最初から、上が腐っているから、日本は滅びる。


より

上記文抜粋
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市議会議員の口利きで「税金も保険料も払わないまま」生活できる…元明石市長が呆れた「ヤバすぎる腐敗っぷり」 

刊行前から話題沸騰していた泉房穂著『政治はケンカだ!明石市長の12年』が本日、いよいよ発売となる(聞き手=『朝日新聞政治部』の著者で政治ジャーナリストの鮫島浩)。暴言で辞職した泉氏が、市長退任翌日に出版する本とあって、その内容に大きな注目が集まっている。

実際に本書を開くと、議会、政党、宗教団体、市役所職員、マスコミと、これまで泉改革に「抵抗勢力」として立ちはだかってきた相手全員に、泉氏が痛烈な批判を浴びせている。発売記念となる今日は、「議会編」を特別に公開しよう。

一人も味方のいない檻の中
鮫島 いかなる政党や団体からも支援を受けず、無所属という立場で選挙を勝ち抜いてきた首長にとって、最初に巨大な壁となって立ちはだかるのが議会と役所。有権者に応援してもらって当選した首長は、そこでいきなり一人も味方のいない檻の中に放り込まれることになります。

泉 その通りです。

鮫島 これは改革派・市民派の首長にとって避けては通れない関門で、当選はしたけれど、手練手管を尽くして近付いてくる猛獣だらけの議会や役所に取り込まれてしまい、とくに目立った実績も残せず任期を終えてしまう、という首長も実際山ほどいます。

ここのところは、なかなか一般の人が理解しにくいところで、「市長なんだから何でもできるじゃないか」と思うかもしれませんが、予算案だって条例だって、全て議会の承認がなければ通らない。つまり、議会という難敵をどういなすかが、その首長が公約で掲げた政策を実行に移せるか、改革を断行できるかどうかの最大のポイントになってくる。本章では、泉さんの宿敵でもあった議会について、じっくり聞かせてもらいます。

泉 就任した当初は市議会のリアルに愕然としました。「こういう世界がホンマにあるんか」と。予想はしていたけれど、予想をはるかに上回る理不尽さ、不合理さでした。議会には、よくわからない暗黙のルールがたくさんある。さすがの私も最初は面食らいました。

市長が任命する監査委員だって、明石市では議会が勝手に決めている状況でした。ビックリして「なんで市長に人事権があるのに、議会が勝手に決めるの?」と聞くと、「長年の慣習です」だって。就任1週間くらいで、いきなり蹴ってやりましたよ。「そんなのおかしい」「私が決めることやから」と言って。

さすがに初っ端だったので、すぐに手打ちはしましたけど、それ以降はなぜその人物を任命したのか理由を書かせることにしました。その人が監査委員に適任か確認させてもらって、適任だと判断した上で私が決める。議会が言ったから従うのではなくて、理由があって市長が選んだ形に変更しました。

それから、議会や役所と市長のパイプ役になるのが副市長なんです。副市長が、何度も私のところに相談に来るわけですが、ぶっちゃけ、「口利き」とか「忖度」に関する報告も結構ありました。

私は初期段階では頑なに拒んでいたんですけど、議会が反対ばかりで持たなくなってくると、応じるケースも正直言ってありました。

ただ、たとえば2択の選択肢があって、「こちらに決めてください」という働きかけがあった場合、「逆転させるのだけはやめてくれ」と、そこは強くお願いした。同じ点数で横並びのときに、どちらでも変わらない状況であれば、そこはセーフだけど。明らかに劣勢のほうを、忖度によって選ぶことだけはやめてくれと。市民への裏切り行為になるようなことだけはやめてくれと、そこは口酸っぱく言いました。

まあ、市議会ってそういうところなんです。あまり、世の中の人に知られてない部分だと思いますけどね。

口利きをしてカネをもらう市議会議員
鮫島 この時代でも、地方の市議会ってそんな感じですか。口利きってどういうこと?

