新規事業を半年で畳む。起業家として自信を失い、社長を辞めようとした話
こんにちは、タイミーの小川です。
ありがたいことに24年卒の新卒採用活動は無事に終えることができました!
「やっていき」で取り組んでくれた新卒採用チームに感謝するとともに、早速25年卒の採用活動も開始しています。初めての公式な新卒採用活動についてはまたどこかでお話ししたいと思ってますので、お楽しみに!
さて、今回はコロナ禍で売上が一気に落ち込んでしまった時に、起死回生策として掲げた2つ目の戦略「タイミーデリバリー」についてお話ししたいと思います。
「タイミーデリバリー?聞いたことないんだけど!」
「タイミーってデリバリーしていたの?」
って思った方もいるんじゃないでしょうか(笑)。
なぜなら、この事業は、僕が責任をとって社長を退任しようと決意したぐらい、大失敗に終わったからです。
ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです!
社運をかけたはずの「タイミーデリバリー」は、失敗に終わる
コロナ禍で落ち込んだ売上の回復に向けて、僕たちがとったもう1つの施策が「②タイミーデリバリーの展開」です。
当時、デリバリー業界における企業間競争は、今ほど構図が明確ではありませんでした。2020年4月ごろは、ちょうどUberEATSが認識され始めたぐらいでしょうか。2万店(※当時)以上の飲食店とのネットワークがあるタイミーがフードデリバリーサービスに参入すれば、まだまだ勝者になれる可能性があるように思いました。
そして、これまで共に歩んできた飲食業の皆さんとの関係を大事にしたい、なんとか復活させたい、という思いもありました。コロナ禍で困っている飲食店に対して、他社よりも安い手数料でデリバリーサービスを提供できれば、彼らとの関係性もさらに強固にできるし、コロナ禍が明けたときにはタイミー本体の利用にもつながるはずだ──。
僕たちは持ち前のスピード感で物事を進め、2020年5月19日にはβ版をリリースし、6月30日にはiOS版のアプリを出しました。
タイミーデリバリーは、いわゆるフードデリバリーサービスでありながら、当時では珍しい独自のアルゴリズムに基づいて「まとめ配送」をするモデルを構築しました。同時にいくつもの配送先を回ることができれば、1配達あたりの単価を下げることができます。他社サービスに比べると、後発参入である以上、価格競争力をテコにするべきだとの判断でした。
社運をかけた新規事業は、僕が自ら主導することにしました。
「会社の未来の可能性をつくるために、僕がタイミーデリバリーの責任者をやる。だから、ほかの役員は、タイミー本体をなんとかすることに全力を尽くしてほしい」
要は、リスク分散のために役割を分担したのです。こうして僕はタイミーデリバリーに全力でコミットし、どんどん夢中になっていきました。 タイミー本体は他役員たちに任せたうえで、自身の8割方のリソースをデリバリー事業に充てました。実際に自分で配達員をやるくらいの入れ込みようだったんです。
外出自粛要請が出され、都市部では既存のフードデリバリー事業者が、どんどん業績を伸ばす中、僕はタイミーデリバリーにものすごい可能性を感じはじめていました。これがうまくいけば、ひょっとするとタイミーを超えるビジネスになるかもしれない。「タイミーデリバリーがタイミーを超える!」という公言さえしていました。
しかし、結論から言えば、タイミーデリバリーは全然うまくいきませんでした。
そもそも、まとめ配送のモデルが機能するためには、膨大な量の注文が入っていなければなりません。それにはまずもって、ユーザー獲得が必要です。しかし、後発組の僕たちにとって、新たな顧客の獲得は相当しんどい作業でした。おまけに既存プレイヤーが、積極的にキャンペーンを打って、一気に囲い込みに入っていた段階。タイミーのように順調なユーザー獲得には至らなかったのです。
デリバリー事業の苦戦が続く中で、既存事業であるタイミーでは「飲食業界から物流業界へのシフト」の効果が現れはじめていました。しかも、物流部門にはまだまだ伸びしろが残されていました。わざわざ無理に新規事業を立ち上げるまでもなく、タイミーが成長軌道を描いていける未来が見えていたのです。
当初から「3か月で結果が出せなかったら撤退する」と経営陣と約束していたこともあり、立ち上げから半年後の2020年10月に、タイミーデリバリーはあっけなく幕を閉じることになりました。
居場所がない。新規事業を上手くできなかった自分への葛藤
タイミーデリバリーを畳んだあと、ふと会社を見渡すと「自分の居場所」がなくなっていることに気づきました。
——無理もありません。
物流業界に光明を見出し、そこから見事なV字回復を果たした時、タイミーには「社長の僕がいなくても回る状態」ができ上がっていました。
当時の僕を振り返ってみれば、社外のイベントでスピーカーとして登壇したり、エンジェル投資家として出資をしたり、副業でほかのスタートアップを手伝ったり、はたまた「タイミーチャンネル」というYouTubeを立ち上げてみたり……と、お世辞にもタイミーの経営にしっかり向き合っているとは言えない最悪な状態でした。もちろん、会社の顔としてPR活動をするのは大事なことです。しかし、当時は従業員全員が必死に売上回復に向き合っていた時期。
会社の数字が安定してくるなり、「社長は僕です」と何食わぬ顔をして戻ってくるのは、あまりにも虫がよすぎでした。
