分人主義。
平野啓一郎さんの「私とは何か」という本を読んだ。
分人主義という考え方だ。
どこか常に自分というものを見つけたくて、あの人はこういう人だよねっていうのが自分にはないのがつらい時もあって。
だからこそ、この本には救われた気になっている。
一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。
対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である。
自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきである。
本当の自分という一つのものを探さなくてもいい。
どれも本当の自分だということ。人によって自分が変わったように感じて、どれが本当の自分なのかなんて悩まなくていいということ。
これは気が楽になるね。
どんな自分を生きたいかを、自分の中の分人の構成比率で考える。
悪循環から抜け出すには、分人の構成比率を変えるしかない。
最近、この人といたいも大きく思うことはある。だけど、こんな人たちと自分はいられないかも、居心地が悪いと感じるときはある。
それに無理に合わせる必要はない。それを嫌だと思える自分を客観的に見れている証拠であって、自分の居心地がいい分人を生きればいい。
どれくらいの数の分人を抱えているのが、自分にとって心地良いか。
嫌なら個人全体を消すのではなく、嫌な分人を消す。
そう思うだけで、肩の荷が下りる気分。
自分を構成している分人は自分では形成できない。必ず周りの環境・人あっての分人だ。
どんな自分になるかもまわり次第ともいえる。
自分次第で周りは変えられるというが、それはパワーがいる。自分がどんな人になりたいかは周りの環境が決める。そしてその周りはある程度自分で選べる。
自分を客観的に見つめ直した時に、ここは居心地が良いと思える環境・人を再確認すればいい。
私たちの人格そのものが半分は他者のおかげなのである。
自分は、誰と過ごす時間を多く持つべきか?誰と一緒にいる時の自分を、今の自分の基礎にすべきか?
居心地が悪いと感じたとき、自分が悪いと思わず、半分は周りのせいにする。そこを選んだ自分は未熟だったのかもしれないと内省して、改めて居心地がいい環境・人を大切にする。
それだけでだいぶシンプルに生きられる気がする。
あ、あと、とてもいい言葉が。
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態のことである。
それは本当にそう。
いい本に巡り合ったな~。