白磁のアイアンメイデン 第1話〈1〉 #白アメ
【告知】この作品は、「逆噴射小説大賞」に投稿した同名作品のリライトです。ストーリー自体は変わっていません。それでもよろしければ、どうぞお楽しみくださいませ。初見の方は、どうぞよろしくおねがいします【蜥蜴】
ハンク王国の王都クストルを出て、南西へ馬で十数日、眼前に広がる大河を越えたところに広がる広大な平原は、地図の上では「ラシュ平原」と名付けられている。しかしながら、そこを知るものたちは決してその土地をラシュ平原とは呼ばない。代わりに、畏れと忌避の感情を込めつつ、こう呼んだ。
”忌み野”。
かつては肥沃な土地であったという。そこに住まう者、訪れる者も少なからず存在した。
ある日、竜が墜ちてくるまでは。
後に”忌み野の竜”と呼ばれるそれが、何故ラシュ平原に至り、何故眠りについたのか。それを知るものは誰もいない。わかっていることは、”忌み野”の何処かで竜が眠りについたときより、彼の者の撒き散らす魔的な穢れが、ラシュ平原を”忌み野”へと変え始めたらしいということだけだ。
今、”忌み野”を訪れたものが目にするのは、ただ一面の汚れ爛れた大地。来訪者を拒むがごとくそびえ立つ、峻険たる岩石群は、果たして自然の産物か、それとも口にできぬ儀式のための遺構か。見るものに嫌悪感を抱かせる捻れた木々がまばらに生え、その間を闊歩するは魔獣、亜人、忌むべき者達。それらは眠る竜を護るがごとく、”忌み野”を訪れる者を次々と容赦なく、竜への供物としていった。
ラシュ平原を訪れ、命からがら逃げおおせた者は、ある者は自己弁護のためか、自らの体験を尾ひれをつけつつ大声で触れ回った。またある者はそこで何があったのか、黙して語らぬまま生涯を終えていった。それら様々の出来事が吟遊詩人の歌に乗り、または酒場の喧騒の中で出所もしれぬ噂話として語られ、聞く人々に恐怖を刻み込んでいった。
そしてその恐怖は、王都から差し向けられた調査隊兼討伐隊が二度と戻らなかった時点で最高潮に達した。
かくして、ラシュ平原は”忌み野”へと成り果てたのであった。
故に、そのような土地を二週間ほどさまよった魔術師ヘリヤが、目の前の出来事を疲労の上の幻覚か、あるいは知らぬ間にかけられた幻術のたぐいと錯覚したのも、無理からぬ事であったと言えよう。
ヘリヤの眼前に広がる光景は、確かに見るものの正気を疑わせるものであった。なにせ、「執事とメイドに見守られながらリザードマンの群れに飛び後ろ回し蹴りを叩き込む若い女性」の姿だったのだから。
しなやかな体のラインを強調する、真紅の衣装に身を包んだその女性は、肩まで伸びた髪を揺らしながら、舞うが如き足技で重武装のリザードマン達を文字通り「蹴散らして」いく。
六体のうち五体までに致命の蹴りが叩き込まれると、最後のリザードマンは不利を察して逃げを図った。だが、身を翻したリザードマンが駆け出すより一瞬早く、その後頭部に天高く振り上げられた女の踵(かかと)が叩き込まれる。
「ぐ」と「げ」の中間のような断末魔の鳴き声を放ち、頭を砕かれたリザードマンは地に倒れる。それを合図にしたかのように、”忌み野”は束の間の静寂を取り戻した。
呆然と見ていたヘリヤの前で、女の体を包んでいた衣装がするりと解け、真紅のドレスへと姿を変えた。いつの間にか肩まで伸びた髪を揺らしながら、彼女はヘリヤに微笑みかける。
「さあ、お茶にしましょうか。そちらの方もご一緒にいかが?」
◇ ◇ ◇ ◇
「――どうしてこうなった」
