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白磁のアイアンメイデン 第3話〈5〉 #白アメ

4〉  目次

「奪われたもの、か」
 ”竜”は、鼻で嗤うという言葉の完璧なお手本を示しながら言う。

「成る程成る程、それはそれはお気の毒に。それで、妾(わらわ)は貴様の何を奪ってしまったのじゃろうか? ん? 教えてくれんか?」

「全て、ですわ」
 あからさまな煽りには一切反応せず、ベアトリスはいつもの笑みで淡々と返す。

「故郷、家族、友人、希望、未来、誇り、わたくし自身……まだお聞きになりたいですか?」
「いや、結構。もうわかったからな」
”竜”は亀裂のような笑みを浮かべながら言った。

「取るに足らない、ということがわかったわ。不本意ながら眠りにつくまで、何度同じ言葉を投げつけられたものか。その手の恨み言、正直聞き飽きたわ。鬱陶しい虫の羽音と何ら変わらぬ」
 ”竜”の笑みが、徐々に歪んでいく。
「なればこそ、じゃ」

 ”竜”が両腕を広げた。その周りの空間が、音を立てて歪む。

「なればこそ……たかが虫の羽音を聞かせるために……この妾の眠りを妨げるなど」
 片手を振り上げ、
「不愉快、そのもの、じゃあ!」
 振り下ろす!

 生じた衝撃は螺旋の渦となり、ベアトリスに迫る。交わしきれないと悟り、腕を十字に交差して受け――きれず、木っ端のように吹き飛ぶベアトリスは、続いて放たれた二撃目三撃目を空中で体を捻りかわしつつ着地、着地地点に襲い来る四撃目五撃目を被弾寸前の高速ステップにて間一髪避ける。そのまま急加速、幻惑的な軌道で”竜”に接近し拳を打ち込む――術式に遮られる。

 それは先程までの闘争の、寸分の狂いもない写しでしかなかった。

「馬鹿の一つ覚えめが! ほれほれどうした! 妾に積もる恨みがあるのであろう! はよう打ち込んでみせんか!」
「やっておりますからお静かに願いますわ!」

 応えながら、ベアトリスは己の胸中に暗い影が差しつつあるのを感じていた。あの日――あのすべてを奪われた日から、途方もない年月と文字通りの血と汗を捧げて練り上げてきた我が薫風(クン・フー)。当然、己の前に立ちふさがる輩共を討ち滅ぼす矛となり盾となるはずだった。実際、前菜の有象無象共は一蹴してのけたのだ。

 だが、”竜”には、肝心要の本命にはどうか。

 苦戦は予想していた。なにせ相手はかの”五色の竜”の一体。遥か昔、神話の時代から生きている――ということになっている、そのことに一切の疑問を挟ませなかった連中だ。しかし、ここまでとは、ここまで通らないとは! そもそも目の前のこれは所詮仮の姿。まだ”竜”は真の姿を見せてはいない。そんなものにさえ、通用しないのか。ああ、殺すべきは、踏んでやるべき相手は、まだあと四匹もいるというのに!

 ――全てが徒労に思えるような打撃の雨を叩きつけ続けるベアトリスの視界に、ふと、映るものがあった。死にかけの虫のような姿をひきずり、這いずるものが。

 目が合った。力のこもった視線が、ベアトリスを射抜く。

 ベアトリスは一瞬で己の果たすべき役割を自覚した――ああ、わかりましたわ。今このときより、わたくしは道化。せいぜい、派手に愚かしく踊ってみせますわ。さあ、ご堪能くださいませ!

 上半身を薙ぐように襲い来る衝撃波。両足を前後に大きく広げ、低く、体を沈めてかわす。深く深く、地に伏せるがごとく。両の足を踏みしめる。地に落ちる力が反転、天へ突き上げる威力と化す。その威力を大地から足、膝、腰、胴、肩、腕、そして拳へ。突き上げる。薫風が拳技の一、「犀角(さいかく)」!

 必殺の一撃はやはり障壁に遮られ、天地を揺るがす音が響き渡る。何一つ変わらぬ、徒労の音だ。だが意に介さない。続けて「虎爪(こそう)」、「燕(つばくろ)」を二連撃、そして「雷獣(らいじゅう)」、フェイントの「胡蝶(こちょう)」、そこから踏み込んでの「獅子吼(ししく)」、さらに踏み込んでの「熊屠(くまごろし)」、一撃一撃に高純度の殺意を込めて、放つ、放つ、放つ、放つ、放つ!

「何たる痴れ者、結局何も変わらぬではないか! これ以上、妾を舐め腐るな!」
「あらまあ、そうおっしゃらずに。ここからは根比べですわ。あなたと、わたくしの」

 踏み切る。宙を舞う。前方回転からの鳴鳥狩(ないとがり)間髪入れずに落雲雀(おちひばり)身を翻して青鷹(もろがえり)。全て防がれる。

「あらあら」宙を翔けながら笑う。「しかしまだまだ、これからですわよ」「――貴様ァ!」

◇ ◇ ◇ ◇

  じわじわと地を這うヘリヤの脳裏に、過去の記憶が鮮明に蘇り始める。
 おお、これが噂に聞く、死に瀕したものが見るという幻か。一説によれば、どうにかして死を避ける手段をこれまでの記憶から探し出すためだとか。ということはやはり私は死に向かいつつあるのか。

 そう思いつつも、ヘリヤの心は不思議なほどに凪いでいた。だからなんだ。死に向かいつつある? わかっているさ、そんなことは。くだらないな。まあ、見せたいというのなら見てやろうじゃあないか。何を見たところで、やることは一つだ。

◇ ◇ ◇ ◇

 魔術師ヘリヤことヘリヤードが王立魔術アカデミーへの入学を許されたのは、彼が10歳のときであった。

 彼に家族や故郷はない。生まれ育った辺境の村は、彼が幼い頃に隣国との戦に巻き込まれ焼け落ちた。焼け跡で焦げた妹の片腕を持ち泣いていたところを、たまたま通りすがった旅の魔術師――アカデミーの重鎮の一人だった――に拾われたのだ。

 魔術師はひとえに人道的見地から彼を救っただけである。アカデミーまで連れてきたのも、自分の身の回りの世話を任せる対価という形で衣食住を確保してやろうと思ったからだった。だが彼が類稀なる魔術の才を秘めていることがわかると、魔術師は彼を正式に弟子とし、あまつさえ異例の若さ――幼さ、というべきか――でのアカデミー入学さえも、周囲の猛反対を押し切って許可を出した。ここに、”魔術師ヘリヤ”が誕生したのである。

続く


そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