研究とは呼べない自由研究
松崎有理著、「シュレディンガーの少女」(東京創元社)を読んだ。本作は短編集で、テーマとしては「ディストピアxガール」らしい。それぞれの短編の女性主人公がディストピアでどのように生きていくのかを書いている。個人的には長編と短編集だと少し読み方というかが変わる気がする。私は長編だと一度集中すると大体そのままがーっと最後まで行ってしまうことが多い。一方短編集だとお話がいくつか入っているのでそれぞれの話が終わる度にぷつっと集中力が切れて、新しいお話を読み始めるときにまた集中し直す感じがする。これは別にどっちが良いとか悪いとかの問題ではないのだが、他の方はどうなんだろう。みなさんは長編と短編集で読んでいる感覚が変わることはあるのだろうか、それとも両方とも変わらず同じように読んでいくのだろうか。
こっからはネタバレ込み。
この本のテーマの通り基本ディストピアの話が多いのだが「秋刀魚、苦いかしょっぱいか」という作品は個人的にはディストピアな感じはしなかった。あと、このお話が私が一番好きだった。AI等の様々な技術が発展した近未来が舞台の作品で、小学生の女の子が自由研究で秋刀魚が食べられなくなった世界で秋刀魚の塩焼きを再現するという話だ。
主人公が秋刀魚について調べるために図書館のAIに秋刀魚について教えて欲しいというと適宜情報を持ってきてくれる。なんて便利な世界なんだろう。私たちが情報を集めるのにネットで色々検索してみたり、本屋や図書館に行って参考になりそうな本を探す必要もないのだ。まあ現実世界でも生成AIによってそれに近いことは出来てきているような気もするが。
他にも、嗅覚や触覚を電話のように遠く離れた人とも共有できる技術が出てくる。これは私含めて一度は考えたことがある人が多いのではないだろうか。私はテレビが映像と音声だけでなく、匂いの情報も電波で送ってもらって自分の家でテレビを見ながらテレビの映像の場所と同じ匂いを嗅ぐことが出来たら面白いだろうな、と思ったことがある。そのためには、家庭用のテレビが電波から送られてきた情報を元に匂いを再現する技術を持っていなくてはならなくなるけれど。確かどこかの大学の研究室がいくつかの物質から匂いを再現する研究をしていた気がする。東京工業大学の中本研究室(2023年12月現在の情報)だったかもしれない。正確には違うかもしれないけれど、それに近い研究はやっていたはず。遠くない未来で匂いを再現してくれるテレビが現れるかもしれない。
さて、話を戻すが、この話の主人公は夏休みの自由研究として秋刀魚の塩焼きを再現しようとするのだが、この主人公が賢い子なのだ。自分が小学生の時と比べ物にならないくらいちゃんと研究しているのだ。いやあ、自分みたいなアホな小学生はなんとなくそれっぽいものが出来れば良いと思って、研究とは呼べない自由研究をやっていたな、と思い出しました。
あと、この本の中の複数のお話に共通するキーワードが出てくることがあるので、もしかしたらいくつかのお話の世界観は一緒で繋がっているのかもしれない。
秋刀魚の話だけじゃなくて、他にも理系出身の作者らしい作品が多く載っていて面白かったです。