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これは、安直な話ではない。


賛成のところもあり、反対のところもある「ナイキ」のCM


そもそも「大相撲」が、肥大化している。てのもある。


また厳密に「大相撲」は、相撲というスポーツかどうかも、微妙。

女性限定の「相撲」もあるし、それで大会も開かれている。


同時に、女人禁制とかいっても、「土俵に女性が上がれない」ので、女性看護師が看護に上がれなかったかもしれない例も最近あった。


だが、その時も、とっさに「羽織」を引いて「女性が上がってない」てする「工夫」もあったはずだ。


修験道でも、大峰山は、女人禁制だが、石鎚山修験のように「開白の数日は女人禁制・あとは男女自由」ってする方法もあったりしている。


そもそも「男子禁制」があるのに「女人禁制」が絶対オカシイてのは、間違いであるが。

その「女人禁制」も確固たる理由や「便宜的な方策での緩和」とかなければ、問題にしていいが、現実にそれほど「齟齬・苦痛」を与えないのなら、それは、「フェミや似非リベの社会破壊行為」とみても大過ない。


礼儀や作法ですら、「時代」のながれで、その「本質」を守りつつ変化するのだ。

過去の儀礼や、「作法」あるいは、「男女の別」の方法を、とっていたら、今なら歩くのも困難だろう。

だからと言って、過去のそういう蓄積と変化があるから、現状の生活を「享受」できているて面もある。


参考に 李衛公問対 から



(10)
 太宗が言いました。
「むかし、帝王は、出兵を決め、将軍を任命するにあたり、三日間にわたって身を清め、将軍の任命式をとりおこなった。任命式では、まず将軍にまさかりを授与して、『これより天に至るまで、将軍がとりしきる』と言い、士気を高めるべきことを示した。それからおのを授与して、『これより地に至るまで、将軍がとりしきる』と言い、あわれみの気持ちをもつべきことを示した。そして最後に戦車の車軸に手をそえて、『進むも、退くも、時によって決めよ』と言い、現場にいる将軍の判断で臨機応変に行動すべきことを示した。こうして軍隊が出発してからは、君主の命令よりも将軍の命令が優先された。こういった将軍を任命する儀式は今やまったくすたれてしまったが、わしはそのほうとはかって、あらためて将軍を派遣する儀式を制定したい。そのほうは、どう思うか?」
 李靖が答えました。
「聖人の定めた礼法をみてみますに、①宗廟で身を清めるのは、縁起をかつぐためですし、②おのやまさかりを授けたり、戦車の車軸に手をそえたりするのは、思うままに軍隊を動かす権限を委任するためです。今、陛下は、①開戦なさるときにはいつも大臣たちとその是非を議論し、そのあと宗廟に祈ってから軍隊を出動させていますが、ここですでにきちんと縁起をかついでいます。②また、将軍を任命なさるときにはいつも臨機応変に行動するように命じられたおられますが、ここですでに思うままに軍隊を動かす権限を委任しておられます。こうしてみてきますと、現在のやり方は、むかしの帝王のやっていた儀礼と実質的には同じです。あらためて儀礼を制定する必要はないと思います」
 太宗が言いました。
「そのほうの言うとおりだ。さっそく側近たちに命じて、以上の二つを文書にまとめさせ、それを今後の正式なやり方としよう」

特に李靖が言っている、

・・・・・・・・・

聖人の定めた礼法をみてみますに、

①宗廟で身を清めるのは、縁起をかつぐためですし、

②おのやまさかりを授けたり、戦車の車軸に手をそえたりするのは、思うままに軍隊を動かす権限を委任するためです。

今、陛下は、

①開戦なさるときにはいつも大臣たちとその是非を議論し、そのあと宗廟に祈ってから軍隊を出動させていますが、ここですでにきちんと縁起をかついでいます。

②また、将軍を任命なさるときにはいつも臨機応変に行動するように命じられたおられますが、ここですでに思うままに軍隊を動かす権限を委任しておられます。

こうしてみてきますと、現在のやり方は、むかしの帝王のやっていた儀礼と実質的には同じです。あらためて儀礼を制定する必要はないと思います


・・・・・・・・・・

こういう風な解析が為されている。

その意味がわからないと、それ継続もしないし、それを改変してつなげていくのもできない。

安易に「男尊女卑」と表向きの事象を一方向から解釈するのもダメだし、同時にそういう「不都合・差別」ともいえる実態を見て、変革を適切に行うってのも大事なのだと思う。




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