タイミーを復活軌道に乗せるべく、一致団結して地道に戦っていた役員たちと、タイミーデリバリーやその他の社外活動にうつつを抜かしていた僕──。僕とその他の経営陣の間に、いつのまにか深い溝ができあがっていたのです。
自分がいなくても会社は回っているという事実に、どうにもいたたまれなくなった僕は、3日間ほど会社を離れました。
ネットカフェで漫画を読んだり、銭湯に入ってボーッとしたり。休みたかったというよりも、何をすればいいのかわからなくなってダラダラしていました。
そして、当然ながら僕がそんなふうにサボっていても、タイミーは勝手に動き続けていました。そのことがよけいに辛かった。自分の会社から追い出されてしまったような気分でした。逃げ出したい。そんな気持ちが大きかったのだと思います。
人生の大きな転換期
後日、僕は役員全員を呼び集めて、こう伝えました。
「おれは社長を辞めて会長職に就く。これからは副社長(取締役COO 川島諒一さん※当時)が社長だ」
そう言いながら「人生って本当にわからねえな」と心のなかでつぶやいていました。タイミーのリリースからわずか2年でこんな決断をするなんて、と。常にいろんな可能性を想定するクセがついている僕ですが、さすがにこのパターンは思い描いていませんでした。
タイミーのビジネスは、このまま粛々とやっていけば、売上100億円達成くらいまでは見えている。これについては川島さんがきっとやりきってくれるだろう。そして、僕はタイミーデリバリーのようなゼロイチの事業にどんどんトライして、1兆円企業をつくっていく──。
これが僕の結論でした。
僕は経営陣の反応を横目で見ながら、すぐさま新しい組織図をつくり、筆頭株主であるサイバーエージェントの藤田さんのところに向かいました。もちろん、会長になるという決断を藤田さんにお伝えするためです。
藤田さんの反応は、シンプルなものでした。
僕は株主でもある藤田さんに少しでも安心していただきたくて、「自分よりもはるかに優秀な人間がタイミーの社長をやることになった」と必死で伝えました。僕がいなくても大丈夫ですと。
しかし、それまで黙って聞いていた藤田さんの反応は、予想からはかけ離れたものでした。もの静かでありながらも、これまでにないくらい強い調子の言葉に、僕はずいぶんと驚いたのを覚えています。
この言葉を言われた瞬間、頭を思いっきり殴られたような感覚になりました。
「(……僕はなんのために起業家になったんだ?)」
藤田さんからしてみれば、代表権を分割して別の役員にタイミーを任せることは、今が辛いから逃げる、「バットを振るのをやめること」に等しかったのでしょう。僕が小さな成功で満足して、他人に打席を譲ろうとしたのが許せなかったのだと思います。
僕は愕然としました。
思えば、孫正義さんも三木谷浩史さんも、そして藤田さんも、あれほど会社を大きくしても、自分でバッターボックスに入り、ときには手痛い失敗なども繰り返しながらも、バットを振り続けています。
一方、起業家としてまだ数年の僕と言えば、「最注目の学生起業家」「藤田ファンド第1号」「20億円を調達」「橋本環奈さんのTVCM」このような言葉に浮かれ、驕りが生まれてしまっていた。そして、会社の中に自分の居場所がなくなってしまったことに耐えきれず、ただその状況から逃げようとした。
新規事業を作るとカッコいい言葉を並べていたけど、自分はただ逃げ出そうとしていただけ。藤田さんに見透かされていたことに、恥ずかしさとショックとで目の前が真っ暗になった感覚を味わっていました。
自分の親愛なる祖父は生前いつもこのように語っていました。この言葉を僕はいつも胸に留めていたはずでした。でも、その言葉は頭からすっぽり抜けていた。やはり、僕はどこかで謙虚さを失っていたのだと思います。
藤田さんからいただいた言葉を胸に、すぐに経営陣に頭を下げました。
忘れもしない、深夜1時の磯丸水産・池袋東口店で。重い沈黙の中で「今更何を言い出すんだ」と厳しい言葉をもらった気がしますが、酔いと緊張と恐怖で正直覚えていません。
そりゃ、他の経営陣からすれば当たり前です。コロコロ意見が変わる僕のことを信用することはできないでしょう。その後も諦めることなく、それぞれの役員との1on1を繰り返し、自分なりの反省と決意を伝えていきました。失われた信頼を取り戻すべく、必死でした。
そして、結果的に役員たちは「もう一度だけ小川に賭けてみるか」という結論に至ってくれました。いろいろと振り回してしまった役員メンバーには、本当に申し訳ないと思っています。
これからは自分一人で決断するのではなく、信頼している経営陣になんでも頼りながら、みんなで決めていく。役職に関係なく謙虚な気持ちを忘れずに向き合っていかなきゃいけない——。このデリバリー事業の失敗事件は、経営者としての挫折と成長の機会となりました。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
あの時の複雑な思いが溢れてしまい、またしても長くなってしまいました(笑)。自分の失敗体験を公開するのは恥ずかしいですが、少しでも多くの方の反面教師として参考になれば嬉しいです。
次回は、タイミーが5周年を迎えた今だからこそ考える、タイミーが「働く」というミッションにこだわる理由についてお話したいと思います。
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