Shiny,Glory,Sunny Days #7 「覚醒のとき」
サニーは勝った。11番人気の低評価を覆す、劇的な勝利だった。
「お見事、強い走りだったな」
師匠がしみじみと語りだす。だがそのときの俺はといえば、師匠には悪いながら話の半分も頭に入ってきていなかった。
「予想外の事態にも、きちんと対応してみせるとは恐れ入った。器用じゃないが賢い子ってところか。1の言葉から10を引き出せるタイプなんだろうな。おまえさんが担当するのにふさわしい子じゃねえか」
手が、足が震え始めた。
「ひとまずおめでとう、だ。これでお前さんも、栄えあるGⅠトレーナーの仲間入りだな」
肩を叩かれた瞬間、全身から力が抜け、その場にへたり込んでしまう。
「なんだなんだおい。情けねえなあ」
苦笑する師匠の手を借りて立ち上がる。なんだか、まるで現実感がない。体が空に浮かんでいるようだった。
「ま、わからんでもない。俺も初めてGⅠトレーナーなんて呼ばれたときは、舞い上がっちまうような気分になったからな……けどよ!」
師匠は俺の背中を思い切り叩いた。おもわず飛び上がる。
「こんなところでふにゃふにゃしてる場合かよ。コレで終わりってわけじゃないんだろ。さっさと気持ちを切り替えろ」
そうだ。師匠の言うとおりだ。この勝利は始まりでしかない。俺とサニーの目標は、あくまでも「三冠ウマ娘」なのだから。
「……サニーを出迎えてきます」
「おう、そうしてやれ」
俺は走り出した。走っている途中で、急に何かがこみ上げてくる。俺は密かに、本当に密かに、小さなガッツポーズをした。
◇
「やりました。わたしやりました、トレーナーさん!」
俺の元に戻ってきたサニーは、そう言いながら瞳を輝かせた。金色の輝き、まさしく太陽の光だ。
「ああ、やったな。完璧な走りだった」
俺は心から称賛する。彼女は本当に素晴らしいウマ娘だ。俺の言葉を聞いて、サニーは満面の笑みを浮かべた。いい表情だ。俺は彼女と出会えたことを何かに感謝したくなった。
「『みんなを照らすウマ娘』、その夢に一歩近づいたな」
「はい! これもトレーナーさんのご指導のおかげです!」
「そんなことはない。俺の力なんてたいしたことはない。今日の勝利は、全て君自身の力で勝ち取ったものだよ」
だが。
「……」
「……?」
俺がそういった瞬間、サニーは急に真顔になり、俺の顔を、目をじっと見つめてきた。
なんだ、急にどうしたんだ。
困惑のせいで何も言えずにいると、サニーがぽつりとつぶやいた。
「そうでしょうか」
「……え?」
本当にどうしたんだ。
「トレーナーさんにそう言ってもらえるの、本当にうれしいです。でも」
「でも?」
サニーは俺をまっすぐに見つめていた。俺は少々の気恥ずかしさから目をそらそうと――。
だめだ、それだけはダメだ。
いま目をそらすことだけは、絶対にダメだ。
俺はなぜだかそう思って、サニーの瞳を正面から見つめ返した。
「わたし、思うんです。今日わたしが勝てたのは、間違いなくトレーナーさんのおかげです。トレーナーさんがわたしの力を信じて、私が勝つためのやり方を授けてくれたからこそです」
「光栄だ。だがさっきも言ったとおり、勝てたのは君自身の力だよ」
「ありがとうございます。トレーナーさんがそうやってわたしを信じてくれたから、わたしもトレーナーさんの言葉を信じてがんばることができました。今、わたしは間違いなく強いウマ娘になれたと思っています」
サニーがつむいでいく言葉から、彼女の真剣さが伝わってくる。俺はそれを、正面から受け止めてやらなくてはならない……なぜだかそんな気持ちになっていた。
「トレーナーさん。一つ聞いてもいいですか」
「……なんだ」
「トレーナーさんは、今もわたしを信じてくれていますか」
「なぜ、そんなことを聞くんだ」
「答えてください」
いつになく、強い口調で俺を問い詰めてくるサニー。
不安なのだろうか。俺は、彼女にそんな気持ちを抱かせてしまっていたことに申し訳なさを感じていた。
「もちろん信じている。君と出会ってから、君を信じなかったことなんて一度もないよ」
「……ありがとうございます。あの、もう一つだけ聞いていいですか」
「ああ、いいとも」
「トレーナーさんは、自分自身を信じていますか」
俺は、絶句した。
その問いには、答えられない、と思った。
「……わたしの夢は、『みんなを照らす、太陽みたいなウマ娘』です」
サニーが俺の目を、まっすぐに見る。俺の心の奥底、そこに巣食うものまで見通すかのように。
「わたしの走りで、みんなを明るく照らしたい。見る人に夢と希望を与えられるような、そんな走りがしたい――わたしは、そう思ってがんばって、だからこうして、GⅠを勝てました」
サニーが笑う。太陽などとは程遠い、さみし気な笑みで。
「でも、一番近くにいてくれる人の心を、照らすことができていません。皐月賞で勝てば、もしかしたら……なんて思ってましたけど、まだまだダメでした。だからわたしは――」
サニーはそこで言葉を切った。
静かな重い時間が流れた。
そんなに長い時間ではなかったはず。
だが俺は窒息しそうだった。
「ごめんなさい!」
サニーが勢いよくアタマを下げた。
「せっかく勝てたのに、なんだか変な空気にしてしまいました。ええと、その、ダービーも、一生懸命がんばります! 絶対勝って、トレーナーさんに『あの子は俺が勝たせた』って言ってもらいたいですから! だから、これからもご指導、よろしくお願いします!」
そう言って走り去っていくサニーの背中を見ながら、俺は。
俺は泣いていた。
なんの涙かはわからなかった。ただ、俺の中で荒れ狂う何かが、目を通してあふれ、こぼれ落ちている、そんな涙だった。
涙は次から次に、止まらない。
そのとき俺は気づいた。師匠の言っていた『一つだけ足りないもの』の正体に。
俺はサニーを信じている。サニーも俺を信じてくれている。そして今日の勝利で、サニーは自分の強さを確信できたのだろう。
あと一つ足りないのは、俺が俺を信じることだ。
自分の指導法が、やり方が間違っていないと、俺がお前を勝たせてやると、胸を張ってそう言える強さだ。俺が、何ごとにもぶれない強さを示さなければ、サニーは安心して一世一代の大勝負に望むことなどできない。できるはずもない。
だから、だから、だから俺は。
俺の中にある何かのスイッチが、バチンと音を立てて入ったような気がした。心の奥底で眠らせていた、何かのスイッチが。
◇
「おう、戻ってきたか」
師匠はそういうなり、俺の顔をまじまじと見つめてきた。
「……どうしました?」
「いや、あのな」
師匠は頭をボリボリとかいた。
「何があったかしらねえが、お前さん、えらくいい顔になったじゃねえか。なんというか、あれだな」
師匠が笑う。「にやり」という音が聞こえてきそうな笑い方だった。
「勝負師の顔、ってやつだよそりゃ」
「そうかも知れません。次のレースこそが正念場ですからね。だけど勝たせてみせますよ」
俺も笑いながら答えた。たぶん、師匠と同じたぐいの笑い方だったんじゃないだろうか。
「あの子は、俺が勝たせます」