白磁のアイアンメイデン 第3話〈2〉 #白アメ
「朝の修練か、精が出ることだ」
「おはようございます魔術師様。昨晩はよく眠れまして?」
ベアトリスの戦装束がするりとほどけ、元のドレスに様変わりする。昨日の真紅のものとは異なり、今日は紫のグラデーションが白い肌に映えるきらびやかな代物だ。
大きく開いている胸元や背中を意図的に無視すると、ヘリヤは答える。
「ああ、おかげさまでな」
「それはよろしゅうございました」
いつもの笑みでそう言うと、ベアトリスは視線をヘリヤの後方に向けた。釣られてヘリヤもそちらに視線を向ける。
視線の先は砦の中央。そこにあるのは、崩壊寸前の霊廟らしき建造物。
「あれか」「あれですわね」
醸し出す空気が、そこがどういう場所なのかを雄弁に物語る。
ーー“忌み野の竜”の寝所。
「竜はこの地の地下深くに眠ると言いますわ。恐らくはどこかに地下への道があるのではないでしょうか」
「だろうな。探ってみるとしよう」
そう意気込んだ彼らであったが、地下への入り口は拍子抜けするほどあっさりと見つかった。霊廟の中に入ったベアトリス達が目にしたものは、床に備え付けられた巨大な鉄扉と、それを封じるように印された複雑極まる文様だったのである。
「あらあら、わかりやすくて有難いことですわね。ですが」
言いながらベアトリスは鉄扉に手をかけようとする。瞬間、紋様に光が走ると破裂音とともにベアトリスの手を弾き飛ばした。
「ああ、やはりそういうことですわね」
『お嬢様、お怪我はございませんか』
「ええ、ですが困りましたわ。こういう封印は大抵の場合、無理矢理どうにかしようとするとかえってどうしようも無くなってしまうものでしょう? そうでなければ拳の一つも叩き込むところですが」
珍しく本気で困った様子で、ベアトリスはヘリヤを見た。
「魔術師様、何か良いお知恵はございませ……魔術師様?」
ヘリヤは応えない。ただ、紋様を食い入るように見ているだけだ。
しばらくそうしていた後で、ヘリヤの口から言葉があふれ出し始めた。
「……なんて素晴らしい術式だ芸術的と言ってもいいこんな複雑な術式をしかも複数の術式を組み合わせて同時に成立させているのか凄まじい技術だそれにしてもこの部分は何だああそうか大陸式の応用か」
「魔術師様」
「だがこんな術の編み方は見たことが無いしかし確かにこうすれば大陸式の欠点をカバーできるだがそうするとこちらの部分に大きな負荷がかかってしまうはず一体どうやって」
「魔術師様」
「まてよああなるほど魔術の循環の方向をこう変えることでそれを回避しているのかいやだがそうすると」
「魔術師様」
「そうかそこでこうくるのかその上でこちらに何とこれは精霊魔術の方法論ではないかそれをここに持ってくるとはこれが発想の転換というものか素晴らしいおやこちらはまたえらく古い術式だがなるほどここに接続することで」
「魔術師様」
「……っ!?」
「……」
「……」
……痛いほどの沈黙が場を支配する。
どれほどの時間が経ったのだろうか、先に沈黙を破ったのはベアトリスのほうであった。いつもの笑顔でヘリヤに話しかける。
「ずいぶんと、ええ、そうですわね、何と言いましょうか、夢中でいらっしゃいましたのですね」
「ああ、す、すまない。つい、我を、我を忘れてしまったようだ」
ヘリヤは努めて冷静を装う。今のところ、その努力は実を結んでいるようだ。赤く染まる両耳以外は。
「この封印術式、残念ですがわたくしの手には余る代物のようなのですわ」
「だろうな」
ヘリヤはまた昂りそうになる心を抑えつつ、ゆっくりと語り出す。
「この術式を施した者、誰かはわからないが相当の使い手だ。そこいらの魔術師では何が施されているのか、皆目見当もつくまい。最早失われて久しいものも含め、高度な術式を何層にも重ね合わせて使用している。重厚かつ華麗。圧倒的技術と知識の集大成だ」
『恐らくは、“忌み野の竜”が自分の寝所を荒らされぬために施したものでしょう。書に曰く、竜は古代より魔術を己の意のままに行使したと』
アルフレッドが背後から声をかける。
「やはりそうか、だが想像以上だ。それでこそ、わざわざこの“忌み野”まで出向いた意味があるというものだが」
「どうにか、なるものなのですの?」
「並の術者では百年かかっても無理だな」
「では」
「しかし生憎」ヘリヤは笑う。「私は並の術者ではない」
ヘリヤは紋様に手を触れた。即座に発生する抵抗をものともせず、複雑に手を動かしていく。口から紡がれる言葉らしきものは何かの呪文だろうか。ヘリヤの両腕に様々な文様が浮かび上がっては消えていった。そうこうしているうちに、文様の発する光の所々が徐々に薄れ、消えていく。ヘリヤの額に薄っすらと汗がにじむ。
「まあ」「さて、仕上げだ」
ヘリヤは残ったかすかな光に対して両手をたたきつけた。パシン、と軽く弾ける音。それを最後に文様は一切の輝きを失った。
「…どうなりましたの?」
「済んだのさ」ヘリヤは満足げな顔を向けて言った。「封印はすべて解」
瞬間、轟音と共に鉄扉が派手に吹き飛んだ。
即座に反応、後方に跳び間合いを取るベアトリス。
「…たびたびすまんな」【チチチ】
少し離れたところでフローレンスに抱えられたまま、ヘリヤはねぎらいの言葉をかけた。
「アルフレッド」『はい、お嬢様』
鉄扉が吹き飛んだ後にできた大穴。そこから歪んだ空気、淀みとしか形容しようもない何かがしみだしてくる。
「舞闘会(おでかけ)の支度はよろしくて?」『無論です』「ならば」
ベアトリスが、アルフレッドに手を差し出す。アルフレッドが、主人の手を恭しく取る。
淀みが濃度を増していく。場の空気が徐々に冷えていく。
「エスコートを」『With Pleasure, My Lady』
眩い閃光が淀みを切り裂いた。
光の中、フローレンスの腕の中でヘリヤは見た。暗黒の大穴から浮かび上がるそれを。
淀みを引き連れて浮上する、年端もいかぬ少女――の姿をした、何かを。
「あれが、そうなのか」
「ええ、間違いありません」
強化外骨格装甲――元執事――を身にまとったベアトリスが、硬い口調で答える。
「あれこそが、”忌み野の竜”ですわ」
【続く】