を教えることで、民衆を掌握しようという保守派の狙いであるといいます。つまり横並びに同じであること=能力・資質として語られることが多いという事でしょうか。これが息苦しさの原因その1です。
息苦しさの原因その2は、垂直的序列化です。学力により上位から下位まで差別化され、知らないうちに社会的にその位置が固定化されてしまう構造(入試など)のことで、能力=学力と見られています。また時には、学力が低いと非行に走るなど、能力=人格としても理解される事もあります。
面白かったのは、中学生を対象にした調査で、「校内成績」が高い生徒は、「ルール遵守意識」が強く、「クラス内影響力」が高い生徒と「道徳の授業が好き」な生徒は、「愛国心」「ルール遵守」「上位者への服従」「性別役割分業意識」が強い、という結果。傍証にしか過ぎないと書いていましたが、校内成績が高い生徒も、クラス内影響力が強い生徒もクラス環境から言えば支配者的立場の生徒(スクールカーストが上位ということになるのかな?)。言うなれば、クラスの雰囲気や意思決定の中心的存在である彼ら自身が柔軟性に欠けるような存在であるということです。そして、そういう能力や資質を教育してしまっているのが今の日本の学校なんですよね。
また下位の生徒は、未来に対する絶望感や水平的画一化に従っていても無力感を感じるなど大きな閉塞感をもたらしているそう。
つまり、日本の教育が生徒につけさせているのは社会でほとんど無用な学力と、横並びである能力の二つなんですよね。
これって、教師として実感あるな、って思います。それをアカデミックに証明してくれたこの本、素晴らしいと思います。
そして、目指すべきは水平的多様化と結論づけています。特に、義務教育終了後はより高度な分野の教育機会を提供するべきとして高校の再編成、特に普通科の割合が国際的に見ても高い日本の状況を変えるべく専門学科を増やすべきと言う提案をしています。オランダのイエナプランの話も少しありました。
国際的にみて、日本は学力やスキルはあっても経済の活力へとは繋がっていないそう。つまり、学力が無駄になっているということ。しかも、多くの人が今より高度な職務はできず、今の職務も十分できていると感じていないと回答したとする調査もあって、社会の歪みも指摘されていました。
単に、コンピテンシーと言っても、日本語に訳されると文化・歴史的背景から意味が変わったりする事も考えられます。これから21世紀スキルはどのような方な形で、日本社会に取り込まれていくのでしょうか。本文でも○○能力(コミュニケーションや問題解決)と言った言い出した途端に垂直的序列化が始まる言った指摘もありました。さらに生きづらい社会になっては本末転倒ですからね。
著者の結論を最後にメモしておきます。 以下、本文より引用。
異学年、学びの個別化、問題解決型授業、ファシリテーターとしての教師の役割、校則・規則の寛容化などはやっぱりキーワードになってくるなと思いました。
教育や学校が抱える問題意識や、それに対するオールタナディブ、つまりみんな目指しているところは結局同じだなといつも感じるのです。それぞれがいろんなアプローチで同じ事を指摘してるんですよね。面白いです。
この本は内容がとにかく盛り沢山だったので、ぜひ再読したいです。
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抜粋終わり
重要なことは・・・・・
「上官の命令責任を明確にする」
ことや
「日本の刑事司法の最良証拠主義とは詐欺である」
上記文抜粋
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渡辺匠さん、 (宗純)
2023-03-15 16:05:25
まあ困った事実だが、日本人だからと言って法律用語とかキャリア官僚の書く「何とか白書」の内容が正しく理解出来ない見本である。これらの文章が誰にでも分かるように親切に書いてあれば、この「逝きし世の面影」ブログの様なオルタナティブな「政治ブログ」など必要性が少しもありません。
「…が出来る」とあるからと言って、必ず実行するとは限らないし、
同じく、「・・・なければならない」とあるから必ず実現しているなど、素人の無知の極み。根本的な勘違いである。現実世界は全く別の構造になっていた
善良だが愚かな 平均的な日本人の考え方ではあるが、
それは自分の周りには悪い大人は一人もいないと信じている思いっきり甘やかされて育った幼稚園児と同じ程度の「善意の解釈」ではあるが、現実の日本国の話ではありませんよ。ある種の神話です。
もし、現実の話だと思っているならば限りなく妄想に近い。単なる思い込み。
そもそも刑事訴訟法の条文を良く点検してください。御自分の思い込み(解釈)とは180度正反対の解釈が出来る仕組みなのです。だから日本だけは99・9%有罪になる。
先ず、第三百十六条の二十六 (開示命令)では、
告人弁護人は・・・開示をすべき証拠を開示していと認めるとき・・・当該証拠の開示を命じなければならない。
