Shiny,Glory,Sunny Days #11 「日本ダービー②」
ウマ娘たちが、続々とスターティングゲート前に集まっていく。
いよいよだ。あと数分後には日本一のウマ娘を決めるレースが始まってしまう。そしてたったの2分と20秒ちょっとで決着がついてしまうのだ。
スタートを待ちきれない観衆から、静かなざわめきが漏れていた。ざわめきは少しずつ大きさを増していくが、俺の心は逆に静まりかえりつつあった。不思議なものだ。
さあ、俺の覚悟はとっくに決まっている。何があっても揺れはしないぞ。
《第9レース、発走除外のお知らせをいたします》
発走――除外?
突然流れた場内放送に、俺の心臓は口から飛び出るような勢いで跳ね上がった。このタイミングで発走除外というのはつまるところ、ケガが発覚するなどで、レースを走れないと判断されたウマ娘がいるということだ。
ま、まさかサニーじゃないだろうな……!
《――1枠1番、グロスライトニングは、左足に故障発生のため発走除外となります》
◇
「ライトニングさん……」
「……すまない、サニーブライアン。聞いてのとおりだ」
そういうライトニングさんの表情は硬い。当たり前だろう。レースの直前で、しかもよりによってダービー、一生に一度の晴れ舞台でこんなことになるなんて。
わたしは彼女になんと声をかけていいのかわからずに、ただおろおろとするしかなかった。
「おい、ライトニング! オメー、まさかアタシたちにまで足のこと隠してたってんじゃないだろうな!?」
「それはない。そもそも隠す必要がない。私の足は、ついさっきまで何一つ問題などなかったのだからな」
「そんな、だったらどうして」
ライトニングさんは肩をすくめてみせる。
「わからない。あえて言えば『私には運がなかった』ということだろう」
「マジかよ……なんてこった……」
「ライトニングちゃん……」
落ち込むわたしたち三人を見て、ライトニングさんは苦笑を浮かべる。
「おいおい、なぜ君たちが暗い顔をしているんだ。足を痛めたのは私で、君たちじゃないぞ」
「そりゃそうだけどよ!」
「だったら、早く競技者の顔に戻ってくれ。でなければ、私はここを立ち去れない。沈んだ顔をした者に、私の代わりに頑張れなど口が裂けても言いたくないからな」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの心のなかに火が灯った。
「……そうだ。サニーブライアン。その顔だ」
嬉しそうに微笑むライトニングさんを見て、ジャスティスさんもソーヤさんも顔つきを変える。二人の顔を見たわたしの背筋に、ぞくりと震えが走る。
「まかせろ、ライトニング。お前の代わりに、全員ぶち抜いて勝ってやるからよ」
「ライトニングちゃん、ゆっくり休んでや。あとはウチらに任しとき」
「ああ、頼んだぞ。いいレースにしてくれ」
そう言って、左足をわずかに引きずりながらターフを去っていくライトニングさん。
日本ダービーに出走できるのは、生涯一度。
彼女のダービーは、これで終わってしまったのだ。
だが彼女は、一瞬たりとも下を向くことはなかった。
◇
私は息を、深く静かに一つ吸い、一つ吐く。
その一呼吸で、わたしの中にあるスイッチが音を立ててオンになる。
上を向く。雲ひとつない青空。まばゆく輝く太陽。
わたしは光に手をのばす。
ぎゅっと掴み取る仕草をする。
まだ、あそこには届かない。だけど、必ず。
そしてファンファーレが、高らかに鳴り響く。
東京優駿、日本ダービー。いよいよスタートだ。
◇
《さあ、各ウマ娘たちが続々とゲートに入っていきます。一番人気のメジロプライドもスムーズにゲートに収まりました。同じメジロ家のライアンは、レコードで駆けるアイネスフウジンの後ろで涙をのみました。このレースに勝ち、メジロ家の悲願を果たすことができるのか!》
悲願。
俺は両手を祈るように組む。
そうだ、悲願だ。ダービーに勝つことは、ウマ娘に、トゥインクル・シリーズに関わる者すべての悲願なのだ。
だけどもう、俺には祈ることしかできない。だが目は閉じない。どんな結果になろうとも、最後まで目はそむけない。
そうだ。たとえどんな結果になろうとも。
◇
《さあ、ゲートが開いて各ウマ娘が一斉にスタート! エクスゴールデンがちょっと出負けした感じか!》
ゲートが開いた瞬間、まばたきよりも短い刹那、私の胸の中にさまざまな感情が膨れ上がった。喜び、悲しみ、感謝、絶望、不安後悔自信達成感エトセトラ。それらをすべて足へと注ぎ込み、走るための燃料へと変える。さあ、いくぞ。わたしの前は、誰も走らせない。
右足。左足。大地を踏み込んで。三歩目。踏み出したときにはすでにトップスピード。
誰よりも、誰よりも速く、誰よりも前へ!
《さあ先行争い……行った行った行った行ったあ!》
コースの一番外側から、一番内側へ。急角度、えぐりこむようなコース取り。16人すべてをかわし、先頭へと躍り出る!
