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1.支援の仕事に出会うまで(~25years)

私はほんとうに普通の大学生だった。

九州の海と山に囲まれた町で生まれ育ち、小さいころから博多や天神に電車で出かけるのがちょっと大きなお出かけだった。

親友が、小学生の頃から高校は兄が行ったここに行きたい、というのを聞いて、私もその高校に行った。進学校だったので、どこか大学に行くんだ、と初めてその時意識して、オープンキャンパスで訪れた大学で出会ったのが心理学だった。

決めきれなかった大学生活

入学した大学は、医療福祉系大学の臨床心理学科。1年目から専門科目が学べる、西日本にある(なんとなく九州に近い方がいいと思っていた)、いろいろ調べた中でも、ホンモノの学びができそう、というのが選んだ理由だった。田舎で、稲穂が揺れる光景が広がるようなところで、都市でのアクティブな大学生活ではなかったけど、当時の私にはいい環境だったなと思っている。

元々本を読むのが好きだったり、人や気持ちになんとなく興味があったので心理学の授業は面白かった。心理統計や睡眠心理学、解剖まで、こんなことも心理学なのか!と発見や苦痛(Σの計算に大学でも出会うとは思っていなかった!)もありながらも、友達もできて、初めての1人暮らしも満喫した。バイトもいくつか経験して、それなりに大学生らしい生活を楽しんでいた。

大学3年になり、心理臨床のゼミに入ることになった。先生はロールシャッハに詳しく、保健福祉センターなどでずっと臨床をやっていた素敵な先生だった。また、心理学科だったので、精神科病院での実習なども科目にあったのだけど、私は心理学を「学ぶ」「知る」ことは楽しかったのに「実践する」ことはとても怖かった。

授業を通して考えざるを得ない自分って?という問いだったり、見えてくる未熟さ、そこから回避してしまう気持ち、授業での心理検査の結果や自己分析に取り組んでも見えない自分らしさ、そのあたりのことが「触れるとひりひりするもの」として私の気持ちの中にあり、学んでいく中でその存在を「認識」できても、どう「対応」すればいいのか分からない、といった状態だった。「対応できる心の成長」がまだできていなかった。

「専門職として働きたかったら、社会人になってから大学院行けばいいよ。そんなこともできる」とゼミの先生にアドバイスがありがたく、ひとまず実家の近くで働こうと、福岡のクリニックで事務や看護助手の仕事をみつけ、それが私の社会人のスタートになった。心理学科のみんなが心理職に進むわけではなかったけど、大学が医師看護師など専門職を育成する大学だったので、そこを目指し学び、卒業後その道に進む人も多くて、自分の芯のなさがとても不安だった。

社会に出てみて

九州に戻ってきてからは、福岡で一人暮らしを始めた。地元の方言が通じることの温かさ、帰ろうと思えば実家にすぐ帰れる距離、また新しい家での一人暮らしでワクワクもあった一方、圧倒的にぼんやりとした不安の方が大きく、そんな経緯で始めた仕事はやりがいも感じられず、「とりあえず3年」と自分に言い聞かせながらの毎日だった。

自分なりにノートに自己分析してみようと書いてみたり、その中でやっぱり人をよりよい方向に進んでもらえるようなことを仕事にしたいと思った。ウエディングプランナーとかインテリアコーディネーターの求人なんかもちらっと見ていた記憶がある。

そんな中、クリニックで対応した患者さんの中で、「リストカットの痕を消したい」という相談があった。形成外科もあるクリニックだったので、まず初診からということでご案内し、診察中に一緒に働いていた同僚の一言で、私は衝撃を受けた。「消したいんだったら切らなきゃいいのにね。」

切らなきゃいいのにね。

本当に何の気なしに言った言葉だったと思うのだけど、私にとってはそれはとてもとても大きな一言だった

先生に会いに行く

その時、その後も、彼女は切りたくて切ったわけではないはずなのにと思う気持ちがぐるぐるしたのと同時に、あぁ、今この社会ってこんなに生きづらいのか、ちょっとメンタルがきつくなると、こんな風に見られるのか、と初めて認識した。

また、大学で学んだことが自分のベースになっていて、そしてそれは社会のベースではないことも知った。

3年がたち、その職場を離れ、ゼミの先生に会いにまた稲穂が揺れる大学まで行った。大学の裏のカフェで話をさせてもらい、今までの経緯も聞いてもらった。リストカットの彼女のことも話し、とりあえず3年と思って・・・と言ったとき、

「よぉ3年頑張ったなぁ」

と声をかけられた。それがとても心に沁みて、泣きそうになった。少しうつむいたけど先生にはばれてたと思う。そんなにちゃんとした就職活動もせず、3年で辞めて、と思っていたけど、私は頑張ったと思っていいのか。頑張ったねと認めてあげていいのか。

また先生が、

「専門職になるなら、臨床心理士じゃなくて精神保健福祉士という道もあるぞ。実は自分も第一回の精神保健福祉士の合格者なんや。」と教えてくれた。

臨床心理士になるために大学院へ行くか。精神保健福祉士になるために1年専門学校に行くか。

少し考えた結果、リストカットの彼女のような社会の中で生きづらさを抱えるひとに伴走したいな、と思い、専門学校に行くことに決めた。25歳の4月。

続きを読んでくださる方→あいだの時間

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かずみ|Mental Health Socialworker
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