とあり、これでは検察・警察が提出した証拠類に欠番とか、明らかな空欄があるなど、うっかりミスが無い限り、被告弁護側には・・・開示をすべき証拠を開示していない・・事実が分からない。
その結果、開示請求自体が不可能なのですよ。
現在、開示請求は具体的に裁判官が条件を提示した場合には可能だが、
「逝きし世の面影」ブログでは何回も書いているが、法令には何処にも『捜査資料の全面公開」の原則が書いていないのです。
ですから検察・警察が有罪立証には不必要だと思う証言や証拠は裁判所に提出しない。検察官は選挙と同じで「勝手なんぼ」で負ければ大恥なので、何としても勝ちたいのです。
開示請求は、弁護側に「検察・警察が証拠を隠した」との明確な理由があると裁判官が認めているときだけ、「当該各号に定める方法による開示をしなければならない。」とあるだけ。
これでは有罪立証に不利な(被告側に有利な)証拠や証言類を検察・警察が出したくないのは当然な判断なのですよ。
これは何度も書いているが、
ベテラン捜査官が黒だと睨んだ容疑者の9割は間違いなく凶悪犯人なのですよ。ただし科学的な客観的証拠ではなく動物的な直観なので時々は大外れするので袴田事件のような無辜の死刑囚が、必ず一定の確立で生まれるのです。
刑事司法が目指す地平 (宗純)
2023-03-16 10:23:36
青木理が2週間続けて「優良証拠主義」を告発する記事を書いています。
理の眼
刑事司法が目指す地平=青木理
オピニオン
毎日新聞 2023/3/15
東京高裁が13日、死刑判決が確定して半世紀近くたつ袴田巌さん(87)の再審開始をあらためて決定しました。つい先日には、滋賀県日野町の強盗殺人事件で無期懲役判決が確定し、服役中に死亡した男性の再審を大阪高裁が決定したばかり。その際に僕は本欄で記しましたが、今回もまた同じ冤罪(えんざい)パターンの繰り返しです。
いずれにも共通するのは、有罪なら極刑が十分予想される事件だというのに、取り調べ段階で「自白」に追い込まれていること。また、検察・警察が隠していた証拠が再審段階でようやく開示され、検察側立証の信用性が崩れて冤罪が明らかになったこと。
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続きを文字起こしすると、
ならば、密室で延々と続けられる過酷な取り調べの有り様や、本来は僕たちの”共有物”たる証拠の開示の在り方等々、この国の刑事司法の歪みーそれは従前から散々指摘されてきたものではありますがー徹底的に見直し、根本的にあらためること。
と同時に世界的には廃止が圧倒的潮流になっている死刑と言う刑罰の是非にも真摯に向き合うべきでしょう。人間は過ちを犯す。それは刑事司法でも例外ではなく、人の命を奪い去る死刑は一度執行してしまえば決して取り返しのつかない絶対不可逆な刑罰。
なのに死刑事件では袴田さん以外にも1980年代、4件もの冤罪が相次いで発覚していて、僕の取材経験に照らせば、既に死刑が執行された事件でも冤罪の疑いが濃厚の例があります。
しかも袴田さんの事件について東京高裁は今回、検察が有罪の根拠とした最大の証拠について、これが捏造された可能性が「極めて高い」とまで指摘した。
残念ながら検察や警察ちう組織は、国家権力を背景とした捜査機関とは、時にここまでの過ちに平然と手を染めるのです。
それでも国家が人の命を奪う接待不可逆な刑罰を残置しておくのか。また、今回改めて確認された証拠開示や再審を巡る法の不備も放置しておいていいのか。
思い出すのは少し前、「死刑のハンコを押した時だけニュースになる地味な役職」との自らを評して更迭された法務大臣のこと。いま考えてもこれは論外の放言であって、法相を筆頭とする政治が取り組むべき課題は山積みしていて、目指すべき地平はすでに相当明瞭でもあるのです。(ジャーナリスト)
青木理は何度も何とも繰り返し「証拠開示の在り方」云々との婉曲表現で、検察が裁判所に被告の有罪立証の証拠類しか提出せず、無罪の心象を隠すガラパゴス日本の恐怖の「優良証拠主義」について触れています。
ただし何故か理由は不明だが我が国の高偏差値の知的エリートは「優良証拠主義」の言葉は絶対に使わないのですよ。たぶん、『最良証拠主義』なる言葉は「逝きし世の面影」ブログ独自の造語?らしいのですから恐ろしい。
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抜粋終わ血
と認識できないような、バカ野郎を「エリート」「知識人」にするのが、日本の学校教育の大きな狙いです。
上官の命令責任が明確ではないのに、まともに行政機構が動くはずも無いし、ましてや自衛隊や国軍が存在できるはずもない。
最良証拠主義で、証拠を検察の好き勝手にできるし、なんなら証拠の隠匿改竄も可能なのに、まともに裁判ができるはずもない。
のに、「それが可能で出来ている」と思い込ませれるのは、日本人・特にそのエリート・知識人が、究極的にアホボケの白雉かカルト信者だからなのです。
結論・・
「天皇」とは、バカな奴隷~今では近現代日本人だけ~で存在できる人食い魔獣。
だから真子さんが、在日の血を引く怪しい男と駆け落ちしてでも逃げたかったわけです。