弟の死
20年以上を共にしてきた弟の通夜があった。
そこで自分の中に渦巻く感情を言語化して忘れたくないと思い、誰に見られなくとも書き記すことにした。
弟はガンだった。3年前自分が大学で呑気に過ごしていた中、母から弟が倒れた旨の連絡があった。信じられない、大したことないだろうという正常性バイアスのかかったままのふざけた気持ちで向かった僕とは対照的に、病院にいた家族は鎮痛な面持ちだった。
検査の結果、すぐにガンが発見された。余命宣告が出るような。なぜ。なぜ弟が。その時、ひとつの後悔が胸をよぎった。
それは僕たちがまだ高校生の頃、家族で箱根神社へ参拝に行った時のことだった。当時、ふざけていい場所とそうではない場所の区別もついていない僕は、神社の狛犬や鳥居に向かって中指を突き立てた。不謹慎が面白いと思ってのことだった。
ノリの良くて、なんでも真似する僕の弟もその真似をしてきたのだ。弟のガンはその天罰だったら?でもその罰がガンはあんまりじゃないか?
僕は弟にかける言葉が見つからなかった。しかし、弟はそんな僕の頭の中を読み取れるはずもなく普通の態度で変わらずに僕に接してきた。
そこから数年、弟は普通に生きていた。病院に通いつつも、母親を中心とした家族の献身的なサポートで。そこら辺にいる普通の大学生と同じように。僕はこの時間が掛け替えのない時間になることを頭ではわかっていたのだとは思う。箱根神社でのことも懺悔しようか?けれど、僕はどうしようもないくらい自分が大切で、自分が傷つきたくないが為に弟の病気と向き合うことができないでいた。
そうこうしているうちに弟は立てなくなった。そこから直ぐに話すことができなくなった。さらに直ぐに食べることと飲むことができなくなり、家族に見守られながら息を引き取った。とてもとても悲しかった。
でも最期の瞬間に立ち会えたのはこのクソみたいな不幸の中での唯一の幸いだった。きっと、弟が最期に頑張って、見守ることのできるような時間を作ってくれたのだと思う。その瞬間で弟に謝りに謝った。そして、ありったけの感謝を伝えられたと思う。
バタバタしているうちに通夜と告別式が終わった。自分はなんにもしてなかったように思う。ただ、弟の通夜にきてくれる人の数と涙の量を見て、真の友人と呼べる人達がこんなにもいて良かったと思っていた。
通夜と告別式が終わった今でも、この数年間、どのように過ごすべきだったかを考えている。もっと本音を伝えるべきだったかな?けど、一緒にたくさんゲームできて楽しかった思い出は作れたよな??とか。こんなことを真面目に考えていたら弟に真面目か!と突っ込まれる気もするなぁ。
気持ちの整理がつくことはしばらくないと思うけど、書き記すと楽になった気がする。