考え方の作法。 1 戴晋人{遍照飛龍} 2023年4月30日 21:03 言葉というものは毛糸で衣服を編んでいく作業と酷似して、その時の時代性の中で不断の努力として未来のために言葉を編んでいき同時にある時代の人々が編んできた言葉が再度解かれて、また編まれる事も受容せねばならない今の時代を生きたモノの証しとして「言葉を残す」、呪詛・祝詞となろうとも— 来世は工口触手@キール (@aoJvqLcHOrs7UWg) April 29, 2023 「真実に沿おうとする事」と「自分は真実に沿っていると思い込む事」は似て非なるものである。大事なのは前者である。「信者的思考」の人は「自分は真実に従っている」と思い込んでいるはずである。「教祖」が言う事を全て「真実」と思い込む事で「信者」となる。かくして両建の一角に組み込まれる。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 「両建」の論理的な本質は、人間が言葉を使って物を考える二元相対的分別・概念的思考の実体視・絶対視にあると見る。したがって、如何なる考え方・思考・思想・哲学と言えども、それを「絶対の真実」と思い込むなどして絶対視すれば、両建の一角に組み込まれる危険がある。それが「信者的思考」の弊。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 言葉が他の言葉との関係で意味が決まる関係態であるとすれば、言葉を実体視・絶対視する事自体がそもそも道理に合わないと言える。本居宣長の「うい山ぶみ」という国学入門書に「語源の探求はほどほどにすべし。言葉は様々な文脈との関係性でその意味を探るのが有益。」という趣旨の事が書かれている。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 宣長が「語源の探求はほどほどにせよ」と書いた事は、かえって「言葉の本当の意味」という実体論的な「語源」探求をしている国学者が多かった事を示している。この傾向の延長に平田派の音義説が出たと推測。音義説などが典型だが、実体論的な言語観にとらわれると、かなり両建にからめ捕られ易くなる。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 音義説とは、五十音など国語の各音にそれぞれ本来の語義があるとする語源論の一種である。こうした音義説の前提があって、明治以後に日猶同祖論が流入すると、「○○という日本語の語源はヘブライ語の××」といった言説が出てくる訳である。言葉を実体視すると、二元相対的な両建に嵌り易い事が分かる。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 フリーメイソン思想の特徴は「始原を求める思考」という説がある。「始原を求める思考」とは、「世界の根源」などの究極の実在を求める実体論的な思考である。始原を求める思考は古今東西どこの文化圏にもみられるので、始原を求める思考があるからといって必ずしもフリーメイソン的だとは言えないが、— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 フリーメイソンが「始原を求める思考」をもっている事は事実だと思われる。そもそも「世界を一つにする」というワンワールド主義自体が「一つ」に収斂させていく思考である。「語源」という「始原」探求に熱を上げる平田派国学者の流れが、日猶同祖論に引き付けられ、而して石屋に絡めとられる道筋は、— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 言葉による概念的思考を実体視・絶対視する所から両建に引っ張り込まれる危険性を如実に示していると思う。古語の意味はその言葉が使われた文脈や時代的な背景との関係性に着目して探求すべきという宣長の忠告を聞かず、語源探求に執心した結果、平田国学の徒の流れは英国系石屋の罠に落ちたのである。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 「この言葉の語源は絶対に○○だ」と絶対視して思い込むのも、「信者的思考」の一種である。一旦そういう思考に嵌ると、「日本人は猶太人」という話にまで飛躍するのにあまり時間はかからぬであろう。日猶同祖論の中でも、特に語源論に関しては、江戸後期の平田派国学の音義説が素地となったと見る。— 菊池 (@kikuchi_8) April 23, 2023 「両建に嵌められる原因の考察」の続き。両建に嵌められる原因の一つに「特定の思想体系を丸ごと受け入れる」という事があると考える。哲学・宗教・主義・イデオロギーなど、特定の思想の体系を丸ごと受け入れると、その体系を相対化して見る事が出来なくなるので、両建構造に嵌められ易くなると見る。