白磁のアイアンメイデン 第4話〈6〉 #白アメ
白亜の城塞が”忌み野”の地を蹴り、跳んだ。赤き瞳、その軌跡を空に残し、駆る者の意志通り一直線、矢のごとく。
炸裂する轟音、舞い上がる煙と土塊(つちくれ)を後に残し、ただの二歩で機神は一足一”拳”の間合まで――無論、巨神巨竜の尺度だが――踏み込む。
そのまま右拳を”竜”の顔面へ――打ち抜く寸前、ベアトリスの闘争本能が危険を叫ぶ。声に逆らわず急制動。”忌み野”の大地が、無理な動きに耐えきれずえぐり取られる。直後、襲い来る複数の影。止まらなければ到達していた空間に、次々と襲いくる。
群れなす大蛇。否。それは蔦(ツタ)だ。”竜”の足元、地を割り次々と現れる。生命ある蛇さながらの動きで、白磁の機神を顎(あぎと)に掛けようとする。
顎? 然り。蔦の一つが威嚇するように先端の顎を開く。粘液にまみれた獣歯が、見る者の怖気を誘う様に誇示される。
<<<踏み込めぬか、虚仮おどしの木偶人形めが!>>>
幾重にも重なった声が、突如響き渡った。声の主は――目の前の蔦共だ。枯木を無理やりこすり合わせて出しているような、不快な音。ヘリヤは思わず顔をしかめる。
<<<弱敵め。だが容赦はせぬぞ。妾の受けた屈辱、億倍にして返してやるでな!>>>
再び襲い来る蔦の群れ。ならば――瞬時の判断。ホワイト・ライオットは蔦を避け、一歩飛び退く。着地と同時に、体を軽く沈ませる。ほんの僅か生まれる、”忌み野”からの抗力。機体を押し返す力が、ホワイト・ライオットの脚へ。寸分たがわぬタイミングで、ベアトリスへも。機我、一体の境地!
ベアトリスは鋭く息を吐く。抗力を軽功と合わせ、高みへと――
”竜”の眼前から、機神の姿がかき消えた。同時に、”竜”の頭部に影がかかる。視線を上げた”竜”の目に写ったのは、”忌み野”の上空、まばゆき太陽を背に隠し、鳥のように舞う巨大な影。風にはためく外套(マント)が、翼のシルエットを描く。
”竜”は苛立たしげに吠え、瞬時に蔦の群れを上空に向け伸ばす。あるものは曲がり、あるものはくねり、あるものはひたすら真っすぐに――無数の軌道を描きながら、獣の速さで獲物を食いちぎらんと襲いかかる。
逃げ場のない空中。敵の愚かな選択に、”竜”の六つの目が嘲りの色を帯びる。
だが。
蔦の一つが敵の右脚に食らいつこうとし――空を切る。遅れて殺到した幾本かの蔦も同様に。ホワイト・ライオットが、胸部を軸として風車のように「廻った」からだ。続けて頭部に襲いかかった幾つかの蔦――これも空を切る。くるくると回る機神の軌道に追いつけていないのだ。その蔦を足場とし、再び上空へと舞い上がる。
殺到する蔦の大群を、ホワイト・ライオットは空中にて躱し続ける。廻り、捻り、よじり、曲がり、変幻自在、縦横無尽、風に舞い散る落葉のごとく、寒風に舞う細雪のごとく、くるりくるり、ひらりひらりと蔦の群れをかわすかわすかわすかわすかわすかわす!
<<<おのれおのれ羽虫めが、ちょこまかちょこまかちょこまかと!!>>>
蔦は翻弄されるがまま、何もない空間を虚しく噛みつづける。”竜”は猛り狂った。木偶人形めが! 翼も持たずに、あの巨体でよくも小賢しく動きおる!
