「天皇」という究極に浅はかなふるまい。
より
上記文抜粋
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人間の究極な浅はかなふるまい
8月15日は終戦記念日ですね。
今日はこの日のことをみてみましょう。
★8月15日、終戦の詔書
8月14日、午前11時50分
最高戦争指導会議と閣議が、天皇召集のもと、開かれた。
ここで2回目のご聖断が出た、いわゆる鶴の一声というもの。
各国務大臣が、副署を終えたのが午後11時ころだった。
午後8時
天皇は終戦の詔書に署名した。
8月15日、日本国民は初めて日本の敗北を知らされた。
【朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置をもって
時局を収拾せしむと欲し、ここに忠良なる爾臣民に告ぐ、、、、】
という終戦の詔書は非常に読みづらいです。
わざと難解な言葉を使って、わざと難しくしているのです。
それで読売新聞社編、昭和史の天皇に掲載されている
現代語訳を使用します。
それでは終戦の詔書には、どんなことが書かれてあるのでしょう。
まず、戦争をした理由が書かれてあります。
【さきに米英二国に戦いを宣した理由もまた、実に我が国の自存と
アジアの安定を心から願ったためであって、いやしくも他国の主権を
押しのけたり、その領土を侵略するようなことはもちろん
私の志とは全く異なる。】
米英二国に戦争を宣言したのは、天皇ヒロヒトであると宣言しています。
アジアの安定も偽りです。
中国や朝鮮の領土も侵略した。
【戦局は必ずしも我が方に有利に展開したとは言えず、世界の情勢も
また我に不利である。
そればかりでなく、敵は新たに残酷な爆弾を広島、長崎に投下し
多くの罪なき人々を殺傷し、その惨害はどこまで広がるか計り知れない。】
【我が国のうち戦死したり、職場に殉ずるなど不幸な運命に亡くなった人々や
その遺族に思いをはせるとまことに悲しみに堪えない。
思えば今後、我が国が受けるであろう苦難は、筆舌に尽くしがたいものであろう。
私は国民の心中もよくわかるが、時世の移り変わりはやむを得ないことで
ただただ堪えがたいこともあえて堪え、忍びがたいことも忍んで
人類永遠の真理である平和の実現を図ろうと思う】
天皇が国家予算を上回る秘密資金を、スイスの秘密口座に残していることは
多くの外国の学者が書いています。
本当に今後、我が国が受ける苦難は筆舌に尽くしがたい、、、ものとなった。
それなのに平和の実現を図ることができるのだろうか。
【私は今ここに、国体を護持しえたとともに、国民の真の心に信頼しながら
いつも国民と一緒にいる。】
この終戦の詔書は、国体護持宣言です。
●小森陽一 天皇の玉音放送
終戦の御前会議で、自らマイクの前に立ってと仰せられたので
内閣の方もぜひ玉音放送ということになったのであると語っている。
自らマイクの前に立つということは、ヒロヒト自身の提案だったことがうかがえる。
玉音放送は、ぎりぎりのところまで追い詰められたヒロヒトが
自らの延命と国体護持を実現するための、必死の国家イベントであり
電波仕掛けのスぺクタルであったのだ。
8月15日正午の終戦の詔書は、玉音放送として大日本帝国臣民の耳に届いた。
しかし、その後、全文が問題視されることはなく
堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び、、、、
の部分だけが毎年、反復されることになったのである。
そして鶴の一声は、海外にまで流れ、日本の戦争が終わったことを知らされた。
◎住井すゑ
「明15日正午、重大放送がございます。」
1945年8月14日正午、ラジオはニュースの冒頭で上のように伝えた。
ところで正午のニュースは、その終わりでも繰り返した。
「明15日正午、重大放送が、、、、、、」
心なしかアナウンサーの声がこわばっている。
◎作家 萩原葉子
彼女は詩人、萩原朔太郎の娘です。
その彼女は、終戦直後の生活を描いています。
【15年にもわたる戦争を「聖戦」と言わせられ、勝つと信じこませられ