泉 「議員の知り合いを役所で雇ってくれ」とか、「この業者を使ってくれ」とか、そういうお願いです。

鮫島 ずいぶん直球でくるんですね(笑)。

泉 ぜんぶホンマの話ですからね。明石市役所の場合は、部長決裁でパートを雇えたんですよ。だから、市議会議員にねじ込まれたら、その知り合いを市役所で1年契約で雇う、なんてことも行われていた。

就職先が見つからなかった私の友人だって、県議会議員に金を包んで、会社に就職させてもらってました。信じられないけど、就職先がない人が地元の議員に金を渡したら就職できたんです。その議員が関係している労働組合のコネを使ってね。ただ、ひどい話で、就職したはいいけどすぐに遠くに飛ばされて辞めざるを得なくなった。

うちの身内だって……。子どもを保育所に入れるために市議会議員に金を包んでいる姿を、幼い頃に私は見てますしね。私は、ずっと激怒して「やめろ」言うてたんです。でも、田舎ではみんなそれが当たり前だと勘違いしている。市議会議員に金を包まないと子どもを保育所に入れられない、と思い込んでいるんです。

ある時なんか、「額が少ない」と議員に突き返されたと聞きました。思い出すだけでもホンマ腹立つ。私は子どものころから、そういう古い世界を見て憤っていたわけです。
なんで貧乏人が金持ちの市議会議員に金包まんといかんねん!

鮫島 泉さんの議会に対する怨念は12年ではなく、50年近く積もり積もっていたわけだ。幼い頃に市議会議員に抱いた理不尽に対する憤りが、10歳から市長になろうという思いになり、今に至っていると。

泉 私が市長になった2011年になっても、まだ市議会議員が口利きしていたから、私がそういう古い慣習を「すべてやめろ」と言った。でも、いくら言ってもやめなかったので、途中からは部長の権限を取り上げて、パートも含めて全て私の決裁にしました。口利きができなくなると、やることがほとんどなくなる議員もいました。

鮫島 市議会議員は、他にどんなことを泉さんに働きかけてきました?

泉 とある議員なんて、自分の支持者が保険料を滞納した際に、その人に市から滞納請求が届いたと言って激怒してきた。税金を滞納して開き直っている人はいっぱいいますけど、仲のいい市議会議員に頼んだら、保険料やら税金を滞納しても払わないでいい状況が明石市では続いていたのです。議員が市に働きかけて、請求を止めていた。

他にも、市営住宅に住んでいる人が家賃を滞納しても、議員に頼んだら請求されずに放置されていたり。ホンマにびっくりする世界でした。

私が市長になり、議員のメンツなんてお構いなしに滞納請求しまくっていたら、あらゆる方面から激怒されました。「俺の顔が潰れた」言うて。

私は、本当にお金がなくて困ってるのなら別の方法で救済するし、お金があるなら「その人間に払わせろ」と言いました。当たり前の話でしょ。明石市役所には、弁護士職員が10人いて、やっかいごとに関しては訴訟辞さずで臨みましたから、びっくりするぐらい徴収率が上がりました。いまでは市営住宅の家賃滞納もほぼなくなっています。

明石は田舎ですから、都会とはまったく状況が違います。市役所に就職するのに、「市議会議員の口利きがないと入られへん」といまだに思っていたりする。

私が市長になってから、少なくとも私の目が及ぶ範囲では公正にやったけど、裏では何が起きてるかわからない。

もちろん議員の全員とは言いません。しかし残念ながら、そういうことをしていると思われる議員は現に存在するんです。

「市長は直接市民と喋るな!」
鮫島 なかなか根深い問題ですねえ。泉さんとしては、現在の市議会、あるいは議員の役割は何だとお考えですか?

泉 残念ながら、日本の地方自治において、議会は機能が低下していると言わざるをえません。あまり問題とされることがありませんけどね。

かつての市民と遠い距離に市長がいた時代や、バラ撒き政策の時代には、議会が機能しやすいこともありました。遠い存在である市長や役所には言いにくいけど、投票してる地元の議員さんを通して市民が要望を伝える。議員がパイプ役を果たしていました。

それが機能したのは、高度経済成長期で地方自治体の予算が右肩上がりの時代です。そんな時代には、予算の分捕り合いになるんですよ。悪い意味ではなくて、行政として気付きにくいことを議員が「大事なテーマがありますよ」と気付かせてくれるケースもありました。つまり、右肩上がりの分配型政治の時には議会は一定の機能を果たしていたし、まだ情報公開が進んでおらず行政がブラックボックスだと思われていた時は、市民が市議会議員を頼ることも多かった。

