白磁のアイアンメイデン 第3話〈6〉 #白アメ
ここに「魔術師ヘリヤ」が誕生する。
以来、彼は師匠の期待に応えるべく、魔術の研鑽に全力を注いだ。そして期待以上の成長を遂げてみせた。才能と熱意が正しい方向を向いていれば、人はどこまでも高みにのぼることができる。おそらくこの頃が、彼にとって一番幸福な時間だったのだろう。
転機は彼が20歳のときに、突然やってきた。彼の師が、謎の死を遂げたのである。
当時のアカデミーは、所属する魔術師たちがその主義主張によって2つの学派に分かれ、公然非公然の争いを繰り広げる場と化していた。すなわち、「探究派」と「実践派」である。
「探究派」は、名のとおり魔術の深淵を探究、そしてそこから導かれる世界の成り立ち、隠された真実にたどり着くことを魔術の最大の目的とする学派である。それに対し「実践派」は、これも文字通り魔術を実践、正しく使用し、それを持って世の発展と幸福に寄与することを第一とする一派であった。どちらの派閥にも理想があり、信念があった。両派閥の違いはひとえに、その理想を実現する手段の違いでしかなかった。
2つの勢力は、ある時点までは拮抗していた――「探究派」の有力者たるヘリヤの師がアカデミー内の自室で命を落とすまでは。その死体は、「人が見て、正気を保てるものではない」状態だったという。
事故か、事件か。自殺か、他殺か。あるいは、「実践派」が差し向けた刺客の仕業ではないか。真相は藪の中だ。ただ一つ確かなことは、有力者を失った「探究派」にとっては痛恨の出来事だった、ということだけだ。その事件を境に両派のパワーバランスは一気に崩れ、現在のアカデミーはその大多数を「実践派」が占めるようになっていた。
その日から、ヘリヤは己の研究にただひたすらに没頭するようになった。周囲の好奇の視線も力を失った派閥に属するがゆえの嘲笑の声も意に介せず、ひたすらに己の信じる道を邁進していく。その結果、実力はアカデミー入学当初に比して遥か高みまで達したが、引き換えに彼の周囲からは人の影が消えていった。彼をあるものは「百年に一人の天才」と呼び、またあるものは「書物だけが友達の淋しい変人」と呼び、等しく彼を遠ざけていた。
◇ ◇ ◇ ◇
師匠の死から3年後、アカデミーにて「師匠位階(マスタークラス)」の審査会が開かれた。
「師匠位階」とはアカデミーにおける位階の一つであり、文字どおりアカデミー内での指導者的立場にある者たちの称号である。アカデミー内における権力者層であり、アカデミーで学ぶ者の一つの目標地点であった。無論、位階を得るにはそれ相応の実力と見識が(場合によってはそれ以外のものが)求められるため、何年か毎に開かれる会において先達の師匠位階保持者たちから厳しい審査を受けることが通例となっていた。
アカデミーの大会議場にて並み居る師匠位階保持者の前に立ち、へリヤは彼らを静かに眺めていた。
ヘリヤよ。前に立つ老魔術師の一人が、威厳あふれる声で語りかけてくる。師匠の死という痛ましい出来事を乗り越え、よくぞここまで魔導を練り上げた。君の実力はもはや一学徒に留めるべきものではない。よってここに、君を師匠位階に推薦するものである。
その場に集った人数に比すればあまりにも謙虚な大きさの拍手が、ヘリヤに降り注ぐ。
しかし、だ。
響き渡る声を合図に、拍手がピタリと止む。
ヘリヤは内心で呆れながら聞いていた。そら来た。茶番だなまったく。
栄光あるアカデミーにて人を導く立場に立たせる以上、その見極めには慎重に慎重を重ねねばならぬ。そこでだ、君に自分の力を示す機会を与えたいのだ。
さらなる威厳を醸し出すように、十分に間をとって――聞く側に欠片ほどの感慨も与えていないことには気づかずに――老魔術師は宣言した。その課題は是非、君自身に選択してもらいたい。我々から提示することも無論可能だが、君はこれから人を教え導く立場に立つ者になろうとしているのだ。その第一歩はやはり自分自身で踏み出すべきだと我々は考えているのだよ。人の道と魔導探究の精神から逸脱しておらねば、何を課題と選ぼうと我々がそれをとどめることはない。さあ、今から一週間の猶予を与え「お待ちください」
老魔術師の語りを遮るようにヘリヤは口を開いた。大会議場に困惑のささやき声が広がる。
「課題ならば、実を申しますとすでに決めております。お許しをいただけるならば一週間と言わずにすぐに取り掛かりたいのですが」
声がどよめきに変わりかけるのを片手で制し、老魔術師はヘリヤに問う。「それは素晴らしい。して、如何なる課題に取り組むつもりかね」
