『血の兄弟』の終焉
「ちっ……なんだってこんな朝っぱらから呼びつけやがるんだ。しかも今日は、半年前から楽しみにしてた電子パルプ・マガジン『無数の銃弾:vol.5』の発売日だってのに」
無駄に広い邸宅の無駄に長い廊下を歩きながら、カルロはそうひとりごちた。はっきり言って気が重い。相当にだ。これから彼が会う相手は、可能であれば顔を合わせたくない相手だからだ。
廊下の突き当りにたどり着く。無駄に威圧的な用心棒に視線を投げかける。すぐに扉が開かれた。ボディチェックもないまま、部屋に足を踏み入れる。当然だ。泣く子も黙る麻薬組織『血の兄弟』のNo.2の邪魔をできるやつなんざ、この世にたった一人だけだからな。
はたして、部屋の主であるそのたった一人の男は、無駄にでかいデスクに座り、手元のタブレットの画面に集中していた。入ってきたカルロに目も向けずに、だ。
「で? なんの用なんだよ、兄貴」
ほんの少しの緊張を含んだ声で、カルロは目の前に座る男――カルロの実の兄にして、『血の兄弟』の長、ロベルコ・ラギーレに語りかける。返事はない。
「おいおい兄貴、人を呼びつけておいて無視は勘弁しろよ。用があるなら早めに頼むぜ。俺だってヒマじゃないんだ。特に今日は、noteというオンラインの荒野に集いし12人のパルプスリンガーが放つ渾身の弾丸こと『無数の銃弾:vol.5』の発売日なんだぜ?」
カルロがそう言うと、ロベルコはようやく顔をカルロに向けた。射抜くような視線。銃口を向けられたほうがまだマシ……そう思わされ、カルロは心中で舌打ちする。
何も言わないまま、ロベルコは手にしていたタブレットをカルロに手渡した。
「あん? 『月刊殺し屋』じゃねえか。今月号出てたのか」
『月刊殺し屋』はその名の通り、殺し屋専門の雑誌である。その歴史は古く、内容の充実ぶりは他誌の追従を許さない。裏の世界に身を置く者ならば、必読の書と言えた。
「今月の殺し屋ランキングを見てみろ」
ロベルコが、重苦しい声でそう告げる。
殺し屋ランキング。文字どおり、世界中の殺し屋をランク付けしたものである。『月刊殺し屋』独自の採点方法によるランキングは、それまで口コミによる評判ぐらいしか評価軸のなかった殺し屋界におけるエポック・メイキングであった。
「ランキング? それがどうした……お、おいおい、マジか、マジかよ!」
タブレットの画面に写ったランキングを見て、カルロは思わず声を荒らげてしまった。呆けた顔でロベルコの顔を見、再びタブレットに視線を戻す。
(マジか、信じられねえ……ランキング3位の、あの『緋針のミカエル』が……7位に陥落してやがる!)
そう。この殺し屋ランキングにおいて、上位3名はずいぶんと長いこと不動であった。それこそカルロが人も殺していないガキのころからなので、もう20年以上全く変化がなかったのである。
それが今月、ついにその牙城の一角が崩れたのだ。
――『マキナ』。
ミカエルから3位を奪った殺し屋の名は、そう書かれていた。
「……『マキナ』? へえ。コイツ、あの『黒』の直弟子なのかよ……だがよ兄貴、ランキングは確かに驚きだが」
「さっきモンタナから電話があってな。その『マキナ』って殺し屋、今日ここに来るらしい。標的は俺とお前だそうだ」
「……は?」
兄の言葉の意味を飲み込むのに、カルロはたっぷり20秒ほどかけた。そして飲み込んだ途端、目の前が暗くなりかけたのを、どうにか押し留めた。
3位の殺し屋が、来る。今日、ここに。俺たちを殺しに!