でも、いまは両方が様変わりしています。まず、ご存知のように行政も相当情報公開が進んでいます。私のように市長意見箱に届いた意見すべてに目を通して直接指示したり、ツイッターで直接市民とやりとりできる時代になってますから、パイプの役割がほぼいらなくなっている。

さらに二つ目として、かつてのように潤沢な予算をどう分配するかではなく、選択と集中のフェイズに入っている。かなり前から、議員が思うように予算を引き出せる状況ではなくなっているわけです。むしろ課題としては逆で、これまで続いてきた行政サービスを、地域にご理解いただいて止めなきゃいけない。

「これまであった施設は老朽化したから、もう新しい建物を作らずに潰します」とお願いしなきゃいけないケースが増えている。そうすると議員の仕事は、地域や業界団体に「諦めてください」と説得する方向になります。

地方議会の役割が変わってきているのに、昔ながらの発想を変えられない議員が、ハレーションを起こすわけです。「ワシが言うとんやから予算くれんかい」とか「ワシらがパイプ役やから、市長は直接市民と喋るな」とか。

典型的な例でいうと、私が地域に出向いて市民と懇談会を開くというと、いつも議会は怒るんです。「お前が直接市民と話したら、ワシらの仕事ないがな」と。彼らは、市長に市民と直接接触されると困るんですね。

鮫島 ツイッターなどを使って市長が市民と直接対話できる時代になり、双方の距離はぐっと近付きました。これまで幅広い市民の声を拾い上げて市長に届ける役割を担ってきた市議会議員たちの存在意義が問われることになったのです。行動力のある市長にとって議員たちは、むしろ市民との直接対話を阻む存在となりました。

市民が議員に求める役割も変わってきています。右肩上がりの時代は自分の地域や業界に予算をぶん取ってきてもらえれば良かったのですが、少子高齢化・人口減時代に入って予算配分の優先づけが重要になり、利益誘導や口利きよりも市民と双方向の対話を重ねて解決策を探る議員が求められています。

泉 この12年間、議会とは衝突しながらも、一定の距離感を保って誤魔化し誤魔化しやってきた感じです。議会を完全に掌握することは不可能だし、だからといって理不尽さに迎合もしたくなかった。

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抜粋終わり


上記文抜粋
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自民党総理候補に泉房穂が圧勝!

4月23日に投開票された統一地方選。兵庫県明石市でこんな大事件が起きた。自民党は立憲民主に圧勝したと吹聴するが、明石市では泉房穂氏が立ち上げた地域政党「明石市民の会」に完全に敗北した。

明石市は泉房穂氏が3期12年にわたって市長を務めてきた。全国に先駆けて「異次元の子ども施策」を実行し、市の出生数のみならず人口、税収も飛躍的に伸ばして「明石モデル」と称賛された。今回はその名物市長が、これまたお馴染みとなった「暴言」を理由に辞職(政治家引退)。今回の市長選に突入した。

泉氏の市長任期はこの4月いっぱい。市長退任翌日の5月1日に出版される泉氏の著書『政治はケンカだ! 明石市長の12年』がいま、話題を呼んでいる。市長在任中にはけっして口に出来なかった、改革に抵抗する勢力との闘いの内幕を明らかにしているからだ。聞き手を『朝日新聞政治部』の著者で気鋭の政治ジャーナリスト・鮫島浩氏が務めている。

市議会、政党、宗教団体、マスコミ、市役所職員……。泉氏が「四面楚歌」の状態でいかに闘争してきたか、同書にはすべて記されている。前回記事に引き続き、発売に先駆け、同書の内容を特別に公開する。

国を挙げて障害者を差別する施策を推進
泉 当時は「優生保護法」という法律があり、国を挙げて障害者を差別する施策を推進していました。なかでも兵庫県は悲惨な状況でした。当時の兵庫県知事が自ら音頭を取って「不幸な子どもの生まれない運動」という政策を推し進めていたのです。障害者への不妊手術等の強制や、妊婦の出生前診断を奨励し、羊水検査で障害を持つ可能性が高いとわかったら、生ませないようにする運動でした。

