日常を鮮やかに
新しいことをしたいと思っている。
宝の持ち腐れだった、カメラだ。
私はもともと、メカ的なものは得意ではない。
カメラをメカ的なものと呼ぶのも合っているのかわからないけど、PCとかスマホなども、最低限のことが分かると、その分かったやり方をひたすら駆使してなんとかしちゃいたいタイプです。
説明書を読むなんて面倒だし、
見てちょいっとやれたら何とかなる、ということが好き。
ようするに、面倒くさがり屋です。
そもそもこのSonyのカメラを買ったのも、子どもの運動会の動画をスマホで撮っていたら夫婦ともどものスマホカメラが「温度上昇により撮影を停止します」と使い物にならず(天気のいい日だったから?泣)、同じクラスのお友達の親御さんが三脚まで立てて立派なカメラで撮影しておられたのを見たからだった。
そのカメラで撮った写真を共有してもらった時にあまりのキレイさに感動して思わず買ったカメラが、このカメラだった。
友人のおすすめを言われるがままに買ってみたものの、時はコロナ禍へ。外出する機会も減り、そのまま役立つ機会も少ないまま数年経ってしまった。
そして何よりも、せっかく買ったカメラの使い方がわからないのだ。
そして、調べよう調べようと思うにも、腰が上がらない。未知のものを知ろうとするのは初動エネルギーが必要なことなのだ。
たまに、精神保健福祉士の資格を取得しようと迷ってて…と相談を受けることがある。その時、私自身の経験を聞かれたり意見を求められたりするのだが、きっともう取得するかどうかの意思はその方々は決まっていて、ただ最後のそっとひと押しがほしいのだ。
私も、カメラを扱えるようになりたい。
写真や動画を上手に撮れるようになりたいのだ。
こんなに想いは明確なのに、なぜ身体を動かすのが難しいのだろう。
私の最後のひと押しは何だろう?
写真が上手に撮れるようになって…
子どもや家族の写真を残したい?
インスタにUPしたい?
noteのヘッダー写真に使える??
自分のスキルが増える???
ちがう。
それではモチベーションに繋がらないのだ。
ちょっとキレイな写真は、スマホのオートモードで特に努力しなくても撮れるのだ。
私はこのSonyのカメラを手放さず何とかしたいのは、
人生を鮮やかにしたいからだ。
おしゃれにとか、派手にとか、実際以上によく見せたいとかではなく、今すでにここにある日常を、埋もれさせたままにしたくないのだ。
今までは、それをさぼっていた。
道具は既にあったのに。
自分はまだまだだ、今ここに足りないものは、と、意識していても時折そんな煩悩に埋もれてしまう、すでに今ここにある自分や今を鮮やかに浮かび上がらせたい。
だから私は、カメラを学ぼうと思う。
きっとこの学びは、私の人生をより鮮やかにしてくれる。