3.11が僕らを変えた。そして僕らが東北を100倍成長させる。
また「3.11」がやってきた。
なぜかこの時期になると耳が遠くなり、周囲を第三者の目線から眺められるようになる。
ニュースなんか見ないけど、あの時の記憶は人生の中で一番鮮明に覚えている。
津波でばあちゃんは未だに行方不明だし、原発の影響で山形に避難したけど、別に被災者ぶりたいわけじゃない。
こういった特別な経験が、僕らを強くしている。
3.11が僕らを変えた。
多くの被災者には申し訳無いけれど、今の僕は紛れもなく、3.11のおかげで強く生きている。
将来は地元の工場に勤めて、良いお金をもらって、良い車を買って、家族と幸せに暮らそう。と考えていた自分が、今は東北から世界へ大きなインパクトを残したいと考えるようになった。
自分の事は後述するが、僕と同様、3.11によって変わった人は周りにもたくさんいる。
・建築から新しいものを生み出そうとしている人。
・人と街の関わり方から新しい価値を発掘しようとしている人。
・地元の特産を知ってもらいたいと自主的に動く人。
・東北発で世界を轟かせるラッパーになりたい人。
・新しいビジネスで東北を盛り上げようとしている人。
・東北の若者を集めて決起集会を開いている人。
などなど……
自慢できるような面白い人はこれ以外にもたくさんいる。
ではこの人達は初めから上記のような事をしたかったのか?
全員口を揃えて、
「3.11があったから。」と言う。
やってる内容は多岐に渡るが、全員根本には3.11がある。
経験した全員にとって、やはり3.11は人生のビックイベントだった。
普通の生活を送ろうとしていた僕らが、3.11によって、物事を考え、それぞれのやるべき事を見出している。
決して災害が良かったわけでは無いが、
3.11が自分や周りの事について考えるきっかけとなり、残った人達の人生を後押ししてくれている。
僕らは、3.11によって普通の人間から当事者意識を持つ人間に変わった。
僕にとっての3.11。
経験した全ての人にとって3.11はビックイベントだった事は前述した。
では僕にとっての3.11はどうだったのか書かせていただく。
冒頭で書いたが、僕は津波でばあちゃんを亡くし、原発の影響で山形に避難した。
そこにあったはずのばあちゃん家が無い、原発で家に帰れないためスポーツセンターでの避難所生活など様々の事を短期間に経験した。
当時中学2年生だった僕がその中でも一番ショックだったのが、原発から避難し、仲の良い友達がたくさんいた中学校に戻れなかった事。
昼までは一緒にいたのに、その後成人式までほとんどの人と会えなくなるなんて思ってもいなかった。
3.11によって友達とバラバラになり、ほとんどの人は東北から出て行った。
もちろん原発の影響が大きいが、東北を出ていくのは紛れもなく東北に親世代が求める仕事が無いからだった。
家に帰れないなら仕事を求めて東北から出ようと。
そんなこともあり、僕の周りは急速に東北から姿を消し、初めて自分の住んでいる地域の課題に直面した。
東北には仕事が無い。
仕事が無いと生活できない。
生活できないなら仕事のある場所に行くしかない。
悲しいけどこれが現実。
元々東北は東北の学生の6割は卒業後東北から出ていくと言われていた。
他の地方でも良くある問題だが一般の人は現実味を感じにくい課題。
それが僕の場合は震災によって、急速にその現象が襲い、怖さを感じた。
地元が地元じゃ無くなる感覚。
親しかった人がいない。
この課題を中学生の時に感じた僕は、ずっとこの課題感が自分の中心にあり、絶対解決しなくてはいけない問題だという当事者意識を持つことになった。
僕はこの課題をどう解決していくのか。
「東北には仕事が無い」
この課題は絶対に僕が解決しなければならない課題だと思っている。
だから去年の今頃、僕は起業した。
起業してイケてる大きい会社を東北に創る事で、自分の好きな人達が東北で働けるような仕事を創ろうと考えたからだ。
ちょうど一年前の僕は、Instagramを倒して大きい会社を創ると言いながら、本気でSNSを作っていた。※画像の共同編集ができるSNS「Plink」
結局、自信満々に上京しSNSを作ってみたはいいものの、実際に渋谷のプリクラ機にいたJK100人くらいにヒアリングしながら使ってもらって、JK達に刺さらず、コンセプトに対する自信を失い、そのSNSはβ版でクローズした。(この話は聞きたい人だけに話す事にする)
資金が完全に底を尽き、しばらくAidemy(AI系スタートアップ)で働かせていただきながら、自分はどうすればいいのか自問自答を続けた。
そしてようやく次のアクションが見つかった。
ネクストアクションはこれに決めた。
東北に働く会社が無いという問題。
違う。働きたい会社が無いんだ。
じゃあ、どうすれば働きたいと思える会社を創れるのか?
正直まだ具体的な答えには辿り着けていない。
ただ、サイバーエージェントだったり、リクルートだったり、メルカリだったり、これらの近年の日本を引っ張っている会社はなぜか「働きたい」と思うし、キラキラして見える。
まずはこういった現代の日本を代表するような会社を東北に創るということを掲げて走り出すことに決めた。
見えないことはたくさんあるけど、東北を100倍成長させ、東北を100倍元気にするためには、自分たちがまずは東北をリードするような会社を目指し、周りを巻き込むことが大切だと思う。
自分達と周りの会社、東北の会社全体で、ネクスト東北を創る。
僕らの役割は、その流れを自ら生み出すこと。
だから、まずは
「東北をリードする会社を創る」
ということだけ決めて進んでみよう。
この決断をし、まずはお世話になっていた会社を3/8(金)で辞めさせていただいた。
これから絶対成長する会社だし、良いポジションで仕事させてもらっていて毎日充実していたので後悔が無いかと聞かれれば嘘になるが、たった一回の人生で自分のミッションに対して回り道な事を続ける事も良くないので、区切りを付けさせていただいた。
去年設立し、SNSをクローズしてからしばらく放置していた株式会社Plinkも、このミッションに合うように株式会社エニバ(Anyba Inc.)と登記変更した。
去年上京したばっかりだけど、もう東北に戻った。
新たな気持ちでこのミッションに全力を注ぐ事にした。
20年、30年かけてでも東北をリードする会社を創ることをやり切る。
さいごに
ここまで読んでくださってありがとうございます。
早朝のゴミがたくさん落ちている渋谷より臭い文章だったと思います笑
本当によく読んでくださり心から感謝します。
最後になりますが、東北は3.11から大きく変わりました。
そして、まだまだ変わるポテンシャルはあります。
3.11は8年も前の事ですが、そこから比べると相当な進化を遂げています。
ずっと東北を支えてくださっている人には頭が上がりません。
できればそんな尊敬する皆様と一緒に、僕らの世代と東北を100倍以上成長させいきたいです!いや、させましょう!!!