うちの弟も、障害を持って生まれてきたので、両親はそのまま見殺しにするよう医者に言われました。「放置して死んでいくのを待て」と。

鮫島 恐ろしい話です。たった50年前の日本で起きていた現実ですからね。

泉 両親は、いったんは承諾してしまったのですが、「やっぱりこの子を死なせることはできない」と思い直し、私が待つ自宅に弟を連れ帰ってきました。「障害が残ったとしても、自分たちで責任を持ちます」と突っぱねたんです。私は両親から「お前は将来、親が死んだら弟の世話をせえ。そのために二人分稼げ」と言われて育ちました。両親の言う通り、二人分稼がないと弟と生きていけないし、両親を楽させたいという思いも幼心に強かった。だからこそ、自分が勉強を頑張らないと、と思いました。

助けるどころか、障害を持って生まれてきた子どもとその家族に鞭打つような施策を、行政が公然と行う。私は幼いながらに「こんなやり方は絶対に間違っている」と強く思いました。うちの両親は、そんな時代にあっても「何も恥ずかしいことはない」と、あえて弟を街に連れ出しました。その後、障害児を持つ家族たちが集う場を明石市内に作り、小学生だった僕も放課後はよく連れて行かれました。

そうすると、昼間に通う学校が嘘っぽく見えてきたんです。障害を持つ子どもたちが本当はたくさんいるのに、あたかもそういう子が存在しないかのようにして成り立っている“普通”の学校に対して、強烈な違和感を抱いた。

うちの弟は、小学校に入る前に立ち上がって、よちよち歩きではありますが、歩けるようになりました。家族みんなで「小学校入学に間に合った」と喜び合いました。ところが、当時の行政は障害を理由に、近くの小学校への弟の入学を認めなかった。「徒歩通学は大変だから、電車とバスで行ける遠くの学校に行け」と言うのです。
 
誓約書を出すことで弟の入学は認められましたが、私はその理不尽さに憤りました。だからこそ、たった一人でも「例外」を出してはならないと、強く思った。くさい言い方ですが、「冷たい社会を優しい社会に変えたい」と本気で思い、小学5年生の時には明石市長になりたいと考えるようになりました。

世の中何かが間違っている
鮫島 小学5年生にして、冷たい社会と闘うことを決めたのですね。泉さんが実施した明石市の施策を見ても、「誰一人見捨てない」という思いが表れています。18歳までの子どもの医療費無料化も「所得制限なし」という部分に政治理念を感じます。支援を受ける権利を持つのは親ではなく子どもであるという立場を徹底すれば、親の所得に関係なく全ての子どもが無料で医療を受けることが当然であるという社会をつくらなければならない。どんな例外も認めず「99%ではダメだ、100%を目指す」という強い信念が伝わってきます。

それにしても、10歳から明石市長を目指していたとはすごい。

泉 はい。冷たいまち・明石を優しくするのが自分の使命だと思い、そのために生きていこうと心に決めたのです。東大受験のための勉強中に眠くなっても、「今、寝てしまったら救える人も救えなくなる」と本気で考えてました。自分には使命があり、その使命を果たすためには「受験ぐらい通らなあかん」と。

うちの場合は、障害を持って生まれた弟が、途中から立ち上がり、自分の足で歩けるようになった。それから、両親の頑張りによって、苦しかった生活もなんとか持ち直してきました。そうなってくると、自分の家はたまたま好転したけど、そうなってない家庭もたくさんあるだろうと考えるようになりました。

繰り返しになりますが、幼い頃から「今の社会でいい」とは思えず、「社会というか世の中というか、何かが間違っている」と漠然と感じていました。具体的な誰かではなく、社会のあり方そのものが根本的に間違っているんだろうと。

何とかして社会そのものを変えたいと思った。これが私の原点です。だからこそ、変える「フリ」ではなく、本当に変えたいと思った。

子どもの貧困問題で言えば、実際に子どもが満足に食べられるようにするのが政治家の仕事であって、「子どもが貧困です」と叫ぶのが仕事ではない。具体的に問題を解決して、子どもを笑顔に変えるところまでが政治家、そして市長の仕事だと考えています。

鮫島 私が朝日新聞政治部に着任したのは1999年ですが、当時は泉さんと同じように、子どものころに感じた理不尽が原点だという政治家が、自民党にも野党にも多かった。これはジャーナリストも同様で、私も母子家庭で育ち、高校から奨学金で通っていましたし、世の中の理不尽を強く感じながら育ちました。もちろん、現実の壁にぶつかったり権力闘争に巻き込まれたりして、歪んでいってしまう人が多いわけですが、スタートラインで「いまの世の中どこかおかしいよ」と感じている人がかなりいた。