カルロは以前、ランキング18位だという殺し屋とともに仕事をしたときのことを思い出す。
銃使いの男だった。20人かそこらの敵を、瞬く間に殺してみせた。だが、男の腕前に戦慄するカルロに男は言った――俺の技などたいしたものじゃあない。俺の技は間違いなく達人級だが、所詮は人の限界を極めただけにすぎない。ランキング一桁の連中なんかと比べれば、おれはヨチヨチ歩きの赤ん坊みたいなもんだ。連中だったら、小指一本、ほんの数秒で俺を殺してのけるだろう――。
「おい」
ロベルコから声をかけられ、カルロの意識は現実に引き戻される。
「ヤベえ……ヤベえじゃねえか兄貴。だけど」
「誰がどうして殺し屋を差し向けてくるのか、って言いたいのか? さあな。『誰』も、『どうして』も、心当たりが有りすぎて、正直わからん」
「は、ははっ……違えねえ。だったら考えるべきは、じゃあどうするか、だな兄貴。策は……あるのか?」
カルロは、背中に這い上がってくる恐れを隠しながらロベルコに問う。彼は『血の兄弟』のNo.2だ。No.2は、世界3位の殺し屋が襲ってくる程度のことでは恐れないものだ。恐怖はNo.2にはふさわしくない。そして、ロベルコがふさわしくない者をどのように処してきたか、カルロは痛いほどよく知っていた。
「兵隊はかき集められるだけかき集めて、完全武装させた上で屋敷の各所に配置した。だが多分、連中じゃあ弾除けにもならんだろう。なんせ来るのは3位の殺し屋だ」
「かもしれねえな。じゃあ、俺と兄貴だけでも地下のシェルターに籠もっちまうか? あれ、真上に核兵器ブチ込まれても平気なんだろ」
「――そんな必要はないね」
突然聞こえてきた声に、カルロの体が跳ね上がる。なんだ、どこから聞こえてきた? この部屋には、俺と兄貴しかいない。あとは無駄に豪勢な家具と、無駄に気合の入ったバーカウンターと、無駄に元気よく葉を茂らせている観葉植物ぐらい――。
まてよ、観葉植物? そんなもん、この部屋にあったか?
カルロは植物を凝視した。その葉が不自然に揺れ――気がつけば、一人の老婆の姿をとっていた。
「な……なあ!?」
驚愕するカルロを尻目に、老婆はロベルコに向かって歩を進める。喪服じみた地味な黒服。それと対照的な、大ぶりのルビーをあしらったイヤリングが耳元で揺れていた。
老婆が歩くたび、全身から死の気配とでも言うべきものが撒き散らされる。
カルロは唐突に気づく。このババア、こいつ、殺し屋だ。しかも、とんでもなくヤバいやつだ。歩くだけでこんな、殺気みたいなもんがあふれ出してやがる。そのくせ、その殺気を完全に消してのけることさえできるんだ。だからそうやって、観葉植物になりすまして部屋に潜んでいやがったんだ!
コイツが、このババアが、『マキナ』――!
「初めましてだね。ロベルコ・ラギーレ。アタシは『凪』。『組織』の殺し屋だよ」
カルロはまた驚く。『マキナ』じゃない殺し屋が、なぜ?
「……アンタ一体、いつからこの部屋にいたんだ」
「だいぶ前から、だよ。だけど良いのかい。そんなどうでもいいコト気にしていられるほど、時間の余裕はないと思うんだがねえ」
「ああ、そうだな。頼んだぜ殺し屋。前金でウチの組織の2年分の売上相当の額を支払ったんだ。それ相応の働きをしてくれねえとな」
――組織の、売上の、2年分、だと?