”忌み野の竜”は知らない。軽功の妙を。それを十全に使いこなす者が、何を為せるかを。
故に、宙を舞う機神を追うことに躍起になり。
故に、全感覚を空の怨敵に振り向け。
故に、己が操る蔦を全て上空に伸ばし。
故に、急に重さを取り戻したかのごとく、自分の背後に「降ってきた」ホワイト・ライオットに対処ができなかった。
見上げるような青空から降ってきた大質量を、”忌み野”はしっかりと支えた。そうして生まれた大地からの抗力を、巨体を蒼穹の高みまで運んだその力を、今度は下半身から両の腕に余すところなく伝導させる。
狙いすました一撃――薫風(クン・フー)が双掌打、「獅子吼(ししく)」。
背後から叩き込まれた重撃は、”忌み野の竜”の巨体を揺るがした――揺るがしたのみ、だった。
振り向きざまの豪腕が、ホワイト・ライオットに叩き込まれる。両腕を十字に構えガード。轟音。衝撃。金属の軋む音。ホワイト・ライオットは後方に跳ぶ――否、吹き飛ばされる。
「まあ、お硬いこと」
操縦席の中、ベアトリスは軽く咳き込みながらひとりごちる。
機我一体の境地は、巨神を手足のように操る奇跡を彼女にもたらす。だが、それは同時に機体が受ける衝撃や損傷もすべて彼女に還ってくるということでもある。ベアトリスは口の端から流れ落ちる琥珀色の液体を、静かに拭った。
確かに叩き込まれたかに見えた「獅子吼」。しかしその実、双掌打は”竜”の身に届いてはいなかった。
”竜”の全身が、無数の輝く術式に覆われる。先と同じ、防御結界。だがその規模は人の姿をしていたときの比ではない。”忌み野”に、輝く柱が現出した。
<<<惜しい、実に惜しいのう? 後もう少し、ほんの少しで妾の体に触れられたのに。いやはや残念、実に残念じゃとは思わぬか?>>>
”竜”は天に向かい咆哮する。あたかも己の力を誇示するように、長く長く。
<<<まあもっとも、触れられたからといって何がどうなる物でもなかろうがのう!>>>
蔦の群れが、一斉に嘲笑う。悪夢そのものの光景。
『愚か、ですわね』
憐憫の情さえ含まれた、冷たい声音が響く。ホワイト・ライオットから放たれたその声は、勝ち誇る”竜”に刃物のごとく突き刺さった。
<<<……なん、じゃと?>>>
『成程、随分とご自慢の術式のご様子ですわね。ですがトカゲの王様、その爬虫類並みのオツムでようく思い出してご覧なさいな――それが先刻、どうなったのかを』
”竜”の六つの目が、驚愕に見開かれた。
<<<き、貴様、貴様まさか!?>>>
「まったく、だ」
ホワイト・ライオットの内部、五連の席の中央でヘリヤが鼻血を流し、吐き気をこらえながら応じる。
彼は急加速、急減速、上下左右への激しい揺れと回転に翻弄され、神経の乱れ、平衡感覚の失調、異常な発汗、体温の上昇、そしてそれらに由来する急激な嘔吐感を抱いていた。
有り体に言えば、乗り物酔いだ。
「傲慢が知性を奪う、その生き証だな。札をつけて、アカデミーの展示棟に置いてもいいぐらいだ」
球体の前方に映し出された”竜”の姿。その所々に、赤く光る刻印が刻まれた。頭部、右腕、胸部、左足――合計四箇所。
「解析、完了だ。あの刻印の場所に食らわせてやれ。できれば魔力を伴う一撃、それが望ましいが……」
ヘリヤは椅子の魔術装置に手を触れる。再びの魔力流出。自らが芯から吸われるような感触に抗いつつ、ヘリヤは機体の情報を探る。
「……こいつか」
ベアトリスの前に、幾つかの絵図と文字が浮かび上がる。
「冥府……魔槍?」