でも、あれから時が流れ、永田町を見渡すと、二世・三世議員ばかりが目につくようになりました。世襲議員じゃなくてもエリート官僚出身だったり。恵まれた家庭で育ち、良い大学を出た学歴エリートばかり。与党も野党もいわゆる「上級国民」と言われる人ばかりじゃないですか。今の政治家の多くは、世の理不尽を感じずに政治家になってるんです。

新聞社もまったく同じで、結局はそういう人たちが、政治やメディアを仕切っている。上級国民が上級国民のための政治行政をしている。これが染み込んでしまって、庶民の感覚とはどんどんかけ離れていってしまった。そこに庶民のど真ん中から現れたのが、泉さんだったんじゃないかと感じています。

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自民党総理候補に泉房穂が圧勝!

4月23日に投開票された統一地方選。兵庫県明石市でこんな大事件が起きた。自民党は立憲民主に圧勝したと吹聴するが、明石市では泉房穂氏が立ち上げた地域政党「明石市民の会」に完全に敗北した。

明石市は泉房穂氏が3期12年にわたって市長を務めてきた。全国に先駆けて「異次元の子ども施策」を実行し、市の出生数のみならず人口、税収も飛躍的に伸ばして「明石モデル」と称賛された。今回はその名物市長が、これまたお馴染みとなった「暴言」を理由に辞職(政治家引退)。今回の市長選に突入した。

泉氏の市長任期はこの4月いっぱい。市長退任翌日の5月1日に出版される泉氏の著書『政治はケンカだ! 明石市長の12年』がいま、話題を呼んでいる。市長在任中にはけっして口に出来なかった、改革に抵抗する勢力との闘いの内幕を明らかにしているからだ。聞き手を『朝日新聞政治部』の著者で気鋭の政治ジャーナリスト・鮫島浩氏が務めている。

市議会、政党、宗教団体、マスコミ、市役所職員……。泉氏が「四面楚歌」の状態でいかに闘争してきたか、同書にはすべて記されている。前回記事に引き続き、発売に先駆け、同書の内容を特別に公開する。

国を挙げて障害者を差別する施策を推進
泉 当時は「優生保護法」という法律があり、国を挙げて障害者を差別する施策を推進していました。なかでも兵庫県は悲惨な状況でした。当時の兵庫県知事が自ら音頭を取って「不幸な子どもの生まれない運動」という政策を推し進めていたのです。障害者への不妊手術等の強制や、妊婦の出生前診断を奨励し、羊水検査で障害を持つ可能性が高いとわかったら、生ませないようにする運動でした。

うちの弟も、障害を持って生まれてきたので、両親はそのまま見殺しにするよう医者に言われました。「放置して死んでいくのを待て」と。

鮫島 恐ろしい話です。たった50年前の日本で起きていた現実ですからね。

泉 両親は、いったんは承諾してしまったのですが、「やっぱりこの子を死なせることはできない」と思い直し、私が待つ自宅に弟を連れ帰ってきました。「障害が残ったとしても、自分たちで責任を持ちます」と突っぱねたんです。私は両親から「お前は将来、親が死んだら弟の世話をせえ。そのために二人分稼げ」と言われて育ちました。両親の言う通り、二人分稼がないと弟と生きていけないし、両親を楽させたいという思いも幼心に強かった。だからこそ、自分が勉強を頑張らないと、と思いました。

助けるどころか、障害を持って生まれてきた子どもとその家族に鞭打つような施策を、行政が公然と行う。私は幼いながらに「こんなやり方は絶対に間違っている」と強く思いました。うちの両親は、そんな時代にあっても「何も恥ずかしいことはない」と、あえて弟を街に連れ出しました。その後、障害児を持つ家族たちが集う場を明石市内に作り、小学生だった僕も放課後はよく連れて行かれました。

そうすると、昼間に通う学校が嘘っぽく見えてきたんです。障害を持つ子どもたちが本当はたくさんいるのに、あたかもそういう子が存在しないかのようにして成り立っている“普通”の学校に対して、強烈な違和感を抱いた。

