長い休日 #同じテーマで小説を書こう
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは料理。フランス地方に古くから伝わる……」
一人の少女が詠うようにつぶやきながら、海岸線を歩いていた。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは料理。フランス地方に古くから伝わる……」
金色に輝く髪が海からの風に揺れる。その風に誘われるように、少女は沖の方を眺めた。ワンテンポおいて、派手な水音とともにイルカが数匹飛び跳ねた。それを見た少女は、わずかに首を傾げて、また楽しげに歩き始めた。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは海棲哺乳類。知能が高く……」
少女は、誰もいない道を歩く。夏独特の匂いが、彼女の鼻腔をくすぐる。少女はその場でくるりと回ると、また何事かつぶやき始めた。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは海棲爬虫類。知能が高く……」
歩く、歩く、少女は歩く。誰もいない道をただ一人。軽やかな足取りで。
ふと、道端の樹に実る果実に目が留まる。イチジクの実だ。少女は手を伸ばし、一つの実をもいだ。匂いをかぎ、一口かじる。少女はしばらく口をもぐもぐと動かしていたが、やがて口の中のものを吐き出し、また歩き出した。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは果実。フランス知能とスイスの黒響近くに、近くに、ちか、ちかくに……」
歩く、歩く、少女は歩く。どこまでも、どこまでも。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは……」
歩く、歩く。少女は歩く。どこまでも、どこまでも。しだいにぎこちなくなる、その歩み。だが少女は歩く。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」
足元がおぼつかなくなる。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」
彼女は歩き続ける。まるで何かを探し求めているかのように。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム。それは人類、のっ」
ふらふらと頼りない足取りで歩む少女が、なにかにつまずいてころんだ。
その拍子に、少女の首が外れて転がり落ちた。
「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム」
少女は這いずりながら、転がる首に追いすがる。
「シュピナートヌィ・サラート・ス」
首に追いついた少女は、両手で自分の首をしっかり抱きかかえた。そのまま上半身を起こし、道端に座り込む格好になる。腹部に抱え込まれた首、その瞳が遥か彼方の空を見つめる。
空は深い紫色に染まっている。
「シュピナートヌィ・サラ」
空は茜色に燃えている。
「ス」
そして空が淡い緑に染まったとき、少女の時間は止まってしまう。少女の両手から力が失われ、首がごろんと転がり落ちた。
◇ ◇ ◇ ◇
自律式女性型記憶デバイス「メモリアⅣ」。人類が、その歴史の中で積み上げてきた膨大な叡智を身に宿す少女の、最後の一体がこうして活動を停止した。
人類という種が、地球上より完全に滅び去った瞬間であった。西暦4078年のことである。
派手な水音とともに、イルカが勢いよく跳ねた。美しい姿であった。
【完】
今作は、杉本しほ様主催の企画に参加すべく書かれたものです。
前夜祭にて投稿した作品です。よければ合わせてお読みください。