視界の隅に、苦悶の表情を浮かべた子が映り込む。サイレンススズカさんだ。見るからに不自然な走り方。トレーナーさんの言ったとおりになった。彼女は今、ウマ娘の本能と「控えろ」というアドバイスの狭間で、もがき苦しんでいるのだろう。
同情はしない。するはずもない。してはならない。真剣勝負の場に、そんなものは持ち込まない。わたしとトレーナーさんのほうが、一枚上手だった、ただそれだけだ。
《皐月賞ウマ娘、サニーブライアンが大外から内に一気に切れ込んで、早くも先頭に立った! そしてそのインコース、サイレンススズカは抑えた!》
すごい。本当に誰も追いかけてこない。トレーナーさんの作戦、見事にあたったんだ。
足も軽い。皐月賞のときより断然動く。トレーニングの成果かな。
《マウントアカフジ、ギガントホリデー、さらにマチカネフクキタル、こういったところが前に行っています。そしてメジロは、メジロは後方から三番手! 後ろからのレースとなりました!》
さあ、スズカさんはもう敵ではなくなった。
わたしは後ろに意識を飛ばす。その途端、全身に感じる、もはや殺気のような気配。恐るべきライバルたちが、切り札を出すタイミングを狙いすましている。
《1コーナーから、これから2コーナーへ回っていきます。やはり、大方の予想どおりサニーブライアンが先頭で、ペースを落とそうとしています! さあ、全員油断してはいけないぞ。先頭を走るのは、なんと言っても皐月賞ウマ娘だ!》
◇
「完璧だ……」
サニーの走りを見ながら、俺は思わずそう口にしていた。そう、ここまでは完璧な逃げだ。皐月賞のとき以上だ。スタートしてすぐに先頭を奪い、中盤はペースを落としスタミナを温存、ラストスパートで全力を出し切る……そのお手本のような走りをしていた。
「そうだな。いい走りだ。まあでも、まだわからんぞ。最後まで何があるかわからんのがトゥインクル・シリーズだからな」
「……俺はですね師匠。正直に言うと、逃げ戦法を教えるのあんまり得意じゃないんですよ」
「どうした急に」
サニーの走りから目を離さずに――離せずに――俺は師匠に答える。
「サニーの能力をフルに引き出すためには、逃げるのが正解だということはひと目で分かりました。だけど俺には、逃げの細かいノウハウはなかった」
彼女を最初に見たときのことを思い出しながら、俺は語り続ける。
「だから、彼女には教科書どおりの、基本に忠実な逃げを叩き込んだんです。というより、俺にはそれしかできなかった。だけど師匠が前に言ってたように、それは本来、王者の、真の強者の走りなんです」
レースは中間地点にさしかかる。サニーはいまだ先頭、残り16人を従えて軽快に走り続けている。
「彼女が今しているのは、そんな走りなんだ。本当に、本当にすごい子だ。俺は……俺はあの子に出会えて」
「おいおい」
師匠があきれたような声を出す。
「お前さん、そのセリフはちと早いし、言うべき相手は俺じゃないだろう」
「あ……す、すいません」
顔が赤くなるのがわかった。師匠はそんな俺を見ると、しょうがねえなというように笑い、
「まったく……ほら、いいから嬢ちゃんの走りを最後まで見届けてやれ! 担当の力を心から信じて、全力で応援しろ! それが俺らトレーナーの、一番大事な仕事の一つだろうが!」
そういいながら、俺の背中を何度も叩いた。
◇
《先頭から見てみましょう。サニーブライアン先頭で、二番手にはマウントアカフジが上がりました! そしてギガントホリデー三番手、内の方から8番のサイレンススズカ、ちょっと苦しそうな走り!》
中盤戦。わたしはすこしずつペースを抑えていく。東京コースの直線は長い。高低差の厳しい坂もある。走り切るには、皐月賞のとき以上にスタミナが要求される……全部、トレーナーさんから教わったことだ。わたしはそれを一つずつ、丁寧に確かめながら走り続ける。
《10番のマキシマムマイン、マチカネフクキタル、内にスピードロード、外目をついてフリーストロームも早めに行った!》
トレーナーさん、見てくれていますよね。わたしは今、あなたの教えてくれたとおりに走っています。そしてダービーに勝ってみせます。
あなたは、本当にすごい人なんです。暗闇の中でもがいていたわたしに、一筋の光を当ててくれた……そう、まるで太陽みたいな人。なのに。
《17番のエクスゴールデン、ここまで上がってまいりました。アオノリューオーがいて、エアロベルセルク、そしてメジロプライドはここ、メジロプライドはここです!》
そうか。太陽みたいなトレーナーさんと、太陽になりたかったわたし。
《さらにその後ろでありますが、テイエムダンシング。内、4番のエノシマカウント。外からグロスジャスティス、そして11番のトライストラグル、そして後方から、追込みに賭けるソーヤジェントル!》
きっとわたしたちは、出会うべくして出会ったのだろう。
《そんなに速くはありません、ペースはそんなに速くはありません! どうやらこれは、直線での決め手勝負という形になるのでしょうか!?》
ああ、勝ちたいな。わたしとトレーナーさんの、二人の力で勝ちたい。
その瞬間、感情がわたしの中で爆発した。全身が燃えるような感覚。わたしは無理矢理にそれを押さえつける。まだ、まだ早い。貯め込めなさいサニーブライアン。それを解き放つのは――。
《さあ、第4コーナーをカーブして、まもなく直線コース! メジロプライドはやはり外に出した!》
――この、瞬間だ!