白磁のアイアンメイデン 第4話〈4〉 #白アメ
「時間がないから手短に行くぞ。質問は二つだ」
ヘリヤは指を一本立てて見せながら言う。
「一つ目、率直に聞くぞ。まあ、質問というよりも確認に近いのだが――あんたたちは、私のことを知っていて、最初から利用するために近づいたな? 私に近づき、隙をついて意識を奪い、切り札とやらに『組み込む』……だったか。いまいちよくわからんが、そのために私を”待ち伏せて”いたのだろう?」
ヘリヤの脳裏に、彼女らと出会った際の光景が鮮明に蘇る。
「今考えてみればおかしな話だ。この広大無辺な”忌み野”において、示し合わせたわけでもない我々が『偶然』出会い、『偶々』目的地が一緒で、『図らずも』利害が一致したので同行することになりました……子供向けの寝物語ならばともかく、現実はそう都合良くはできていない。ならば、そうなるように図を描いた、と考えるのが自然というものだ」
”忌み野”の大地が震える。”竜”は遅々とした足取りを崩さない。それは鈍重と形容してもいいほどの歩調でこちらに近づいて来る。
「……ええ、おっしゃるとおりですわ」
ああ、やはりそうなのか。
全く、当たってほしくない予感ほど良く当たる、とは誰の言葉だったか。師匠だったかな。それとも何かの書で読んだのか。
「なぜ、素直に言わなかった? そんな騙し討ちのような卑劣な手段を行使せずとも、一言、お前の魔力を必要としている、だから力を貸してほしいと言えば良かったろうに。出会って間もない間柄だがこれだけはわかるぞ、これは『らしくない』やり方だろう? なのに、正面から頼み込んでこなかったのは何故だ?」
「そうは、いきませんでしたの」
「だから何故」
「――それは、あなたにわたくしのために死んでいただきたい、と願うのとほぼ同義だからですわ」
”忌み野”を揺らす振動が、無視できないほどに強まる。あれが決して歩みを早めないのは、おそらく確信を持つが故だろう。
山に逃げれば山にて追い詰め無惨に縊り殺す。
森に逃げれば森にて追い詰め無慈悲に薙ぎ払う。
街に逃げれば街にて追い詰め区画ごと磨り潰す――自分からは決して逃げられぬ。
そういう類の確信だ。
気に入らないな。だが気にしている場合では、ない。
「……どういうことだ」
「もうおわかりだと思いますが、わたくしは魔力を一切使えません。いえ、使うもなにも、そもそもわたくしは魔力をこの身に持たぬのです」
ベアトリスが顔を伏せる。自分の前では初めて見せる弱気な仕草、そして予想はしていたがいささか衝撃的な告白に、ヘリヤの心が揺れる。
魔力。
一説には、世界創造、万物創生の際に創造主によって振るわれた力の残滓だという。故に、量や質の多寡はあれどもこの世界に生きとし生けるものの遍く全てが当然のように持つ――それが世の常識である。
確かに時折、魔力を一切持たぬ子が生まれることはある、らしい。しかしそのような子は忌むべき不具者、悪魔の申し子としてその場で縊り殺されるのが常だ。
合わせて、世の仕組みも魔力を持っていることを当然の前提として組み上げられている。魔力を一切持たぬ者が生き抜くには、いささかこの世は厳しすぎる――代わりの何かがなければ。
ヘリヤは思い出す。ベアトリスが金の、紅の光に包まれながら繰り出した必殺の技の数々を。あれは超常の絶技には違いないが、同時にやむを得ぬ選択肢だったというわけか。
「長年に渡る修練の末、わたくしは切り札を『動かす』ところまでは至りました。ですがその先、切り札の力を十全に発揮するためには、やはりどうしても魔力が、膨大な魔力が必要となるのです」
「『動かす』、だけ?」
「ええ、言葉の通り。それでも”竜”とやりあうことはできますし、打ち倒して、その上で踏んでさしあげることも可能だと」
言いながらベアトリスは、困った顔をしてみせた。
「先程までは、そう思っていました」
「今は違う、と」
薄くため息を付き、ベアトリスが笑顔で――苦笑のたぐいだったが――首肯する。
「ただひたすら殴る蹴るだけでは無理ですわね。残念ながらそれは先刻証明されてしまいました。ですので、切り札の力をできる限り引き出す必要があるのですが――」
「その際に、私の魔力が必要だというわけか」
「ええ、ですが、あれは真の意味で”神話の兵器”なのです。要求される魔力は計り知れませんわ。魔術師殿の才覚を疑うつもりは微塵もございませんが、それでも『足りない』可能性があるのです。身の丈に合わぬ魔術装置を扱ったものがどういう目に遭うか――これは、魔術師殿のほうがお詳しいのではなくて?」
「自分の分を超えた魔力を無理矢理引きずり出される……私には経験がないが、想像を絶する苦痛だと聞く。耐えられず命を落とすものも少なくないとも」
言い終わると、ヘリヤは天を仰いだ。”忌み野”の名に不釣り合いな青空が目を刺す。
気に入らないな。
「成程、求められる魔力を供給できれば良し、もし叶わず死に至る苦痛を身に受けるのであれば、意識を失っていたほうがまだしも――そういうつもりだったのか」
”忌み野”の大地が、一際大きく揺れた。”竜”はもはや無視できぬほどの近きに迫りつつある――まったく鬱陶しいな! もう少し静かにしていてはもらえないか!