「ふん、それで命が買えるなら安い買い物だろ? だいたいねえ、普段はもっと頂いてるんだよ、アタシゃ。今回は出血大サービス、特別料金で用心棒を請け負ってやったんだから、せいぜい感謝することだね」
「そうだな。ランキング5位の殺し屋を雇うにしては、少なくてすんだな……」
なるほど、そういうことか。ひとり蚊帳の外に置かれていたカルロは、ようやく理解する。殺し屋には殺し屋をぶつければいい、ってわけだ。単純だが効果的。
3位のやつがどれほどのものは知らないが、この5位の婆さん、明らかにとんでもない、人間離れした実力の持ち主のようだし、完全武装させた手下共もいる。大丈夫だ。正直どうなることかと思ったが、この分ならとっとと片が付きそうじゃないか。俺も安心して、今日発売の超絶エンターテイメント電子パルプ小説集『無数の銃弾:vol.5』を堪能できそうだぜ――。
「来るよ」
『凪』がそう呟いた。その瞬間、屋敷に怒号と悲鳴が響き渡った。
◇
「くそ、これだけ撃ちまくってるのに、なんで当たらねえんだ!?」
金槌で硬いものを叩いたような、小気味良い音がした。
「死ね、死ね、死ね――ぎゃあ!」
小気味良い音がした。
「畜生、チクショウ……カミサマ、カミサ」
小気味良い音がした。
「ひい、嫌だ、死にたくねえ! まだ俺は、今日発売の『無数の銃弾:vol.5』を読んでねえんだ! それなのに死んで」
小気味良い音がした。
小気味良い音は、人に振り下ろされる金槌の音であった。両手に金槌を持った人影がゆらりとうごめくたびに、小気味良い音が響き、人が死んでいく。
その人影は、灰色のパーカーと、黒地に赤ライン入りレギンスを身にまとっていた。非力な印象を与える小柄な体格もあって、体育の授業中の中学生にしか見えない。
両手に血まみれの金槌を持っていなければ、だが。
そう。彼女が、彼女こそが『マキナ』。世界殺し屋ランキング3位にて、最近売り出し中、新進気鋭の殺し屋である。
マキナは鼻歌を歌いながら(それは日本で流行した歌の一つだった)、自らに向けて放たれた数発の銃弾を歩いてかわした。そのまま歩き続け、驚愕の表情を浮かべる男に無造作に近づき、無造作に金槌を振るった。
小気味良い音がして、男が倒れた。何度か痙攣した男は、そのまま動かなくなる。
(キナ……マキナちゃん。気づいてる?)
マキナの脳内に声が響く。彼女の名はショウコ。マキナの無二の親友であり、最初の犠牲者でもある。「ふつう」の女子高生であったマキナの手にかかって命を落とした後、マキナの脳内に転生。以降、マキナを公私共に助けるパートナーとなったのである。
「うん。気づいてるよショウコちゃん。この先にターゲットの二人がいる……だけど一緒に、とんでもない人がいるっぽい」
(強そうな気配だよ。マキナちゃん大丈夫?)
「え? もちろん! だいじょうぶだよキョウコちゃん! ほら、なんてったって私、世界3位の殺し屋だし! 3位だよ3位! 世界で3位! すごくない?」
(本当にすごいよマキナちゃん。親友のあたしも鼻が高いよ)
「え、そう? ホントに? えへ、えへへへへへ……」
だらしない笑顔になりながら、マキナは金槌を数回振るった。火花が散り、彼女を狙った銃弾のすべてが叩き落される。
マキナはにやけながら、するりと、男たちの懐に入り込む。
そして金槌を振り上げ、振り下ろす。
小気味良い音がする。
◇
「ええと、あなたがロベルコ・ラギーレさん……ですよね? そしてそちらが、弟のカルロさん」
カルロは、返事の代わりにつばを飲み込んだ。目の前にいるこの女が、本物の『マキナ』らしい――中国人、いや日本人だろうか? ガキのようにも見えるし、いい年のようにも見える。アジア人はよくわからねえ……というか、コイツ、なんというか、えらく「ふつう」だな。本当に殺し屋か?
そこまで考えて、カルロはぞくりとする。
まて、待て待て。金槌持った全身血まみれパーカー女をつかまえて「普通」だと? なんでそう思ったんだ俺は?
