イスラム文化と銃痕残るサラエボ - ベオグラードから移動
セルビアは名残惜しいが、ベオグラードの主要どころは見た気がするので次の国へと移動する。
次は隣国ボスニア・ヘルツェゴビナ。ボスニア紛争にて多くの死傷者を出した国としても有名だろう。
まずはバスでサラエボへと移動し、その市街がどのようになっているかを確かめに行くことにした。
バスでサラエボへ
チケット購入
バスのチケットは前日の夜に事前にバスセンターの窓口で入手した。
次の日のサラエボ行きのバスに乗りたいと言ったら、パソコン画面を見せてくれて全ての時間の中から好きなものを選ぶことができた。
値段は同じって言ってたけど、オンラインで見ていたら少しずつ違っていたからホントは若干違うのかもしれない。
バスに乗車しサラエボへ
バスは時間になると出発する。
荷物代として200セルビア・ディナールも取られた。前にいた中国人も同じ値段だったが、その他の人がどのくらい取られているか見るのを忘れていた。
なんかお釣りでコインもらっているような気もするから、アジア人価格にされたのではないかと疑うばかり…
セルビアを出てしまえばもう現地通貨は使えないが、少しお金を残したほうが良いだろう。
途中トイレ休憩。
バスは国境でパスポートチェックを受ける。
日本人のわたしは何も聞かれずスタンプを押された。
トルコの団体さんがいたのだが、その人達は少し時間がかかっていたかな??でも少し待ったら問題なくバスは再度出発した。
サラエボ東ターミナルから市街地へ
サラエボに到着するときに問題になるのは、バスターミナルがサラエボ中心地から離れており、直接市街地に行く手段がタクシーしか無い点だ。
サラエボは紛争の名残である、ボシュニャク人・クロアチア人の居住地域(ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦)と、セルビア人居住地域(スルプスカ共和国)の丁度境目に位置しており、セルビアから出発するバスはスルプスカ共和国内のサラエボ東ターミナル(一的にはサラエボの西にあるのだが)に到着する。
この居住地域をまたぐ公共交通機関が無いということだ。
事前情報では、バス中心部の方に停まったと書いている記事も見かけたが、私が乗ったバスはそのままサラエボ東ターミナルまで直通したので、なんとか市街地まで出ていく必要がある。タクシーに乗るつもりはない。金がかかるから。
実はこの2つの境界線は、バス停から北200mほどのところに存在し、それを超えるとすぐにトロリーバスの停車場があるので、そこから103番トロリーバスに乗れば中心地まで移動できるようだった。
しかし、ここでさらに問題が出てくる。チケットを買うための現金が無い。カード決済はできない。バスターミナルにもトロリーバス乗り場にもATMはなかった。
ということで、さらに500mほど北に行くとスーパーがある。スーパーあるところにATMがあるだろうと考え向かってみると、キャッシング可能なATMが置かれていた。
ここで100兌換マルク(この時点で、大きすぎるかなと思いながら…)を出金し、改めてトロリーバス乗り場へと戻った。
インフォメーションで103番バスがシティセンター方向に行くかを確認し、バスの運転手からチケットを買おうと思い、100兌換マルク札を見せると、案の定「お釣りがない」と言われてしまった…
これはまたATM戻って細かい札を下ろすしか無いかと思ったが、優しい運転手、別にいいから座りなと言ってくれました。
ありがとう、運転手の方。そして、Google Mapを見ようとしていたら「ネットワークが必要なら私達のシェアするわよ?」と声をかけてくれた赤ちゃん連れの夫婦の方、ありがとう。一気にボスニア・ヘルツェゴビナが好きになりました。
結局ATMまで歩いたことは無駄になったけど、これは善意に甘えただけなので、これから行く人で公共交通機関を利用して中心地に行きたい人は、次の流れが良いと思います。(もしくは大人しくタクシーに乗る)
まずは、バスターミナルから北に1kmほど先にあるスーパーまで向かう
ATMで10兌換マルクとか細かめのお金が出るように出金する
103番トロリーバスで中心地に向かう
サラエボ観光
サラエボの旧市街は、オスマン帝国時代の街並みを色濃く残す部分と、ヨーロッパ風の建築になっている部分とで全く異なる様相を見せていた。
ここは、散策しながら気の向くままに店に入ったり人間観察したりするのが良さそうだ。
バシュチャルシヤと旧市街
旧市街の入り口であり、おそらく鳩広場。
あまりの多くの鳩が羽を休めて(餌をもらって)おり、正直少し気持ち悪い。
ここから旧市街が伸びており、オスマン帝国時代に作られた市街が強く残った、観光客が最も訪れるストリートが形成されている。
この古い街並みを抜けると、今度はヨーロッパ風の街並みが出てくる。
通りの終わりには永遠の炎と呼ばれる聖火がある。戦争で亡くなった方々の鎮魂の意味を込めて永遠に燃え続ける炎である。
ただ、消えることもあるらしい。消えても永遠、心のなかで火が燃え続けていれば、それは永遠の炎なのだろう。
ラテン橋
第一次世界大戦の引き金になった(この時点で弾は込められ、十分に弾薬もセットされていたはず)、オーストリア皇太子夫妻が殺害された現場。
歴史が変わる瞬間がここでなされたと思うと少しゾッとする。
数多くの銃痕とサラエボローズ
旧市街から西側に歩いていくと、建物の壁に数多くの銃痕があるのがすぐにわかる。
これは、ボスニア紛争時に被弾した弾痕がそのまま残っているのだ。
サラエボは、周囲を山に囲まれた中に形成された市街地であり、その当時周囲の山々にセルビア軍が駐留し大砲を浴びせ続け、それが4年間ほども続いたとか。
セルビアのときも感じたが、これまたゾッとする。
そして、地面に時々ある朱色に塗られた模様。
これは「サラエボローズ」と言われ、迫撃砲によって死者を出した爆発の後を樹脂で埋めたとか。
30年ほどという少し前にこのようなことが行われていた、そしてそれがほぼ同じ人種間で行われていたのだからなお恐ろしい。
黄色い要塞と墓
黄色い要塞(Yellow Fortress)と呼ばれる、少し小高い丘の上から、サラエボ全体を見渡すことができる。
上に書いたが、サラエボという土地が本当に山に囲まれた場所に形成されているということが見て取れる。
この丘に登る際に墓の横を通ることになるのだが、これは紛争で亡くなった方々の墓なんだとか。
上から見たらいくつか似たような墓があったので、市内にいくつかこのような場所があるのかもしれない。
今は墓の横で猫が退屈そうにしている。
食事どころ
サラエボでおすすめの食事処で旧市街のレストランがよく紹介されているが、少し離れたところにも足を運んでみた。
ボスニア風のパイ肉包みである「Burek」の店である。
旧市街に大変有名で人気なBurek屋さんがあるのだが、こちらの店は殆ど地元客しか来ないこじんまりとした店だが、大変美味だった。
ショッピングモールや鉄道・バス駅に向う途中に足を運んでみるのはいかがだろうか。
あとがき
全体的にゾッとするものが多いサラエボ。
でも、街は大変きれいで活気づいており(銃痕は残っているが)、そこに住んでいる人たちはとても優しい人たちだと感じた。
国内で領域が分断されているという状況は変わっていないが、これから良い方向に進んでいくことを願う。
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