うちの弟は、小学校に入る前に立ち上がって、よちよち歩きではありますが、歩けるようになりました。家族みんなで「小学校入学に間に合った」と喜び合いました。ところが、当時の行政は障害を理由に、近くの小学校への弟の入学を認めなかった。「徒歩通学は大変だから、電車とバスで行ける遠くの学校に行け」と言うのです。
 
誓約書を出すことで弟の入学は認められましたが、私はその理不尽さに憤りました。だからこそ、たった一人でも「例外」を出してはならないと、強く思った。くさい言い方ですが、「冷たい社会を優しい社会に変えたい」と本気で思い、小学5年生の時には明石市長になりたいと考えるようになりました。

世の中何かが間違っている
鮫島 小学5年生にして、冷たい社会と闘うことを決めたのですね。泉さんが実施した明石市の施策を見ても、「誰一人見捨てない」という思いが表れています。18歳までの子どもの医療費無料化も「所得制限なし」という部分に政治理念を感じます。支援を受ける権利を持つのは親ではなく子どもであるという立場を徹底すれば、親の所得に関係なく全ての子どもが無料で医療を受けることが当然であるという社会をつくらなければならない。どんな例外も認めず「99%ではダメだ、100%を目指す」という強い信念が伝わってきます。

それにしても、10歳から明石市長を目指していたとはすごい。

泉 はい。冷たいまち・明石を優しくするのが自分の使命だと思い、そのために生きていこうと心に決めたのです。東大受験のための勉強中に眠くなっても、「今、寝てしまったら救える人も救えなくなる」と本気で考えてました。自分には使命があり、その使命を果たすためには「受験ぐらい通らなあかん」と。

うちの場合は、障害を持って生まれた弟が、途中から立ち上がり、自分の足で歩けるようになった。それから、両親の頑張りによって、苦しかった生活もなんとか持ち直してきました。そうなってくると、自分の家はたまたま好転したけど、そうなってない家庭もたくさんあるだろうと考えるようになりました。

繰り返しになりますが、幼い頃から「今の社会でいい」とは思えず、「社会というか世の中というか、何かが間違っている」と漠然と感じていました。具体的な誰かではなく、社会のあり方そのものが根本的に間違っているんだろうと。

何とかして社会そのものを変えたいと思った。これが私の原点です。だからこそ、変える「フリ」ではなく、本当に変えたいと思った。

子どもの貧困問題で言えば、実際に子どもが満足に食べられるようにするのが政治家の仕事であって、「子どもが貧困です」と叫ぶのが仕事ではない。具体的に問題を解決して、子どもを笑顔に変えるところまでが政治家、そして市長の仕事だと考えています。

鮫島 私が朝日新聞政治部に着任したのは1999年ですが、当時は泉さんと同じように、子どものころに感じた理不尽が原点だという政治家が、自民党にも野党にも多かった。これはジャーナリストも同様で、私も母子家庭で育ち、高校から奨学金で通っていましたし、世の中の理不尽を強く感じながら育ちました。もちろん、現実の壁にぶつかったり権力闘争に巻き込まれたりして、歪んでいってしまう人が多いわけですが、スタートラインで「いまの世の中どこかおかしいよ」と感じている人がかなりいた。

でも、あれから時が流れ、永田町を見渡すと、二世・三世議員ばかりが目につくようになりました。世襲議員じゃなくてもエリート官僚出身だったり。恵まれた家庭で育ち、良い大学を出た学歴エリートばかり。与党も野党もいわゆる「上級国民」と言われる人ばかりじゃないですか。今の政治家の多くは、世の理不尽を感じずに政治家になってるんです。

新聞社もまったく同じで、結局はそういう人たちが、政治やメディアを仕切っている。上級国民が上級国民のための政治行政をしている。これが染み込んでしまって、庶民の感覚とはどんどんかけ離れていってしまった。そこに庶民のど真ん中から現れたのが、泉さんだったんじゃないかと感じています。

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抜粋終わり

国家は、やくざ。

ある程度正しい。


劉邦など、やくざものだしな。

天皇など、やくざの親玉だしな。

でも

「馬上で天下をとれても、馬上では天下の統治はできない」

天皇は永遠に馬上・殿上に居続けている、奴隷主なのである。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

慈悲と憐みに富む社会になりますように


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