カルロはマキナの顔をまじまじと見つめた。なんの特徴もない、街ですれ違っても一切印象に残ることのない、「ふつう」の顔。「ふつう」の表情。
「階下の連中は、どうした」
ロベルコが問いただす。語尾がわずかに震えていた。
「え? ええと、たぶん何人かは生きてると思うんですけど」
「残りは……残りは全員殺っちまったっていうのか」
今度はカルロが問う。問いながら彼は、皮肉な笑みを浮かべそうになる。おかしいな。ついさっきは俺も兄貴も、部下を何人並べようが弾除けにもならないって言ってたじゃねえか。なのになんで、こんなことを聞いちまったのか――ああ、要するに信じたくなかったのか。否定してほしかったのか。実は世界3位なんてたいしたことないじゃないかって思いたかったのか。
「あー、まあ。だって私、殺し屋ですし、とうぜん殺しますけど……あ、でも、彼らもがんばってたと思いますよ!? だから、あんまり責めないでやってあげてください! 殺し屋の前に出てきちゃった人が死んじゃうのは仕方のないことなんです!」
――なんだコイツ。カルロは軽いめまいを覚えてしまう。およそ人間は、言葉は通じているのに話が通じないようなコミュニケーションをすることに慣れていないものだ。
カルロは横目でチラと兄を見た。ロベルコは平然としていた。平然としているように見えた。だがデスクに隠れた手元は、震えながら何かを弄っていた。小さなキーパッド。脱出装置。
暗証番号を入力した瞬間、デスク周りの空間ごと地下へ急降下。そのまま何重もの隔壁に覆われたシェルターへ。そういうカラクリだ。
カルロは、こっそりとロベルコのデスクに近寄る。置いて行かれてはたまらない。
ロベルコが横目でカルロを見た。恐ろしい視線だったが、カルロは微笑んで受け流した。
「それで、そちらのお婆さんは……」
「……はじめまして、だね小娘。アタシは『凪』っていうんだ。『組織』で名前くらいは聞いたことがないかい? ほら、たとえば……アンタの師匠からとか」
「ネロ先生から……ですか?」
マキナは金槌で頭をかいた。確かに先生からは様々なことを教えてもらったが、その中にこの人のことはあっただろうか。
(マキナちゃん。たしかこの人、『凪』さんって名乗ったよね? 『組織』の殺し屋データベースに載っていた人じゃないかな)
「『凪』……『凪』……あ!」
マキナは軽く目を見開いた。右手の金槌で『凪』を指す。
「先生から聞いたことがあります。自分が知る中でも、最高の殺し屋の一人で、最高の女の一人でもある、って! 確か、世界殺し屋ランキングでも、ずっと10位以内をキープしてるんですよね?」
「へえ……ネロが、アタシのことをそんなふうに言ってたのかい」
心なしか嬉しそうな様子の『凪』を見て、カルロは思わず声を荒らげそうになる――おいおいババア。敵の殺し屋と馴れ合ってんじゃねえよ。良いからとっととぶち殺しちまえ――。
だが。
「あー。でも、殺し屋としての実力はマキナのほうがだんぜん上だ、って言ってましたね」
「……へえ? そうなのかい? ネロが、そんなことを?」
室温が一瞬で数度下がったように感じられ、カルロは一言も発することができなくなっていた。それどころか、指一本動かすことができそうにない。部屋の空気が、その質が明らかに変わっていた。
「そうかいそうかい、アンタみたいな小娘が、このアタシより上だっていうのかい。にわかには信じられないねえ」
「えーと、そうですよねえ。それじゃあ、ちょっと殺し合ってみますか? どちらにしろ、あなたを殺しちゃわないと、私も依頼を達成できそうにないみたいですし」
両手に持った金槌をくるくると回しながら、マキナはそう言った。
「もとより、そのつもりさね」
『凪』は両耳に手をやると、イヤリングを外した。大振りのルビーが、『凪』の手の中で妖しく光った。
「殺し屋同士、ですしねー」
両手に金槌を構えたマキナが、『凪』に向かって踏み出そうとした、その瞬間。
緋色の旋風が奔った。
マキナが飛び退く。風が、マキナが立っていた空間を切り裂いた。
無論、風などではない。
マキナの目は、旋風にしか見えないそれの正体を捉えていた。
イヤリングだ。
『凪』が手に持つイヤリングが、銃弾以上の速さで飛来したのだ。
続けてもう一つ。マキナの顔へ。火花のような一瞬。
かわす。
紅色のルビーが、マキナの瞳に妖光を投げかける。ルビーがはまる台座から飛び出した、刃物状の突起がぎらりと光る。
2つのイヤリングは弧を描く軌道で飛び、『凪』の手元へ帰っていく。
「痛」
マキナが頬に手をやる。薄っすらと赤い線が浮かぶ。あとにも残らないような傷だったが。
「うわ。かわしきれなかった」
(マキナちゃん、大丈夫?)
