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少しでも正気が残ってたら、わかるよね。「天皇こそ最大のカルト宗教」って。


上記文抜粋
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▼もっと恐ろしいもの

 しかし、そんなあからさまなカルトや、カルト化している教団などとは違い、国家規模で国民の大多数をほとんど自覚させずに洗脳することに成功し、忠実な信徒として命まで捨ててでも奉仕することを命じ、その結果、日本人だけでも300万人以上もの犠牲者を出した。それは何という集団でしょうか?
 もうおわかりの方もいらっしゃる思います。そのカルト集団の名前は「大日本帝国」と言います。そして、その宗教的カルトの名は「国家神道」または「近代天皇制」とも言います。
 多くの人が、これがカルトであることに今でも気づいていません。でも、これは明らかにカルト的なマインドコントロールを使ったおそらく日本の歴史上で最大の犯罪です。
 私は「天皇家自体をとり潰してしまえ」とまでは言うつもりはないので、そんなに過激なことを主張しているつもりはありません。天皇というのはキリスト教が日本に入ってくる以前から(ただし、イエス・キリストが地上で生きていた頃よりも昔からあったかはかなり眉唾だと思いますけれども)、まああったものですよね。それが一概に悪いものだと言い切るつもりはないです。
 それに、日本の古来からの神社の宗教、すなわち「神道」が元々から悪いものだったのだとも思いません。それは古代人が自然崇拝をしていた頃から、連綿と受け継がれてきたもので、その古代からの形が今でも残っているという点では、大変宗教学的に「面白い」と言っては失礼かもしれませんが、まあ面白いです。自分が神社に行って拝んだりはしませんが、拝んでいる人を見て否定したい気持ちが湧くこともありません。
 けれども、少なくとも明治維新以後の大日本帝国によって捏造された「近代の」天皇制。そして、その天皇を頂点として昔からある数多くの神社を再編成した国家神道(当然、神社の中には、この国家による神社の再編成に反対の意志を表明していたところもあったそうですが)、この元々の神道とは違う「国家の」神道。これが非常に問題だと思っているわけです。

▼私は神である

 もうご存知の方にとっては、仏に説法と言いますか、イエスに説教になってしまうんですけれども、あえてまとめますと、この国家神道というものは、要するに「天皇は神の子孫(具体的には天照大神という太陽神の子孫)であるから神なのである。人であり、神である。神が人間の姿をとって日本を支配する。これを「現人神(あらひとがみ)」といいますよね。
 天皇は神、それも日本中にある八百万の神々の頂点に立つ神ですから、絶対的な存在です。絶対というのは「対するものが絶えている」つまり「対抗できるものは存在しない」ということですから、この神に逆らうということはあり得ない。
 この件について、「キリスト教だって似たようなもんじゃないか」と反論してきた高校生がいまして、この子が言うには「例えば、イギリスでは国歌で『God save the Queen』とか歌うじゃないか。あれだって君主が神の権威を借りているじゃないか」と言うわけですけれども、やはりそれは違うわけですね。
 「神様は女王を守ってくださいます」なので、本来は女王よりも神の方が上ですよね。また、オーストリアのどこかの昔の戴冠式で「『(王は)神の使徒である』という聞いたことがある。だから王は神の代理人なんだ」とも言うわけですけれども、やっぱり「神」ご自身と「使徒」という使いっ走りとは格が違うんだよと。これに対して、天皇というのは「私が神だ」と名乗ってしまったのさと。
 「私よりも上の存在はいないのだ。私の命令に背かないということはあり得ないのだ」と言ってしまったことの恐ろしさというのは、ものすごいことなんだぜ、と私はその生徒さんに話しましたけれども、私の説明が下手くそだったせいか、全く納得していない、というより納得する気もしないという態度でした。
 確かにキリスト教徒も、随分神の名の下にひどい戦争や差別などを行ってきました。世界で一番人を殺してきたのはキリスト教徒だとも言われます。けれども、それでもどんな専制的な君主でも「自分はひょっとしたらあの世で神に罰せられるかも知れない」と思うだけの最後のひとつまみの謙虚さみたいなものの可能性はあると言えるわけです。
 それを、「私は神である」とやってしまうと、この人間を止めることができる人はこの世人もあの世にもいないということになります。こんな危険なことはありません。お分かりいただけますでしょうか。

▼英霊と靖國

 この天皇すなわち現人神が君主であり支配者であることに加えて、日本の国は、天皇という神の体である。それを「国体思想」と言いますし、この日本の国は先祖代々大昔から「万世一系」の天皇の国だったのであるという考え方(もちろんこれは明治になってから捏造された嘘の歴史ですが)これを「皇国史観」と言います。
 そして、この支配者たる現人神:天皇のもと、国民はどういう位置づけかというと、国民は「天皇の赤子(せきし)」であるとされます。天皇の赤ん坊ですね。つまり、国民一人一人は天皇によって命を与えられた存在なのであると。
 これは、よく考えたら本当に変わっているなと思うんですけれども、普通は誰それの赤ん坊で親子関係だというなら、親が子のために身を呈してでも守るという発想になるんじゃないかと思うんですけれども、この国体思想の場合は、赤子つまり赤ん坊の方が、命を与えてくださった現人神のために、いざという時には命を捧げよ、命をお返ししなさいと言われるわけですね。
 それが最悪な形で実行に移させられたのが戦争で、特に太平洋戦争ではおよそ300万人もの大日本帝国軍兵士(またの名を「皇軍兵士」つまり天皇の軍隊)が命を奪われました。しかし、最近はよく知られるようになりましたけれども、この300万人のうち7割から8割の人々は作戦行動に戦闘で命を失ったのではなく、餓死か病死だったらしいですね。つまり軍の作戦失敗によって犠牲となってしまった人たちがほとんどだったということです。
 この場合にも、「日本は負けるはずがない。神風が吹く」という信仰が上から下まで日本人を洗脳していて、日本人はほとんどこれに逆らうことができませんでした。
 こうやって天皇のために死んでいった兵士の魂は、皆「英霊」という「神」になって靖國神社で祀られると教育されていました。そのために、多くの兵士達が「靖國でまた会おう」という言葉に騙されて、神風特攻隊のような自爆テロのような作戦で殺されていきました。

