白磁のアイアンメイデン 第4話〈5〉 #白アメ
白き鍵が、「書」の錠前を開く。封印が解け、頁(ページ)が開く――文字が、迸る。
開かれた頁から溢れ出す魔術文字の奔流は、荒れ狂う多頭の蛇にも似て――蛇は絡み合いながら天へ天へと登りゆく。多重螺旋を象りながら、文字は”忌み野”の地に蒼く輝く捻じれた塔を現出させる。
空へ。そらへ。”忌み野”の空へ――昇りつめた文字蛇たちは、塔は、それぞれのあぎとにて”忌み野”の空を――穿つ。
多頭の蛇は競うように次々と空を、天を食い破る。食い破られた空は、そこから脆い陶器のようにひび割れた。空だったものが、欠片となって地に堕ちる。天に穿たれた穴は少しずつ広がり、繋がり――いつしか、空の半分を占めていた。
呆然と見上げるヘリヤ。彼の胸中に、”竜”や魔物共に相対したときとは質の違う、何かしらの畏れが湧き上がる。
遥か上空、世界の裏側に繋がる仄紅(ほのぐら)い穴の底より、巨大質量が降りてきた。
鈍色に光る、歪んだ球体。一見の印象を語るならばそう言えるかもしれない。
だが目を凝らせばわかるだろう――人の姿を模していることが。それはこの世に生まれ落ちたばかりの胎児の如く身を丸め、神に祈る聖処女の如く両の眼を閉じていた。圧倒的存在感の、魂無き鋼の骸。巨神の骨組。
文字蛇の群れがその周りをめぐりながら飛び、淡い蒼光が命なき物体を鈍く照らす。ゴーレム。オートマタ。否。
あれが、ベアトリスの――我々の、切り札? あれに乗り込む、のか?
「魔術師殿」
突如呼びかけられた声。心ここにあらずとなっていたヘリヤは、慌てて声の方を見る。
「さあ、参りましょう」
声の主、ベアトリスが右手を伸ばす。
「あ、ああ……頼む」
ぎこちなくその手を取るヘリヤ。手が、かすかに震えていた。
「……やはり、止しますか?」
「それは冗談のつもりか? もう決めたんだ、いいから早くやってくれ」
ヘリヤはやはりぎこちない顔で笑う。
「――早くしてくれなければ、せっかくの決意が消えてしまうかもしれないからな」
それはヘリヤなりのわかりにくい冗談であったが、彼の意志を伝えるのには十分であった。うなずくベアトリス。
「では始めますわ。アルフレッド、フローレンス。留守はよしなに」
『かしこまりました。ご武運を』【チチチ、チチ】
ベアトリスのまとうドレスが、瞬時に体に巻き付き、戦装束と化す。腰まで伸びる艷やかな黒髪が、肩の高さまで縮む。
彼女の右手にはめられていた指輪が青く輝き始めた。溢れ出る魔力。何かの術式が作動している証だ。
「これは」
彼らの体が、手足の先から光に包まれていく。輝きの中で、ヘリヤは自分が――素材が、構造が、さらには意識が――分析され、分解されていくのを感じた。己が、読まれている。そうとしか受け止められない、妙な感覚。読まれた自己は、するすると解けていき――いつしか彼らは、先程見た文字蛇の群れとなっていた。
(さあ)
脳裏にベアトリスの声が響く。
(跳びますわよ)
文字蛇と化した彼女らは、”忌み野”の空へ。絡み合い、もつれ合いながら、天上の巨体へ、三拍子、円舞曲(ワルツ)のリズムで舞い上がる。虚空高く舞い上がった彼らは、巨神の背部より中へ吸い込まれていった。
◇ ◇ ◇ ◇
ヘリヤが気づいたとき、彼は不思議な空間の中で椅子に腰掛けていた。右手を軽く開閉し、肉体の感触を確かめる。
先程のあれは転送術式か。遥か昔に失われた魔法。再現に成功したという話も聞いたことがない。全く次から次へと。もういちいち驚かんがな。
少し落ち着いたところで、改めて周囲を見回す。辺りは闇。徐々に目がなれてくるとその細部が見て取れてきた。
光届かぬこの空間は、金属製の球体の内部だ。詳しくないから見当もつかないが、何か精妙な作りの装置群が見て取れる。その中に据え付けられた椅子に自分は座らされているようだ。
同じ金属製に見える椅子には、肘掛けのところに何かの魔術装置らしき透明の球体が据え付けられている。椅子自体は自分が座っているものの左右にも二つずつ。どうやら五つ一組らしい。何故こんなに――そう考えたところで、ベアトリスの声が甦る。
『あれは真の意味で”神話の兵器”なのです。要求される魔力は計り知れませんわ』
なるほど。本来は五人分の魔力で動かしていたというわけだ。これは、百年に一人の天才である私も、多少は荷が重いかもしれないな。