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 個人的には、日本や東洋の伝統的な思想哲学学問(国学・儒学・仏教・老荘など)を参考にしたり引用したりする事があるが、それは自分の判断で批判的思考に役立つと思った部分を参考にしているに過ぎない。それら既成の各思想・学問の体系を丸ごと受け入れている訳ではない。この点がたまに誤解される。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 役に立つ情報とそうでない(場合によっては有害な)情報を取捨選択する「情報のフグ料理人」の腕前が必要と以前から述べているが、これは思想・哲学・学問即ち「先人の智恵」を拝借する場合にも当てはまる。自分なりに事理に照らして妥当な部分を参照するという独立的思考を心掛けているつもりである。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 ただし、各思想の体系を客観的に理解する事は重要である。各思想の体系を客観的に理解していないと、裏権力の思想分析が出来ない。特定の思想体系を客観的に理解する事とその体系を自分の信条として丸ごと受け入れる事は異なる。体系を鵜呑みにすると、独自の批判的思考が失われ、思考が硬直化する。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 両建に嵌められた者の思考は「体系を丸ごと受け入れる」と「体系を丸ごと拒否する」の二者択一になりがちである。例えば、「バチカンがニューエイジ批判をしている」からといって「ニューエイジ批判をする者はバチカンの手先だ」と短絡するニューエイジ信奉者がいた。後件肯定の誤謬で論理的にも誤り。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 「ニューエイジ批判」といっても中身は様々であるのに、「ニューエイジ批判=バチカン」と決め付けて「ニューエイジ批判は全て同じ」と思い込んでいる訳である。「思想体系を受け入れる・受け入れない」の二者択一の頭になっている事が分かる。こういう状態だから簡単に両建に絡め捕られるのである。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 特定の思想体系を丸ごと受け入れた者が両建に絡め捕られ易くなるとすれば、裏権力側からすると、人々を両建に絡め捕る為には「体系」を製造すればよいという事になる。実際に彼らは、哲学・宗教・主義・イデオロギーなどの各種思想の体系を作り続けている。そのテクノロジーの根本が「秘教」だと見る。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 裏権力の思想工作では、思想体系を作る場合もあれば、各国各地域の伝統的な思想を改竄する場合もある。作り出す場合も憑依改竄する場合も、裏権力の目的に合致するように思想体系を設計・構築する点では同じである。思想の体系を受け入れた者が、裏権力の意図通りに思考・言動をするようになる仕掛け。— 菊池 (@kikuchi_8) April 30, 2023 大事なことです。何かを盲信する信者・“正義”中毒者・何かを叩いてストレス解消したい暴徒などに好まれるのは、単純な二元論的構図である。麻薬中毒者は薬の成分や麻薬の流通機構などに興味はないのである。それに対し、麻薬の成分や流通の背後関係を調べ、「麻薬は止めなさい」と言うのが両建を認識する追及者である。— 菊池 (@kikuchi_8) March 19, 2023 荘子に「兼忘」という語があったと記憶する。「両極端を兼ねて忘れる(両極端にとらわれない)」という意味だと解釈する。「兼忘」の語は、二元相対の両極端に誘う対立事象に処する際のヒントを与えてくれる気がする。諸子百家の果てしない対立抗争を観察する中で、かかる発想が生まれたのかもしれぬ。— 菊池 (@kikuchi_8) March 19, 2023 同じく荘子に「環中」なる語あり。環(わ)の真ん中の位置にいる事で全方位的に適切な対処が可能になるとの意と解釈する。スポーツで「体幹が大事」と言われたり、武術で「中心を取る」事が重視されたりする事もこの理に通じると思われる。思考上の「環中」から逸れて周縁に引っ張られると両建に嵌る。— 菊池 (@kikuchi_8) March 19, 2023 これも大事よ。お読みくださりありがとうございます ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #言葉 #思想 #天皇 #統一教会 #語源 #ニューエイジ #日本会議 #両建 #始原 #国際秘密力 #思想体系 #日本会議は統一教会 #神社は統一教会の施設かも 1