リザードマンの濃厚な血の匂いがいまだ残る中、いつの間にか準備されたテーブルセットに腰を掛け、いつの間にか準備された紅茶を振る舞われながら、魔術師へリヤは思わずつぶやく。
『幻術解呪』は密かに二度唱えていた。反応なし。幻術に囚われたわけではない。ならば、これが現実だということをそろそろ受け入れねば。冷静さを失うなど、魔術師として恥ずべきことだ。
「あら、どうなさいました?」
そう微笑みかけてくる眼の前の女性(彼女は「ベアトリス」と名乗った)を、改めてヘリヤは注視する。(観察は実践魔術の第一歩だ)
長い黒髪。白磁の肌。アイス・ブルーの瞳。ほのかに紅い唇。真紅のドレスに身を包み、上等そうなカップを優雅に口元へ運ぶ動作は、身についた確かな気品を感じさせる。
裕福な貴族のご令嬢――誰もがそう受け取るだろう。しかしここは王都ではない。”忌み野”たるラシュ平原のど真ん中だ。魑魅魍魎が跋扈し、一瞬の油断が死に、もしくは死ぬより酷い事態につながる地である。そんな場所に、なぜこんな綺麗で可憐な人が――そこまで思いを巡らせたヘリヤは、あわててベアトリスから目をそらす。
じ、自分は、魔術の習熟と知識の探究に一生を捧げると誓った者、女性の美貌に気を取られるなどありえない。あってはならない。さては何かの術か。『魅了解呪』を密かに唱えてみる。術自体の反応なし。ということは、そんな。
『お口に、合いませんでしたか』
混乱しかけていたヘリヤを救ったのは、執事の一言である。
だが、ベアトリス同様、お付きの執事とメイドも別の意味で彼を混乱させていた。
「まあ、アルフレッド。あなたのお茶はいつも完璧ですわ。満足しない方などいません。」
『無論です。しかしながら書に曰く、ヒトの好みは千差万別なり、と。例えばこの方が、こう、ドワーフの一番絞り汁的な、個性的なお味を好まれているとしたら…!』
おい。
「そんなわけ無いでしょうアルフレッド、口が過ぎましてよ」
【チチチチ】「ほらご覧なさい。フローレンスも呆れてますわ」
信じられないことに、彼らはおそらく自動人形(オートマタ)だ。
アルフレッドと呼ばれたそれは、黒の執事服に鈍く輝く金属の身体を包み、微かな駆動音をさせながら表情一つ変えず(当たり前だ、彼?の顔には目鼻らしき凹凸が刻まれているだけなのだから)主人の世話をしている。
メイドの方は製作者が途中で飽きて放り出しでもしたのか、カチューシャの下、顔には目鼻は無く、紅く光る光点が六つ並んでいるだけだ。彼女?は口を利かない。チチチチと微かな音を立てながら光点を明滅させ、それをもってコミュニケーションを取っているらしい。
『む、しかし』
【チチチチ】
「フローレンスの言うとおりだわ。アルフレッド、あなたの負けでしてよ」【チチチ】
「あら、言い過ぎを謝る必要はないわフローレンス。あなたにそんな悲しい顔は似合いませんわ」
悲しい顔なのか。
ふう、とヘリヤはため息をつく。冷静どころか、混乱しっぱなしだな、情けない。ヘリヤは苦々しく思った。まったく気に入らない。
「それで魔術師殿、どうしてこのようなところに?」
やられっぱなしは性に合わない。多少はやり返してやるとするか。
「……あんた方こそ、この”忌み野”になんの用があるんだ、お嬢さん。あんた、王都できれいなお花でも摘んでいるほうがお似合いとしか思えないぞ」
「ええ、わたくし」ベアトリスは軽く微笑むと、「ちょっと竜狩り<ドラゴン・ハント>に参りましたの」花でも摘みに行くような調子で朗らかに答えた。
【続く】