「――魔術師ど」「質問の二つ目だ」
ヘリヤは指をもう一本立てて、ベアトリスの声を封殺する。不審がる彼女の瞳を見据えて、ヘリヤは力強く問う。
「その切り札とやら、私の意志で『組み込まれる』ことは可能か?」
”忌み野の竜”が咆哮した。大地が、大気が震え、不快な音の波が”忌み野”を舐め尽くす。
「……今、なんとおっしゃいましたの。よく聞こえ、いえ、よくわかりませんでしたわ」
「何だ、意外と鈍いんだな。わたしが、自分の意志で、あんたたちに協力することは可能か――そう、聞いたのだが」
「もちろん、もちろん可能ですわ。ですが」
「気に入らないのだ」
「はい?」
「気に入らない、とにかく気に入らないのだ!」
ヘリヤはベアトリスに、彼女ら主従一向に、”忌み野の竜”に、”忌み野”全土に向けんばかりに声を荒げた。
「いいか、私は舐められるのが嫌いだ。なのに私が、この百年に一人の天才である私が、たかが魔術装置に吸い付くされるかもしれないと無用の心配をされ、あまつさえ薬で眠らせてしまえなどという脇の甘い策が通じると思われた! さっきからだらだらと歩み寄るあの森トカゲもそうだ、おまえなんぞ如何様にもしてやれるぞ、などと思っているからのんびり近づいているのだろう! 先程私にご自慢の術式を破られた分際で!」
「魔術師ど」
「その術式、術式もそうだ。私は期待してやってきたのだ、古の書物に物語られる”忌み野の竜”、それが紡ぐ魔術はどれほどの叡智、神智を秘めているのだろうと。なのに蓋を開けてみればどうだ、確かに素晴らしい、緻密にて精妙な術式ではあったが、私があっさり破った、破れてしまったのだ! あくまでも私の理解が及ぶ程度の魔術でしかなかったのだ、私が天才だということを差し引いても、もう少し手応えがあってもいいというものではないか? 私はそんな物を求めて”忌み野”くんだりまで来たのではなあい!」
「魔じゅ」
「そうだ、そもそも私がこんなところまで出向かねばならなくなったのは何故だ!? あのアカデミーの無能ども、魔術の研鑽よりも権力の維持と向上を好み、才有るものを妬み陥れることに昏い喜びを感じる下衆ども、火だの雷だのをぴかぴか光らせては喜んでいる曲芸士ども、奴らが腐り果てずに魔術師の本分を全うしていれば――私がアカデミーを変えようなどと、似合わぬ考えを持たずに済んだのに!」
一気に吐き捨てると、ヘリヤは膝に手を付き、肩で息をし始めた。
「……」
「……と、いうわけでだ」
「はい」
「私はどうしてもアカデミーに戻りたい、戻らねばならないのだ。しかしあの”竜”をそのままにしてこの地を去ることはおそらくできまい。そして悲しいかな。我が身にあれを打ち倒す術はない。ならば」
ベアトリスに、笑顔を向ける。自負と、決意に満ちた笑顔を。
「それが叶う者に力を、貸す。何らおかしなことではないと思うがね。これが『提案』だ」
「魔術師殿……」
「できるのだろう?」
ほんの少しの、間をおいて。
ベアトリスも、笑った。
自負、決意、歓喜、感銘――それら全てを含めた、最高の笑顔で。
「無論ですわ」
「では頼む、時間はあまりないようだ」
「ええ、それではお披露目いたしましょう。わが、いえ、”我ら”が切り札を」
ベアトリスは、右手を天に高く掲げた。そこに光るのは、一つの、鍵。
「アルフレッド!」「かしこまりました、お嬢様」
合わせるように、アルフレッドが一冊の「書」をどこからともなく差し出す。
オートマタ執事が両手で抱えるほどの大きさのそれは、白い装丁を施され、表面は無数の魔術文字で覆いつくされていた。妙なことに、その「書』は黒い革帯のようなもので幾重にも巻かれている。そしてその帯は表紙の中央、巨大な錠前状の金具で纏められている――封印されているのだ。
魔術文字が微かに光るたびにその「書」から時折漏れ出す魔力、それがヘリヤを戦慄させる。
何だこれは。魔術書――の類なのだろうが、秘めている魔力の量が計り知れない。こんなもの、一体今までどこに隠していたというのだ。何なのだ、一体、何が現れようとしているのだ。
いや。
何が出てこようと知ったことではないな。もう、決めたのだから。
ベアトリスは高らかに謳う。神話の兵器、竜殺しの刃、その名は――
「斯界の帳の彼方より、疾く疾く顕現いたしませ――白磁のアイアンメイデン、『ホワイト・ライオット』!」
【続く】