▼沖縄

 最終的に日本は、広島と長崎の2カ所に原子爆弾を落とされて、1945年8月15日に敗戦を認め、無条件降伏したわけですけれども、その前に絶対に忘れてはいけないのは沖縄戦ですね。
 沖縄戦は、アメリカにとっては日本での本土決戦のための基地を確保するための戦闘、日本にとっては本土を守るための時間稼ぎでした。この時の死者がおよそ11万人で、軍人の死者がおよそ9万5千人、一般人の犠牲者が9万5千人、つまりほとんど同数です。
 生き残った人たちの証言によれば、軍は一般人を守るのではなく、一般人の住む村を縦にして自分たちを守ろうとし、また「生きて捕虜となる辱めを受けるな」と言って一般人に手榴弾を渡し、集団自決させました。その一方で自分たちは自決せず、隠れて生き残ろうとしていた兵隊もいたといいます。
 そして、この沖縄戦が日本軍の敗北で終わったのが6月23日。この時点で天皇とそれを囲む御前会議が無条件降伏を決断していれば、世界史でも唯一の実戦での核爆弾の投下は避けられたかもしれないのですが、ここでも彼らの「もう一撃アメリカに打撃を与えて、陛下のために一花咲かせてからでないと降伏はできない」という甘い願望のために決断が遅れ、8月6日の広島と8月9日の長崎への原爆投下で50万人近くの人の命が一瞬にして奪われました。
 もちろん核兵器を投下したアメリカの罪は重いでしょう。しかし、沖縄の人びとを本土の防波堤として利用して多くの犠牲を出し、それでもなお後戻りすることができない愚かさのために、更に多くの犠牲を出してしまうという罪を、天皇とその側近たちは犯してしまったわけです。
 

▼人間宣言

 更に私が「これは赦せない」と思うのは、この後、日本が敗戦を認めてから、昭和天皇が「人間宣言」を行ったことです。
 もちろん天皇は人間である。当たり前のことです。正真正銘の人間です。でも、定着し始めたばかりの日本最初の学校教育制度に則って、「天皇は神である」と政府は全国民に教育しました。そして、神である天皇のために死ぬことこそが、皇国の民として最も光栄ある生き方、死に方だということを徹底的に洗脳しました。
 私がこの洗脳が凄まじいものだと実感したのは、当時皇軍兵士だった男性の方々や、自分の息子たちを万歳三唱して兵隊に送り出した母親だった女性の方々が、「日本が負けるなんてことは少しも考えたこともなかった」と言い切っているのを、テレビのインタビューなどでいくつか見たときですね。この時、人間というのは閉鎖的で他からの情報が一切入らない環境に置かれてしまうと、こんなに完璧にマインドコントロールされてしまうものななんだなと思い知らされました。
 昭和天皇が敗戦の詔勅をラジオで読み上げた時(いわゆる「玉音放送」ですが)その時も、多くの日本人は「ホッとした」とか「これで死ななくて済んだ」と安心したのではなく、「一億総懺悔」と言ってみんなで皇居に向かって土下座したんですよね。「陛下や政治家たちが悪いのではなく、自分たちがいけなかったのです。戦争に負けてしまって申し訳ございません」と言って、天皇に謝ったんですね。それくらい洗脳が深かった。
 そこまでやらかしてしまって、自分を信じる膨大な数の人びとが自分のために命を落とした。この現実に対して、昭和天皇は「人間宣言」です。「私は実は神ではありませんでした」。そんな事を言って謝って済むと思うのかと、私は憤りを抑えることができません。こんな男を生かしておいてよかったのだろうか。なぜ彼は戦後ものうのうと生きておられたのかと。
 しかし、この時もしも昭和天皇を処刑などしてしまったら、それこそ彼は悲劇の英雄、最高の英霊として祀り上げられ、更に国家神道が強まってしまって、もっと日本は狂っていったでしょう。ですから、結果的には死刑にならなかったことで、まだ日本のためには少しはマシだったのかもしれません。


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抜粋終わり

 >これは、よく考えたら本当に変わっているなと思うんですけれども、普通は誰それの赤ん坊で親子関係だというなら、親が子のために身を呈してでも守るという発想になるんじゃないかと思うんですけれども、この国体思想の場合は、赤子つまり赤ん坊の方が、命を与えてくださった現人神のために、いざという時には命を捧げよ、命をお返ししなさいと言われるわけですね。

その通りですは。

だから、裕仁とその遺醜は、許してはいけない。


天皇を根絶やしにしなければならない。


>私は憤りを抑えることができません。こんな男を生かしておいてよかったのだろうか。なぜ彼は戦後ものうのうと生きておられたのかと。


天皇とは、恥知らずの人でなし である。


当該記事の人は「新教」系の人。

まあ「正教会」に比べると邪教だが、天皇よりは少しマシて人。


でも

「天皇はカルト宗教」ってわかるんだよ。

まともな人間なら「天皇はカルト宗教とその教主」ってわかるよね。


天皇の無い  蒼い空を取り戻す。

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