「お具合はいかがですか、魔術師殿」
自分の足元、球体空間の少し下方から声が聞こえる。目をやるとそこにも金属製の椅子のようなものが在る。背もたれの影でよく見えないが、そこに彼女――ベアトリスも座っているらしい。
ああ、そうか。彼女も当然いるはずだな。と言うことは、魔力を持たぬという彼女の分まで含めて、六人分か。
だが、それがどうした。
「ああ、仔細ないぞ。そちらはどうだ」
「それは何よりですわ。わたくしも委細問題ございません」
「ここは、一体」
「ええ」ベアトリスはどこか誇らしげにも聞こえる声で告げる。
「我らが切り札、神話の兵器、竜殺しの刃――白磁のアイアンメイデン『ホワイト・ライオット』。ここは、それを駆るための場ですわ」
「白磁の……アイアンメイデン……」
ヘリヤの知識が、膨大な古代文献からその名を引き当てる。
旧い神話に朗々と謡われる、二柱の神――創世の双子神。原初の混沌より世界を創り出した、”光陰の女神の宗教”の主神たち。白の女神ルミアスと、黒の女神ディス。
白と黒。光と闇。決して混ざり合わぬ二神は、やがてお互いをこの世界から排除せんと争い始めた。数多の眷属を産み出し、幾多の超兵器を創り出し、お互いにぶつけあう。多くの破壊と流血の果て、最後には二女神がお互いの胸を剣で貫き、相討ちとなって終結した。
女神たちの流した血は大地に降り注ぎ、新たな生命が生まれる礎となったとも、女神たちが戦のために産み出した眷属共の末裔が、現在この世界に生きる各種族の祖となったとも神話は伝える。
この話自体は子供でも知っている、ただのおとぎ話、寝物語に過ぎない。だがアカデミーに眠る書の数々には、それが何の根拠もない作り話ではないことを断片的に示唆していた。少なくとも、過去に世界を二分する大戦があり、世界が滅びかけたことは事実のようであった。
その超兵器の一つ。白の女神ルミアスが駆る、人を模した巨神。
アイアンメイデン。古代の言葉。意味するところは――鉄血の淑女。その名を冠する何かの中に、今我々はいるというのか。
まあいい。何が来ても驚かない。驚かないぞ。
「魔術師殿。『彼女』を起動いたします」
「いよいよだな。私の魔力、存分に使ってくれ」
「いえ、それはまだ後ですわ。まずは『彼女』の装いを、舞闘会の場にふさわしいものへとするだけ。そこまでは蓄積した魔力で十分ですから」
言葉とともに、前方の闇の中に光る魔術文字が浮かび上がる。それはこう読めた。
――我は剣なり 我は盾なり 我は騎馬なり 我は翼なり
――地を駆け 空を翔け 数多の世界を渡り行く
――我は暴虐なり 我は我が身を暴虐に包む
――暴虐を 邪智を 彼の敵を粉砕撃滅せんがため
――我が名は『ホワイト・ライオット』 「暴虐の白」なり
「『ホワイト・ライオット』、起動」
厳かに告げる彼女の声に呼応して、命なき骸が動き出した。
骸は緩慢な動きで四肢を広げる。各部が擦れ合い、咆哮のような音を立てた。周囲を飛ぶ文字蛇が、機体にまとわりつく。閃光とともに、幾つかの文字蛇が弾けた。その光の中、あたかも屍者が甦るかのように、骨組でしかなかった四肢が徐々に肉を、皮を備えていく。
半数の文字蛇が消える頃には、天空に一体の女巨人が――半透明の体躯の内に恐るべき威力を秘めた威容が――現出した。
残る文字蛇が、更に女巨神の体にまとわりついては、閃光と共に弾けゆく。閃光は機神を護る装甲と化していく。
腕には白磁の手甲(ガントレット)。機神は両の手を力強く握りしめる。見敵必殺の威力が満ちる。
足には白磁の脛当(グリーブ)。表面の精緻極まる装飾は、これが唯の兵器ではないことを如実に語る。
胸には胸甲(ブレスト・プレート)。堅牢。鉄壁。難攻不落。どれだけ言葉を弄しても、彼女の姿を正しくは綴れまい。
腰には腰当(タシット)。そこから伸びる穏やかな光は、ドレスのスカートにも似て、頑強な輪郭に優美さを加味する。
背には外套(マント)。背を覆う光は淡く輝く。”忌み野”を渡る風にたなびくそれは、王者の証か。
そして頭には双角の冠(クラウン)。神威を語る。その下には、両の瞳しか無い顔。瞳は閉じられたままだ。
――見よ。そして畏れよ。
それは白亜の城塞にして、怨敵を撃つ大剣。それは美の体現にして、力の権化。白磁のアイアンメイデン、『ホワイト・ライオット』。