「御大層な名前だ。だが」ヘリヤは背もたれに体を預けながら告げた。「『使える』はずだ」
「わかりました、やってみますわ」
「ああ、できれば早めに決着を付けてくれ」
ヘリヤは半ば夢うつつの心地で、静かにつぶやく。
「もう、持たないかもしれないからな」
……その声は、ベアトリスには届かなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
ベアトリスは目を閉じ、深く静かに息を吸う。深く静かに息を吐く。息を吸い、息を吐く――己の体の深いところで、微かな悲鳴が上がりつつあるのを感じる。
当然だ。内功とは、己の生命の炎を炉にくべて燃やすことで神域に至る術。
ならば、神話の兵器を無理やり駆るために必要とされる生命の炎とはいかほどのものか。そしてそれを、無理やり引きずり出した結果何が起こるか。
当然のことだが、あらゆる生命体にとって、生命とは無限に湧く泉ではない。
ベアトリスの心に皮肉めいた感情が浮かぶ。生命は無限ではない。この当たり前の事実、ついつい忘れそうになってしまいますわね。魔術師殿のおっしゃるとおり、決着を急がなくては。
息を吸い、息を吐く。調息とともに、機体がまとう赤光がその濃度を増していく。
「では、参りますわ」
ホワイト・ライオットは静かに右足を上げ――そのまま足元の大地に、”忌み野”めがけて、踏みおろす! ”忌み野”を揺るがせ、衝撃が走る!
同時に、十全に練られた「気」が”忌み野”の大地を同心円状、爆発的に走った――地の底を駆ける破滅の波濤は、瞬きよりも短い時間で”竜”の足元を蹂躙した。
阿鼻叫喚が、あらわれた。
蔦の群れが悶絶する。耳障りな悲鳴を上げ、粘つく樹液状のものを口から撒き散らす。苦悶の動きに身を捩らせる。”忌み野”に響き渡る、不協和音の叫び(うたい)声。歌い手たる蔦共は暴れ狂う動きの果てに、一つまた一つと地に倒れていく。
”忌み野の竜”の操る蔦の群れ。それらは”竜”が自らの足元、地中深くに埋め込んだ無数の「種」から産み出されたものである。”竜”自身の魔力によって発芽し、「種」を核として瞬時に成長、地を割り敵を喰らう妖蔦と成り果てる。
その「種」を、ベアトリスの「気」が破砕したのだ。
薫風(クン・フー)が脚技、猿叫(えんきょう)。本来は強力な踏み込みにより地面を揺らし、相手の隙をつくる牽制技だ。ベアトリスが放ったのはその応用版――その威力は、眼前の光景が証明するだろう。
そして今、ベアトリスの――ホワイト・ライオットの前に現れたのは、一本の道。その先で驚愕と怒りで荒れ狂う”竜”へと続く道だ。
ホワイト・ライオットが三たび駆け出す。その右腕、半透明の腕を覆う白磁の装甲が瞬時に変形、何かの射出口めいた形を作る。
”竜”が吠え、巨体に合わぬ速度で身を翻した。直後、ホワイト・ライオットに巨大質量の鞭が――竜尾が襲い来る。十分すぎる遠心力を乗せられた超高速の薙ぎ払いは、真っ直ぐ突っ込んでくる愚か者の首を綺麗に跳ね飛ばした――かに見えた。
ホワイト・ライオットの姿が歪んでかき消える。残像だ。
機体を沈め、跳躍の予備動作に入る。
こちらに向き直った”竜”の顔が目に入る。
眼球のない眼窩より生えた二本の角。その間で激しく放電する紫の塊。
決断は一瞬。
”竜”に向かってではなく、真横に跳躍。
機体のあった空間を、紫の光槍が貫いた。空気の焦げる匂いが届いた気がした。
続けて放たれる光槍を躱しつつ、”竜”の左側面に回り込む。目標は左足――紅い刻印。
「捉えましてよ!」
