自分らしい、を言葉にしてみたら
私は、「自分らしい」という言葉がすきです。
フリーになって「学びを通して自分らしく生きる人を増やす」ことを1つのテーマに、これまで開催してきたキャリアについての講座のタイトルには、ほとんどの機会で「自分らしいキャリア」という言葉を使ってきました。
キャリア、という言葉が、例えばキャリアアップとかキャリアウーマンとか、「仕事」の場面でかつ「上昇志向な」というイメージを持たれやすいような気がしているのです。
伝えたいキャリア(生き方)というのは、「自分軸の生き方を考えてみること」だという意味を込めて「自分らしい」という言葉を使っています。
わざわざ「自分らしい」というところに戻らないと、なかなか自分のことをシンプルに考えるのが難しいことが多いんだなぁ、と日々さまざまな方の相談を受けてひしひしと感じます。
この生きづらさのある社会に適応して生きていると自分のことが捉えられなくなって問われても分からなかったり、
違和感を自覚してどうにかしたくても現実と理想の間でジレンマを感じたり、
自分自身がこれまでの人生の中で見聞きしてきたことから自分が自分に何か課していたり、
そういった現状がある日常でシンプルに自分の気持ちを言葉にすることは普段あまりなかったり、難しく感じたりします。
私たちは、ありのままの私たちでいられなくなるような影響を常に受けざるを得ない状況にさらされている、という風にもいえるのではないかと。
だから、「自分らしい」というのは、そういった
「抑圧のない」
「誰から押し付けられたものでもない」
「ジャッジされない」
そういった意味を込めているのだと。
自分にも言い聞かせます。
学びの機会を通してことばになったらいいな、と思うのは 在り方 です。
誰にも評価されない存在そのものを、自分自身が確認できること。
それができたら、いくらでもまた歩き始められると思う。