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想いと、思い込み。

昨日、アンコンシャス・バイアスについての勉強会に顔を出しました。アンコンシャス・バイアスとは、無意識のうちに「こうだ!」と思い込むことです。人は誰でも、何かを見たり聞いたり感じたりしている時に、過去の経験に影響を受けて、目の前のことについても「きっと●●であるはず!」と判断してしまう、というものです。

ただ、そのことについて「自分は、過去の経験からこう思うんだよね」と自覚して話すことができればいいのだけれど、その過去の経験からどれくらい時間が経っているかや、振り返りをして自分にとってこんな体験だったんだな、と意識できるものになっていない時、「きっと●●であるはず!」という考えは、自分にとっては思い込みではなく、とても現実味のある「想い」だったりもするわけです。

私は自分の人生の中で、相手の思い込みによって投げかけられた言葉で傷ついたこともあるし、自分の思い込みによって相手を傷つけたこともあります。それは人生においてできればない方がいいものなのだけど、アンコンシャスバイアスは、人に備わった本能が働かせるものである限り、「思い込み」を0にすることは難しい。

恣意的な傷つけの意図があったとすれば、それはNOと示せるものであるけれど、それがわざとではない場合、気持ちのすれ違い、掛け違い、もやもやするような心のあと味として残ります。

自分が傷つけられた方であれ、傷つけた方であれ、この心持ちが残ることによって、「何かの思い込みがあったのかもしれない」と気づくことができる。

その時に、どちらの立場であっても頑なにならずに、「私は、●●なんだよね」と自分を主語に自分の話をして、すれ違いや掛け違いをほどくことができればいいんじゃないかなと。

私自身は、すれ違いや掛け違いは、起きないことが一番いいと思うけれど、現実には起こってしまうものだから、そのあとでも気づけたならそれ以上結んだ紐が硬くならないようにしたり、ほどいたりする。人間それでいいのではないか、と思うのです。

人はみんな自分の人生の時間軸で生きているから、それが他者とぴったり合わないことがある。でもそれは無力なことというよりも、気づいて向き合うことで人として成長していけるといいな、というのが難しいなと思いながら思い描く理想の自分像です。

傷つけた、傷つけられた、ということさえ、思い込みのこともありますね。

書いていたら、以前書いたこのnoteを想い出しました。


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かずみ|Mental Health Socialworker
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