「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」で、多くの人の命を奪われた挙句
玉音放送ことつでけりを、つけられたことにどこか納得がゆかなくても
誰一人として苦情めいたことは言わなかった。】
●松浦総三 詭弁すり替えの終戦の詔書
終戦の詔書は全文が詐欺の文章である。
筆者は最近、10回以上この文章を読んだが恐るべき文章である。
前文が詐欺の文章と書いたが、決して言い過ぎではない。
それは詭弁、すりかえ、ほおかぶりの連続で国体、天皇制を
死守するためのグロテスクな文章である。
終戦の詔書は、ポツダム宣言受諾、無条件降伏の文章である。
ヒロヒトらが無条件降伏をなぜ終戦と言い替えたのか
降伏や敗戦ならば、ヒロヒトらは戦争責任や、敗戦責任を負わねばならぬ。
しかし終戦にするとその辺は、あいまいになる。
戦争責任を逃れるためである。
ヒロヒト理論=終戦の詔書によれば、アジア諸国に対する侵略も
防衛戦争の一環となる。
ヒロヒトらはこの理論を盾にとって、南京大虐殺、シンガポール虐殺
重慶大爆撃、朝鮮人強制連行、慰安婦問題などを黙殺しようとするのだ。
そのような防衛戦争つまり正義の戦争も、敵は新たに残虐な爆弾を使用して
無辜を殺傷す、、、というわけで原子爆弾によって、終戦せざるを得なくなる。
この部分は、ヒロヒトの昭和天皇独白録で、ソビエトは満州で火ぶたを切った
これはどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬ、、、と本音を言っていることと
完全に矛盾する。
歴史的事実として、ヒロヒトがポツダム宣言を受諾したのは
ソ連参戦によって、ソ連の発言が強まれば国体、天皇制が危うくなるからである。
というわけで、「正義の戦争」は終戦となる。
では戦死者、戦災者、その遺族はどうなるのか。
それを思うと朕は五内為に裂く、、、、とオーバーなことを言う。
が時運の赴くところ、堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍びと言うのだ。
五内為に裂く、、、と言っているが、その内容は
被爆者援護法や空襲の補償はしないぞ、ということであろう。
★終戦の詔書ができた意味 纐纈厚
国体護持を目的とした終戦工作とは、要するに戦後、保守勢力の温存という
極めて高度な政治工作として、歴史に位置づけられるものであった。
同時に終戦工作とは、天皇制の存続を究極の目的としたように
戦前と戦後とを遮断せず、その連続性を保つための試みであったともいえる。
そのためには、戦争責任を担ってきた天皇制支配機構や、それに連なる
人脈を温存するために、いわば大義名分として終戦工作が企画されたと考えられる。
終戦工作とは、天皇を頂点とする保守勢力の温存が目的であり
戦争終結はそのための手段に過ぎなかった。
それゆえ国土を戦場とした沖縄戦の悲劇や原爆投下による
甚大な犠牲を強いられても、なおも国体護持=天皇制存続が保証されることを
確信できるまでは、ポツダム宣言の受諾を躊躇せざるを得なかったのだ。
★人間の究極な浅はかなふるまい
人間の究極な浅はかなふるまいは戦争です。
しかし、今日本の9割は、戦争を知らない子供たちです。
今、日本の政治は戦争と遠ざかるのとは、逆の道を歩んでいるように思う。
改憲の動き、安保関連のさまざまな法整備、、、、
今すぐに戦争に直結するわけではないが、「平和のため」という解釈が
その改憲が、いつどのように国民をどんなところに追いやってゆくのでしょう。
最後に東京新聞に掲載された平和の句をみてみましょう。
◎平和の句
●黒い雨 知らぬ若者 空青し
●祈り込め 鶴折る人の指の老い
●父知らぬ 位牌に残る 髪と爪
●若者を 兵器に使った 夏が来た
●九条は 日本のこころ 富士の山
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抜粋終わり
天皇根絶 日本晴れ
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