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紅剣鬼 三
「……いたか」「いねえよ」
残雪(ざんせつ)からの問いに乱暴に答えると、短躯の男――名を野分(のわき)と言う――は目の前の「山」と、そこから流れ出る「河」を睨みつけた。
暗山(あんざん)は小さな宿場町である。町のすぐそばを流れる大河、そこを船で往来する旅人に一夜の宿や食事、はたまた小さな享楽を提供することを商売としていた。
住民たちの暮らしは決して豊かではなかった。さりとて日々の暮らしに事欠くわけでもない。目の前の取るに足らない出来事に一喜一憂しながら、彼らなりの人生を全うすべく、平々凡々な日々を営んでいたのだ――昨日、赤髪の剣士がこの地に訪れるまでは。
かくして今日、赤髪の男を追ってきた五人の剣士たちの目の前には、文字通りの「屍山血河」が広がっていた。
山と積まれた住人たちの死体。血は大河に流れ落ち、川面を赤く染め上げている。あたりに漂う、むせ返るような血のにおい。東雲(しののめ)は幼い頃にどこかで見た地獄絵を思い出していた。
数多の死体には全て刀傷。百に余る住人たちをただの一日でことごとく切り捨てるなど、常人には叶わぬ所業であった――美留禰子(みるねこ)流、次期師範代候補などでもなければ。
「女も餓鬼も見境なく、かよ」野分は唾を吐き捨てる。
「お見事な手並みだことで。なあ?」
「あまりそう、頭に血を上らせるな野分」
痩身長髪の男、飯綱(いづな)が息とも声ともつかぬ音で応じる。
「貴様はただでさえ猿に似ておるのだ。そう顔を真赤にしてしまっては、猿そのものではないか」
そう飯綱が口にした瞬間、野分の腰の二刀が閃いた。
旋風の二つ名にふさわしい二連の斬撃はしかし、飯綱の十文字槍に易々と受け止められる。
「……腕前の方も猿並みとはな」
「相手が加減してくれたってのもわからねえ馬鹿が、人様を猿呼ばわりすんのか?」
弾けるように離れ、間合いを取る両者。剣呑な空気が満ちる。
「やめときな、ふたりとも」
暴発寸前の二者を鎮めたのは、穏やかだが有無を言わさぬ力のこもった声であった。
「竜胆(りんどう)の姐御……」
「気が高ぶっちまうのはわかるけどね、ぶつける相手が違うんじゃないかい」
竜胆は右手に握る胡桃の殻を易々と握り砕くと、実を二人に投げてよこした。
「ほら、これでも食って落ち着きな」
「……ちっ」「ふん」
「それからあんたも」竜胆はちらりと視線をやる。
「ちと落ち着きな」「ひゃい!」
視線の先には、大方二人の雰囲気に当てられたのだろう、妙にあたふたしている東雲の姿があった。
「で、どう思う?」
不満そうに胡桃を口にする二人を横目に、竜胆は残雪に語り掛けた。
「どう、とは?」
「なんでここまでやるのかってことさ」
竜胆は丸めた頭に手をやりながら問いかける。
「目的も意味もさっぱりだよ。何のつもりなんだろうね」
「へっ、物狂いに考えなんぞあるわけねえよ。切りてえから切ったんだろ胸糞悪りい」
「……物狂いなら、話が早いのだがな」
「違うってのかよ」
残雪は常人の二、三本分はあろうかという太さの人差し指を、死体の山に向ける。
「切り口を見よ」「あん?」
「皆、一刀の下に切り捨てられている。素人相手とはいえ見事なものだ。どう切ったら人が死ぬか隅々まで理解している者が、その技術を存分に発揮したというところだな」
「……」
「決して乱雑な仕事ではない。これを為した者には明らかに“意志”がある。それは間違いない。それが何なのかまでは分からぬがな」
野分はそこまで聞くと、顔をわずかに歪め、再び唾を吐いた。
―――死体の山から手が生えてきたのは、その時であった。
一瞬の驚愕。が、すぐさまそれが虐殺の生き残りだと気づく一同。野分が腕をつかみ引き抜くと、はたしてそれは幼い少女であった。意識は混濁しているようだが、傷は浅い。おそらく切られた後で気を失い、そのまま山に積まれたおかげで助かったのだろう。
「へ、野郎、仕損じてやがったな」
「存外ぬるい男よ」
「傷の治療をしてやんないとね」
竜胆が軽く微笑みながら言う。
「そうだな」
残雪が重々しく応じた。「暁月の行方を知っているやもしれぬ」
東雲は少し離れたところで、そんな彼らの様子をぼんやりと――内心に吹きすさぶ嵐を抱えつつ――眺めていた。
信じられない。あの暁月が。なぜ。あの人は、決してこんなことを、弱きものを虐げるような剣を振るう人ではなかった。なのに、なぜ。どうして。
否。
違うでしょう東雲。
おまえが違和感を覚えているのは、もっと違うことのはず。
――暁月は、人を切り損なうような男ではない。
野分が少女の体を丁重に抱える。
と、少女の口がかすかに動いた。
「お、何か言ってやがるぜ」野分は少女の口元に耳を近づけた。
「――て」「あ? なんつった今?」
「たす、たすけ、たすけてっ」「ああ、助けてやん」
少女の体が、閃光と共に爆ぜた。
【続く】
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