「うん、平気。だけど驚いた。すごいお婆さんだよ」
『凪』は両手をだらりと下げた姿勢で立っていた。手から離れたイヤリングが真下に落ちていき――空中で静止する。
「よくかわしたね小娘。なかなかやるじゃあないか」
『凪』が右手を振るう。紅い光が奔った。続けて左手。両手を広げる。交差させる。『凪』が手を振るうたび、紅い光が宙を走る。その速度が増していく。
決して狭くはない部屋に、緋色の嵐が巻き起こる。
「さて、どんどん行くよ小娘。せいぜいかわしてみてごらん」
空気を切り裂く音。死の赤燕が弧を描き、マキナへと襲いかかる。
それをマキナはかわす、かわす、かわす。左。かわす。右。かわす。縦。かわす。横。かわす。死の旋風が殺到する。マキナはそれをかわし、かわし、かわし、かわしていく。かわしきれなくなっていく。
金槌。弾く。火花散る。旋風が襲いくる。金槌。甲高い音。火花。氾濫する光。風。音。それらがロベルコとカルロに叩きつけられる。祝祭の絢爛。カルロは心の高揚を感じてしまう。実際に見ているものは、巻き込むものを塵へと返す死の風であったが。
「いやー。すごい武器ですね、お婆さん。それ、手となんだかこう、見えない糸みたいのものでつながってるんでしょ。それで自由自在に操れるんですねー。かっこいいなあ」
祝祭の雰囲気が一気に崩壊するような、「ふつう」の声色が部屋に響いた。カルロは思わず、膝から崩れそうになる。
「……正解だよ小娘。よく見てるね」
「それにしてもお婆さん。『凪』だなんて嘘ばっかりじゃないですか。実際は台風ですよ台風」
「二つ名で自分の奥の手をさらすもんじゃないからね。殺し屋なら当然の配慮さ」
「……え?」
マキナは焦った。焦りながら、脳内にあった自分の二つ名候補――3位になった記念に名乗ろうと考えていたそれらに、線を引いて消していく。「ハンマー・マキナ」、「魔女の鉄槌」、「打撃女神」……。
ああ、「ハンマー・マキナ」は結構お気に入りだったのにな……肩を落とすマキナ。隙だらけだ。
紅い風が奔る。
「あ」
気づけば、マキナの両手から金槌が消え失せていた。見えない糸に絡め取られた金槌は宙を舞い、『凪』の手元にストンと収まった。
「……間抜けな小娘。アンタが金槌を持たなけりゃ、ただの『ふつう』の小娘にすぎないってことは調査済みだよ」
(マキナちゃん!)
