Shiny,Glory,Sunny Days #8 「欲しいものは」
皐月賞の翌日。
学園内やネットは、サニーの話題でもちきりだった。それはそうだろう。事前の人気から見ても、ほとんどの人間がサニーが勝つなんて思っていなかったに違いないのだから。
しばらくはサニーに好意的な論調が多かったと思う。風向きが変わり始めたのは、一週間ほどたってからのことだ。
サニーブライアンが勝てたのは、有力メンバーが後方で牽制しあい、仕掛けるのが遅れたからだ。展開が彼女に味方しただけのことに過ぎない。2000mの皐月賞では逃げ切れたが、ダービーの長い直線では逃げ切れずに沈んでしまうだろう……。
――皐月賞での勝ちは、フロックにすぎない。
フロック。
いつしかサニーの勝利は、そんな言葉で言い表されるようになった。彼女の勝利は実力などではない。ただのまぐれ、なのだそうだ。
俺はデカデカとそうかいてある雑誌を、くずかごに放り込む。
フロックねえ。いつからトゥインクル・シリーズは、運だけで勝てるようなぬるいレースに成り下がったのやら。
俺はテレビのスイッチを入れた。ちょうどダービーの特集番組が始まる時間だったからだ。
番組は出走メンバーのインタビューから始まった。次々と紹介されていくライバルたち。グロスライトニング、グロスジャスティス、ソーヤジェントル、メジロプライド、フリーストローム……。
サニーのインタビューも流れたが、ごくごく短時間。皐月賞ウマ娘とは思えないほどの扱いの軽さだった。やはりフロック扱いか。俺は鼻で笑い飛ばして、テレビの電源を切ろうと――。
そのときテレビで流れたレース映像に、俺は総毛立った。
それは、あるウマ娘のデビュー戦だった。スタートから先頭に立ったそのウマ娘は、そこから一度も先頭をゆずること無く最終コーナーへ。直線に入った途端スパートを掛け、後続の子たちをぐんぐん引き離していく。余裕すら感じさせる走りでゴール。7バ身差の圧勝劇だ。
そのウマ娘の名は、サイレンススズカ。
遅れてきた大物と名高い彼女は、ダービートライアルであるプリンシパルステークスを勝利し、ダービーへの出走を決めていた。
サニーと同じ逃げウマ娘。だがさっきの走りを見る限り、秘めた実力はサニー以上かもしれない。
逃げウマ娘には3パターンある。勝つために逃げる子、勝ち負けに関係なく逃げる子、そしてあまりにも速すぎて逃げになってしまう子。
おそらく彼女は、サイレンススズカは3番目。天才、または怪物のウマ娘だ。
もし、ダービーで二人一緒に逃げたとしたら……お互い先頭を譲らずに潰しあい、その結果、双方スタミナ切れで共倒れがいいところ。しかしサイレンススズカに先頭をゆずったとして、後ろを走るサニーが逃げる彼女をとらえられるかどうか……おそらくは難しい。
サイレンススズカを、彼女の好きに走らせては勝てない。
しかし、だとしたら一体どうすれば。
俺が一人で頭を抱えていたとき、激しい音を立ててトレーナー室のドアが開かれた。驚く俺のほうへ駆け寄ってくる、一人のウマ娘。俺にちかづくと襟元を掴み、ぐっと持ち上げる。
「オイ! オメー、サニーブライアンのトレーナーだろ! ちょっと来い!」
「君は、確かグロスジャスティスだな? どうした一体」
「うるせー、いいから来い! サニーブライアンの野郎が大変なんだよ!」
……サニーが、なんだって!?
◇
俺が保健室に駆け込んだとき、サニーはひじに絆創膏をはられているところだった。妙にファンシーな模様の絆創膏だった。
「これで、よしっと。気をつけなさいよ」
「はい、すみませんでした……あ、トレーナーさん。それにジャスティスさんも」
サニーは俺たちを見つけると、嬉しそうに耳を動かした。
「……あれ? どうしたんですふたりとも。そんなに怖い顔して」
俺はジャスティスを見た。ジャスティスも俺を見る。しばらく見つめ合った後、二人同時に息を吐いた。
「えっと……本当にどうしたんですか」
「い、いやな。お前が他のウマ娘に暴力を振るわれたって聞いたから、慌てて飛んできたんだが……」
サニーは少しだけキョトンとすると、やがてクスクス笑いはじめた。
「暴力だなんて、そんな大げさですよ。ちょっと突き飛ばされて転んじゃっただけです。ケガだってほら、ひじを少し擦りむいただけですし」
俺はもう一度ジャスティスを見た。ジャスティスはきまり悪そうな表情で俺から目をそらす。
「慌てて確かめもせずに知らせに来たのは悪かったよ……いや、でも仕方ねえだろ! 実際、けっこうな騒ぎになってたんだからよ!」
「いや、大したことがないなら良かった。知らせてくれてありがとう」
「わたしのこと心配してくれたんですね、ありがとうございます!」
「は……ハー!? べ、別に心配なんかしてねえし! アタシはほら、そう、あれだ、オメ―に完璧な状態でダービーに出てもらわなきゃ困るわけよ! そうじゃなきゃ、アタシが勝ったときに、ケチがついちまうかもしれねえし!」
すごいな。なにかのお手本のようだ。
