別れ
中学に入学する頃に母が
5月になったら東京旅行行こうか
と、話していた
それは我が家の恒例行事で
2年に1回くらい4〜5泊で
母、僕、弟の3人で
東京の叔母さんの家に遊びに行くものだった
部活があるからいいや
僕は素っ気なくそう答えた気がする
母も、そうだよね今回は(弟)と2人でいくね
と、軽く言った
出発日は確か僕の誕生日だった
お祝い出来ないからって前日に前倒しして
誕生日を祝ってくれた
もちろん誕生日プレゼントは
バスケットボール
心が躍った
翌日
学校に行く前に色々話しされた気がする
ご飯はーとか
困ったらーとか
鬱陶しかったから
わかったわかったって
軽くあしらってた
気をつけて行っておいで
そう言われた
僕の家から学校までは歩いて5分くらい
あなた達は東京行くんでしょ
そっちの方が遠いじゃん
って思ってた
父と僕、それと兄の3人の生活が始まった
兄は僕より11歳年上で
人生がうまくいっていなくてかなり荒れてた
父とも母とも喧嘩するし
自分の気分で怒鳴り散らすしで
正直恐怖の対象でしかなかった
かなり嫌だったが
その頃は友達が1番だったから
母達との旅行より部活を優先した
日曜日
父と父方のばあちゃん家に行って
まったりしていたら
電話が鳴った
ばあちゃんが出て
すぐに父に代わった
なんか良くないことだというのは、すぐわかった
母が倒れたらしい
くも膜下出血らしい
初めて聞いた名前だった
それからはみんな大慌てで
父はすぐに東京に向かって
僕と兄は母方のばあちゃん家に行った
翌日僕と兄2人で東京に行くことになった
東京についたら東京のおばちゃんが待っていて
とりあえず病院に行くことになった
東京で倒れたのに入院してたのは浦安で
へー、、浦安鉄筋家族のとこかな?
とかボーッと考えてた
病院について
管が繋がってて半目でなんとか息をしてる
母を見て涙がでた
ニコニコしながら僕にバスケットボールを
渡してくれた母がそこにはいなくて
楽しい旅行に行ったはずの母が
なんでって、、、
弟もずっと泣いてて
父が横で背中さすってた
まだこの頃には名前を呼んだら
手を握り返してくれて
ずっと名前呼んでた
名前って言ってもお母さんって呼んでたんだけど
多分最後の力振り絞ってたのかな
それからは徐々に反応がなくなっていった
何日かは病院に泊まって
これ以上は学校に影響するし
母の状態にも変化なさそうだからってことで
一旦家に帰ることになった
最後になるかもしれないって言われた
お母さん頑張ってって
1番強く願った
翌日から学校に行ったら
やけにみんなよそよそしくて
事情知ってるんだろうなって察した
それにみんな仲良くなってた
あーそうか宿泊学習(一泊する体験学習)終わったんだっけ。。。楽しみだったんだけどなぁ。。
何日か経って
学校で授業受けてたら
先生に呼ばれた
職員室にはおばちゃんが立っていて
迎えに来たらしい
あーダメだったんだ
おばちゃんは妊婦だったから
やたら目立ってた
いろんな人が学校出るまで見てきた
今思えば妊婦なのに迎えにくるのは大変だったはずで、ほんとに感謝しかない
そこからは本当に早くて
あっという間に色んなことが過ぎてった
父が泣いてるのも初めて見た
ここから父と僕と弟と兄の4人家族が始まった
つづく