ホワイト・ライオットは右腕を引く。魔力の流れが生じ、射出口に光が集う。蒼い、槍の穂先のようなものが形作られる。
「冥府魔槍……」
そのまま打ち込む! 槍先は魔術障壁、紅の刻印の中心に突き刺さり――
「『ストレイ=ヘル!』」
射出口に生じた爆発的な魔力の光に押し出され、”竜”の障壁を貫いた。
魔槍はそのまま”竜”の左足へ。ねじり込むように突き刺す。大量の粘つく体液を撒き散らし、”竜”が苦悶の叫びを上げた。
見事に叩き込まれた一撃。だがベアトリスは逡巡していた。
「冥府魔槍『ストレイ=ヘル』」。この魔術兵器、大した威力だがそれだけに魔力の負担は相当なものだろう。放てるのはあと一発か、それとも二発か。魔術師殿の魔力はどこまで持つのか。
人の心配をしている場合ではないのかもしれない。先ほど感じた体の奥の悲鳴は、もはや無視できないほどのものとなりつつある。
今を好機と見て攻めきるべきか、それとも。
再び紫の光槍が放たれたが、これを間一髪でかわす。機体の動きが、わずかながら鈍くなっている。
ベアトリスは、再び獣のような咆哮を上げた。
まばゆいほどの赤光。ホワイト・ライオットの姿がぶれるように歪み――三つに別れた。
薫風(クン・フー)奥義、蜃気(しんき)。三体のホワイト・ライオットが、一斉に”竜”に襲いかかる。一体目が、二体目が、紫の光槍に貫かれ消える。三体目が――”竜”の懐に、入る。
「『ストレイ――』穿つは正面、胸元の刻印。「『ヘルッ!』」
再びの魔槍が、刻印を、障壁を、”竜”を貫く。
”竜”はおぼつかない足取りで後退する。混乱の表れか、六つの目が、せわしなく揺れ動いていた。やはり、ここが好機! 一気に攻めきる――!
ベアトリスの動きが、止まる。口から琥珀色の液体がにじみ出る。
◇ ◇ ◇ ◇
『これは、いけません』
二体の戦いを静かに見守っていたアルフレッドが、感情のこもらない声を発した。
【チチチチ】
フローレンスが応える。
『ええ、限界のようです、このままでは』
【チチチチチチ】
『そのとおりです――我々にはもはや見守るより他にない』
アルフレッドはあくまで淡々と口にした。
『歯がゆい、ものです』
◇ ◇ ◇ ◇
ヘリヤは薄っすらと目を開け、自分が半ば意識を失っていたことに気づいた。慌てて目を凝らす。操縦席の前方、画面に映る”竜”が悶絶している様が目に入った。
あの様子だと、うまく使いこなせたようだな。消耗は激しいが、ここで引くわけにはいかなさそうだ。
「さすがだな……。さあ、私は大丈夫だ。ヤツにトドメを……」
違和感。
ヘリヤは自らの下方、ベアトリスの座っているはずの座席を見る。背もたれで見えないはずのベアトリスの姿が目に入る。何故か。倒れるように体をかしげているからだ。
「お、おい!? どうした!?」
ヘリヤは思わず席を立ち、ベアトリスに駆け寄った。
「お、おい、どうしたんだ。まさか私よりも先に力尽きたとでも……」
ベアトリスの顔を覗き込む。口元にはいつもの笑み。だが目は力なく閉じられている。口元には琥珀色の液体――これは、紅茶?
『――生体反応微弱。生体反応微弱。義体装着を速やかに終了し、生命維持に努めてください』
突如、ベアトリスが声を発した。いや、違う。ベアトリス「から」声が「発せられた」。
明らかに彼女のものではない声が、固く閉じられた口から聞こえた。なんだ。何が起こっているのだ。
困惑するヘリヤの目の前で、ベアトリスの顔、その透けるような白磁の肌に無数の線が走り始めた。