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志村けんさんに思いを馳せる

皆さんこんばんは、今日で連続投稿5日目になります。

本日は日本人ならほとんどの人が知っている笑いの神様について、思うことを書いていこうと思います。

70歳でも早すぎた死

訃報を聞いた瞬間、誰もが深く哀しみ、同時に驚いたのではないでしょうか。まるで身内や大切な人がこの世を去ったかのような衝撃に、私も膝からガクンとなるほどショックを受けました。心の何処かで、志村けんさんやビートたけしさんのようなレジェンドが死ぬなんてことは無い、死なないとすら思っていました。人は誰でも死ぬ時は死ぬという現実を突きつけられたようでした。

ただ、新型コロナさえ流行していなければ、もう少し長くお茶の間に笑いを届けてくれたのではないかと思うと、私はとてもいたたまれない気持ちになるのです。

世代を超え愛された笑いと人間性

志村けんさんといえば、全員集合に始まり、シリーズ内の飛べ孫悟空、ドリフの大爆笑、カトちゃんケンちゃんのごきげんテレビ、志村けんのだいじょうぶだぁ、志村けんのバカ殿様、志村どうぶつ園など、小さいお子様からおじいちゃんおばあちゃんまで、ありとあらゆる角度からお茶の間に笑いを届けてくれた神様ではなかったでしょうか。私は84年生まれですから、87年から96年まで放送されていた志村けんのだいじょうぶだぁ世代です。

当時、子供目線ながらめちゃくちゃ笑わせてもらったし、特番でドリフ大爆笑の新作コント、旧作の再放送などがありましたから、自分が生まれる以前の志村さんにブラウン管を通して触れる事もできました。同じ特番でバカ殿様がある日には、テレビにかじりついていました(っ ॑꒳ ॑c)ワクワク

知識人としての顔は一切見せず、お笑い1本でテレビ業界を走り抜けた志村さん。時々、トーク番組で司会者と話すその姿、話の節々に感じ取れる温かみのある人間性に魅力を感じ、惹かれた方も多いのではないでしょうか。小さい頃、本気でバカ殿をバカだと思っていたのに、大人になってから色んな作品を見ていると実際は頭が良くてコントも入念に作り込まれたものであったりして、歳を重ねれば重ねるほど、改めて志村さんの偉大さを知っていきました。

トラウマ級の衝撃

私が志村けんさんの数あるコントの中で1番記憶に残っているのは、志村けんのだいじょうぶだぁの中の一切笑いの無い【無言シリアス劇】です。約50分の番組の中で、オチのあるコントとコントの間に5~10分の時間を割いて時折流れる全くオチも無くただただ悲しいこの劇には度肝を抜かれました。子供ながらに志村さんの演技はもちろん共演のいしのようこさんの演技にも強く心を打たれ、当時は涙を流しトラウマを植え付けられました。

今にして思えば、これが志村さんの狙いだったのかもしれません。結果として私は、数あるコント作品よりこの劇を鮮明に覚えているのですから笑

是非観てもらいたくてYouTubeの動画を貼ろうとしましたが公式じゃなかったのでやめておきます。気になった方は御自身で調べてみてください。

田代まさしさん

2000年に問題行動を起こし起訴され、その後も覚せい剤取締法違反等を繰り返し芸能界から遠ざかってしまったのがマーシーこと田代まさしさんでした。87年から志村さんと共におよそ10年に渡ってだいじょうぶだぁのレギュラーとしてコンビを組み、本人も志村さんを番組の中で師匠と呼び、志村さんも後継者としてまんざらでもない関係性が見てとれました。

それだけに、薬物に手を出し表舞台から姿を消してしまった事が残念でなりません。田代さんが捕まった後でも、再販しただいじょうぶだぁのDVDからも田代さんは姿を消すことは無く、今回のコロナ騒動で志村さんが亡くなったあと所属事務所から無料公開された映像にも田代さんがいました。

薬物事件からしばらくして、田代さんが直接志村さんに土下座で謝罪した際には門前払いで追い返したらしいですが、その裏では涙を流し最後まで恩情をかけていたのだと察することができます。

俳優としての顔

志村さんは生前、自信の主演映画に出ることが決まっていました。度重なる体調不良と、コロナに感染してしまったことで話は無くなってしまいましたが、70歳の節目に新たな道を歩もうとしていたのかもしれません。1999年に公開された鉄道員(ぽっぽや)では、故、高倉健さんの熱烈なオファーにより、その見事な演技を披露しています。

もしコロナで亡くなっていなければ、俳優志村けんの顔を垣間見ることができたのかと思うと、残念無念。是非1度映画館でその姿を見てみたかった。

いかりや長介さんの存在

志村さんがドリフターズに入ったのは途中から(1974年)で、(故)荒井注さんのドリフターズ脱退を機に加入したことはおそらく誰でも知っていますが、私が子供の頃は全員集合世代ではなかったため、いかりや長介は志村けんをはじめメンバーに最初からバカにされているリーダーという感覚でした。そう見せられていた訳ですが笑
志村さんにとってはメンバー全員が師匠という関係性。にも関わらず、あれだけ存在感を放てたのは、いかりやさんはじめメンバーが志村さんを信頼していたからではないかと思います。

いかりやさんの晩年は、志村さんはお笑い1本、いかりやさんは俳優として、ドリフターズの特番以外では顔を合わせなくなっていった感がありましたが、いかりやさんは志村さんに色々な事を託し、その後も志村さんの番組をチェックして笑っていたと、後にいかりやさんの息子さんが語っておられました。

天国では、いかりやさん、荒井注さんに「お前が先にきてどうすんだよ」なんてツッコまれながら、酒を酌み交わしていてほしいなぁと、願うばかりです。

笑うことの大切さをおしえてくれた

全国のお茶の間のヒーローにして、全国のPTAとフェミニストの目の敵だった志村さん。子供は、今も昔もちんちんやらうんちやらおっぱいやら(これは大人もか笑)が大好物。あんな低俗なもの!と、大人達に嫌われながらも、子供たちにバカにされながらずっと前線で戦い続けたヒーローでした。

小さい頃、弟と一緒にバカ殿を見ていて、唐突に女性の裸体が写ったその瞬間、おそろしく早い手刀でリモコンを奪いチャンネルを変えた母親に激昂したのを今でもよく覚えています笑

しかし小学校、中学校、高校と多感な時期に、色んな悩みを抱え辛い時期に志村さんの番組を見ていると、悩みそのものをその瞬間は忘れることができたし、何度も救われていました。

そうやって救われてきたのは、私だけではないはずです。低俗だろうがなんだろうが、死ぬなんでバカバカしいと思えるくらい笑えるというのが大事なんだと。最近の、江頭2:50さんのYouTubeのウケが良いのも、同じ事を伝えようとしているからなのかもしれません。

まとめ

つらい。棺桶ぶち壊して蘇る人なのに、コロナのせいで焼かれて灰になるまで葬式すら出来ず、国民に愛されていたはずなのに、看取ってくれる伴侶もいなかった。こんなことあっていいはずがない。

けれど、高木ブーさんは言いました。「志村は死なないの。ずっと生きてるの」と。

今もなお、いやこれからも、ずっと映像で私達を笑わせてくれる。今はただ、ゆっくり天国で酒を飲んでいるであろう志村さんに「ありがとうございます、今日もあなたのおかげで笑っています」と、申し上げたい。

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