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「今」も大切な人生の一部

高校生の時、受験勉強のことで大人に「今頑張らないでいつ頑張るの?」と言われて、「それは今全てを我慢して勉強しろという意味だろうか。今も私の人生の一部なんだけど…」と、もやもやと怒りの感情を覚えたことを思い出します。

最近の大学生の就活にかかわったことがきっかけです。
私は数年前まで企業の採用担当をしていましたが、思いっきり大学生目線で就活にかかわって、あぁ社会って歪んでるな、と改めて感じています。

大学生が本来履修できる授業を諦めて就活に時間を費やしたり、ネットに流れる情報や大人の意見に左右され、不安に晒されながら、自分を成長させ開示していかなければならない就活をしている。

ポジティブにこの場面を切り抜けることができる大学生もいると思いますし、就活自体のすべてがネガティブだとは思いませんが、どうしても多くの学生はこの就活の沼というか辛さというか、こんな形で初めて社会に接触していく構造は変わっていない。

そんな状況に対するどうしようもない「?」に触れて私は自分の受験勉強の時のことを思い出しました。

就活も一律なやり方でなくていいんだと思います。
いつまでに内定とらなきゃ云々とかって、誰かと比べて初めて出てくる言葉だし、就活スタートのタイミングも、就職のタイミングも、別に数か月数年変わってもいいですよね。

海外では、新卒でそのまま就職しなくても、卒業から就職の間に時間を設けたり、社会人になってから学びなおしてまた働いたり、生き方のルートが多様だと聞きます。

私が高校生だったのはもう20年も前ですが(! それにもびっくり笑)、そのころから日本は全然変わっていない、むしろ悪化している部分すらあるのでは??と思います。

昔は、きっと今よりも社会全体がより右ならえ、の意識があって、そういう意味で「普通そうでしょ」というような声かけが多かったのではないか。今は多様性だなんだと言われているけれど、思慮なしに「社会の空気」と「個人」を天秤にかけたときに、社会を優先しないといけないよね、という考えでいる大人は多いと感じます。

「個人」のことを問うと「個人を大切にしたいよね」となる。それが組織の中で、となると「とはいっても…」となる。そもそも「人間が尊重される存在である」という概念が低すぎるのを感じます。

もちろん、マッチングの問題などあるので、一筋縄でいかない課題と思いますが、それだけでしょうか。私たち大人のスタンスに間違ったところはないか。その最たるものが戦争でしょうか。

なぜ人よりも組織が、社会が、一律であることが優先されるのか?この問いに本質的な意味で回答できる大人はどれくらいいるでしょうか?

考えが沸く午後。



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かずみ|Mental Health Socialworker
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