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私を支えてくれた「強い意志」と、生きやすくしてくれた「しなやかさ」

私は、自分でも思うし、人にも「意思がある」と言われます。

こう、と決めたらこう、という揺るがなさだったり、自分が大切にしたいと思っていることの譲らなさ具合、とか。

こうした意思を自分が持っていることは、特に自分がピンチな時、何かネガティブなことと戦ったり向き合わなければいけないときに、自分を支えてきてくれたように思います。

そしてソーシャルワーカーという仕事が私のそんな側面を強くしてくれたように思います。少し弱いところがあったら生きづらい社会の中で、「それはおかしい」と明確な意思を持って表明していったり、場合によってはそんな環境を変えていくアプローチをしたり。

そうやって人は(私は)、自分を守る必要があるし、自分の人生に対してそんな行動がとれるのはやっぱり自分の(そして助けてくれる人の)意思だと思います。

ただ、それがたまに「意思の強さ」だけではなく「頑なさ」になってしまう時があると気づきました。当時一緒に働いていた上司に、「しなやかになりなさい」と言われたのですが、きっとそういうことだったのだと思います。

仕事でも、自分の人生でも、自分の意思とは裏腹に、思うとおりに行かないときがあります。どれだけ正論を述べようが、自分にとって大切なものであろうと、それが届かないこともある、という不条理さや現実、そんなこともあると学びました。

そんな時は、自分の意思が強ければ強いほど、傷つきも深くなり、ただただ大切なものを守りたいだけなのに上手く伝わらなさから自分も相手も傷つき、伝わるどころか溝は深くなってしまう。そんなことが起こってしまうように思います。

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何をどう工夫しても上手くいかない瞬間というのはあって、そこに対して「拒否反応」とも呼べるような気持ちが湧き上がってきていたのかな、と思います。

そこへの諦めなさは、自分自身を諦めないことだったのかもしれないし、だからこそ折れてはいけないと思っていたのかなぁと。

だってそれが自分を守る手段だから手放しづらさがあったのかなぁ。

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あるときから、「上手くいかないことは存在する」を前提に物事を考えるようになりました。

だから、ちょっと不穏なことや不安定な状況になっても、「これもデフォルト」だと思って「さて、どうしようかな」と考えられるようになります。

でも、自分を諦めているわけではなくって、心地よくない状況に身をゆだねながらも、「どうしたらいいのかなぁ~」と思考回路を巡らせてみる。そうすると、強い意思で戦っている時よりも案外、するすると絡まっていた糸がほどけることもあります。

この、どうしようもなさの中でその状況に対応できる力、というのもソーシャルワークの中から学んだように思います。だって、思うようにいかないことばっかりじゃん。でもその時にどうする、となった時、案外支援者よりクライエントの方の方が覚悟が決まっていたり、柔軟であることもたくさんあって、学ばせてもらってばかりでした。

それは、自分を諦めることではなく、意思を手放すことでもなく、「プランB」=引き出しを増やすことだと思っています。

どちらかだけを使ったり、場合によっては二刀流で対応することもきっとありますよね。

引き出しを増やすという選択肢をもつこと=しなやかさ。

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色々なひとのお話を聴いていると、私と逆パターンな人も多いように思います。自分の意思が弱くて流されてしまう、だから自分を持ちたい、というような。自分の引き出しを増やす順番が逆なだけで、同じじゃないかなぁ。

私にとってはどちらも大切なもので、私のこれまでを支えてくれたもので、これからも持ったまま歩いていきたいです👣。




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かずみ|Mental Health Socialworker
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