「死にな」
鈍い音がした。
二つのイヤリングが、まっすぐマキナの胸元――心臓の位置に吸い込まれていた。
膝が折れ、マキナの体が沈む。沈んでいく。
『凪』は、口元に会心の笑みを浮かべる。
――このアタシ相手に、あんなスキをみせちまったんだ。そりゃ死ぬさ。せいぜいあの世で悔やむんだね。
それにしても、ネロのやつも耄碌しちまったもんだ。こんな小娘のどこがアタシより――。
『凪』の目に、マキナのパーカーの袖口、そこから金槌が滑り落ちたのが映る。マキナの姿が、消える。
小気味良い音がした。『凪』の視界が、一瞬で赤く染まった。
「が」
喉の奥から絞り出だせれる短い悲鳴。それが自分の口から出たものだと気づいたときには、『凪』は床へと倒れていた。
「ぐう」
『凪』は余力を振り絞り、顔を上へと向けた。そこには、いたって「ふつう」の顔があった。
――どうして死なない。
『凪』はそう尋ねようとした。だが彼女の口から出た言葉は、全く別のものだった。
「……黒。どこだい。アタシをおいて、アンタ一体どこへいったんだい」
(マキナちゃん、この人)
「うん……お婆さん、ネロ先生の古い知り合いだったんですよね。も、もしかして……恋人だったとか?」
『凪』は応えず、ただマキナを見た。
「えっと、たぶんなんですけど、お婆さんあの世でネロ先生と会えると思いますよ。だってほら、同じ殺し屋ですし、それに、ふたりとも私に殺されたってことも共通してますしね」
『凪』が咳き込み、血を吐いた。
「……アンタが……ネロを?」
「はい。あ、でも勘違いしないでくださいね! 私だって殺したくて殺したんじゃないんですよ。私、無差別殺人鬼なんかじゃありませんから!」
「……」
「ネロ先生が『卒業試験でス』とか言って、本気でかかってきたんです。だから、仕方なく、いやホントに仕方なくなんです!」
(マキナちゃん)
「ん? どうしたのキョウコちゃん……あ」
『凪』は静かになっていた。その死に顔は苦渋に満ちたものだった。
「もう死んでたんだね……え? ということは私、結構大きな声で独りごと言ってた感じ!? う、うわー!」
(マキナちゃんったら……それにしても、さっきは危なかったね)
「あ、そうそう。いやー、胸元にコレを入れてなかったら殺されちゃってたかもしれないねえ」
マキナは胸元にゴソゴソと手をいれると、四角い物体を取り出した。
(持っててよかったねえ、Kindleリーダー)
マキナが手に持つそれには、弾痕上の傷があった。『凪』が放ったイヤリングは、この「Kindle Paperwhite シグニチャー エディション (32GB) 6.8インチディスプレイ ワイヤレス充電対応 明るさ自動調節機能つき 広告なし」に阻まれてマキナの肉体まで届かなかったのだ。
「ホント、すごいお婆さんだったね……さてと」
マキナが、ロベルコとカルロを、見た。
「兄貴!」
カルロの怒号。ロベルコが指を走らせる。
「えー!?」
マキナの目の前で、部屋の一角が消え失せた。
マキナは慌てて駆け寄り、部屋に空いた四角形の穴の縁にしゃがみ込む。下を覗き込むと、轟音とともに急降下していくロベルコのデスクが見えた。
「ぜ、絶叫マシンかな!?」
(マキナちゃん、ターゲットが逃げちゃうよ!)
マキナがあたふたしている間に、底が見えぬほど深い竪穴が隔壁で閉じられていく。1つ、2つ、3つ……最終的には7重の隔壁が、マキナとロベルコたちを隔ててしまう。
「うーん、これは……大変なことになっちゃったぞ」
◇
腹の底まで響く衝撃。最下層についた証だ。
最初は闇、そのうち赤色の非常灯が点灯する。「完全閉鎖完了」という機械音声が流れたところで、カルロはようやく全身の緊張を解いた。とたんに、全身から汗が吹き出してくる。
ロベルコも同様のようだった。シャツのボタンのいくつか外し、ため息をついていた。
カルロは天井を見上げる。うす赤い光に照らされて、いかにも頑丈そうな隔壁――メーカーいわく「核兵器の直撃にも、3発までなら耐えられる」代物だそうだ――に、心の底で感謝を捧げる。なにかに感謝するなど、いつ以来だろう。あれは確か――。
小さな小さな、小気味良い音が響いた、ような気がした。
カルロの心臓が跳ねる。上を向いたまま、慌てて耳をすます。何も聞こえない。