「……チッ。あーあ、慌てて損したぜ。オイ! くれぐれもケガで出走取消なんて、ツマンネーことにならねーようにな!」
言い捨てながら保健室を出ていくグロスジャスティスを見送ると、俺とサニーは顔を合わせて笑いあった。
だが、笑いごとにできないこともある。
「サニー、暴力を振るわれたというのは本当なんだな」
「はい、でもさっきも言いましたけど、ちょっと突き飛ばされただけですから」
「どうしてそんなことに」
「……バカに、されたからです。だからちょっとムキになってしまって。相手と言い争いになっちゃいました。で、そのときに」
俺は息をつき、天を仰いだ。
「君の勝ちを、フロック呼ばわりされていることか? まったく、そんなこと気にしなくていい。周囲の評価なんて、レースの結果で覆してやればいい。何度でもな」
「違うんです。バカにされたのはトレーナーさんです」
「……なに?」
サニーは下を向き、ヒザの上で手を握りしめる。
「その子は言いました。あなたのトレーナーは、今年ようやく2勝目をあげた弱小トレーナーにすぎない。そんな人のもとでダービーなんて勝てるわけがない……って」
サニーが顔を上げる。金色の瞳いっぱいに涙をあふれさせて、俺の顔を正面から見つめてくる。
「わたしは自分を信じています。だから周りからいくらバカにされたって構いません。ダービーだって、絶対に勝ってみせます。だけどトレーナーさんをバカにされるのは我慢できない……わたしのトレーナーさんは……こんなに……こんなにすごい人なのに……」
そのあとは言葉にならないようだった。サニーは何かをこらえるように、ぐっと歯を食いしばっていた。まるで幼い子どものような顔だった。
「そうか」
俺はそっと彼女の頭に手をやった。髪に触れた途端、サニーの体がびくりと震える。
おれはゆっくりと、サニーの頭をなでてやる。
「ありがとうなサニー。だけど心配はいらない。俺は全く気にしていない。その子の言ってることは間違いじゃない。たしかに俺は今年2勝しかさせていない、ただの弱小トレーナーだ」
「そんな!」
「だがそのうちの一つは皐月賞、三冠レースの一角だ。忘れたのかサニー、君があげた勝ち星だぞ」
「あ……」
俺はサニーの頭から手を離すと、精一杯の笑顔をしてみせた。
「俺にとっては大きすぎる一勝、だからそれで十分だ。しかも次のダービーで、サニーは俺にダービートレーナーの称号まで与えてくれるわけだしな。そのときにはもう、俺を弱小トレーナーなんて蔑むヤツはいなくなるだろう」
「トレーナーさんは」
サニーが俺の目を見る。彼女の金の瞳、その輝きが増していく。
「わたしがダービーで勝てると、本当に思ってくれていますか」
「当たり前だろう。俺が育てた君が、そこらのウマ娘に負けるなんて考えられない」
俺が間髪入れずにそう答えると、サニーはひどく驚いた顔をした。そして改めて俺の目を覗き込んだ。まるでそこにある真実を探るように。だから俺は目をそらさない。そらす必要がない。俺は嘘をついていない。つくつもりもない。
「バカにして笑いたいやつには、そうさせておけばいい。俺たちが目指すのはみんなの人気者じゃない、『勝者』だ」
トゥインクル・シリーズは人気投票ではない。だからほしいのは1番人気ではない。
そうだ。ほしいのは1番人気ではない。1着だ。勝利だ。
俺はサニーにそう伝えると、椅子に座る彼女に向かって手を差し出した。
「さあ、泣いている場合じゃないぞ。ダービーまでやるべきことはたくさん残っているからな」
「はい……うう、でもやっぱり悔しいです」
「だから気にするな」
そう言った俺の頭の中で、何か閃くものがあった。サニーどころか俺まで見下されているこの状況、もしかしたら利用できるんじゃないだろうか。
「……トレーナーさん? どうしました?」
サニーが心配そうに俺の顔をのぞきこんでくる。だが俺はといえば、自分の思い付きを検証するのに精一杯だった。
もし、もしも、だ。この策がうまくいけば、サイレンススズカを好きに逃がさずにすむかもしれない。いや、それどころか、他のウマ娘も同様に……。
「サニー」
「は、はい!」
俺はサニーの手を取りながら、静かな声で彼女に告げた。
「俺はこれから、お調子者の三流トレーナーになる」
「はい! ……はい?」
サニーは目を白黒させる。それはそうだ。俺はサニーの耳元に口を寄せ、ダービーに向けた作戦を聞かせてやった。
「そ……そんなのって……」
「この策がうまくいけば、ダービーは君の独壇場になるだろう」
「でも……そんなことしたら、トレーナーさんは」
サニーの顔が曇る。まったく。そんな顔、みんなを照らす太陽にはふさわしくないだろうに。
俺は彼女を安心させようと、努力して笑顔を作ってみせた。
「俺のことは心配いらない。俺は俺自身を信じている。君と同じだ。だから周りから何と言われようと気にしないでいられるだろう」
「トレーナーさん……!」
サニーが笑う。輝くような笑い方、太陽の笑みだ。このときこそ、俺がダービーでの勝ちを確信した瞬間だった。