「はい」相手に与える衝撃を計算しながら。ヘリヤは十分に間をとって宣言した。
「私は伝説の存在、神話の生き物である”忌み野の竜”の寝所を特定いたしました」
最早制しがたいどよめきが大会議場に巻き起こる。老魔術師はといえば、目を見開いたまま固まっている様子だ。思った以上の効果だ。ヘリヤは内心でほくそ笑んだ。しかし一切外にはもらさずにそのまま畳み掛ける。
「”竜”は人には及びもつかぬ高度な魔術の使い手であったといいます。もし仮に、”竜”の寝所に赴き、その魔術の神秘の一端でも持ち帰ることができれば、アカデミーにも多大な利益をもたらすことができると考えます」
「そ、それを、君がやるというのかね」
「そのつもりですが」
「しかし、君、それは」
”忌み野”に赴き”竜”にまみえ、あまつさえその秘跡を持ち帰る、まるで「実践派」のやることではないか。アンタたちはそう言いたいのだろう。まったくそのとおりだ。「探究派」――とみなされている私が取り組むべきとは言えないだろうな。まあ、だからこそ私がやる意味があるのだが。
「異論がありませんのでしたら、時間も惜しいので早速取り掛からせていただきます。吉報をお待ち下さい」
そう言って身を翻すと、ヘリヤは出口へ歩を進めた。背に魔術師たちの狂騒と怒号を受けて。
◇ ◇ ◇ ◇
ふむ、これでおしまいか。なるほど、この旅の始まりを思い出させてくれたというわけか。何か得るものがあっただろうか。いや無かったな。無かったが、一つだけはっきりしたことはある。
昔から私は、舐められるのが心底嫌いだということだ。
さて、考える時間は終わりだ。ヤツはもう眼の前にいる。
その手を伸ばせ、ヘリヤ!
◇ ◇ ◇ ◇
”竜”は心底不愉快であった。
目の前を小うるさく飛び回る羽虫は、不愉快な笑みを浮かべながら相も変わらず通用するはずのない攻撃を加え続けてくる。そも、”竜”たる自分に対して不遜に挑みかかる態度も不愉快ならば、その目に時折浮かぶ侮蔑の意思もまた不愉快。疾く疾く終わらせて、また眠りにつかねばならぬ。ああ、それもまた不愉快ぞ。今少しの眠りで妾は往時の力を取り戻せたものを。何故妾は目覚めてしもうたのか。
――魔術師。
たしか魔術師がおったぞ。羽虫にかまけて失念しておったが、たしかそやつに我が結界を破られたのではなかったか。それでそやつは、今、どこに?
”竜”の足に、違和感が走った。
視線をやる。足元に転がる小汚いなにかから伸びた腕が、”竜”の足に触れていた。
「この、痴れ者がっ! 妾の身に触れるなど――」
まて。
妾の、身に、触れる?
祝祭の花火のような音と光の洪水が、”竜”の全身を駆け巡りはじめた。
「な、なんじゃ、と」
弾け飛ぶ音と光が、”竜”を幾百年ぶりかのような混乱に叩き落とす。”竜”の足で、腕で、尻で、鼻先で、細やかな魔術紋様が一瞬現れては、派手な音を立て消えていく。
ぱしん。
最後に、一際派手な音を立て光が止んだ。”竜”の術式が、全て消え去ったのだ――足元の、一人のニンゲンの手によって。呆然としたまま、”竜”がうわ言のように問う。
「貴様……貴様……何者だ……」
「私か?」
下から見上げる顔に浮かぶのは、少々ぎこちない、会心の笑み。
「私は魔術師ヘリヤ。百年に一人の天才魔術師にして、いずれアカデミーの頂点に立ち、下らぬ派閥争いを終わらせる予定の男だ。せいぜい覚えておくがいい」
”竜”の背筋に髪の毛一筋ほどの戦慄が走る。だがその戦慄は”竜”自身も気づかぬまま、激しい怒りに塗り潰された。
「こ、の、」
足元の羽虫を潰そうと、”竜”は大きく腕を振り上げる。
――その隙を見逃すベアトリスではない。
遠間から跳び、体を捻る。赤い旋風が、中空に出現する。
必殺の威力を込めた跳び後ろ回し蹴りが、”竜”の顔面に叩き込まれた。衝撃と同時に、練り上げられた”気”すらも叩き込まれる。
”竜”は滅茶苦茶な回転をしながら後方に吹っ飛ぶと、水切りの石めいて地面に幾度の衝突を繰り返しつつ、遥か後方の瓦礫の山に突っ込んで止まった。
「や、やったのか」
問うヘリヤに対して、ベアトリスは視線を”竜”の方から離さずに言った。
「まさか、ようやく一撃叩き込んだだけですわ。ですので魔術師殿」
ヘリヤの方を向くベアトリス。その顔にはヘリヤがこれまで見たことのない満面の笑みが浮かんでいた。
「逃げることと、いたしましょう」
第3話 「為すべきとき」 完 第4話に続く
そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