白磁のアイアンメイデン 第4話〈3〉 #白アメ
「――なんなんだ」
ヘリヤの心に、今自分が見ている光景を一生忘れることはないだろうという確信めいた思いが生まれていた。
目の前には紫色のドレスに身を包んだ、見目麗しいご令嬢。どこからともなく現れたテーブルセットに腰掛け、オートマタ執事の用意した紅茶を嗜んでいる。
その背景に見えるのは、植物と生物の悪趣味な融合体――”忌み野の竜”の醜悪な巨躯。ゆっくりと、だが着実にこちらに歩を進める、悪夢の顕現。
優雅と狂気の共存する風景は、ある意味芸術的――いや違うな、むしろ薬物使用者の幻覚だ。そういえば昔、実験の失敗で珍妙な色の煙を吸い込んでしまったあげく、強烈な幻覚に襲われたことがあったな。あのとき師匠が助けてくれなければ、今頃どうなっていたことやら。考えるだに恐ろしい。そもそも何の実験をしていたのだったか。たしかアレは、牛の
「さて」
どこか彼方へさまよいかけていたヘリヤの思考を、ベアトリスの涼やかな声が引き戻す。
「そういえば、大切なことを忘れていましたわ。魔術師殿」
「――なんだ」
ベアトリスは立ち上がると、ヘリヤに向かい優雅に礼をしてみせる。
「先程はありがとうございました。魔術師殿のご助力がなければ、”忌み野の竜”に一矢報いること叶いませんでしたわ。さすがは百年に一人の天才魔術師、ですわね」
「ああ、そのことか。いや、礼など結構。こちらが勝手にやったことだ」
ヘリヤは彼女の妙な律儀さに戸惑いつつ、逆に問い返す。
「そんなことより大丈夫なのか。”竜”はすぐそこまで迫ってきているように見えるが。のんきに茶など飲んでいる場合ではないと思うぞ」
そう口にするヘリヤの足に、わずかな振動が伝わってきた。
「ああ、それでしたらご心配なく。そもそも、ここまで離れたのは紅茶を一杯いただく時間と」
そう言いつつ、ベアトリスはドレスで強調された胸の谷間に無造作に指を突っ込んだ。ヘリヤは旋風を巻き起こしそうな勢いで視線をそらす。
「切り札を起動する時間を稼ぐためですもの。あれから逃げ出そうなどという気は、最初からありませんわ」
そういうベアトリスが秘密の場所から取り出したのは、白く光る鍵。馬車の中で取り出してみせたあの鍵だ。
「切り札……」
「そう、切り札です。竜殺しを担う」
ベアトリスは鍵を軽く振りながら言う。
「神話の兵器ですわ」
◇ ◇ ◇ ◇
「さて、そろそろ頃合いですわね。アルフレッド、支度を頼みますわ」
『そのことですがお嬢様。一つだけよろしいでしょうか』
「――なんですの?」
アルフレッド――オートマタ執事は、表情のない顔でヘリヤを一瞥。淡々と言葉を投げつけた。
『切り札ですが、やはり当初の予定通りに運用すべきかと』
令嬢と執事の間の空気が、ほんの一瞬だけ冷える。端でやり取りを聞いていたフローレンスの顔の光点が、僅かに瞬いた。
「どういうことかしら」
『”竜”の脅威は、ヒト型のときですらこちらの予想を遥かに上回っておりました』
「ええ、そうですわね」
『とすれば、真の姿を現したあの”竜”めに対しては万全の備えで臨むべきではありませんか。切り札の能力を十全に発揮するためには、やはり』
「――やはり、私を薬で眠らせたあげく、私の意思とは関係なしにその切り札とやらに組み込むべきだと、そう言いたいのかあんたは」
突如割り込んだヘリヤの言葉に、今度こそ場の空気が凍りついた。フローレンスがほんの僅か、ぷるぷると震えだす。
ヘリヤはベアトリスの顔に目をやる。そこに浮かんでいたいつもの笑みを見て、ほんの少しの失望を感じた。本当に動じないな、このお嬢様は。
「……なぜ、それを?」
「そうだな。知っての通り私は百年に一人の天才であり、真実の探求者だ。その私が最も得意とするのは『解く』魔術。術式をほどき、幻覚を破り、秘密を解き明かす、そういう類のものだ。ゆえに、だ」
ヘリヤはほんの少しだけ口角を上げて、言葉を続けた。
「ゆえに、紅茶に入れられた眠り薬に気づき、その効き目が現れる前に〈睡眠抵抗〉を唱え薬の効果を打ち消すことなど、私にとっては造作も無いことなのだ。あとは薬が効いて寝たふりをしている私の頭の上で、あんたらが勝手に喋っていたのを聞いていただけだよ」
一気に話し終えると、ヘリヤは再びベアトリスの表情を確認する。やはり変わらぬそれを見て、ヘリヤは軽く首を振る。
「で、だ。それを踏まえて私からあんたたちにいくつかの質問と、それから提案がある」
「……うかがいましょう」
【続く】