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だれがなんと言おうと

あの4年間

地元で教員になって、2ヶ月が経とうとしている。
息をつく間もないほどバタバタの毎日。でも毎日が本当に楽しくて、充実していて、濃密で、きらきらしている。

今の私が在るのは、「あの」4年間があったからだ。間違いない。
教育学部の大学生だったあの4年間。憧れの東京で過ごしたあの4年間。たくさんのすてきな出会いがあったあの4年間。

「新型コロナウィルス」という言葉と、切っても切り離せないあの4年間。

勤務初日、歓迎会の席で、同僚の先生方に声をかけられた。
「大学生活、コロナで大変だったでしょ?」
「授業もやっぱりオンラインだったの?」
「せっかく東京にいたのに、あんまり遊べなかったんじゃない?」
「こういう飲み会もなかなかできなかっただろうね…」

もちろん全部正解だ。「そうなんですよ…」と返した。

でも、だれがなんと言おうと、あの4年間は、私にとってかけがえのない「大学生活」だった。大人たちが経験してきたものとも、子どもたちが想像するものとも、そして私自身が思い描いていたものとも、かけ離れた大学生活だったかもしれない。でも、あの4年間は、私の大きな大きな財産だ。


順風満帆

2019年4月、家族と涙の別れをし、東京に上陸した。

楽しみより不安のほうが大きかったけど、そんなのはあっという間にかき消された。学科やゼミの先輩たちが、びっくりするくらい温かく歓迎してくれた。いろんなことを教えてくれたし、ご飯も奢ってくれた。同期もみんな優しくて、一瞬で仲良くなった。空きコマにはみんなで大縄の練習をしたり、トランプで大富豪をしたりした。

大学で出会った人たちと、いろんなところに遊びに行った。夏合宿ではみんなで海に入って花火もした。日本の学校はもちろん、アメリカの学校を視察させてもらったこともあった。

これぞ思い描いていた大学生活。なんなら想像以上。楽しくて楽しくて、勇気を出して上京して良かったと思った。
こんな生活が、ずっと続くと思っていた。というか、そんなことすら何も考えていなかったかもしれない。


「転」

2020年の春あたりから、なんだか雲行きがあやしくなってきた。
楽しみにしていた春合宿もお花見も中止?!新学期も一向に始まらない?!

ここからが、起承転結でいう「転」の始まりだった。

買い物以外は外に出ず、ずっと一人暮らしの家に閉じこもっていた半年間。いろんなことを頭の中でぐるぐる考えていた。考えたことを話す相手もいないから、気づいたら、家族LINEに長文を送り付けていた。(だいぶ恥ずかしいけど一部公開)

オンライン授業で失われたのは「授業の質」などではなく、「繋がり」や「余白」だったのだと気づいたのは、6月半ば頃でした。オンライン授業には、無駄な時間(余白)がありません。授業終了時間になると会議が終了し、また10分後に次の授業が始まります。しかし、本当の学生生活はそうじゃない。休み時間に「次の教室どこだっけ?」「今日の授業難しかったね」と他愛もない会話を交わしたり、隣の席で必死にキーボードを叩く友人を見て「自分も頑張らなきゃ」と感じたり、「あの課題いつまでだっけ?」と確認し合ったり…そういう時間が失われたのです。もちろん、一緒にお昼ごはんを食べながら交わすもっとどうでもいい会話もそうです。こうやって友達との「繋がり」を感じることのできる場は、どこにもありませんでした。一人暮らしかどうかとかは関係なく、全員が「一人」で頑張らなければならないのがオンライン授業。息抜きができないし、悩みや楽しい出来事も共有できない。本当の学校の意味は、「繋がり」を感じることにあったのかもしれません。だからこそ、学校が全部オンラインに取って代わることは今後もないだろうし、何があっても学校は存在し続けなければならないのだと感じました。きっとこれを感じていたのは自分だけじゃなかったはず。みんな孤独や課題と闘いながら頑張った。こんな日々だからこそ、ゼミの後にZoomの部屋に残って語り合う時間は本当に貴重でした。金曜日の夜、時間を忘れて笑い合い、気づいたら朝になっていたこともありました。1週間の疲れも一瞬で吹き飛びます。こういう場所、時間がオンライン授業には不足していたのだと思います。自分の教育観が大きく変わった半期でした。

こんな真面目な長文を家族に送り付けるのって変かな。でもそれくらい、この気持ちを誰かと共有したくて。分かってほしかったんだと思う。

久しぶりに読み返してみたけど、今の私の考えも大きく変わっていない。
オンライン授業が始まる前はこんなことを考えたことすらなかったし、「対面/オンライン」という二項対立すら存在していなかった("対面授業"とかいう言葉も発したことがなかった)。
「当たり前」を疑う経験をしたからこそ、得られた発見や気づきがあった。
うまくいかない日々を乗り越えたからこそ、私は強くなった。

「転」を迎えたこの時期。順風満帆な大学生活が何度も「転」びかけたけど、それ以上に、私の教育観や人生観をも揺るがす「転」換期だった。


すこしずつ

やまない雨はない。
すこしずつ、ほんとうにすこしずつ。逆戻りすることも何度もあったけど。キャンパスに、私に、友人に、笑顔が戻ってきた。
「繋がり」や「余白」もすこしずつ取り戻されていった。

順風満帆なあの頃と全く同じものを取り戻したわけじゃない。形を変えて、工夫を凝らして、可能性を模索して。
あの時代を、あの困難を経験したからこそ、みんな必死だった。
「コロナにやられた」4年間にしたくない。絶対に、絶対に、後悔したくない。コロナとともに、懸命に生き抜いた4年間にしたい。

みんな前を向いていた。前だけを見つめていた。


そして今

授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
それが鳴り終えるより早く、子どもたちの元気な声が学校中に響き渡る。

「昨日のあれ見た?おもしろかったよね」
「あ、その宿題やってねえ!ちょっと見せて!」
「ねえねえせんせー」

繋がっている。余白がある。
子どもたちの目が、きらきらかがやいている。
その表情を、ずっとずっと守り続けたい。コロナ禍の大学生活を経験していなかったら、そんな当たり前のこと思わなかった。
学校を、日常を、世界を、こんなふうな視点から見ることはできなかった。

あの4年間が、あってよかった。
だれがなんといおうと、あの4年間は、私にとって一度きりの大切な「大学生活」だった。
だれがなんといおうと、あの4年間を、あの時あの場所であの人たちと生きた私は、幸せだった。


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この文章は、「#いまコロナ禍の大学生は語る」企画に参加しています。
この企画は、2020年4月から2023年3月の間に大学生生活を経験した人びとが、「私にとっての『コロナ時代』と『大学生時代』」というテーマで自由に文章を書くものです。
企画詳細はこちら:https://note.com/gate_blue/n/n5133f739e708
あるいは、https://docs.google.com/document/d/1KVj7pA6xdy3dbi0XrLqfuxvezWXPg72DGNrzBqwZmWI/edit
ぜひ、皆さまもnoteをお寄せください。

また、これらの文章をもとにしたオンラインイベントも5月21日(日)に開催予定です。
イベント詳細はtwitterアカウント( @st_of_covid をご確認ください )
ご都合のつく方は、ぜひご参加ください。
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