「……兄貴、今の、聞こえたか?」
「……いや、なにも。どうしたカル」
小気味良い音が響いた、ような気がした。
「兄貴、今のは、今のはどうだ」
「……馬鹿な、そんな」
小気味良い音が響いた。
カルロは携帯していた銃を抜き、天井の隔壁に向けた。手が震える。ロベルコも同じく、大口径の銃を――人に向けるには過剰なほどのそれを構えた。カルロの顔に笑みが浮かぶ――「こんな悪い冗談、信じてたまるものか」という歪んだ笑みが。
静寂が訪れた。
カルロの頭の中に、様々な言葉が浮かんでは消えていく――殺し屋。隔壁。兄貴。死。助けて。ルビー。核兵器。『組織』。金槌。3位。『無数の銃弾』。殺し屋。殺し屋。殺し屋。「ふつう」の殺し屋。
静寂。
カルロがつばを飲み込んだ。
その瞬間、無数の音が部屋中に響き渡った。
スコール、機銃、ヘリ、ドラム、エンジン、工事現場。ありとあらゆる騒音を混ぜた小気味良い――いや、爆音、騒音、重低音、破砕音、なにか硬いものを金槌でひたすら叩き続けているような音が、何度も何度も何度も何度も鳴り響く。カルロは銃を手落とし、耳をふさいだ。もう隔壁を見ることはできなかった。
小気味良い音と、分厚い金属の板がねじ曲がる音がした。
「か、硬い。何でできてるのコレ……っと、これで最後だった」
死神が降りてくる気配がした。
「よっと」
床を見つめるカルロの耳に、何発かの銃声らしき音と、小気味良い音が響いた。誰が撃って、何を殴った音なのか、カルロは知りたくなどないと思った。
「さてと」
近づいてくる気配。カルロは床を見続けている――己の右手、そこに握られた銃が見えた。
気配が目の前に立った。
カルロの神経が切れた。
獣の表情を浮かべながら顔を上げ、右手の銃を目の前の気配に――「ふつう」の顔をした女に狙いを定める。
それは彼の肉体能力を超えた、一世一代の速さ。照準は心臓。撃てば殺せる距離。トリガー。マズルフラッシュ。胸元を押さえる殺し屋。殺った!
殺し屋がカルロを見ていた。いたって「ふつう」の表情で。撃たれても死なないままで。カルロは叫んだ。叫んでトリガーを引いた。引こうとした。
聞くに耐えない音がした。
トリガーは、それ以上引けなかった。
彼の手首から先が金槌で削ぎ落とされて無くなっていたからだ。
そうカルロが理解したときには、かれの頭上に金槌が振り上げられ、振り下ろされていた。
小気味良い音がした。
◇
(お疲れさま、マキナちゃん。依頼完了だね)
「うー。でも今日は本当に疲れたよ……早く日本に帰りたい……帰って温泉行きたい……湯上がりにのんびり落ち着いて、絶賛発売中の電子パルプ・マガジン『無数の銃弾:vol.5』読みたい……」
(マキナちゃん、ホント好きだね『無数の銃弾』)
「それはそうだよ! だって、インターネットの荒野を渡る腕自慢のパルプ書きたちが魂込めて放つ渾身の一発ばかりが収録されているんだよ! それなのに、お値段たったの100円! しかも前号から、なんか私にそっくりな殺し屋さんのお話が連載されはじめたんだよ」
(ビックリだね。それはそうと、さっき撃たれたところは大丈夫?)
「え? あ、それは平気。なにせ」
そう言ってマキナは胸元をゴソゴソと漁り、四角形の物を取り出した。
「また助けられちゃったからね。Kindle Paperwhite シグニチャー エディション (32GB) 6.8インチディスプレイ ワイヤレス充電対応 明るさ自動調節機能つき 広告なしに」
マキナが手に持つそれには、弾痕上の傷があった。カルロが放った弾丸は、この「Kindle Paperwhite シグニチャー エディション (32GB) 6.8インチディスプレイ ワイヤレス充電対応 明るさ自動調節機能つき 広告なし」に阻まれてマキナの肉体まで届かなかったのだ。
「あ」
(どうしたのマキナちゃん)
「壊れてる。これじゃあ『無数の銃弾』が読めないよ……」
(……スマホアプリで読めばいいんじゃないかな)
「あ、そうか! さすがキョウコちゃん。頼りになるー」
(ありがと。さ、マキナちゃん。帰ろうか)
◇
『血の兄弟』のNo.1とNo.2が死んだことで、同組織は急速にその地域での影響力を落としていった。半年の後に、別の組織に吸収される形で消滅したという。
【完】
申し訳有りませんでした。