「ぐうっ……う」
ヘリヤは歯を食いしばる。彼の頭の中には、この機体に関する膨大な情報が流れ込んできていた。人の脳が一度に処理するには、明らかに度が過ぎた量だ。ヘリヤの鼻腔から一筋の血が流れ落ちる。
ベアトリスは平気なのだろうか。ヘリヤの座る椅子からは、ベアトリスが座るそれの背もたれしか見えない。
「降りますわ。衝撃にお備えくださいませ」
常と変わらぬ口調でベアトリスが告げる。途端、ヘリヤの体に下向きの力が加わる。
ホワイト・ライオットは、緩やかな速度で降下。”忌み野”の地に降り立つ。着地の衝撃に、”忌み野”の大地が揺らぐ。何かが炸裂したかのように、土塊が舞い上がる。
機神は”忌み野”を力強く踏みしめると――そのまま膝から崩れ落ちた。
「なっ……?」
ヘリヤは予期せぬ衝撃に動揺する。ヘリヤの眼前に魔術文字が浮かび上がった。
――必要な魔力量の不足を確認。稼働を一時停止。
「お、おいおい」
「予定通りですわ魔術師殿。あまり動揺なさらぬよう」
ベアトリスは動じない。代わりに息を深く吸い、深く吐く。体内に満ちる勁力を感じ取る。
「そうか、いよいよ」
「いえ、まだですわ。魔術師殿の魔力をお借りするのは」
息を深く吸い、深く吐く。命を炉に焚べ、勁力を燃やす。
ベアトリスは背もたれの横から振り返り、ヘリヤを見た。その瞳は、燃えるように赤く染まっていた。
「先にお詫びしておきますわ。お耳障り、ごめん遊ばせ」
ベアトリスは正面に向き直り。
獣のように、猛々しく吠えた。
音の衝撃がヘリヤを打つ。ベアトリスの体から吹き出した赤い炎は、全てを舐め尽くす勢いで広がり、彼らがいる球体を――ヘリヤを包み込む。
全身を焼かれる想像がヘリヤを襲う。だが、赤い炎はむしろ暖かさ、心地よささえ感じさせるものであった。ヘリヤは瞬時に悟る。これは命の炎だ。
ヘリヤが知らない<遥けき東(ファー・イースト)>の神秘。内功とはすなわち、己の命を燃やし、威力に変える絶技である。極めれば天を割り、地を裂き――
紅の炎は巨神の全身を巡る。命なき四肢に、仮初の命が与えられる。
――気を巡らせた器物を、手足となして操ることも可能とするのだ。
紅の炎をまとった機神は、ふたたび立ち上がる。両の足で”忌み野”の大地を踏みしめる。両の腕を持ち上げ、胸の前で組む。その様相は白磁の巨塔を思わせた。
「魔術師殿、彼女の<目>を開きますわ。よろしくお願いいたします」
「……いよいよか、まかせてもらおう」
椅子の肘掛けに当たる部分が、わずかに光る。
途端、衝撃がヘリヤの身を駆け巡った。
「―――――――!」
吸われる。吸われていく。暴力に近い勢いで魔術が消費されていく。ヘリヤの目からほんの一瞬、光が消える。
ホワイト・ライオットの瞳が開く。低い音と共に、赤く輝く。
それに合わせて、ヘリヤたちのいる球体にも変化が起こる。周囲が明るくなり、そこに外界の様子が映し出された。
真正面、”忌み野の竜”の姿を捉える。
「魔術師殿……?」
ベアトリスは恐る恐る呼びかける。
「――仔細、ないぞ。まったく、意識があってよかったかもしれないな。眠っている間にこんな物に放り込まれていたとしたら、命が危ないところだったかもしれないぞ?」
弱々しく帰ってくる声。ヘリヤは鼻と口から流れた血を粗雑に拭うと、ベアトリスに慣れぬ軽口を返した。
「魔術師殿……」
「なんだ、その声は? あんたらしくない。見ろ、目の前の敵を。”竜”を。今からあれと戦うのだろう? そんなことでどうするんだ」
「……」
「まったく、人を道具のように利用しようと考えていたとも思えないな――いいか、よく聞け」
ヘリヤは軽く咳き込んで口に残っていた血を吐き出すと、高らかに告げた。
「私は魔術師ヘリヤ。アカデミーが誇る百年に一度の天才にして、いずれアカデミーの、いや、全ての魔術師の頂点に立つ男だ。その私が仔細ないと言っているんだ。だから何も問題はない」
ベアトリスは静かに言葉を受け止めた。彼女の中に、暖かな何かが広がる。
「征け! そして”竜”を討て!」
「征きますわ!」
ホワイト・ライオットの瞳が再び赤く光る。組んでいた腕を解き、腰を深く落とす。左手を前に、右手を後ろに、弓をひくように構える。”忌み野”の空気が震える。
「ホワイト・ライオット――跳べ!」
【続く】